418話 ルヴィア奮闘記・中
ブレイドホーム家を出たルヴィアであるが、保護観察下にある彼女は一人での外出は許されないし、そうでなくとも貴人である彼女には護衛が必要となる。
ルヴィアとしては道場生にその役をお願いをするつもりだったのだが、道場のジオに外出の伺いをたてに行ったところ指導員のアールが自分がやろうと手を挙げた。
嬉しい申し出では無かったものの、贅沢を言えた立場でもない。
彼女はアールと連れ立って街へと繰り出した。
******
道中は静かなもので、アールは何も言わずルヴィアの後ろに付き従った。
背中越しに感じられる警戒心はルヴィアではなくその周囲に向けられており、彼が熱心に職務を果たそうという意思が感じられた。
「何か、用があったのでは?」
ルヴィアはそんなアールに声をかけた。
「……特には。
ただそちらには言いたいこともあるだろうと、そうは思っている」
アールが企てた過去の事件をルヴィアは知っている。
隔意があるのではないかと、問われたのだと理解した。
「私が口を挟むことではありません」
確かに思うところはある。どのような事情があったのか詳細までは分からずとも、アールがセージ暗殺を企てたことは間違いないのだ。
そんな男を許すばかりか手元に置くなど――それも虐げるためでなく、一従業員としてなど――正気の沙汰ではない。息子はあまりに優しすぎる。
だがそれを言えばルヴィアは生まれたばかりの赤子を捨て、己の欲のために生家を滅ぼしたクズなのだ。アールの事も、それを拾ったセージの事も非難する権利はない。もちろん権利があったとしてもセージを非難するつもりは無いが。
「……そうか」
アールはそう相槌を打った。
顔も見れないアールの感情を声音や足音だけで正確に掴むことは難しいが、それでもおぼろげに納得しきっていない気配が感じ取れる。
それを証明するように、アールが一度は閉じた口をすぐにまた開いた。
「詳細は説明できずとも信じて欲しいのだが、私は御子息の裸を覗いた事は無いのだぞ」
「は?」
ルヴィアは思わず振り返って、汚物を見る目でアールを見た。
確かに息子は美しく女性的ではあるが、だとしてもそれは幼いが故の中性的なものだ。ならばこの変態は美しい少年だけでなくきっと幼い少女にも興味を持つだろう。
託児所で働かせて良い変態ではない。すぐにでも目をくり抜いて縛り首にせねば。
「待て。違う。噂を聞いたのではないのか」
顔を青くしつつも脳内で殺害計画を練り始めたルヴィアに、慌てた様子でアールは説明を加える。
「その、警戒されているようだったから、聞いているのかと思ったのだ。もちろん誤解だ。セージはもとより、子供らをおかしな目で見た事は無い。精霊様に誓ってそんな趣味は無い」
「そ、そう……」
言われてルヴィアも落ち着きを取り戻す。
その様子を見て、アールはクライスによる流言では無く、それで誤魔化そうとした事実――セージ暗殺――を知っているがゆえに、ルヴィアが自身に隔意を持っていたのではと気が付いた。
ルヴィアが名家当主名代を務めセージのために暗躍していたことを考えれば、秘匿されている情報を閲覧していて当然だった。
「ああ……」
アールは頭を抱えたくなった。護衛中なので抱えなかったが。
