423話 派手なのは趣味じゃないのに誰も信じてくれない
遊びに来ていた謎の黒髪美少女のクロ様と夕食を囲むことになりました。盛大に動揺している兄さんには止められたけど、他ならぬアリ――じゃなくて、クロ様が食べたいと言ったのでポトフを作りました。
トマトベースのチキン煮込みです。
兄さんがそんな見た目の悪い庶民料理をとおろおろしていたが、まあ大丈夫。この国主様の舌は割と庶民派だし。
夕餉の席では青い顔をした兄さんを姉さんが何度か気にかけていたのだが、他ならぬクロ様が素知らぬ顔をしていたので兄さんも必死に気を張ってこれまで通り――初耳だったのだが、何度か姉さんと遊んでいたらしい――妹の友人に接するように振舞って誤魔化していた。
私としてももし姉さんまで気づいてしまったら手の付けられない事態になるのが目に見えているので、下手に突くのは避けた。
そんな訳で主に姉さんや兄さんの学校生活に関する他愛のない話をしていたら、クロ様がおかしなことを言い出した。
「それでしたら共和国にいる間は私の家で面倒を見ましょうか? 安全という意味でも、生活環境という意味でも問題は無いでしょう」
「え? でもそれって……、ああ。クロちゃんは皇宮に住んでるわけじゃないんだね」
姉さんはクロ様の言葉に皇宮に寝泊まりするなんてと遠慮しようとして、しかしそんな許可を勝手に出せるはずがないと思い込んで、クロ様が政庁都市のどこかにある自宅から皇宮に通っていると勘違いしたようだ。
だが残念、私も最近知ったのだが防犯防諜の観点から皇宮の使用人は全員皇宮から出られないし、基本的な休日も無い。
年に一度だけまとまった休暇がもらえるが、戻ってくる際に念入りにチェックされて少しでも不審なところがあれば職を失ってしまう。
至宝の君にお伺いを立てに来る官僚だって似たようなもので、自由に出入りできるのは皇剣と皇翼と、そして精霊様くらいなものである。
「何を言っているのですか? 側仕えの住まいは皇宮ですよ」
クロ様も姉さんに正体を打ち明ける気は無いようで、あくまで自分は至宝の君サニア様の従者であるとアピールをした。
ただそれならそれでもう少しロールプレイを真面目にやって欲しい。相手が姉さんでなければ正体に気付いてしまうよ。
いや、クロ様はふざけている訳では無いのだろうが、私たちのような下々の気持ちには割と無頓着なようで真剣さが感じられないのだよ。ちょくちょくやんごとなき立場を匂わせてしまっているんだよ。
姉さんの事は本当に気に入ってる様なのでおちょくってるわけでは無いのだろうが、何かのきっかけでバレそうで本当に怖い。
……いや、姉さんにバレるだけなら私がねちねちと怒られるだけで済むからまあいいとしても良いのだが、しかしもしも他の人と一緒にいる時にバレたら姉さんのフランクな応対こそが責められそうで怖い。
クロ様が望んでいたとしても不謹慎だ敬意が無いと怒る人は数多くいるだろうし、そう言った人たちに便乗して石を投げる人も多いだろう。
鈍感なくせに多感な姉さんを思えば、そんな事態は絶対に避けたい。
下手をすると首を括りかねないくらいには思い悩むだろう。それぐらいには精霊様への不敬というのは国民にとって罪が重いのだ。
「僕はサニア様とは親しくさせてもらってるからその縁で身元も保証できるし、姉さんには側仕えの友人として迎えてあげられるんじゃないかな」
あくまで皇翼の私が偉いから便宜を図ってあげられるんだと、話を逸らしておく。
普通の女子高生を皇宮から出入り自由にさせる権利なんてないけど、他ならぬ精霊様がそれでよしと言っている場合は認められるだろう。
クロ様も違いますよと声を上げようとはしたが、しかし違うとしたらなぜそんな事を気軽に言い出せるのかという点に思い至ったようで、開きかけた口を閉じて静かに頷いた。
そしてそんな様子を見て、兄さんが青い顔で凍り付いた笑みを浮かべる。かなり無理やり作った笑みで、いつものポーカーフェイスの面影はまるで無い。
そうね。そうだね。
もしもこの場にいるのが兄さんじゃなくケイさんだったら、私はまたぶん殴られてたね。
この御方に賛意の強要をするなとか、演技を強いるなとかそんな理由で。
いや、私もわかってるんだよ。わかってるけどクロ様は絶対にフォローしないといけない人だよ。
頭が悪い訳じゃないけどうっかりが多いタイプの人だよ。スノウさんの苦労が偲ばれるんだよ。
「まあとは言え、お世話になるかどうかは別問題だけどね」
クロ様と姉さんが友人の様な付き合いをしているのはもう止めようがないが、仲良くなりすぎるのは止めたい。
もしかしたらこの御方は悪人ではないのかもしれないが、それでも普通の人とは違いすぎる。
親しくなりすぎれば、その分だけ姉さんが危険に近づいてしまうだろう。
実際これまでも私の親族だからという理由でテロリストには目を付けられていただろうが、今後は皇宮内の情報を手に入れる、或いは工作員として洗脳させる価値が生まれてしまっている。
だからこそ、皇宮へのホームステイも避けるに越した事は無い。もっともクロ様の提案を頭ごなしに否定するわけにもいかないのだが。
「兄さんの事にしても、姉さんはちょっと気にしすぎだよ。そもそも二年で名門大学を卒業するってのが異例で、大学で学べることも仲良くなれる人もまだまだたくさんあるんだよ。
