413話 何事もなく日々が過ぎていくって素敵だね
ギルドでの話し合いから特に何事もなく数日が経ち、その間に庭に作る炊事場の発注も終わった。
ただいつ商業都市を離れるかわからないため、工事の方は守護都市の業者にお願いした。ただ資材は商業都市から搬入されるので、そこそこ立派なものが出来上がる予定だ。
その数日の間に、珍しくエースさんが尋ねてきた。呼ばれればマージネル家に伺ったのだが、どうしてもブレイドホーム家で話したいことがあったそうだ。
前置きはそこそこ長かったが、用件はシンプルに一つだけだった。
「精霊様について、スノウから話を聞いているかね」
それはアリア様の事を馬鹿だって言ってたことだろうか。
「……はい、あまり口に出せる話ではありませんが」
元日本人で信仰心のない私からすると、ケイさんがアリア様への態度に関して口煩く拳を振るってくるのは過剰にも思える。でもこの国ではそれこそが普通なのだ。
だから具体的なことは口にしたくないと含ませて、私はそう言った。
もし口に出してしまえば寄ってたかって私刑されかねない。そしてその私刑には国民のほとんどが参加してくるだろうから。
「そうか。それだけ聞ければ十分だ」
エースさんもこちらの言いたいことを察してくれたようで、深くは突っ込んでこなかった。
きっとエースさんも名家の当主としてアリア様に思うところがあるのだろう。とても苦渋の滲む顔つきだった。
「あの、そんなに心配するというか、気にされる事は無いと思いますよ」
スノウさんはアリア様を馬鹿だと言ったが、直接話した限りでは本当にそこまで馬鹿だとは思えない。
ちょっとうっかりミスが多くて、しかもそれを素直に認めないから面倒臭い所はありそうだが、人当たりも考え方も割と常識的――でもないな。いきなりセックスって素晴らしいとか言い出したし――まあとにかく、そこまでおかしな人では無かったと思う。
ああでもそれは国主としての評価とは関係なくて、やっぱり頼りないのか? まあ、なんにせよ支える人たちは大変そうだなぁ。
そんな考えが過ったせいか、私の言葉には自信が欠けていた。
そのせいだろう。エースさんの返答も酷く困ったような、重たい表現を使うのなら悲壮感が強く滲んだものになった。
「……ああ、そうだな。
例え軽蔑されたとしても、私は今までと変わらぬ道を歩むだろう。
願わくば、君と剣を交える事だけは避けたい」
エースさんは疲れ切った様子でそう言って帰った。
なるほど。これはつまり、アリア様が馬鹿なことをしでかしたときに私が守護都市流の説得をしたら許さないという意味だな。
殺し合いになることも辞さないという覚悟すら感じられるのは、さすがに気のせいだと思いたいが。
……ケイさんは昨日帰ったらしいから、あれこれ聞いたんだろうなぁ。
親父と違って私は善良で平和な文化人だというのに、誤解をされるというのは悲しい事だね。
ああ、親父と言えばまだ帰ってないな。体力だけが自慢のあの馬鹿親父がまだ治療中という事は、本当に限界まで暴れてたんだろうなぁ。
仕方のない馬鹿だ。帰ってきたら少しぐらいは優しくしてやろう。
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「彼は逃げた、と」
ルヴィアはシエスタに語られた言葉を繰り返した。
「ええ。セージさんは時に頑なな所がありますからね。
彼がやって来たことが露見すれば敵対することになるでしょう。それはスナイク家との対立を意味します」
その説明にルヴィアは頷いた。スノウがもし屈することを望んでも、周囲はそれを許さないし認めないだろう。スナイク家はそれほどに大きな家であり、そして彼の人望はとても厚いものだった。
「それでは国が荒れる事になります。おそらく彼は、これまでとは違う道を歩むことを決意したのでしょう」
精霊エルアリアが神へと至るためにこの国の全てを捧げようとしている。
ルヴィアはエルシール家に残されていた記録から読み解き、シエスタはスノウから伝え聞いた。そしてお互いにその情報を共有していた。
「帝国と交わった以上、スノウに私たちと手を取る選択肢はありません。ですが大人しく裁きを受ければ国が荒れる。
だからこそ彼は帝国に逃げたのです。セージさんが全ての災禍を乗り切った後で、これからは帝国とも仲良くやれるよと偉そうな顔をして戻ってくるために」
ちくしょうとでも言わんばかりに悔しさをにじませるシエスタを見て、ルヴィアは目を瞬いた。
「珍しいですね」
「そう、ですか?