保育士たちからやんわりと距離を置かれる辛い日々や、小さい子供たちに懐かれる楽しい毎日が原因で、どうやら庶民的な考えに感化されていたらしい。
いらぬ恥をかいたとばかりに落ち込む様子を見て、ルヴィアは自分がアールに敵愾心にも近い警戒を抱く、本当の理由が理解されたのだと察した。
「一応は、安心いたしました。あなたの愚かさが常識の範疇であることに。
それでは誤解なきように願います。お互いのためにも」
アールに嫌悪感があるにしても、ルヴィアからどうこうするつもりは無い。今の彼が改心しているのは見て明らかであるし、ブレイドホーム家にとって有益な人材であることも間違いない。
そしてやはり、ルヴィアにはアールを裁く権利が無い。
もちろんセージの害になるようならば嬉々として社会的に、あるいは物理的に地獄に落とすだろうが、ただ嫌いなだけで害するつもりは無いのだ。
「ああ、わかっている」
襟を正し改めて護衛に専念するアールから視線を外し、ルヴィアは再び歩き始める。
寸劇を挟んでしばらく通りを歩くと、二人は喧騒に出くわした。
大通りが騒がしいのは珍しい事ではなく、喧嘩沙汰が起きるのも珍しい事ではない。だがその時は大柄な戦士らしき男が、幼く薄汚れた風体の少女に怒声を浴びせていた。
それは珍しい事だった。
「……あれは?」
「喧嘩では無いな。子供は見た目通りの子供だ。周囲が止める様子もない。物取りか何かが捕まったのだろう」
聞き耳をたてれば男が少女を糾弾している声が耳に入る。
「いつまで人様に迷惑かけてんだ‼ 身の程を弁えろ‼」
「……っ」
少女も何か言い返しているようだが男の剣幕に対して、怯えた声は小さく街のざわめきにかき消されて聞き取れない。
「大通りだ。仲裁に入っても問題はないが、どうする?」
おおよそ戦士がどこかしらの商店から、あるいはギルドから盗人の捕縛を依頼されたのだろうとは見受けられる。ならばそれを止める正当性がルヴィアたちには無い。
とはいえ少女が逃げ出さないよう配慮さえすれば話を聞くぐらいの事は出来るだろう。
大柄な男が少女を怒鳴りつけているのはどうしたって見栄えが悪く、目撃している人たちは大なり小なり眉を顰めていた。
あくまで丁寧な態度で事情を聴くのならば戦士を刺激する事も無いし、戦士にしても周囲からへの説明の機会を得られるので、無駄な手間ではない。
もっともそうだとしても余計な騒動に首を突っ込むことには変わりなく、つまるところ護衛対象を伴って行う事ではない。だからアールは伺いをたてた。
「そうね。私から声をかけましょう」
ルヴィアはそう言うと手を挙げた。
男と少女は野次馬が囲っていた。その人垣はルヴィアに気圧されて二つに割れた。
開いた道を悠々と歩いて、ルヴィアは男に声をかける。
「お邪魔をいたします。どのような事情かは知りませんが、その子は怯えているようです。
その憤懣、抑えては頂けませんか」
「あん? 邪魔だと思うなら――へぇ?」
男は不機嫌で剣呑な声をルヴィアに向け、しかしその顔を見るや相好を崩して猫なで声を発する。
「いやいやいや、これはこれはお綺麗なお嬢様だ。なんだよ。あんたがこいつの借金を払ってくれるのか?