姉さんのために卒業を遅らせるのだとしても、遅らせた分が無駄になる事なんて絶対にないよ」
兄さんが残るのは姉さんのためじゃないと言ったとしても、それを信じてもらうのは無理だろう。ならそれだけじゃない事を理解してもらうのが納得してもらう近道だ。
そして兄さんが姉さんと一緒にこのマンションにいてくれれば私も安心して共和国に出立できる。
姉さんの顔色を窺えば、意固地に兄さんを送り出すと固まっていた天秤がぐらついているのが見て取れた。
クロ様と同居するのが嫌というよりは、家族の問題で余所様に負担をかけるのが嫌なのだろう。
時には周囲が見えなくなって暴走をするけれど、基本的に姉さんは気を遣いすぎるところがあるから。
揺らぐ天秤を兄さんとの同居続行に傾けるのにはあと一手というところで、しかしクロ様が割って入った。
「残念ですがそれは出来ません。詳細は明日話しますが、アベルにも共和国に行ってもらいます。
先延ばしにしたという大学の卒業は、大遠征が終わった後の事になるでしょう。
先ほどの提案は報労と考えなさい」
クロ様はロールプレイを忘れてはっきりと上からものを言う。
……いや、違うな。反論を許さないために立場を匂わせたのか。
姉さんは相変わらずきょとんとしているが、兄さんの顔色は一層悪くなった。
クロ様はあくまで命令に従わせようとしているだけで、やんわりと避けようとした私に反感を抱いたわけでは無い。それは顔や態度を見れば簡単にわかるし、だからこそ姉さんもクロ様に深い疑いを抱かなかったのだ。
ただクロ様の正体に思い至り、信仰や忠誠心、そして愛国心をまっとうに持っている兄さんはそんな風には受け取れなかった。
「わかりました。謹んでお受けいたします」
「え?」
発言の内容以上に緊張で硬くなった兄さんの声音と態度に、姉さんがびっくりして声を上げ、
「これは至宝の君のご意思だから」
慌てながらも態度を取り繕った兄さんはそう誤魔化した。
「あ、うん、そっか。そうだったね」
私と兄さんが至宝の君から聞かされる話をクロ様が事前に知っていたから、それを前もって伝えられたのだと姉さんは理解して頷いた。
「えっと、クロちゃん。私は一人でいいんだよ。お世話になるなんて畏れ多いし」
「そういう訳にはいきません。あなたのように可愛らしく胸の大きな女の子が一人暮らしをしているとなれば、悪い男が寄って来るでしょう。
……それに、実を言えばこちらとしてもあなたが来てくれれば助かるのです。
手間のかかる大きな子供がいますからね。暇なときにでも相手をして頂ければと思うのです」
サニア様の事かな。体が弱いって事だったし。いや、これも方便か。姉さんに気を遣わせないための。
……手元に置こうとするのは私への人質にするためかとも思ったが、本当に姉さんの事を少しは気にかけてくれているようだ。
ならこの提案に裏はないのか。だとしてもやっぱり怖い部分もあるが、はっきりと命令されたのだから反対も出来ないか。
「まあここまで言ってくれてるんだからお言葉に甘えよう。
名家に準ずるなんて言っても、我が家は作法に疎い庶民です。皇宮ではご迷惑をおかけするとは思いますが、なにとぞよろしくお願いしますね」
「ふっ。心配性ですね、あなたは」
クロ様はそう言って含みのある笑みを浮かべる。もっとも含まれたそれは不快な感情ではなさそうだ。過保護な保護者ぐらいに思われているのだろう。
ふと、兄さんから視線を感じる。そこには不信感じみたものが混じっている。
いや、私としてもちょっと不思議というか居心地悪く感じているんだけど、一年前からクロ様と言うかアリア様は私に対してフレンドリーなんだよ。
それは私がクロ様の前世というか、前のループで魔女様に国を滅ぼされた過去を見たと思われているからだろうけど、実は見てないんだよね。
私が夢で見たのはおそらくその次のループで、クロ様というか精霊エルアリア様が魔女様を倒すために暗躍して親父たちを絶望のどん底に落として惨殺し、国を傾けていく様子だ。
そしてこのループの記憶をアリア様は持っていない。
一年前は話の流れで言い出せなかったが、もしかしたらそれは失敗だったかもしれない。
こうして好意的に接してくるのなら、いつかその誤解に気付いた時にアリア様は騙されたと感じるかもしれない。
とはいえ今、正直に話せば私がアリア様に対し敵意とは言えないまでも警戒をしているのを察するだろう。
目先の平穏につられて大事な問題を先送りにしている不安がぬぐえないが、大きな決断をするには情報が足りていない。
そんな事を考えていると、不意にクロ様が咳払いをした。
「まあ細かい話は追って詳しいものとするとよいでしょう。それとは別に少し確認したいことがあります」
「はい、何でしょうか」
居住まいを正した兄さんがそう答えるが、それに対してクロ様はほんの少しだけ嫌そうな顔をする。
無茶を言うなと言いたいのだが、そんな事を言ってはいけない相手なので兄さんに軽く小突いて注意を促す。
クロ様はあくまで至宝の君の側仕えで姉さんの友達なので、もっとフランクに接しないといけないのだ。
このお戯れに付き合うのは面倒だが、そんな思いは一切態度に出してはいけないのだ。
……あれ?
