409話 始まりの炎
「あー、疲れた」
工房に保管してある武器の手入れという、課された仕事を終えたカインは大きく伸びをした。
朝から作業を始めて時刻はもう昼を過ぎている。
普段から体を動かしている彼はこれほど長時間、室内で手作業で過ごすという事が無かった。
作業中は集中していたため気づかなかったが、作業が終わればこれまでに経験のない疲労感がどっと押し寄せてくる。
それでいて体は運動不足に不満を訴えている。
走り込みか型稽古で汗を流すかとカインが考えた所に、カグツチが声をかける。
「終わったか。じゃあこっちに来い」
「あん? なんだよ、もう終わりだろ」
「ええからこんかい」
カインは舌打ちをしてカグツチの後に付いて行く。
着いた先はカグツチの工房だった。
炉には火が入っており、湿度の高い暑さが部屋に充満していた。
「打ってみい」
カグツチはそう言って鋏を使って炉から真っ赤な金属を取り出し、金床に敷いた。
「は?」
「ええから打てい。早うせんかい、冷めるじゃろうが」
「は? いや、なんでだよ」
カインは口ではそう言いながらも金床の前に座って、差し出された槌を右手に持つ。左手には打つべき赤い金属の塊を抑える鋏を握った。
「そら、打てい」
「……いいのかよ」
カインは訳も分からずその金属を打つ。
甲高い音が響き、カインには槌を介して手応えが返って来る。間違いなく金属を叩いているのに、独特の弾力があって不思議と気持ちいい。
「もっと本気で打てい」
「もっとかよ」
カインは力いっぱい叩いた。
「もっとじゃ。魔力を込めい」
「いや、折れるだろ」
「たわけ。ワシが根性入れた鋼がおぬしのような小僧に折れるものか」
カインはちょっとイラっとした。その魔力を槌に込めて力任せに叩く。
「おう少しは良くなったのぅ。少し貸せい」
カグツチはそう言ってカインから鋏と槌を奪うと、金属の塊を炉に突っ込んだ。
しばし待って赤く色づいた金属を取り出すと、おもむろに槌でガンガンと何度も力任せに叩く。
何度も叩いて伸びた金属の棒を炉に突っ込み、しばらくしてたら取り出して半分に折り曲げ、再び何度も叩いた。
「そら、やってみせい」
「あ、ああ……」
再び鋏と槌を渡されたカインは、見よう見まねで金属の棒を叩いては炉にくべ、折り曲げては叩く作業を繰り返した。
炉の火に炙られながら、カインは何だかわからないまま汗を流してその作業を繰り返す。
「燃えとるじゃろう」
「……ああ」
何だかわからないが金属を叩くのは面白い。
炉にくべるのは楽しい。
赤く燃えているのは美しい。
心惹かれて、それでいてどこか不安になる。
カインは槌を振るい続ける。
何度も何度も振るい続ける。
炉の熱に炙られて滝のように汗が流れ、喉が渇く。
それでもカインは作業を続けた。
時折カグツチが何事かを囁くのにおざなりな相槌を打った。
どれほどの時間そうして過ごしただろうか。
朝から慣れない作業で疲労も溜まっていた。
その後に連れ出されたせいで昼食も抜いた。
熱気の中での単純作業に意識は朦朧とし始めて、時間の感覚もあやふやになる。
そのせいか、カインは炉の中で煌々と揺らめく炎に古い幻想を垣間見る。
赤い世界。
炎と血。
崩れ落ちる中で手を引かれた。
赤い世界に最愛の家族が残された。
赤い世界で最愛の家族が殺された。
切り刻まれて泣いていた。
助けてと泣いていた。
赤い世界。
妖しくも美しい世界。
そこが俺の故郷だ。
俺が生まれた世界だ。
炎を燃やす。
血を流す。
人を殺す。
赤い世界が、俺の世界なのだから。
ガキンと、一際大きく音が響いた。
金床の上で金属の塊は粉々に砕けていた。
「あ」
「かかかっ、未熟よのう」
カインは我に返って、笑っているカグツチを見上げた。
「悪い、壊した」
「別にええ、どうせくず鉄じゃ」
カグツチは機嫌よくそう言った。
「そら、今日はもう終わりじゃ。シャワーを浴びて来い、飯にするぞい」
「……おう」
******
カインが言われたとおりにシャワーを浴びて出てくると、見慣れた妹の顔を見付ける。
「戻ってたのか」
「うん」
短く答えたセルビアの表情はいつも通りだが、わずかに不機嫌さが覗いていた。
「なんだよ、軍でちやほやされてたんじゃないのかよ」
「されてないし。すごいたくさん魔物倒してきたし」
ふふんと、胸を張ってセルビアは自慢した。
「はーん、それはすごいな」
カインは面倒くさそうにそう言った。
荒野とは言え外縁都市周辺で遭遇する魔物の大半は格下の下級で、数もそう多くない。加えてブレイドホーム家という看板の価値をセルビアとは違って正しく理解していた。
そうそう結界の外には出してもらえないし、もし出るにしてもその際は万が一にも怪我をさせないように軍が護衛を付けているはずだ。
そんな予想が簡単にできているため、カインの返事は気のないものとなった。
「信じてないっ。
私、本当にたくさん戦ったもん。カインだって避難指示でたの聞いたでしょ」
「は?
