404話 幻想の王
その気配に、セルビアはいち早く気付いていた。
当然の事だ。
生まれてからずっと共に生きてきたその魔力が、セルビアにわからぬはずもない。
もっとも魔物に囲まれているセルビアに何かをする余裕はない。
そもそも高速のそれは気づいた時にはもうすぐそばまで迫っていた。
だから何が出来たわけではない。
ただ恐れることなく、動揺することなく、起こった事態を受け入れることが出来ただけだ。
深紅の大鳥が魔物の群れに飛び込み、火柱と共に衝撃が走る。
大きく震えた空気は熱と共にセルビアの下まで駆け巡り、さらに砲弾と小さな火の鳥が続いてさらなる爆音と火柱で彩った。
セルビアは風圧に耐えながら周囲を警戒する。
しかし周囲に襲ってくる魔物は一匹として残っていなかった。
砲弾に潰され、衝撃に打ちのめされ、火に焼かれて残らず殺されていた。
セルビアは知らず息を吐いた。
そして次の瞬間、酷い頭痛に見舞われる。
張りつめていた緊張が僅かに緩んで、身の丈に見合わぬ力を行使した反動が彼女を襲った。
セルビアは脂汗を浮かべて膝をつき、その光景を見る。
見目麗しい礼服に身を包んだセージは大地へ斜めに突き刺さった剣から降り立ち、同じく美しい衣装に身を包んだケイの手を取って剣から降りるのをエスコートする。
物語に出てくる王子様とお姫様の様な二人を見て、セルビアの胸にズキリと鈍く暗い痛みが走った。
何故だかとても嫌な気持ちになった。
そして次の瞬間、小さな王子様はお姫様に殴り飛ばされて地面に頭を埋めた。
「え?」
頭痛も胸の痛みも忘れて、セルビアは呆気にとられた。
そして怒りに髪を逆立てるケイと、どこかふざけた様子で謝るセージに小さく噴き出す。
そうして二人に向かって駆け寄った。
「すごいね、アニキがやったの」
「あ、セルビア。あんたからも言ってやってよ。こいつ本当にふざけてんのよ」
「まあまあ落ち着いて、今はそんな場合じゃないんですから。ほら、ロマンさんも来ましたよ」
セージはそう言って、その言葉通り駆け寄って来たロマンに殴り飛ばされた。
「テメエやってくれるじゃねえかこの野郎、この野郎テメエふざけやがって」
怒り心頭のロマンは全身のあちこちが焼けて煤けており、髪もチリチリに焦げていた。ちなみに彼女は燃やされただけでなく、砲弾の直撃もくらっていた。
「ちゃんと避けなさいよ」
「うるせえ、それとこれとは話が別だ」
防げなかった方が悪いと口にするケイに、ロマンは怒気も顕わに言い放った。
「ははは、すいません。ですが苦情はどうか精霊様に。精霊様からデモンストレーションとして派手にやるように仰せつかったものでして」
戻ってきたセージがそう言うが、ロマンの怒りは収まらない。
「あ? だったらなんでこっちの小娘は無事なんだよ」
「え? 妹を巻き込むわけないじゃないですかやだなー」
セージは再度殴り飛ばされた。
「ちょっとそれぐらいにしなさいよ」
「私に指図するつもりか、ケイ」
「ええ、あんたが間違ってるなら指図も説教もするわよ。今はそんな事より大事なことがあるでしょ。
あんただって気が付いてるはずよね。時間は無駄に出来ないって」
ケイにそう言われ、ロマンは舌打ちをした。
セージの技で視界に映る大半の魔物を一掃できた。だがそれはあくまで進行してきた魔物の一部に過ぎない。
あくまで視界に映るほどに迫っていた魔物を一掃しただけで、まだまだ多数の魔物が控えていて産業都市を目指している。
セージが稼いだ時間を無駄な寸劇で浪費するわけにはいかないと、ケイは諭したのだ。
そこにセージが言葉を添える。
「最初に手を挙げたのはケイさんですけどね。まあそれはそれとして私は魔力切れなので後ろでしばらく休んでますよ」
「魔力切れ?
……ああ、そうか、そうだったな。今のお前がこれだけの技を使えばそうなるな。
いいだろう。妹と一緒に後ろで眺めてろ」
「ご配慮ありがとうございます。
それじゃあ妹、砲の邪魔にならないように下がってようか」
「ん」
セージに肩を抱かれ、多くの魔物を殺して邪気も落ち着いたセルビアは素直に従う。
「ああ、そうだ。戦闘中はケイさん魔力を解放しておいて下さいよ。なるべく全力で」
「別にいいけど、なんかするの?」
「少しくらいは援護をしておかないと、精霊様からのオーダーに背きますからね」
セージは肩をすくめてそう言った。
******
セージとセルビアが後方に下がっている間に、改めて魔物の軍勢が現れる。
それを押し止めるのはケイとロマンという二人の皇剣と、そして再開される砲弾の雨だ。
「ケイ、通信だ。
砲弾の残りが少ないから弾幕は薄くなるってよ」
「別に問題ないでしょ。私が大雑把にぶっ飛ばすから、ロマンが取りこぼし潰してよ。少しくらいなら抜かれてもセージがいるし、さっきよりは戦いやすいでしょ」
「けっ、小娘が偉そうに指図しやがって。
聞こえるか。砲弾で左右を潰せ。魔物を正面に集めろ」
ケイの提案そのものには不満はなく、ロマンは管制にそう指示を出した。
ケイはため息を堪えながら精霊エルアリアからの魔力供給を始める。
あのセージが魔力切れなんて理由で簡単に後ろに下がった。
それだけを見て取ればひどく不自然だが、この魔物の大群の後ろに何が控えているかを感じ取れば、答えは簡単にわかる。
魔力も体力も温存して、なるべく万全な状態で挑みたいのだ。
そしてそれはロマンにも言えるだろう。
魔物の数は多いが、ランクで言えばどれも中級以下の、彼女たちからしてみれば格下の群れだ。
特級である皇剣であれば蹴散らせて当然の相手でしかない。
ロマンが手こずっていたのは彼女が一対多数を不得手としているのもあるが、ひとえに準備運動程度の実力しか発揮していなかったからでしかない。
ケイは精霊から授けられた薙刀に魔力を込める。
出し惜しみは考えず、全力を注ぎこむ。
セージは精霊の命に従い、その力を振るった。
大規模な殲滅魔法はこの国で他に振るえるものがいないと言えるほどに見事なものだった。
それは向かって来ている男にも確かに感じ取れたはずだ。
だからこの一撃に、ケイは全力を込める。
私もいるぞと、魔力を込める。
振るわれた薙刀から銀の光が走り、迫っていた多くの魔物の命を刈り取った。
******
「ねえ、あーちゃん、一つ気になっていたんだけど聞いても良いい?」
客人の帰ったダイニングで、昼食を共にしていたサニアからアリアはそう問いかけられた。
「なんでしょう」
「ケイちゃんに上げた薙刀なんだけど、変なこと言ってなかった?
