425話 不安要素しかない
「――さて。
本題から入っても良いのですが、まずは昨日の件について思うところがあるのなら聞きましょうか」
応接室にて、アリア様に手ずから紅茶を入れて貰って(もちろん私がやりますと言ったが断わられた)席に着き、そんな言葉から話は始まった。
「昨日の、というと姉さんの件ですか?
一人暮らしをさせるのは不安ではありますが、ボイドスさんやクライスさんも気に掛けてくれているので皇宮でお世話になるのは気が引けるとは思いましたね。
もちろん反対しているわけでは無く、ありがたい申し出だとは思いましたよ」
「そうですか。
あの子はあなた達の中では唯一凡庸で、とても愛らしい」
凡庸、と口にした声音には好意と親しみが込められていた。その気持ちは良く分かる。
うちの子たちは本当に手のかかる子供ばかりだけど、その中でも一番可愛いのが姉さんかもしれない。
子供らに優劣をつける気は無いが、それでもやはり期待に応えてくれている子供というのは気持ちが良い。
つまるところ私は子供たちに、国の改革や国一番の戦士になるなんて大きな夢を持ってほしくは無かったのだ。
普通に生きて普通の幸せを探している姉さんは、何というか、癒される。
頷いて同意を示した私に、アリア様は言葉を続けた。
「昨日、口にした悪い虫から守るためというのは偽りではありませんが、同時にサニアの話し相手にもなってもらいたかったという理由もあります」
「と、言いますと?」
「本題となりますが、共和国への遠征には私も同行します。そしてサニアを政庁都市へ残していくのです。
政庁都市を離れなければ彼女の体調も問題はありませんが、あれは無茶をしたがるきらいが有りますからね。
抑制の枷として、マギーのような子を傍に置きたかったのです」
……これはまた、大事な話を聞かされたな。
「遠征については詳しくないのですが、アリア様が共に来るというのは普通の事なのでしょうか」
そもそもケイさんと前に話した際には、私たちに共和国の盟主イグドラル様との対話には気を付けろと言っていた。だから少なくとも一年前には同行の意志は無かったのではないだろうか。
「確かに、異例の事ではあります。
結界維持の代役が用立てできなければサニアを遣わせるところでしたが、やはり体調を思えば繋がりが不安定になる外には出したくありませんからね」
「ああ、なるほど。元々共和国との対談は行うつもりだったんですね」
私の言葉に、当然だとアリア様は頷いた。
「あなたという神子を迎えた以上、私としてもイグドラルとは話しておく必要があります。
それにそうでなくとも共和国とは対帝国に関して意見をすり合わせておく必要があります。
他の皇剣でも私の意志や言葉を受け取れますが、政治に明るくフラットに私の言葉を受け取れるとなればサニアに置いて他にいません。
ただスノウも去り、あの子が心を許せる人材に欠ける今、外交を任せるよりは勝手を知る政庁都市で国内に睨みを利かせる役を任せた方が良いのです」
ああ、そもそも私とケイさんに警告したのはイグドラル様がちょっかいかけてくるから気を付けてねって意味合いであって、外交を任せるって訳では無かったのか。
まあそれはそうか。
ケイさんは脳筋な戦闘狂だし、私は理知的だけどまだ子供だ。大事な外交をわんぱく娘や子供に任せるわけないし、相手方も私たちが出てくると舐められているとご立腹するやもしれない。
そもそも私もケイさんも武力要員であって文官ではないので、皇剣&皇翼という代表者として親交を深める事はあっても実務的な事を任される事は無いのだろう。
考えてみれば当然の事だった。
「当たり前のことを聞くようですが、これはここだけの話という事ですよね」
「無論です」
兄さんには聞かせないよう取り計らっている時点で答えはわかりきっているが、確認は必要だ。質問に対する答えも予想通りのものだった。
「道中、そして共和国に着いてからも、あなたとケイには供回りを任せる事になるでしょう。面倒をかける事になりますが、これも大事のため。献身を示しなさい」
「はい。
……あの、守護都市での滞在先は、どうされるのですか?」
アリア様は表向き存在しないというか、政庁都市に祀られている仏様のような扱いで、こうして人の姿をして出歩いていることなどごく一部の人しか知らない。
そしてそのごく一部の人も、記憶や認識を弄られていて普段はその事を思い出せないでいる。
