435話 出発式が始まる
共和国への遠征にあたってはこの国の防衛力を維持することと、十分な戦果を挙げることのバランスが重要となる。
そのため守護都市に所属するギルドの戦士も少なくない数が留守番を任されるし、軍事力の見本ともいえる皇剣も約半数が待機任務を任される。
政庁都市エーテリアの皇剣、至宝の君ことサニア・A・スナイク様。
東の農業都市ラパンの皇剣でラウド・スナイクさん。
西の農業都市ピオルネの皇剣でアリーシア・セルさん。
芸術都市バキアの皇剣でワルン・レクターズさん。
そして守護都市ガーディンの皇剣ジオレイン・ベルーガーこと、馬鹿親父。
この五人が居残り組で、簡単な引き算で遠征組の皇剣は三人となる。
商業都市ディーエンセルの皇剣ケイ・マージネルさん。
産業都市レイクシーの皇剣ロマン・タイジャさん。
学園都市カルッジの皇剣ネイン・アンディードさん。
その三人に加えて、皇翼の私ことセイジェンド・ブレイドホームも参加する。
世間様というか、検閲がバリバリに入っている新聞には妥当な配分だと論評が掲載されていた。
だが身内の戦士には守護都市の皇剣である馬鹿親父、その親父と同格とされる最強のラウドさんが揃って居残り組になるのはどうなんだと首を傾げるものも少なくなかった。
もっとも親父は素行の悪さを、ラウドさんは身内から売国奴が出たことが他国に行かせられない理由だとも噂されており、私のところにその真偽を確かめに来る人もいた。
私は愛国心が強く口の堅い真面目な人間なので、何も知りませんが親父は馬鹿ですからねと返しておいた。
ともあれそんな留守番組がサニア様の指揮の下で、守護都市大遠征中の我らが連合国を守ってくれる。
そうして後顧の憂いなく執り行われる大遠征は十年に一度の大きなイベントという事で、その出発前には大きなセレモニーが開かれる。
ニューフェイスな皇翼である私はその式典において重要な客寄せパンダ、もとい注目の戦士である。
そんな私が今、何をしているのかと言えばセレモニー出席の準備ではない。しかし油を売っているわけでは無く、この国である意味で最も尊いお仕事に従事している。
それが何かと言えば、国主精霊様のお世話だ。
「できましたよ」
私は焼きあがったばかりの塩サバをアリア様に差し出す。
「ご苦労。
……あなたは何をしているのですか」
はて、何と言われても難しい。
式典に備えて待機していたところ、ケイさん経由で呼び出されてアリア様の隠れ家にやって来たところ、待機していた彼女に開口一番わかりますねと言われたのだ。
隠れ家では3台あるモニターそれぞれに鮮明な映像が浮かび上がっており、式典が今にも始まる様子を映し出していた。
つまり観戦を楽しみたいので世話を焼けと受け取って、了解ですと頷いてキッチンを借りておつまみを作ったのだが、塩サバはお気に召さなかったようだ。
生肉や生鮮野菜は魔物や家庭菜園でいくらかは自給できるが、魚はしばらく食べられないだろうから今日と明日は魚料理にするつもりだったのだが、夕飯の献立は変えた方が良いだろうか。
「焼き菓子やお肉の方が良かったですか?」
「いえ、料理に文句はありません。それは頂きます。
白米は……無い。いえ、構いません。白ワインを出しなさい。後はピクルスも、ええ。冷蔵庫に入っています」
隠れ家にあるこじんまりとした戸棚の中にはワイングラスは無かったため、ロックグラスで代用する。
さすがにアリア様が使うものとあって、ロックグラスには繊細な細工が施されている。
あれを洗うのも丁稚である私の仕事なのだろうが、正しい手入れ方法なんてわからないが大丈夫だろうか。
うっかり国宝を痛めました弁償しなさいイベントとか嫌なのだが、まあその時は適当にしらばっくれて責任逃れしよう。
ともあれその高そうなロックグラスにワインを注ぎ、同じく小ぎれいな小皿にピクルスを三枚盛り、塩サバには漆黒の宝石酒(醤油)の小瓶を添えて。
そうしてアリア様の優雅な朝酒の支度を整えた。
アリア様はその事に満足そうに頷いたが、しかしすぐに首を横に振った。
「いえ、ですから違います。
待ちなさい。片付けようとするのは止めなさい。
分かっていてやっているでしょう。あなたもモニターを見なさい」
何もわかっていないのだが仕方がない。私は真面目な顔で見ろと言われたモニターに目を向ける。