こいつは俺たちのアパートに勝手に住み込んで、使い物にならなくしたんだよ。
汚れた部屋の掃除に床や壁の張替えと、そこのガキには払えねえ額でよう。
あんたならすぐにでも稼げる額だぜ。へへへ」
「待て待て、こちらとしては大通りで騒ぎを起こしていたから声をかけただけだ。そこまで面倒を見るつもりは無い」
アールがルヴィアの前へと割って入り、男と向かい合う。
アールは元とは言え上級の騎士で、男は中級相当。相対しただけで正確な実力を見抜くのは難しいが、それでも互いに明確な実力差がある事は理解できていた。
「……ふん。知らねえ顔だが、どこぞのお嬢様だったか。
だがこっちの意見は変わらねえぞ。
遊びでやってんじゃねえんだ。払うもん払わねえんならそのガキの身柄はこっちでもらう」
「嘘つきっ‼」
それまで黙っていた少女が唐突にそう叫んだ。
男は少女を睨み、少女はルヴィアの後ろに隠れて再び叫んだ。
「嘘つき、私たちちゃんと家賃払ってたもん。いきなり入ってきて暴れて、部屋を壊して、汚して、金を払わないと出ていけって言ったんじゃない」
「この子はこう言ってますが」
「きたねえ格好したガキの言う事を信じるのかよ。おめでたいお嬢様だな」
男はそうルヴィアを恫喝したが、彼女は涼しい顔で言い返す。
「ええ。どちらかと言えば、あなたの言葉にこそ誤魔化しを感じますから」
「は? ふざけんな。契約が変わったんだよ、契約が。
新しい家賃払えねえなら出ていけって言っても聞かねえから、部屋の中で話しする事になっただけだ。壊したのも汚したのも、そいつの家族だよ」
「おい、話が変わってきたな。
娘、家賃変更の同意書にサインはしていないのだろう」
アールが少女にそう尋ねるが、少女は咄嗟に何を言われているのか理解できなかった。
「え? 何?」
「ああ。家賃を変えるという説明があった時、わかったと紙にサインをしたかどうかという話だ。
見た所、この子は十分な教育を受けていないし、家族もおそらく同様だろう。
その場合は契約の更新書にサインをもらうだけでなく、変更する条項の説明と理解を得たという書面への署名も必要になる。
加えて、その控えを渡しているはずだが、どうだ。
おそらくやっていないんじゃないか?
いや、そもそもその家賃の値上げはいつ言い出してきたんだ?」
「ええと、わかんないけど、ちょっと前。一週間ぐらい前。
急に言われて、十倍になって。払えるわけないって」
それを聞いたアールは男に向かってため息を吐いてみせた。
「事前告知と同意が最短で終わっても契約の変更には一か月必要で、その取り立てが出来るのはさらに一か月後なんだがな。
これは、お前の雇い主から話を聞いた方がよさそうだ」
「ふざけんな。それはそのガキが全部本当のことを言ってたらって話だろうが。いいからガキをよこせ」
男が怒鳴り、アールは顎に手を当て思案気な様子を見せた。
「ふむ。ところで少し疑問だったんだが、何故君はすぐにこの子を摑まえなかったんだ?」
「なに?」
「いや。子供の抵抗なんて、それこそ簡単に捻り上げられるだろう?
それを往来で怒鳴り散らして見せて、自分は正しいと周囲に言い聞かせてから連れ去ろうとするのは、なんだ。なんとも人さらいではないと念を押しているようではないか。
となれば、後ろ暗い事があると白状しているようにも見えるなと、そう思ったのだ」
言われて、男は呻いた。
「君はあくまで下働きだろう。雇い主に理があるならこの子の身柄は引き渡そう。下働きとしてどこぞの娼館にでも放り込んで金に換えればいい。こちらとしても手間をかけさせた分ぐらいは包もう。
だが色々と気になる事も多い。元騎士としては見過ごせないな。
さあ、君の主人を答えたまえ」
アールはそう言うと魔力を発し、男を威圧した。
逃げる事は許さない。抵抗する事は許さない。下手な動きを見せれば即座に制圧する。
かつて鬼騎士とまで呼ばれた威圧をあびて、男は震えあがった。
「く、くそ。ふざけやがって……。
いいだろう。元騎士がなんだ。俺のバックには現役の、本物がいるんだ。
聞いて驚くなよ」
もしこれでマージネル家と言われたらどうしよう。
アールは実はこの時、そんな事を思っていた。
現場の騎士の素行の悪さはアールの耳にも及んでいる。現在ではだいぶん改善されたとも聞くが、それでも小遣い欲しさに悪徳に走る汚職騎士の噂は絶えることが無い。
これ以上、ブレイドホーム家での立場が悪くなるのは嫌だなぁと、そんな風に思っていた。
「俺の、俺たちの主人は、あのブレイドホームだ」
アールは安心して男を殴り飛ばすことにした。