412話 スノウ・スナイク~~後編~~
あれからライトニングさんとは、妹というものの素晴らしさについて有意義な討論を致しまして、あとついでに今後の簡単な打ち合わせをして別れた。
私としては制裁には手心が加えられたわけだし、皇剣のラウドさんもいるのでスナイク家が潰れるとまではいかないと思っていた。
だがラウドさんが弟の隠し事を見抜けなかったという印象は強く、最強と称えられていた名誉が地に墜ちているそうだ。
さらにもう一人の皇剣ロマンさんはスナイク家への忠誠心には欠ける部分があり、待遇が悪くなれば他の家に鞍替えすることも考えられる。
そんな訳でスナイク家は本当に存続の危機に立たされているのだとライトニングさんは説明した。
そして私は――意図した訳では無いしシエスタさんの工作で脚色もされているのだが――名家の悪政に立ち向かったり社会福祉事業に力を入れたりとクリーンなイメージがあり、さらに皇翼になった事で精霊様から強力なお墨付きをもらっている。
そんな私が国家反逆の疑いがかけられたスナイク家と変わらぬ付き合いを続けていれば、禊は終わったのだと周りが勝手に勘違いしてくれるらしい。
逆に付き合いが疎遠になれば、周りもそれに倣ってスナイク家は一気に力を失うのだとか。
だから私を取り込みたくはあるが、しかし私がスナイク家に不信感を抱いていてもおかしくはない。
その場合はレイニアさんを冷たく厳しく扱って保護してもらえるように誘導し、当面のスナイク家への制裁や誹謗中傷はライトニングさんが一身に受けて、それらが落ち着いてから折を見てレイニアさんに当主になって貰おうと考えていたそうだ。
ただ結果的にはレイニアさんの保護だけでなく、スナイク家とも変わらぬ付き合いをしていくことになったので、一安心といった様子を見せていた。
私がやる事としては、具体的にはスノウさんが後援を務めていたちょっとした団体に足しげく通う事で良いだろう。
スノウさんに隔意はありませんよ、スナイク家とも仲良くやってますよ、囲碁は楽しいですよとアピールするには、ちょうど良いだろう。
……本当に、スノウさんは色々と準備してから退場したんだなぁ。
まあいいけど、こうなるとあの人は戻ってこないつもりなんじゃないかな。
だとしたらさすがに見つけ出して文句を言いたいところだ。サニアさんは生きていると信じているものの、子供たちは本当に悲しんでいるし、そうでなくとも色々と言いたいことがある。
まあわざわざ探しに行くつもりもないんだけどさ。
たぶんやばい事態になった辺りでしれっと、ごめーん生きてたんだって、何食わぬ顔で現れそうだし。
ともあれ懸念していた問題が一つ片付きまして、私はお家に帰りました。
◆◆◆◆◆◆
精霊様は神に至るためにこの国を耕し、育て、そして供物としてその全てを世界に捧げようとしている。
父が残したその遺言は、簡単に信じられる事では無かった。
だがそれが真実だとすれば、他家が――いいや、父を含めたこの国の名家が時折見せるおかしな振る舞いにも納得がいった。
私腹を肥やすこと、不正を見逃すことを良しとしない高潔なはずの人物も、時に信じられないほどに浅ましい真似をしていた。この国を乱していた。
彼らがそれを知っていたとしたら、国の発展を妨げようとしていたのなら、その事に説明がつく。
それにサニアの事もそうだ。
精霊様が神へと至るために命の誕生や世界との契約、そして魔力というものに関心を寄せているのならば、そのための実験動物としてサニアを欲してもおかしくない。
それらは僕の考えすぎなのかもしれない。
真実はもっと優しいものなのかもしれない。
だがそれを確かめるには再び精霊様の下へ赴き、その真意を見極めなければならない。
記憶や思考を操る、精霊様の下へと。
会うことが出来たとしても真意を見抜ける保証はなく、見抜いたところでそれを隠し通せるとは思えない。
精霊様を直接問いただすというのは、良い考えだとは思えなかった。
間接的に見える精霊様の動きからは、人間への侮蔑や憤りを感じた。
だらしなく欲深い人間が邪魔をしているのだから当然だと思えた。
あるいは家畜の出来の悪さに辟易しているのではと恐れた。
僕には勇気がなかった。
だから僕は、この手を汚した。
かつて嫌っていた権力者と同じように、罪のない人たちを苦しめた。
時には、死へと追いやった。
多くの命を、追いやった。
その事に何も感じなくなるほど、この手を汚し続けた。
証拠は残していない。
疑いの目も潰してきた。
だがそれでも察するところはあったのだろう、兄は大丈夫かと僕を気遣った。
僕は申し訳なさそうに笑って謝った。
上手くやれなくてごめんと。
苦しんだ人、死んでいった人たちを助けられなくてごめんと謝った。
そうなるように仕向けておきながら、そう謝った。
兄はそうかと頷き、肩を叩いて慰めた。
兄を騙すことにも、僕はすぐに慣れた。