複数のモニターはそれぞれ違う場所を映しているが、どれも式典準備の様子だ。
特に変わった様子はないが、しいて言うならそこに映っているケイさんに落ち着きがない事くらいか。理由は私が帰ってこない事だろうが、もっと言えばアリア様に粗相をしていないか心配しているのだろう。
……なるほどそうか。そういう事か。
そう言えばマリアさんと会った時も――
◆◆◆◆◆◆
マリアにとってその日は何でもない一日だった。
少なくとも始まりはそうだった。
それなりに早起きをして身支度を整え、作ってもらった食事を口にして軽めのランニングと型稽古で体を起こす。
汗を拭ったらそのまま雇い主であり友人のシエスタを護衛して官庁へと出勤する。
官庁ではシエスタの護衛は監査室付きの騎士に任せ、訓練場で汗を流す。シエスタから声がかからなければそのまま昼食をとり、彼女の勤務終了して家路につくまで訓練に明け暮れる。
シエスタから供回りを求められるのは数日に一回程度で、その日の朝も呼ぶことはないだろうから好きにしてくれと声を掛けられていた。
だから何とはなしに、今日もいつもと同じ何でもない日になるだろうと、そう思っていた。
シエスタの護衛は苦になる仕事ではない。
不足していた監査室付きの騎士も、後ろ盾となるブレイドホーム家が力をつけるのに応じて充実しており、上級こそいないものの将来有望な中級中位の若手やベテランの上位が少なからず所属している。
加えてセージを信奉するシエスタはマリアがセージと共に仕事をすることをとても快く思っており、何かにつけて監査室での仕事を減らしてギルドで働くことを勧めてくるほどだ。
仕事は楽で、それでいて人間関係は良好で。副業も認められそちらも言うまでもなく充実している。
息子のように可愛く――性格はあまり可愛くないが――気心の知れた才気あふれる若者との仕事なのだ。普段の訓練に張り合いが出るほどに楽しい狩りができている。
その日も繰り返される幸せな日々、その中の一日だと思っていた。
だがその日、その時、初めての出会いを果たして、マリアは己の中に燻っていた不満を自覚することになった。
昼休みを終えて、その後も特に護衛の予定がないことを確認したマリアはトレーニングを続けるつもりだった。
基礎鍛錬は午前中に行ったので、午後からは立ち合いの訓練をしようと思った。官庁併設の訓練場で適当な騎士を捕まえてもよいのだが、シエスタの終業時刻までそれなりの時間がある。
なので指導がてらブレイドホーム家傘下の外部道場まで足を運び、手合わせをしようと思った。
セージやジオが時折指導に行っているとはいえ、前回の皇剣武闘祭で限界まで生徒を受け入れた道場は教え手が不足している。
午後だけのパートタイムとはいえ、上級であるマリアは道場にとっても嬉しい助っ人となる。
そうして官庁を出て、漫然と特に何を思うわけでもなく道場に向かった。
向かったつもりだった。
よく知る街中のよく知る通りを、その日のマリアは本人にもわからない気まぐれでわき道へと逸れて裏路地に入った。
もしも後にこの日のことを振り返れば、知らない道を通ってみたかった。少し遠回りをしたい気分だった。そんな要領を得ない言い訳が思い浮かぶだろう。
ともあれそれはマリアにとってそれは大事なことではない。
大事なことはその後の出会いにあったのだから。
幸せな日々が続いている。
マリアが抱くその実感に嘘はない。
好きな男に想いを伝えても女として扱われることは無かったが、男には大事な子供が何人もいた。
その子供たちはマリアにとっても愛おしくて、男のそばでその子供たちの成長を見守ることができるならそれで十分だと納得できていた。
だから幸せであることには何一つ嘘はないのだけれど、それでも一つ、小さな不満は溜まっていた。
最近、かわいい女の子にセクハラ出来ないでいる。
マリアは純粋な異性愛者だが、それはそれとして可愛い女の子が大好きだ。
そして可愛い女の子が恥ずかしがる姿が大好きだ。
しかしそのメインターゲットだったケイが胸が育たないことを悲しむそぶりを見てからは罪悪感が勝って普通のスキンシップしかできなくなってしまった。
肉付きも反応も素晴らしかったマギーは政庁都市に行ってしまって年に一度くらい(ジオに付き添って様子を見に行くことがある)しかセクハラ出来ないし、何故か顔を合わせるだけで警戒されてしまっている。
