440話 そりゃあバレてるよね
色々あったものの夜更けに出て行ったセージとケイ、そしてクロを見送ったシエスタは婚約者のアベルとセージの実母ルヴィアに話があると声をかけ、部屋に連れ込んだ。
「どう思いましたか」
シエスタはあえて主語を省いた。
言わなくてもわかるだろうし、それ以上にこれから話す事柄はあまりに繊細な問題で、慎重に慎重を期してもなお足りぬほどだった。
深刻な表情をする彼女に、まずルヴィアが答えた。
「ええ、やはり似合うでしょうね。ですがそれは望まないでしょう」
「……?」
何やらおかしな答えが返ってきた。
シエスタは頭の回転が人よりも優れている方だと自負しているが、さりとて自分より優れている人物などいくらでもいることを知っている。
目の前のルヴィアは自身と同等の頭脳を持ち、それでいて全く違う技能と発想を持つ才女と認めていた。
そんな彼女がなにやら明後日のことを言い出すのだから、自分の気付きがまるで見当はずれなのかもしれないという気がしてくる。
シエスタが不安になってアベルを見れば、困ったように笑っていて緊張感がない。
そして婚約者からの視線を受けて、返答を促されていると受け止めて口を開く。
「いくら稼げるって言っても、さすがに良いとは言わないよ。止めてあげよう」
「………………?
――――っ!」
何を言われているのかわからなくてシエスタはしばらくポカンとしていたが、それがセージの女装だと気が付いてふざけるなと憤った。
確かに似合うしお金になるし姿絵が欲しいと思っているが、セージを深く信仰する彼女がそんなことを無理強いするつもりはない。
あくまで一度だけ試しにしてみないかと勧めて、ワンチャン脳裏に焼き付ける事だけでも出来ないかと目論んでいるだけだ。
「何を馬鹿なことを。私が言っているのはクロと名乗ったあの少女の事です」
確かにシエスタ主導でセージの望まない借金を作ったが、それはあくまでセージが各都市の名家から危険視されている事への対処策であり、100%セージのための行いだ。
私は私欲で動くことは無い。愚かな大衆に信仰を広めるためにもいつもとは違う神々しくも愛らしい姿をこの目で拝みたいだけだ。私は決してペリエやミルクのようなショタコンではない。
そんなにも私が信じられないのかとシエスタは憤慨した。
「………」
「――」
そんな彼女のみっともない感情の吐露を見た二人はそろって言葉を失った。
しかしその顔色ははっきりと違う。
ルヴィアは青い顔をしており、アベルは真剣なまなざしでシエスタを見据えていた。
そんな様子を見て、シエスタの憤怒も静まりを見せ、代わって訝しげな表情を見せる。
「シェスは、覚えていたのか」
「……? 何を言ってるの?」
「僕たちは忘れてたんだ。見送ったその瞬間から、今の今まで。たぶん気を抜けばすぐにまた忘れるだろう。ここでの会話も、もしかしたら明日の朝には忘れるかもしれない」
その言葉に、シエスタは絶句する。
シエスタはまさか本人が出張ってくるはずもないだろうから、表には出ていない至宝の君のような操り人形だと予想していた。
だがセージやケイ、そしてアベルの態度からクロがそれ以上の人物である可能性はゼロではないと頭の隅には浮かべていた。
そしてその限りなくゼロに近いはずの推測が正しかったのだと、アベルの言葉と眼差しが訴えていた。
「っ‼」
思わず、シエスタは身震いをした。
クロがやんごとなきお方という想像はしていた。あの場での振る舞いから意図を察して何も気づいていない振りをした。
それは正しい判断だと今でも思う。だがそれでも、それでもひどい粗相をしてしまったのではないかと恐ろしくなった。
彼女はいずれシエスタを含めたこの国のすべてを生贄として貪る邪霊だ。
だがそれでもやはり、この国の統治者であり、国母であり、そして偉大な精霊様なのだった。
「シエスタはなぜ、忘れなかったのでしょうね」
シエスタと同じ予想を立て、同じ振る舞いをし、そして彼女とは違ってすべて忘れてしまっていたルヴィアがそう言った。
「……さあ、わかりません」
セージとの契約がシエスタの脳裏によぎったが、それを正直にルヴィアへ教えるのは躊躇われた。彼女は正しくセージの味方だが、しかしシエスタの信仰を是としているかでは疑問が残る。
手の内を簡単に教えたくはなかったし、それ以上に契約がシエスタの記憶を守るのならば、それはいつか精霊と敵対した時に大きな武器となる。秘密を知る人間は少なければ少ないほど良い。
だからシエスタはそうとぼけた。
「そうですか。気になるところですが、今はもっと大事な話がありますね」
ルヴィアもシエスタの演技に気づいたが、しかし同じことを思って聞き出そうとはしなかった。
そんな二人の冷たい空気を払うように、アベルは明るい声を出す。
「話題に出してもらえれば思い出せるわけだし、いざという時は頼むよ。
それであのお方に関してだけど、僕は事前に今回の件をある程度は聞いている。
まずはそれを聞いてもらって良いかな」