なんでクロ様は兄さんから私に冷たい眼を向けるのだろう。
「まあ、いいでしょう。聞きたいのは家紋の事です。
アシュレイがジェイダス家より下賜されたものを継続して使うようですが、それで良いのですか?」
「え? ええ。名家を興すにあたって、父はベルーガーでは無くブレイドホームの家名を残すことを強く望んでいま――んんっ、望んでいるからね。
それならやっぱり、祖父アシュレイの家紋を使うのが適当かなと」
何でそんなことを聞くのだろう。
現在我がブレイドホーム家は名家となるための手続き中で、申請要項の一つに家紋があった。
この国でも家紋自体は一般家庭にもある。跡取りは先祖代々の物を受け継ぎ、そうでなければ家を出る際に実家から与えられたものを使う。
もっとも守護都市には生家と縁を切った人も多いので勝手に家紋を自作して掲げている人もいれば、世話になっている道場や名家に家紋を作ってもらうケースも珍しくない。
そしてもっと言えば家紋のない家も珍しくないし、そもそも大抵の家紋はその家が勝手に掲げているだけのもので、公的に認可されているものでは無い。
優秀な戦士や高名な道場の家紋は人気が高く、それを模した違法コピー品(家紋入りの訓練着や木剣等)が売られているが、それを取り締まるのは商標登録の方で行われている。
話が逸れたが、名家となるならその家紋は国が認めたものとなるし、名家が下賜した家紋もそれに準ずるものとなる。
そのため自家の家紋を国に認めて欲しいから名家に奉公する人もいるのだとか。
私はあまり共感が出来ないのだが、それだけ愛国心が強いのだろうなと理解はできる。
さてジェイダス家の家紋は大鷲で、アシュレイが貰ったブレイドホーム家の家紋は鷹だ。大鷲に比べると小柄で、目つきがスケベオヤジのようにデフォルメされている。
アシュレイさんの女性関係の逸話を練り込んだそれは、格好良いというよりは愛嬌のあるデザインだった。
「……そう、ですか。
名家の家紋は都市の外壁にも掲げられるのですが、そうですか。
……いえ、折角ですから、もう少し見栄えの良いものにアレンジを加えるのはいかがでしょう。
もちろん無理にとは言いませんが。そう、例えばセイジェンドの代名詞たる火の鳥などを取り込んでは?
様相は鷹の系譜でありつつも新たなブレイドホームとして門出を迎えるに相応しい威容を持つのではありませんか」
ああ、なるほど。ふざけた目つきの鳥が守護都市の外壁に掲げられて国中を飛んだり、共和国にお邪魔するのは嫌なのか。
まあそれは当然かもしれないが、そんな事よりも言っておきたいことがある。
「別に火の鳥は私の代名詞じゃないですよ。派手過ぎてちょっと苦手なくらいです」
「「「え?」」」
なんで三人とも意外そうな顔でこっちを見るの?
「こほん。弟の冗談はともかくとして――」
「いや、冗談じゃないんだけど」
「――ともかくとして、変えた方が良いのならもちろん変えるけど、こればかりは父が何と言うか」
「それならば大丈夫です。セイジェンドをモチーフにすると伝えたところ、快く首を縦に振りましたから」
ああ、親父には根回し済みなのか。じゃあなんで回りくどい言い方をしたのだろう。
まるで想像できないのだが、家紋ってクロ様的には国主精霊様と言えど容易に口出してはいけないようなセンシティブな話題なのだろうか。
わからないが、まあどうでもいいか。