セルビアは可愛いのだが、しかし双子の兄が重度のシスコンなのでマリアの類稀なる戦闘センスが危険がデンジャーだと警報を鳴らしていた。
そしてそのシスコンもとても愛くるしい外見をしているのだが、残念なことに性格が可愛くない。そして男だ。
セクハラをすればどこぞの安エルフのように性犯罪者扱いをされるだろう。ローティーンの娼婦も男娼もいる守護都市ではあるが、けっして幼い少年少女を性的に見ることが一般的という訳ではなく、ロリコンもショタコンも眉を顰められる趣味である。
マリアは常識人であり、人並み程度には世間体を気にしている(※ただしあくまで守護都市基準)。だから女の子にセクハラはできても男の子にはできないのだ。
もしもセージが女の子であればどんな危険も顧みず全力で構い倒したというのに、本当に残念だ。
だからいっそ託児で預かっている女の子にセクハラをしたいのだが、あまりに小さい女の子はスカートをめくっても恥ずかしがってくれないしおっぱいやおしりも育っていない。
それでも試しに揉んでみたのだが期待した反応は得られず、その上アールに見つかってしまい今では女の子のそばによることを厳重に警戒されてしまっている。
娘へのセクハラは見逃していたくせに妙なところで騎士道精神を発揮するなとは思ったが、さすがに欲求不満がたまっていたとはいえ幼女へのセクハラはまずかったと自覚があったので、それ以降は子供たちにも手は出していない。
堆積した小さな不満はマリアの中で高く高く積みあがっている。
それは自覚できないまま許容値限界を迎えようとしていた。
もはやセクハラの対象は若い女の子なら何でもいい。
しかしやっぱり出来れば可愛い女の子がいい。
セージのような整った顔立ちなら言うことは無い。
むしろそっくりな顔立ちであればセージにセクハラ出来なかった鬱憤も晴らせる。
ついでに言えばより女性的な体つきであれば触り心地にも期待ができてもはや理想以上だ。
欲を言えばセクハラをした時の反応もセージが安エルフに向ける虫を見るようなものではなく、愛らしい顔立ちに似つかわしい初心なものか、いっそスキンシップを喜ぶ可愛らしいものであって欲しい。
そんな叶うはずのない願望を、マリアは心の奥でどうしようもないぐらいの大きさにまで育んでしまっていた。
そうして、運命的な出会いを果たす。
「はじめまして、私はクロ。遠征にあたり、至宝の君よりセイジェンド様の側仕えを命じられました。
この度は――」
「ふわぁっ‼」
マリアはこの日、溜まった鬱憤のすべてを発散するほどクロことエルアリアの全身を撫で繰り回して可愛がった。
◆◆◆◆◆◆
――初めてセーフハウスを訪れたその日に、四人でマリアさんに政庁都市に残ってってお願いした時も酷かったもんなぁ。
いや、そのマリアさんはお見送りのために守護都市から降りてるからここにはいないし、そもそも正体を教えられないのでこのセーフハウスも教えてないんだけどね。
ただまあなんというか、アリア様はわりとおおらかでスキンシップに寛容なので、ケイさん的には私が一緒にいることが心配なんだろうな。
マリアさんのアレはスキンシップの度を超えていたし、ケイさんや私が止めても興奮して手が付けられなかったし。
アリア様はアリア様でまんざらでもなさそうだったから力づくで引きはがすわけにもいかなかったし、アリア様の反応を見てマリアさんの興奮もエスカレートして、本当に往来の真ん中ではなく路地裏で顔合わせをしてよかったよ。
ちなみに私からすると元気なワン子にじゃれつかれて喜んでいるように見えていたのだが、ケイさんには大事な姉が偉い人をレイプでもしているように映っていたかのような狼狽え方をした。
……まあアリア様が嫌がってなかったから許されてるだけで不敬罪で処刑されてもおかしくない蛮行だし、相手がアリア様でなく普通の年相応の女の子だったとしても立派なわいせつ罪だし。
まあ、相手が嫌がってないから罪状が成立しないんだけどね。
ともあれケイさんの心配は杞憂である。
私は立派な紳士なので、欲求不満をこじらせているマリアさんとは違ってエッチなことはしない。
むしろ紳士らしく所かまわず全裸になろうとするアリア様を窘めている。
そしてたまにからかって遊んでいる。
何も心配するところはないのである。