何言ってるんだ、お前?」
「え?」
セルビアとカインは揃って首を傾げた。
カインは集中していて聞いていなかったが街中に避難指示は出ていたし、それを聞いてアルバイトのゼシアはシェルターに避難していた。
ゼシアは避難する前にカグツチとカインにも声をかけたのだが、先に行っておれとカグツチに促されていた。
そしてカグツチはカインの集中が妨げられるのを嫌ってそのまま作業を続けさせ、ほどなく避難指示も解消された。
セルビアがカインを納得させようとして言い募り、カインは真面目に取り合わずに茶化して口喧嘩が始まる。
それが口では無く拳を使った喧嘩に発展する前に、新たな客が現れた。
「何してんの?」
カグツチの工房に入ってきたケイがそう言って、二人は口喧嘩を止めた。
彼女の後ろにはセージがいて、セルビアはぷいと顔を背けて工房の奥に走って行った。
「お爺ちゃん、夕ご飯なにー?」
「肉じゃ。
……む、センジとケンか」
「セージです」
「ケイよ」
二人が揃って訂正するとカグツチは、かかかと大きな口を開けて笑った。
「細かい事を気にするでない。さあ、ぬしらも食っていけ」
そうして5人は同じ食卓を囲った。
「何で野菜なんぞ並べるんじゃ」
「ドワーフのことは分かりませんが、人間は肉だけだと栄養バランスが崩れるんですよ」
5人が囲む囲炉裏では炭火が焚かれ、その上の網で肉と野菜が焼かれている。
なおカグツチ邸には野菜の備蓄が無かったので、セージは外に出てわざわざ買ってきていた。
「アニキ、ご飯は? 私、白いご飯欲しい」
「また野菜か」
「お米は野菜じゃないです主食です。
ああ、お米は見つからなかったから無いよ。パンでいいでしょ」
「ええ⁉ 私白いご飯が良い」
「あんたら白米好きよね」
「なんかセージがやたら食卓に並べるからなぁ。無いと物足りなくなったな」
「……ご飯」
「何でおぬしらはそんなに野菜を食べたがるんじゃ」
「味付けの濃いものを食べるとお酒飲みたくなるようなものですよ。さっぱりしたいんです。緩急が大事なんです」
「……ごはん」
そんなこんなで網焼きを楽しみつつ、話題はセージとケイの訪問の理由へと移った。
◆◆◆◆◆◆
「それで、このクサナギの銘を変えて頂きたいのです」
ケイさんがそう言って視線で食事の邪魔だからと壁に立てかけておいた薙刀をカグツチさんに示した。
そんな話だったかなと思うが私はちょっと忙しいので話は成り行きに任せる。
妹はかたくなに白いご飯が食べたいと言ったが、それは私を困らせるための建前である。最近、妹を可愛がれていないのでちょっとした反抗期になっているだけなのだ。
ケイさんには兄離れのいい機会だとは言ったものの、強引な荒療治をするつもりはないし、そもそも嫌われたいわけでもない。
なので主にアリスさんのせいで下がっている好感度を挽回するべく、妹の世話をせねばならないのだ。
「ふむ、嬢が託されたか。
構わんぞい。あの御方はそもそも自分で使うつもりはなかったようじゃからな。さして手間もかかるまいて」
具体的に言うと買ってきたコッペパンを縦に半分ほど切って、そこに具を詰めていく。
まず生のレタス、そして網焼きした玉ねぎ、ピーマン――
「入れないで」
――は私の皿に、最後にタレをたっぷりつけた焼き肉を挟んで完成。
出来上がった即席コッペパンサンドを差し出すと、妹は嬉しそうに頬張った。
うんうん。
かぼちゃにも火が通ってきたから、次は少し甘めにしよう。焼き肉のたれは甘辛だから合うだろう。
「セージの剣も」
「じゃろうな。あれはでかいのに合わせたものじゃ。セージの坊が使うなら……。
何をしとるんじゃ、お主は?」
「え? ドレッシング作ろうかなって」
三つ目はさっぱりなのにしたいので、トマトと生玉ねぎ(水に晒して辛味は抜いた)にレタスとお肉のコッペパンサンドにしたい。
ただ今あるお肉のたれは甘辛一種のみなので、お酢を使った別味を作っていたのだ。
砂糖とお酢と醤油とみりん――は無かったから、熱を加えてアルコールを飛ばした清酒に、すりおろした玉ねぎも入れて混ぜた甘酢だれだ。
「……何をしとるんじゃお主は。
まあええ。お主の新しい剣も調整するぞ。名前も考えておけい」
「名前?」
「調整って言ったらまず名付けでしょう」
何を当たり前のことをとケイさんが言うが、武器の調整って研ぎ直しや柄の手入れを指すと思うの。
いや、次兄さんにあげた竜角刀にブロークンブレイドって名付けてから、手に馴染むというか魔力の通りや効率が上がった気がするので、名前には何かファンタジーな力が働くのだろう。
私は新たにコッペパンサンドを作りながら――
「パンはもういい」
――妹はしばらくはお肉だけ食べたいようなので好きな様に食べさせつつ、次のオーダーに備えてスープの準備をしておこう。
「どこに行くのよ、あんた」
「え? ああ、ちょっとキッチンに。
名前はあれですね、ゴージャスソードでよろしくお願いします」
この場でスープを作るには食材も調味料も足りないのでキッチンに行こうとしたら、カグツチさんの投げてきたハンマーが後頭部を襲った。
「バカタレが。真面目に考えんかい」
「えー、良い名前じゃないですか。成金剣って」
「……セルビア、格好良いと思う」
ケイさんが妹にそう尋ねて、妹は首を横に振った。
「妹、名は体を表すのだよ。ほら、あれを見なよ。ゴージャスでしょ」
「うん。でもそのままはダサい」
「え?」
「ダサい。アニキ、センス無い」
「……」
私は土間の隅っこで体育座りする事にした。