41話 魔人参上
守護都市の町中をカインがあても無くぶらついていた。
夢見の悪さから眠りが浅く早朝に目が覚めて、二度寝もできず、居心地の悪さを感じて家を飛び出して来ていた。
思い出すのは昨日の晩の事だ。
カインも、自分が悪いのだという事はわかっている。
カインが知っているだけでも、セージはいつも料理や掃除や預かっている子供の世話や訓練と、色んな事を頑張っているし、だからみんながセージに優しくしているのだと。
今回の皇剣武闘祭の観戦チケットもセージがギルドの下働きを頑張っているから貰えたもので、それがセージの物だというのはちゃんとわかっている。
昨日みたいに泣いて文句を言っても、家族を困らせるだけだとも。
「くそっ!」
それでも苛立たしさは沸いて来て、手近にあった壁を殴ってその苛立ちをぶつける。手が痛いだけだった。
カインはセージに訓練で一度も勝った事が無い。
カインよりも強いアベルも、セージに一度も勝った事が無い。
それどころかカインは、セージを相手にするよりもよっぽど手加減をしているジオから、未だに一本も取れていない。
カインには夢がある。
それは胸に秘めているものでも何でもなく、一緒に育った託児所や道場に通う友達らと約束した、いつか皇剣になろうという子供らしい夢だった。
だがセージを見ていると、カインはその夢は叶わないのだろうと思ってしまう。
皇剣は特別で、それになれるのは父であるジオか、それと同じくらいに特別じゃないとダメなんだと思い知らされるからだ。
カインはセージに、屈折した想いを抱いていた。
答えも出ず晴れる事のない鬱屈した気持ちに突き動かされながら、あても無く歩いていたらいつの間にか日は高くなっていた。
カインは空腹に誘われるままに近くにあった肉屋に顔を出す。そこは精肉店だったが弁当や総菜などの販売もやっていた。
「おばちゃん、コロッケサンドくれ」
そう言って硬貨を出す。その硬貨はもともとセージの財布に入っていたもので、そのことが脳裏をよぎってカインは顔をしかめた。
セージの財布からお金をくすねるのは初めてでは無かったが、胸に苦い思いが浮かんだのは初めてだった。
「はいよ。ちょうどね」
サンドイッチを受け取り、カインはおずおずといった様子で声を出した。
「……なぁ。ここで働きたいって言ったら、子供でも雇ってくれんのか」
「えっ? あたしにはわかんないけど、そりゃあ難しいだろうねぇ。とりあえず他にお客さん並んでるからもう行きな」
「……ちっ。そうかよ」
カインは舌打ちを残して店から離れる。
公園あたりで食べようかと思ったが、なんだか歩くのも億劫になってきて、てきとうな空き店舗の前に座り込んで、サンドイッチにかぶりついた。
カインが美味しいサンドイッチを不味そうな顔で食べていると、ふと変わった三人組が視界に入ってきた。
守護都市では偉そうな人間しか着ないような堅苦しい服に身を包みながら護衛も連れず、きょろきょろと周りを見たり地図を見たりと、この都市に初めてきたという事を隠しもしないで歩いている若い三人組だった。
しかもそのうちの一人は女だった。
「馬鹿じゃねぇの、あいつら」
カモにされたいのかと思ったが、しかしすぐにその三人の魔力が自分よりも大きく、アベルと同等かそれ以上だと気が付いた。
そうして注意深く観察して、素人って訳じゃあないのかと、判断した。
まあ自分の身はちゃんと守れるんだろうと思って興味を失ったあたりで、その三人に声をかける少年がいた。
その少年とは話をしたことも無いが、アベルやセージから関わってはいけないと言われているグループの少年だという事ぐらいは知ってた。
実力があるなら自分たちで何とかするだろうと思って助け舟を出す気も起きず、腹もふくれてぼんやりとしていたが、少年と三人組が聞きなれた単語を口にして意識を持っていかれた。
「……ブレイドホームって言ったか、あいつら」
確認するように声に出すと、三人組はのんきに少年について行くのが見えた。
「――くそっ。関係ないはずなのに、気持ち悪い……」
わずかに迷ったが、カインはこっそりと三人組の後をつけることにした。
******
案の定、街の不良たちがたむろしている区画まで騙されて連れ込まれた三人組は、そのまま不良たちに囲まれたが、しかし助けに入る必要はなさそうだった。