心が摩耗していくのを感じながら、最小の被害で済むように僕は手を汚し続けた。
それはこの国のためでも、生きている人々のためでもない。
それが僕にとって言い訳に、せめてもの心の慰めになるからだ。
僕は変わりない日常を送りながら、外道に墜ちた。
ああ、いや、違う。
僕はサニアを地獄に落とした時から何も変わっていない。
僕は最初からクズだった。
それだけの事だ。
そんなクズのところに、三つ目の転機が訪れた。
ああ、でもそれは本当はどちらだったろうか。
心が洗われるような、ありがたい光景を目にしたからかもしれない。
何の打算もなく、死にゆく命を助けるため懸命に心身を燃やしていた。
殺さなければいけないと思った少年が無心に誰かを救う姿を見て、ああなりたかったはずなのにとそう思った。
自分と同じだと感じる少年が、心の奥底にこびり付くような暗闇を抱えた少年が、かつて抱いた理想を体現しているのを見て妬ましく感じた。
ああなりたかったのにと思った。ああなりたいと、再び思うようになった。
あるいは本当の転機は、その後に訪れたのかもしれない。
目を逸らしたくなるような青臭い少年が、いつかの言葉を口にする。
とっくに諦めていた言葉を口にする。
それが、まだ希望はあるのだと思い出させる。
迷いはあった。或いは生まれていた。
あの少年の活躍が世に現れてから、少しづつ精霊様の動きにも変化があった。
それはひどく些細なもので、それを直感的に表現するのであれば、期待のように感じた。
僕は再び考えるようになった。
精霊様が本当に僕たちを生贄にしようとしているのかどうかを。
それを父に伝えたのは先々代の祖父で、そもそもスナイク家がそれを知ったのは200年前の内乱が鎮められた後だ。
後に名家となるスナイク家、シャルマー家、マージネル家の三家に、当時の守護都市領主であったジェイダス家が伝えたのだ。
かつての領主たちはその真実を知ったが故に武器を手に取った。勝ち目などなく破滅しかない戦いに身を投じたのは、この国を乱すため。
そして内乱に参加しなかったジェイダス家をはじめとする一部の貴族に真実と未来が託された。
内乱に参加しなかったこともあって精霊様からの信頼厚く、重用されていたはずのジェイダス家は都市運営の中枢からあえて離れ、汚れ役ともいえる金貸しと風俗の運営を担った。
それを僕は逃避と見た。精霊様への反逆に陰ながら加担する事への後ろめたさが、そんな行いを取らせたのだと。
身内を生贄にしてセルビアンネを生んだアンネの行いも、そうだと捉えた。
だがもしかしたら違ったのではないか。
ジェイダス家は精霊様への叛意の種を撒きながらも、本心では国母への愛を失っていなかったからこそ、最も汚い部分を担ったのではないか。
だからこそアシュレイやデイトのように、目を逸らしたくなるような惨い仕事が精霊様から直接任されてきた。
アンネは神子の血を残して精霊様への対抗手段を残したのだと思った。
同朋を見殺しにしても生き延びなければならなかった先祖の無念を晴らすために、命を賭して希望を託したのだと思った。
あるいは愛したジオと信頼していたデイトを失い、自棄に陥ったのだと思った。
だがそうであるなら同じ血を受け継いだ子たちをわざわざ殺すのはおかしい。
数を残した方が未来に繋がる確率は上がるはずだ。
だというのにその赤子たちを儀式に捧げ、神の血を濃くしたことには意味があるはずだった。
そんな事を、今更ながらに振り返った。
僕は自分は頭が良いと思い込んでいる馬鹿だった。
そうしてもう一度、歴史を見直した。
現在を知るためのヒントはいつだって歴史にある。
未来を掴むチャンスはいつだってこの現在にしかない。
精霊様が神になろうとしているのは間違いない。
だがそのために国を捧げようとしているのだろうか。
違っていて欲しい。
そんな僕の願望が事実を歪めて捉えてしまうのではないか。
間違えてしまえば、僕は国民の全てを屠殺場に送り込んでしまう。
間違えていなければ、僕は罪のない国民を意味もなく絶望に落としてきたことになる。
どれだけ悩んだどころで正しい答えはわからない。
それは未来になってようやく出てくるものだ。
わからなくても選ばなければならない。
だから僕はそのリスクに命を賭けた。
歴史を積み重ねた家も愛する家族も、全てを賭けた。
そうして僕は――
******
荒野にて、スノウは微睡から目を覚ます。
ライムから拷問を受けた彼は満身創痍で片腕も失っている。
治癒魔法で命の危機は脱しているのだが、まともに立って歩く事も出来ないほどに消耗している。
休養が必要な身体でなお、荒野超えを目指していた。
身体が動かせないのだから、もちろん一人ではない。信頼する腹心に運んでもらっている。
「お目覚めですかい、大将」
その腹心こと、魔王ベルゼモードはそう声をかけた。
