424話 最近よく話してる気がする
そんな訳で今日は兄さんと一緒に皇宮にお伺いいたします。
兄さんはどうも昨晩はよく眠れなかったようで、目の下には濃い隈が出来ている。
「大丈夫? 別に時間指定されてるわけじゃあないんだし、ちょっと休んでから行く?」
私がそう声をかけると、兄さんは疲れた様子で乾いた笑いを漏らした。
「お前は……、いや、そうだな。仲良くやれてるもんな。
でも僕にとっては、いいや、僕だけじゃなく大抵の人にとって、あの御方は雲の上の御方なんだ。比喩でもなんでもなくさ。
そんなお方を少しでも待たせるなんて出来るわけないだろ」
「親父も普通に雑談してるみたいだけどね」
「父さんも普通じゃないだろ」
それもそうか。
……うん?
それだと私まで親父の様な非常識人という事にならないだろうか。
いや、ならないな。
常識力50を普通の人だとすると、親父は常識力0の非常識人で、私は常識力80の良識人だ。
うむ。そうに違いない。
「そんな顔色で粗相をするのも怖くない?
それはそれって割り切った方が楽だよ。
そう言えば、記憶は大丈夫みたいだね」
私は何気ない風を装ってそう尋ねた。記憶というのはもちろんクロ様こと、精霊エルアリア様についてだ。
彼女との記憶は相対している時にしか思い出せないらしい。
私や親父はそうでは無いが、それはおそらく私たちが神子だからだろう。
そう考えるとデス子の加護は封印されてもその力が完全に失われたわけでは無いと推測できる。
もっとも兄さんの様子を見る限り、ある程度任意で記憶操作――記憶を失うわけでは無く、認識できなくなるわけだから認知操作のほうが正確か――を出来るようだ。
だから私が記憶を失わないのは好意的なアリア様の配慮という可能性もある。
まあこれに関しては考えても仕方がない。知りたいのは別の事だ。
「……ああ。でもあまりその話はしない方が良いだろうね」
アリア様の力を推測する事はそれだけで不敬、あるいは国家反逆の意志が疑われるという事だろう。
その名前すら表向き隠されているアリア様の力について推測し意見を交わすのは、国防の看板である皇剣の力を語り合うのとは意味合いが全く違ってくる。
元の世界でも過去には道やランドマークを書き込み地図を作ったり、遠目に城や要塞を観察し描き出したりする事で捕まって、侵略や暗殺を目的とした密偵ではないかと尋問される事もあったという。
あるいは現代でも戦闘機を他国の防空圏まで飛ばしてスクランブル対応でやって来る戦闘機の機種、機数、そしてやって来るまでの時間を確認するという事がされていると聞いた事がある。
どんな力を持っているかという情報はとても価値が高く、それだけに気を張って守らなければならないものなのだろう。
ギルドの戦士はその辺おおらかで酒が入ると戦果自慢に合わせて得意技をべらべらしゃべったりするが、彼らは戦士なので防諜というインテリジェンスな世界とは程遠いのだ。
そもそも戦士が戦う魔物は諜報とか暗殺とかしてこないし、やってくるテロリストの被害もそう頻繁なものではないので、あんまり警戒はされていないのだ。
しかし個人である戦士であれば、それでガチガチにメタ張られた上で闇討ちされても殺された本人の運が悪かったで済むが、アリア様が殺されてはそうも言っていられない。
そのために、皇剣は矢面に立っている。
皇剣が死ねば大きな損失となるが、あくまで損失でしかない。新たな皇剣を生むことは出来るのだから。
故に防諜という意味において、皇剣はある意味で無防備に公のものとして晒されている。
そして皇剣という大きく目立つ看板の陰で精霊様はその名前すら秘匿されるし、姿や力に関してはより重要な情報として扱われるのだ。
兄さんの言葉は神経質にも思えるが、彼は思慮深く当たり前の愛国心と信仰心を持っているのだから当然の言葉であった。
しかし同時に疑問も覚える。
昨日から兄さんはクロ様ことアリア様に怯えすぎている。
不意打ちの謁見でしかも気安い関係になっている姉さんの粗相が心配なのはわかる。
だがそれでもいつぞやのボイドスさんの時のように、彼女を迎え入れたこと、もっといえば彼女の顔を見れたことにすら、感動や喜びを示してもいい気がするのだ。
とはいえそれは今、追及するような事ではない。
「そうだね、わざわざ話すような事じゃないか」
私はそう言って話を打ち切って、のんきに街を見ながら歩みを進めた。隣の兄さんはどこかほっとしているようで、また不安の種が芽吹く。
チート魔力感知が無くなっているので確かとは言えないのだが、兄さんの過度な警戒心にどうも敵意じみたものが根付いているような気がするのだ。
いや、あくまで気がするだけで何の確証もないのだが、もしかしたら私が警戒しているのに引っ張られているのかもしれない。