一人一人が十分強いし、それに何も考えず突っ込んでいく不良たちと違って、三人は互いの役割をちゃんと考えて連携をとっていた。
その光景は物語に出てくる悪漢をなぎ倒していくヒーローたちのようで、カインはしばらく見入っていた。
十分もかからず不良たちのほとんどは地面に転がることになったが、まだ戦意を失っていない者も数名いた。
その内の一人が、こっそりとカインの後ろに回り込んでいた。
「動くな。動くとこのガキぶち殺すぞ」
カインを後ろから羽交い絞めにし、ナイフを突きつけて男が叫んだ。
「……なぁ。俺は別に見てただけで、あいつらとは何の関係も無いんだけど」
「黙ってろクソガキ! いいか、動くなよ。関係ない子供がお前らのせいで死んじまうんだぞ! お偉い騎士様なら助けなきゃいけねぇよなあ!」
タチアナたちはその言葉に動きを止めて、互いに目配せをしてどうするかを相談しあっていた。
一方のカインは馬鹿かと呆れていたし、同時に胸の中のむかむかが抑えきれずに溢れそうになっていた。
タチアナたちの背後で、別の男がナイフを持って近づいてくる。
カインはそれを見て大きくため息を吐いた。
「おいガキ、舐めた態度取ってると――」
「うるせぇよ」
そう言って、カインはナイフを持つ男の腕を無造作につかみ、全開で身体活性をして思い切り力を込めた。
うぎゃあと、悲鳴を上げた男がナイフを手放すと同時に、カインは男の鳩尾に肘を勢いよく埋める。
膝から崩れ落ちた男の顔を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。
「おい、あんた。それナイフだろ。それ武器だよな」
タチアナたちも含めその場の全員が凍りつく中、カインはもう一人のナイフを持つ男に向かって言った。
「俺ぁ今すげぇむかついてんだよ。武器抜いてんだから、付き合ってくれるよなぁ」
そう言って落ちているナイフを拾うと、言われた男は即座にナイフを放り棄てた。
「やらないっ。オレはやらないっ。悪かったよ。守護都市の事知らないみたいだから、ちょっとからかってやろうと思っただけなんだ」
引きつった顔で精一杯愛想笑いする男を見て、カインは蔑むように鼻で嘲笑い、拾ったナイフを投げ捨てた。
「あんたらさ、ブレイドホームに用があんの?」
強さとは違ったところに恐怖を感じ立ちすくんでいた三人だったが、その言葉に再起動を果たす。
言葉を返したのはタチアナだった。
「……ええ。ジオレインさんに少しお話が」
「ふーん。俺も今から帰るから、付いて来いよ」
疑問と警戒を半々に抱く三人に、カインは言葉を付け足した。
「俺はカイン・ブレイドホームってんだよ。道、わかんないんだろ?」
******
カインは慣れた足取りで道を進み、とりあえず大きな通りに出た。
目立つ三人がいるので厄介ごとに巻き込まれないようにと、早めに入り組んだ場所から抜け出したのだ。
そうして大きな通りに出た事で、タチアナたちもひとまず安心し、カインへの警戒をいくらか緩めた。
「あんたらそんな恰好で来るんなら、道案内か護衛を雇った方がいいんじゃねぇの」
「……そんなに変な恰好ですか?」
「変っていうか、金持ってて常識なさそうに見える。さっきのと違って、どうしようもないぐらいヤバい奴だっているんだから、気を付けた方がいいだろ」
カインの遠慮のない言葉に三人は息を呑む。
「別に責めてる訳じゃねえし、俺には関係ないけど。それで、家に何の用?」
「クライス教官の紹介でジオレインさんに指導を頂いたので、そのお礼と、出来れば今度はハンデ無しでお手合わせできればと思って――」
「マジかっ!」
カインが突如として大きな声を上げ、話していたレストが声を詰まらせた。
「あんたらすげーな。
アベル……ああ、えっと。アニキと同じぐらいにしかみえねぇけど、マジでハンデ無しでやんの?」
「ええ。とはいってももちろん真剣では無いですし、あくまで勉強の一環での勝負ですが」
「いや、それでもすげーよ」
それまで死んだ魚のような暗い目をしていたカインが急に目を輝かせたのをみて、レストたちは微笑んだ。
「それより、君もすごいと思うよ。
さっきの身体活性は随分と習熟されていた。私が君ぐらいの歳だと実践で使えるレベルには程遠かったよ」
「……あー、そんなことねぇよ。アニキはもっとすごいし、弟なんてアニキよりももっとすげーもん」
レストはそう言ってカインを褒めるが、返ってきた言葉はどんよりと暗かった。