あの男には負け続けですからね。少しばかり感情的になっているかもしれません。
……いえ。もっと単純に、嫌いなんですよね、あの男。
自分の頭の良さに自信があって、どこか他人は馬鹿だって見下して、器用に要領よく立ち回ってるつもりの思い上がった馬鹿。
そのくせ真面目で優しい人間でいたいなんて、人並みの願いも持ってる。
自分の嫌なところが似てるから、すごく嫌いなんですよ」
シエスタは大きく息を吐いた。
「……私がアベルを好きな理由も同じなんですよね。私と似たような嫌なところはあるけど、腐らずに前向きで。私が仕方ないなって折り合いをつけるところでも、諦めずに正しい道を探すんです。だから似てるけど私とは違うなって」
そこまで言って、シエスタは話が逸れていることに気付いて咳払いをした。
「とにかく、スナイク家との付き合いはこれまでと変わりません。セージさんの態度によってはむしろ親密にしていこうと思います」
「それが良いでしょうね。あのスノウが健在であるならば、見捨てるのは後々のリスクとなるでしょうから」
「それで、そちらの方は?」
シエスタに促されて、ルヴィアもこの数日間に起きたことを報告する。
彼女の下には政庁都市より役人が訪れており、シエスタが先の事態の収拾にかかりっきりだった事もあってその対応はほぼルヴィア一人で執り行った。
エルシール家は加担していた悪事が公となった時に備えて、オルロウという生贄を用意していた。
だがルヴィアの工作に加えて、魔女の襲来と魔王の暗躍という予期せぬトラブルが重なったことで、いざことが起きた段階になっても分家であるオルロウと本家の繋がりが断てなかった。
そのためエルシール家もテロリストに加担したと断罪されるはずだった。
「ヴェルクベシエス家の使いより、エルシール家の減刑を許す旨の打診がありました。
セージの計らいによるものでしたので厚意を受け、父ダイアンを除く親族の助命と没収される財産の一部返還を。
当主代行となるオルパには十分に言い含めておきましたので、駒としては使えるかと」
この件でエルシール家に関わる多くの者が、少なくとも直系は連座として処刑される予定だった。
例外はセージの実母でエルシール家内部から告発の準備を進めていたルヴィアだけだったが、ヴェルクベシエス家当主ボイドスの口添えもありダイアン以外の主要人物も処刑を免れる運びとなった。
エルシール家は名家としての存続こそ絶望的だが、人脈と資産の一部は残る。恩を売っておけば何かしらの役には立つだろう。
「……良い事ですね。
ですがそのように打算的に扱うのは、セージさんの本意では無いでしょう」
「わかっています。ですが私はあの子以外を家族だとは思えなくなりましたから。
見抜かれると分かって取り繕うよりは、いっそ無慈悲な態度を示した方がセージも気遣いなく判断できるでしょう」
ルヴィアの言い分にシエスタは一応は理解したと、頷いて見せた。
「当面もそちらは放置で良いでしょうね。セージさんはエルシール家との関わりを望んでいないようですから。
ただダイアン氏が亡くなるのは惜しいですね。話は出来ませんでしたか?」
「残念ながら、父との面会だけは叶いませんでした」
「……そうですか。彼はエルシール家の正当な当主。彼だけに伝えられていることもあるでしょう」
シエスタの言葉に、ルヴィアも頷いて答える。
精霊様は神に至るためにこの国の全てを捧げようとしている。二人はそれを聞いているが、しかしそれ以上の事は把握していない。
神となればどうなるのか、具体的にどのように生贄を捧げるのか、本当に国の全てを捧げなければならないのか、精霊様でなくともその手順で神になれるのか。
知りたいことは多くある。
全ての真実とはいかずともその一部、あるいは一部に迫るヒントだけでもダイアンは握っているかもしれない。なんといっても彼は精霊様と縁の深いエルシール家の正当な当主だったのだから。
エルシール家とオルロウ、そしてダイアンのやって来たことを考えれば処刑もやむなしと考えてはいたが、それを惜しむ気持ちはあった。
二人には共通する願いがあった。
もしもこの国の破滅が避けられないのであれば、せめて一人だけでも生き残らせたい。それは全ての国民から愛される国主精霊様ではない。
「それでは次は資金面ですね。
やはりと言いますか、セージさんの預金は全て接収されてしまいました。混乱から立て直すための資金としたかったのも本音でしょうが……」
「セージを御するために、でしょうね」
シエスタが言い淀んだ部分を、ルヴィアが引き継ぎ言葉にする。
「ジオ様に比べて、あの子はお金に対して誠実です。中央とすれば金銭に余裕が無い状態であった方が、首輪に鎖が繋がっていると安心できるのでしょうね」
「皇翼となっても……いえ、むしろ皇翼という権威を得たからでしょうね。
セージさんは話が通じるからこそ恐ろしい。スノウと同じ事を、中央の方でも感じているのでしょうね。
あちらの方も相当に後ろ暗い事をやっていますから」
名家が一晩にして国賊として立場を追われる事となる。
エルシール家に起きたことが、自分たちに起きないとも限らない。
排除したくとも皇剣と同等の武力を持ち、精霊様からその立場を保証され、それでいてジオのように簡単に騙すことも出来ない。
名家からすればセージほど恐ろしい人物もいないだろう。裏で悪事に手を染めている者ほどその気持ちは強いだろう。
「で、あるなら――」
「ええ、答えは決まっていますね――」
いかなる名家が敵対しても、セージが屈する事は無い。だがわざわざ敵対する価値もないし、嫌がらせを受けるのも手間だ。
だから小心者の彼らを安心させてやればいい。
丁度良く、シエスタたちには多くの資金が必要なのだ。
学校を新設し、多くの身寄りのない子供を迎え入れられるだけの孤児院兼学生寮を建てるために。
「「――借金をしましょう」」
こうして、セージの知らないところでセージの借金(日本円換算1000億円)が決定した。