ほら、セージ君の神の力と、ジオ君の竜の力って。
ジオ君も神の力じゃないの?」
ふむと、アリアは呟いて押し黙った。
それは見るものが見れば神妙に思索を巡らせているようであり、説明の難しい問題であったのかと思わせる素振りだった。
だが付き合いの長いサニアにはそうは映らなかった。
「もしかして、何となく格好良いから言っただけだった?」
「……ふっ」
アリアは鼻で笑った。
実に気取った仕草だった。
サニアは可哀想な子を見る目になった。
「そっか、ごめんね」
「勝手に納得するのは止めなさい。
どこから説明するか悩んでいただけです」
「無理しなくていいよ」
そう言われて、アリアはため息を吐いた。
「魔物とは、幻なのです。少なくとも私が作られた世界では魔物など、おとぎ話の中にしか存在しないものでした」
「ふぅん」
「竜もまた同じです。鈍重な肉体でありながら空を飛び、見るだけで他者をひれ伏せる。
あんな理不尽で無茶苦茶な生物は存在していません。
時にサニア、あなたはなぜ種を率いる魔物を王では無く王族と呼ぶか、知っていますか」
アリアの問いに、サニアは首を横に振って答えた。
「王が存在しないわけではないのです。
ですが荒野で王となることは難しいでしょう。
一つの種として確かなものとなるには、幻から抜け出て本物の命とならねばなりませんからね。
だからこそ彼らはこの地を目指すのです。
ロードから、キングとなるために」
「竜も同じなの?」
「いいえ、彼らはキングになるためではなく、キングであるからこそこの国を目指すのです。
竜は幻想の王。あらゆる魔物の頂点。
そして幻を幻と返す、浄化機構。
種を重ね、キングを擁するほどに群れが育ち、進化を重ね、比類なき力を得た魔物の果てこそが竜だとされています」
アリアはそこで一度言葉を区切った。
「多くの命を奪い力を付けたジオには、竜へと至る資格があるのでしょう。
彼の力は神子としても歪んでいます。多くの親族の命を啜ったセルビアと同様に」
「……ああ」
サニアは悲しそうな顔で相槌を打った。
ジェイダス家は建国以来、精霊エルアリアを支えてきた歴史ある家だ。その特別な家が失われた事件の詳細をサニアは聞き及んでいた。
当主アンネロッテが何を思って凶行に及んだのか、その全てをアリアから聞き出していた。そしてその成果であるセルビアが、どの様なモノなのかも。
「魔物とはおとぎ話の中で生まれ、おとぎ話の中で息絶えるはずの幻想です。
竜はその幻想を幻想として終わらせるための、世界が用意した自壊機構。
魔物の如く泡沫の理想に浮かれるこの国を終わらせるため、世界が竜を求めているのでしょう。
私が魔女という悪しき幻想を打ち破るため、剣を求めるように。
ジオは今、世界の意志によって自らを人でないモノへと変えようとしているのです」
そう話を締めたアリアに、サニアは続けて問いかける。
「ジオ君、大丈夫なの? 暴れてるって言ってたけど、おかしなものになってるなら、セージ君たちが危ないんじゃないの?」
「代を重ねてと言ったでしょう。一代だけで竜まで至るようなことはありませんよ。
それに暴れていると言っても、自分を追い込むために魔物を殺して回っているだけです。
まさか大事な息子に刃を向けるようなことはしないでしょう」
楽観的な言葉にサニアはそうかなぁと首をかしげたが、アリアに対してそれ以上の追及はしなかった。
「そんな事よりも今はセイジェンドの活用法ですね。
あれは国民の人気が高い。であれば大々的な就任披露が必要でしょう。上手くやれば大きな経済効果が見込めるはずです。すぐにでもスノウに――っ」
アリアはそこで言葉に詰まり、恐る恐るサニアの顔色を窺った。
「ふふっ、こういう時はスノウに頼りっきりだったもんね。いいよ、後でボイドス君にお願いしておくから」
「ええ、そのように。私にはやる事がありますから」
「うん、任せて。それにスノウは生きてるから。心配しなくても大丈夫だよ」
「ええ、ええ、そうですね」
アリアはとても優しい顔で、宥めるようにそう相槌を打った。
本当に生きてるんだけどなぁとサニアは思ったが、それ以上重ねて口にする事は無かった。