タチアナたちはそれを聞いて、ああそうかと納得した。ジオレイン(笑)のような弟を持てば、劣等感ぐらいもつだろうと。
ちなみにセージは名乗らず別れ、クライスは面白くなりそうだからと教えなかったため、タチアナたちは未だにセージの名前をジオレインと勘違いしていた。
かける言葉が見つからず三人は押し黙ったままついて歩いてしばらく、
「俺の弟はさ、ホントにすげーんだよ。強いのもそうだけど、それだけじゃなくて。勉強とか、それ以外も。
俺、きのう弟に嫌なこと言ったんだよ。でも弟は気にしてなくてさ、ずっとこっちとか、姉貴とか親父とか。
……とにかく周りに気を使ってさ。
俺がわがまま言ってるだけなのに、嫌な顔一つしないでさ。
……俺、アニキなのにすげー嫌な奴なんだ」
ずっと家族では無い誰かに聞いて欲しかったことが、カインの口から漏れた。
「大丈夫ですよ。本当に嫌な人って言うのは、そんな風に自分を悪く思わないものです」
「レストが言うと、実感がこもってますね」
レストの言葉に、その長兄と面識のあるタチアナが感慨深げに反応した。
面識こそ無いものの、レストの兄の良くない噂を知るハリーもその言葉に声も無く共感していた。
そんなやり取りだけでレストの家庭事情が分かるわけでもないが、父親譲りの勘を発揮してカインは尋ねる。
「兄ちゃん、ダメな兄貴がいるのか?」
「……子供というのは、答え難いことをはっきり聞いてきますね」
「そっか。なあ、一つ聞きたいんだけど――」
カインはそこで言葉を止め、その質問をするかどうか、しばらく悩んだ。
「――兄ちゃんは、そのダメな兄貴のこと、嫌いだったりするか?」
「…………」
その声にこめられた真剣な想いに気圧されて、レストは口をつぐんだ。
はっきり言えば、好きでも嫌いでもない。
家名に傷をつけ、時にレストの親愛な相手も傷つけるような兄だが、年が離れていることもあってレストとの接点はそう多くは無い。
ふとした折に醜聞が耳に入って恥ずかしい思いをするが、将来的に彼が家督を継ぐことは無いと思えばそれほど気になる問題でもなかった。
大概の名家では、一人か二人問題児を抱えている事でもあったから。
それでもなるべく関わり合いにはなりたくないとは思っているので、嫌いと言うのが正しいのかもしれない。
もっともそれを正直に言うほど冷たい心は持っていなかった。
「私の場合は参考にはならないかな。血は繋がっているけれど、一緒に過ごす時間はそう多くは無いから。
でも君より小さな子が、嫌な事を言っても変わらず気にかけてくれるんだろう。
それならきっと、君は愛されているよ」
「……そっか。わりぃ、変なこと聞いた。家の連中には黙っといてくれよ」
「ああ。わかった」
レストがはっきりと頷くと、カインは安心したように暗くなった表情を和らげた。
******
カインが家の門をくぐると、真っ先に出迎えたのはマギーだった。
マギーは一目散に駆け寄ってにカインに抱き付くと、ごめんねと、何度も嗚咽交じりに漏らした。
「ちょっと、いきなりなんだよマギー」
「だって、いなくなってるから。朝、起きて。起こしに、いったら。どこにもいなくて。わたし。わたしがひどいから、私が冷たくしてたから、出てったのかと、思って」
たどたどしく嗚咽交じりに繋がるマギーの言葉に、カインは何も言えず立ち尽くした。
泣きつかれたまま茫然としていていくらかの時間がたち、
ゴツンっ。
カインは頭に振り下ろされた大きな痛みと衝撃で、我に返った。
「お、親父!?」
「このバカが」
痛む頭を押さえながら、カインは拳骨を振り下ろした父を見上げた。
「まったく。あんまり心配ばかりかけないでよね」
カインの肩をポンっと叩き、続けてそう言ったのはアベルだった。
そしてじゃあ僕は仕事に出てくるからと、つけ加えて出掛けて行った。
「何か言う事はあるか」
「……わりぃ。
……その、ごめんなさい」
そう言って涙を流したカインの頭を、ジオの大きな手が包んで優しくなでた。
「それでセージは……、いや、そういうことか。
ああ、なんでもない。それで、こいつらはなんだ」
カインが泣き止むまでそう長い時間では無かった。
詳しい事情は知らないなりに空気を読んで黙っていた三人は、あまり好意的ではない声のかけられように警戒心を刺激された。
「えーと、クライスのおっさんの紹介かなんかで、親父に挑戦したいんだってさ。