連合国では荒野の魔物は帝国の魔族が送り込んできているなどという俗説もあるが、それは正しくない。
荒野の魔物は命あるものすべての敵で、それは魔王とて例外ではない。
そもそもベルゼモードは魔族としては若い世代で混血だ。もしも魔族に魔物を操る力があったとしても、それは受け継がれていないだろう。だからこそラウドを通した精霊エルアリアの目も欺けた。
ともあれ荒野の只中で、ベルゼモードは慎重にスノウを乗せた手押し車を押し進めていた。
スノウが生きていることは極秘事項だ。連合国に潜伏している帝国兵にも、現地重用したテロリストたちにも知られるわけにはいかない。
だからこそベルゼモードが直接護送を担っていた。他に護衛は無く、たった一人で重体のスノウの介護と護衛をしなければならなかった。
「ああ、夢を見ていたよ」
スノウの浮かべた笑みにはどうしても苦渋が滲む。絶対安静の体は、例え寝ているだけでも荒野の移動が負担になる。そもそも負担などなくとも半端に治療された肉体は悲鳴を上げているのだから。
上級上位のベルゼモードとて、魔物に襲われればこんな状態のスノウを守りきるのは非常に困難だ。
だがベルゼモードは連合国と帝国の両方が集めた詳細な魔物の生息分布図を頭に入れていた。
それを基になるべく魔物に遭遇せず、遭遇するにしても索敵や足の遅い魔物を選び奇襲で片を付ける。
そうやって何とか荒野を進んでいた。
もっともそれだけに、鈍重な進行となってしまっていた。
「……大将。やっぱり一度、共和国に寄りませんか?」
ろくに雲のない荒野の強い日差しと夜の凍てつく寒さはスノウの体を蝕んでいる。生死の境を彷徨うほどに痛めつけられた体が、再びその境界に立たされるほどに。
二人が目指しているのは帝国だが、共和国の方が近くそこで一度スノウを休ませたかった。
「だめだよ、ベル。それは駄目だ。どうしたって痕跡が残るからね。今の僕は死人でなければならないんだから」
「そうは言いますがね、セージや奥方にはバレてるんでしょうよ」
「それでもだよ。二人は自説を誰かに認めさせようとはしないんだからね。でもクラーラ辺りに証拠が見つけられる訳にはいかないんだ。共和国に弱みを握られる事もね」
それはこの計画の打ち合わせ段階ではっきりさせておいたことだ。だがそれでもこうしてスノウの容体が悪化していくのを見れば、ベルゼモードにも迷いが生まれてしまう。
いっそ寝ている間に勝手に連れて行ってしまうか、そんな考えを浮かべた。
「駄目だよ、ベル。それに心配しなくていい。
きっとこれは上手くいく。
ああ、結界から離れたからかな。忘れていたことを思い出したよ」
「忘れていたこと、ですか」
「うん。アリア様の願いを。僕は聞いていたんだ。
ははっ、ひどい話だ。騙していたのは他の誰でもない、僕自身だったんだ。
ああ、そうだ。あの国に救いなんてない。未来なんてなかった。
それが分かってしまったから、僕は思い込んだ。アリア様のお力も借りて。アリア様を騙して。
本当に、僕は臆病な馬鹿だな」
エーテリア連合国に希望はない。
それを、スノウは覆せない。
「僕はただの人間だからね。訳の分からない事はおとぎ話の住人に任せて、ただの人間の務めを果たすさ」
「……帝国との和平案の締結、ですか」
「うん」
連合国と帝国の関係はとても悪い。荒野という緩衝地が有るにも関わらず、少なくない工作員が忍び込んで国家転覆を企んでいる。そうするだけの理由が帝国にはあった。
その工作員は多くの悲劇を生み、戦士だけでなく罪のない一般人すら不幸に追い込んでいる。
公にはなっていないが、耳聡いものであればテロリストの裏に帝国の陰があることを感付いていた。
両国はそうして憎しみを募らせていっている。
将来、もしも荒野が無くなれば、戦争という武力衝突が起きても不思議ではないほどに。
「きっとあの国はセージ君が、セージ君の影響を受けた人たちが救ってくれる。
だから僕は、救われた先の、未来の禍根を潰す」
それには長い時間がかかるだろう。きっともう家族には二度と会う事が出来ない。それでも贖罪には到底足りえないと、そう思っていた。
「ああ、それぐらいはしないとね」
曇りのない目で過去の歴史を振り返れば、これから起こる事を見通すのはスノウにとって難しい事ではない。
かつては絶望に堕ちて、己を偽ることを選んだ。そうして手を汚した。
その罪は決して消える事は無い。
「……僕は、もう諦めない」
スノウはそう言うと再び夢の世界に落ちていった。
夢の中では幼い友人が、何やってるんだよと、呆れた顔をしていた。
「まったく、困った大将だぜ」
安らかに眠るスノウの顔を見ながら、ベルゼモードは手押し車を進める。
状況は何一つ変わっていないし、やるべきことも変わってはいない。
愛した二つの国のため、主と決めたこの男のため、祖国まで無事に送り届けるだけなのだから。
かくして後に謀略の魔王と呼ばれる男は、帝国へとその身を移した。