シエスタとルヴィアが頷いて、アベルは精霊エルアリアとしての彼女と相対した時のことを話した。
******
「人の営みは人の手で行うべき。名家には国民を使った国への献身を求める。
矛盾はしていないけれど……」
「違和感がある?」
シエスタが言い淀んだ先を、ルヴィアが言い当てる。
「そう、だね。僕の印象では本当にこの国を愛し、この国の発展を願っているようだった。自分はそのために作られた、そう受け止められるようなことも言っていたよ」
「誘導ではなく?」
「わからない。あのお方は人の心に作用できる。今僕が考えていることが、100%自分の考えだという自信はない」
三人はそろって暗い顔をする。
シエスタとアベルがスナイク家から聞かされた話と、そしてルヴィアがエルシール家でつかんだ話は一致していた。
表立った交流がなく、それでいて内乱鎮圧から続く歴史ある名家の秘匿情報が同様だった時点でその信憑性は限りなく高い。
だがそれでも精霊様はすべての国民にとって母のような存在だ。自分たち国民を心から愛してくれていると信じたい。神になるための生贄にするなんて信じたくない。
だからこそ、都合のいい情報を信じたくなってしまうことが苦しかった。
「どちらにせよ、備えはするべきでしょうね」
「セージには?」
「教えない。あいつは全部分かったうえであの態度が取れる馬鹿だ。
絶対に真正面から聞こうとする」
セージは考えなしの人間ではないが、しかしそれはそれとして何も考えていないんじゃないかと感じるぐらい思い切ったことをする馬鹿だ。
少なくともアベルにとってはそうだし、馬鹿とは思っていないがルヴィアとシエスタも同意見だった。
三人の頭には『精霊様、神様になりたいからって僕らの事を皆殺しにするつもりですか?』と笑顔で聞くセージが浮かんでいた。
そしてその脳内映像では、何故か三人と同じくらい怯えた表情をするクロの姿が浮かんでいた。
「……ともかく、あのお方は共和国に直接乗り込みそのエスコートをセージとケイに命じていた。僕にはそのフォローを。もちろん周りに気づかれないようにと仰っていた」
「だとすれば、危ないのはセルビアちゃんかしら」
気を取り直したアベルにシエスタがそう言って、ルヴィアが頷いた。
「そうですね。あの子は終始敵意に近い目であのお方を見ていました。それが兄を取られまいとする悋気であれば良いのですが、あの子も特別な子ですからね」
セージが突出した異端児であるがゆえに目立たないが、わずか十歳で新人戦入賞を果たしたセルビアもまた特別な才能を持っている。
それは皇剣ケイを思わせる才能の発露であり、ケイと同じく最強の竜殺しジオレインの血を受け継いでいる。
その体に流れる神子の血が何かを訴えているのではないかという不安が三人の中にあった。
そして何より――
「セージは、シスコンだからなぁ……」
――その不安がとてもとても大きかった。
普通に考えたら国主精霊様のお言葉と妹のわがままを天秤に掛ければどちらに傾くかは簡単だ。
セージも決して頭が悪いわけでもなく脳筋でもないが、しかしセルビアが『私、あの子嫌い。仲良くしないで』などと言った時に、セージがそうだねと精霊様に冷たい対応をしかねない。
いや、普通に考えたらあり得ないのだが、しかし普通という言葉とセージはあまり相性が良くないと三人は考えていた。
「「「……」」」
共和国への旅は無事で済むのだろうかと暗い顔をする三人は、そういえばとセージたちを見送った時の事を思い出した。
「セルビア、何か言ってたよね」
セルビアはクロと名乗った少女に何か耳打ちをしていた。
誰にも聞こえないようにと小さく口にしていたし、内緒話だと分かるそれにシスコンのセージは露骨に距離を取って耳に入らないようにしていた。
その時はクロの正体を覚えていたアベルも、ケイが目を光らせていたし、そもそもが不敬な真似は出来ないとその言葉は聞き逃した。
だが今になって思えば、脳筋でブラコンな末妹が何か良からぬことを囁いたのではないかと不安の種は大きく育ってしまう。
「おそらく、ですが……」
シエスタもルヴィアも同じような理由で何を言ったのか耳にすることは出来なかった。
だがルヴィアは高い精度の読心術を会得している。そしてセルビアの唇の動きもいくらかは視界に入れることができていた。
だから何を言ったのかを予想できていた。
「兄貴と仲良くなりたいなら、愛してるって言えばいい、と」
口にしたルヴィアは酷く辛そうな表情を浮かべ、アベルとシエスタは酷く驚きを覚えた。
アベル 「まさか……」
シエスタ「そんなまさか……」
ルヴィア(二人にとってもショックなのですね。あの子は呪われていますが、それを上手く誤魔化していますから。あんなにも優しい子が愛されることを拒むなんて云々かんぬん)←※長いので割愛
A&S 「「あのブラコンのセルビアがセージの彼女に認めるだなんてっ‼」」
ルヴィア「っ‼」←自身の美人ブランドイメージを守るためずっこけるのを全力で堪えている