本気でやってくれって言ってたぞ」
「えっ? いえ。私たちはジオレインさんに指導を受けようと。
その、これはつまらないものですが」
カインのざっくりした説明に、とっさにレストはそう言葉を挟んだ。
ジオの魔力はレストたちではまるで感じ取ることはできない。
ただレストたちはクライスの魔力もほとんど感じ取れず、そのせいで訓練初日にあまりに失礼な事を言ってしまい、そのことを深く後悔する羽目になった。
魔力は感じ取れなくても大きな体格と立ち姿から一角の実力者という事は想像に容易かったし、もしもクライスと同程度の実力者だったら、本気なんて出されると何もできずに死んでしまう。
この一瞬でそこまで考えたわけではないが、それでもシックスセンスのような生存本能が、全力でカインの言葉を否定しろと叫んでいた。
「そうか、ありがたい。子供たちも喜ぶ。
ジオレインは俺だが、何を言っている?」
クライスの紹介という言葉と子供向けのお菓子の詰め合わせを渡されたことで、ジオの声に柔らかさが含まれる。
しかし返された言葉が耳に入った瞬間、レストたちの頭に最悪の想像が浮かび、即座に視線を移して道場の看板を見た。
ブレイドホームと書かれていた。
息子のカインもブレイドホームと名乗ったことを思い出して、仮初の安堵を得る。
ジオ、あるいはジオレインと言う名前はここ八年間で人気になった名前だが、目の前の偉丈夫は疑うまでも無く成人している。
とはいえ英雄の年齢ほどには見えないので、この都市に来てから英雄にあやかって改名したのだろうと、都合よく解釈をした。
「もっと小さいお子さんがいませんか。
同じくジオレインという名前の、利発で可愛らしい感じの子が」
タチアナが言った。
言った後で、そう言えばあの子はブレイドホームとは名乗らなかったと思い至り、ここにきてそれが偽名だったのではと、持ちたくもない疑いを持った。
「いや。家にジオレイン・ベルーガーは俺しかいないな」
瞬間、三人が硬直する。
最悪の中でも最悪の想像を何とか否定したくて、声を絞り出す。
「……は、はは、有名なお名前ですね。失礼ですが、ご主人のご年齢をお伺いしても?」
「歳か? 良く知らんが、四十ぐらいだったな、たしか」
レストの顔が青ざめる。
それは英雄と同じぐらいの年齢だった。
「ブレイドホームさん、ではなく、ベルーガーさんですか」
「ああ、ベルーガーだ。それがどうした」
ハリーは泣きそうな顔になった。
なんで家名が一人だけ違うんだと、頭の中で精霊様に呪いの言葉を吐いた。
「もしかしてですけど、竜など、討伐なされたご経験がおありになられる、その、英雄様でございますでしょうか」
「英雄と呼ばれる柄じゃないが、竜なら八年前に殺したぞ。俺一人でやった訳じゃあないが」
タチアナたちは一斉にその場にひれ伏した。
「ど、どうしたんだ兄ちゃん達」
びっくりしたのはカインをはじめその場にいた子供たちだった。
「「「大変失礼いたしました!!!」」」
ジオはしばらくその姿を眺めた。
正直に言って、どうして良いかわからなかった。
こういう状況で頼りになるのはアベルともう一人だが、アベルはカインが心配で先ほどまで残っていたが、本当は朝から仕事なので急いで出かけていった。
ジオは視線を遠くに移す。もう一人の方は出てくる気配が無い。
ため息を吐いて、意を決した。
「よせ。子供らが驚いている。どうせセージに騙されたんだろう」
実質的に騙したのはクライスなのだが、普段の行いのせいでこの悪戯の犯人はセージと決まった。
震えながらもおずおずと頭を上げた三人に、ジオは告げる。
「息子が世話になったようだし、菓子の礼もある。来い。相手をしてやろう」
思いがけない言葉には優しさのようなものも含まれていて、三人の中の恐怖が少しずつ薄れていく。
養成校で先輩や教師から聞かされてきた話を嘘とは思わないが、それでも今、目の前にいるジオの言葉と人柄を信じて良いと三人は思った。
そしてそう思うと、これはものすごく大きなチャンスなんじゃないかと、じわじわと胸の中が熱くなっていった。
多少の老いはあるにしても偉大な英雄が、それもエリートの卵である自分たちを負かすような規格外の少年を育てた男が、指導をしてくれる。
期待に胸が高鳴るのは当然だった。
ただしそれでも一つ、お願いしなければならないことがあった。
「手加減は、してくださいね」