だから隠れて守護都市に入る事は簡単だろうが、どうやって生活をするのかという課題は残る。
ああ、いや。
それも何とかはなるのか。ホテル――守護都市には高級官僚やセレブな旅行客向けの豪華ホテルがある――に泊まって、出ていくときにスタッフの記憶を消せばいいんだから。
そんな無銭宿泊に考えが及んだが、私が質問を取り消すより早く答えが返って来る。
「隠れ家が有ります。以前に点検をしたのはそう昔の事ではなく手入れもさせていますから、問題なく使えるでしょう。
食事や消耗品の買い出しを任せる事にはなるでしょうが、大きな問題は無いでしょう」
「わかりました」
それぐらいなら大したことではない。買い出しを頼むという事は身の回りの世話役はいないか本当に最低限の人員しか伴わないという事だろう。
ならば食事の準備や掃除などもした方が良いかもしれない。ああ、でもアリア様も一応女性だから、部屋の掃除や洗濯は女性に任せた方が良いだろうか。
「その際に必要な金銭はそちらで用意し、国に帰ってから領収証を提出しなさい」
「あ、はい」
意外なことを言われたので、返答はちょっと間抜けな声になってしまった。
「……? どうかしましたか?」
「あ、いえ、事務的な事を口にされたのが意外だったので」
正確に言えば、金銭的な負担はこちらで背負って当然だと思っていました。もっと言うと買い出しにはお金がかかってこちらに負担がかかる事を、アリア様は考えてないんだろうなと思ってましたよ。
「ケイやラウドたちが相手であれば、確かに何も言わず任せたでしょうね。
ですが彼女らと違って、あなたに奉仕の心は無いでしょう?」
「あ、いえ、別にそんな事は――」
「責めてはいません。むしろまともに話が出来て楽なぐらいです」
戸惑う私を見て、アリア様は悪戯っぽく笑った。これが最高権力者ジョークというものか。ちょっと心臓に悪いぞ。
とはいえ軽口を叩かれたのなら言い返しておくのが道理だろう。
「そのような気遣いが出来るのなら、次に遊びに来られるときは手土産の一つも欲しい所ですね。
ほら、皇宮では食べきれないくらいに貢物が余っているでしょう」
「馬鹿を言いなさい。祭事を除いて、私やサニアへの個人的な捧げ物は厳に禁止されています」
「あ、そうなんですね」
賄賂の禁止とか、そこからの腐敗対策という理由だろうか。
いや、政治腐敗は割と進んでいるけど、別にここよりも文明が発展した元の世界でもその手の話はよく聞くし、為政者が頑張ったところでどうにもならないのか。
「まったく。我が翼でありながらその様な事も知らないから信心に欠けると言うのです。
加えて言えば、皇宮の予算も厳しく管理されていますから、私の生活もサニアの給与でやりくりをしているのですよ」
ああ、アリア様は表向き存在しない人だもんね。
しかし至宝の君というか皇剣って名誉職なせいで割と薄給なのだが、サニア様は大変だな。
私生活は有って無いようなもので、部下同然の高級官僚よりもはっきり給料は少なく、さらにそのお金で仕えてる人の生活を支えなければならないのか。
私だったら絶対にやりたくないな。
「それは失礼しました。今後とも気兼ねなく遊びに来て、お腹いっぱい食べて帰って下さい」
そしてそんな話を聞いてしまえば、少しでもサニア様の財布への負担を軽くしてあげてください。
しかし私からの接待というか、食事やお土産の提供は良いのだろうか。少額だけどたぶん賄賂扱いになるよなぁ。
……まあいいか。
教頭先生からは物品だけじゃなくお金も貰ってるし、アリア様的には大っぴらにバレなきゃいいだろうという捉え方なのだろう。
「……何か失礼な事を考えていませんか。
まあ、よいでしょう。
それでは本題となりますが、政庁都市にはサニアだけでなく、ジオにも残ってもらいます。
これは国の結界を維持しつつ、遥か遠方へと赴く守護都市に十分な魔力を届けるための措置でもあります」
「はい、わかりました」
「良い返事です。ですが疑問が、あるいは不満があるならば口になさい」
アリア様は冷めた目でそう口にした。どうやら何も考えずにとりあえず頷いたことで機嫌を損ねたようだ。
「差し当たって疑問も不満も浮かばないのですが、何かそう考える理由があるという事でしょうか」
「ジオを国に残すという事に、あなたは本当に不満はないのですか」
それはまあ、不満というか不安はある。