私も表に出しているつもりは無いのだが、妹や母は私の隠し事に良く気付くし、兄さんはとても頭が良く、そして立派な理想を胸に抱いている。
国政への不信とも結び付ければ、アリア様は良い為政者とは言えない。いや、国政なんて大それたものを批評できるほど立派な人間でもなければ知識や経験もないのだが、それはそれとして不満というものは抱いてしまうのだ。
具体的に言うと勝手に借金親父の保証人にするなとか、新聞に注釈付きで恥ずかしい二つ名を乗せるなとか、あとはまあ、権力者の監視をもうちょっと厳しくしてとかだ。
でもそれはやって無い訳じゃあ無いのだろうし、ブレイドホーム家が名家になるならそもそも他人事ではなくなる。
これまでやってきた人助けにしたって、これまでは趣味の慈善活動だったからなんで自分を助けないんだと見ず知らずの人間に罵倒されても、知りませんがと切り捨てられた。
でもこれからはそれが職責となるのだ。
助けた人からの感謝は減り、助けなかった人からの恨み言は増えるだろう。持っている権力を妬まれて足を引っ張られることだってあるだろう。
想像するだけで面倒くさい。
そんな日和見主義で消極的な私と違って、兄さんはむしろ気勢を上げている。そんなもの全部飲み込んで前に進むんだとキラキラしている。普段はそうなのだ。
だからこれをきっかけに国を変えてやるぐらいの意気込みでアリア様とも仲良くなろうとしそうなものなんだが、そういう意味でも今はずいぶんと腰が引けている。
……やはり少し気にした方が良いかな。
家族から離れて都会暮らしを始めた学生が、危険な活動家の勧誘に心を動かされるなんて話は前世でもニュースになっていた。
兄さんはしっかりしているとはいえ、それでもまだまだ若く未熟な19歳だ。家族や婚約者と離れ、妹の面倒を見ながら学業に励んでいる。そんな多忙を極まる生活を続けていれば心も荒むだろう。
「……ねえ兄さん。学校とか街中で勧誘とかある?」
「いきなり何の話?」
「いや、別に大した話じゃないんだけど、都会は怖いって噂を聞いてさ。政治とか歴史を研究する真面目な学問サークルに人間主義者とかが紛れ込んでて、ある事ない事吹き込んで勧誘してるとか」
前世で私が大学に入った時も、その辺は気を付けろと親から言われた。妙なのに掴まって自分たちに迷惑かけるなよと。
「……ああ、うん。うちの大学は大丈夫だよ。さすがに過激な活動家が入り込むのは難しいし、いたとしてもすぐに告発されるからね。精霊様の威光が良く届いているよ」
私がおかしな心配をしているのを察して、兄さんは苦笑と共にそう言った。どうやら過激な活動家からの勧誘はなさそうだ。
だとしたらなぜ精霊様を警戒しているのかって話になるのだが、まあ打ち明けてくれないって事は大した理由ではないのか、あるいは何か特別な理由があるのだろう。
とりあえずはそっとしておこう。アリア様もいきなり兄さんに変なことはしないだろうし、これからお会いするのだからついでにその辺もお願いしよう。
うん。それでいいはずだ。
「……」
それからは当たり障りのない雑談を交えながら、皇宮にたどり着いた。
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入口警備の騎士さんに挨拶をして、案内ですという顔をして現れたアリア様に先導されて庭園を歩く。
「もしかして割と暇なんですか」
「自由に時間を作れる立場ではありますね」
私のちょっと踏み込んだ物言いに、アリア様は楽しそうに上級国民ならぬ上級支配者発言で返してくる。
もちろんそれは嫌味では無く、私の言葉に応えた気安い発言だ。これだけを見れば親しい友人のように映るだろう。
実際、私も今は彼女の事をそう思っている。
演技ではきっとアリア様には見破られる。彼女は決して愚かでは無く、そして300年以上を生きてきた人知を超えた怪物だ。
だから私はマインドセットをする。死を嘯くのに比べれば、正体の分からない怪物を心許せる友人と思い込むくらい難しい事ではない。
「……セージ」
胃の痛そうな兄さんには悪いが、まあ許してほしい。
愚かではなくともうっかりの多いアリア様なので、親しくなっておけば隠し事をポロっと口に出したり、あるいは酷いやらかしを事前に察知できたりするかもしれないのだ。
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「さて、案内人の真似事はもういいでしょう。セージ。こちらに来なさい。まずはあなたに話があります。
アベルはサニアのところでしばし時間を潰していなさい」
取り留めのない雑談をしながら皇宮に着いたところで、アリア様はそう言った。
拒否する理由など無いので、私も兄さんも言葉通りにする。
兄さんはサニアさんにダイニングの方へと連れられて、私はアリア様の案内で応接室へと足を運んだ。