「馬鹿親父が首都で馬鹿をやらないか心配ではありますが、姉さんがいますからね。馬鹿みたいに暴れまわるってことはたぶんないと思います……、思いたいですね」
「……そこは無いと断言なさい」
やはりこの不安はアリア様も抱いていたのだろう。
こめかみに手を当て、頭痛を堪えながらアリア様は言った。
「ただそれはそれとして、父は一年前のあの一件以来、物思いにふけることが多くなりましたからね。同盟を結んでいる共和国は、表向き帝国と中立を宣言していると聞きます。
なら帝国――ひいてはあの魔女の先兵と接触する可能性も無くはないかと。
そうなった時に父が自制心を発揮するとは思えませんから、やっぱり国で大人しくしてもらった方が安心ですよね」
私もこの一年、仕事や修行だけに明け暮れていたわけでは無い。初めての国外遠征という事で、共和国の名産品や観光スポット、あとついでに国の立場なども調べておいたのだ。
人口は百万人程度で、国と認知されている我が連合国、軍事国家である帝国、人間の理想郷とも呼ばれる王国と比べて、はっきりと数が少ない。
ただこれは共和国の国民が長寿でかつ多種族が共生している関係で、政治基盤が弱いのが理由だそうだ。
もっとはっきり言えば、戸籍制度が正しく機能していないので実際には百万人以上暮らしていてもおかしくはないし、あるいはもっと少なくてもおかしくはないくらいには、公開されているデータがいい加減なのだ。
まあともかく人口的には四か国の中でも最小というのは間違いない。
そして国政の指針ではあるが、はっきり言ってしまえば蝙蝠、あるいは風見鶏である。
帝国と事実上敵対しているこの国と同盟を結びつつ、同時に帝国とは不可侵条約を結んでいるし、かと思えばはっきり帝国と交戦中の王国とも友好的に国交を結んでいるという。
アリスさんやアーレイさんの人柄やエルフという種族の風聞からは想像できないが、割と小狡く立ち回っているらしい。
もっともそれはこの国にいて調べられる範疇で得た印象なので、実際に向こうに行ってみればその印象は変わるのかもしれない。
「やはりあなたは変わっていますね。
帝国、そして魔女という凶悪な不安の種があるからこそ、最強の剣たるジオを残し赴くことに不満を抱くと、私は考えたのですが」
「今、魔女さ――魔女と戦っても勝ち目は無いでしょう。戦うつもりがないのですから、戦いたがりを置いて行くのは自然な事では」
「それも一つの道理ですね。
ところで今、魔女に尊称を付けようとしませんでしたか」
とんでもありませんと両手を上げて降参をのポーズをとりました。
「まったく。
納得しているのならば良いのです。
私が守護都市に乗り込む以上、この役目は守護都市の皇剣であり、基礎体力と総魔力量に優れるジオにしか任せる事が出来ません」
そこまで言って、アリア様は悲しげに目を伏せた。
「カナンでは、おそらくダメだったでしょうね」
それはつまり、遠征の留守番役は少なからず負担のかかるという事なのだろう。
皇剣武闘祭決勝の後では親父に決闘相手を選ばせたという事だったが、聞くところによると守護都市の皇剣代替わりは事前に内定していたらしい。
おそらくカナンさんはこれまででもっとも長くアリア様に仕えた人だ。その彼はアリア様の魔力でかろうじて生きながらえていた。
国益のために部下の命を断たねばならないというのは、どんな気持ちになるものなのだろう。デス子の加護を失った私にはわからない。
せめてもの救いは、カナンさんが自死を望んでいると公言していた事か。
ああ、もしかしたらそれもカナンさんの心遣いだったのか。
残される人間の哀しみを和らげるために、本心を押し殺して何度も繰り返していたのかもしれない。
その答えももう、わからないか。
「お悔やみ、申し上げます」
「ふん。益の無い事を言いました。
それでは改めてあなたに命じましょう」
……え?
今の話の流れで命令されるような事ってありましたか。
「ジオは共和国に行くと言って聞きません。あなたが説得しなさい」
あ、そっちは説得できてなかったんですね。
親父がごねてるとなると、たぶんものすごく面倒なことになるんだけど、皇剣を従えるアリア様がその面倒臭さに匙を投げて、私に押し付けるんですね。
うん、私は信心と奉仕の心に満ち溢れた愛国者なので、喜んで拝命いたしますよ。
「……はい、わかりました」
「嫌そうな顔は止めなさい」
だって面倒臭いんだもの。