402話 空を燃やす皇の翼
百を超え、千を超え、多種多様な魔物が攻めてくる。
産業都市に危機が迫る。
大門防衛司令部には緊張が満ちているが、悲観的な空気はない。
魔物の大群だけでなくその奥からは竜の魔力も感知してはいるが、この場には皇剣がいる。
定石で言えば皇剣は勝利が決まった場面にしか投入されないが、他ならぬその皇剣自身がこの場で迎え撃つと堅固に意志を示している。
魔物の大群を相手取ってその後に竜と戦うとなれば勝算は低いだろうが、救援が来るまでの時間は稼いでくれるはずだった。
竜に率いられた魔物の軍勢が襲ってくるのだ。気を抜いていい場面ではない。しかし絶望的な状況からは程遠い。
一年前の第一級都市防衛戦で起きた騒動で、大門防衛の体制は大きく見直され綱紀粛正が図られた。
大門に詰めている防衛戦力も充足しており、下らない足の引っ張り合いが行われる事は無い。
大門はきっと守り通せる。
悲観的な空気はなく、程よい緊張感と強い意志が大門防衛軍司令部に満ちている。
ただそれはそれとして、その司令部で一番偉い防衛司令は頭を抱えていた。
「砲を撃て」
通信管制官が拡声して司令部に響かせたのは、皇剣ロマンの声だ。
「ですが、巻き込みます」
「構わん。天使にはしたことだろう」
魔物の軍勢はすさまじい勢いで死をも恐れず突っ込んでくる。
皇剣ロマンがいかに卓越した戦士であったとしても、それを単独で押し止めるのは不可能だろう。
そんな事が出来るのは、本当にごく一部の例外だけなのだ。
どうしても打ち漏らす魔物は出てくるし、それらはロマンを素通りして大門へと殺到してくる。
点ではなく面の制圧力が求められる以上、砲を使うのは理に適っている。
「ですが、セルビアンネ学徒兵を巻き込みます」
防衛司令は再度、懸念を表明した。
幼くして新人戦で入賞するような逸材とは言え、天使に比べればまだ常識的な強さのセルビアが魔物の大群に襲われ、その上、頭上からは砲弾の雨に晒されてしまえば到底生き延びられるとは思えなかった。
天使の時は止むに止まれぬと巻き添えで殺してしまうことも覚悟で砲を撃ったが、今はまだセルビアの退避が間に合う状況なのだ。
防衛司令の頭には死なせてしまっては英雄と天使から報復に殺されかねないと考えも過ってはいるが、それ以上に産業都市は天使に二度も救われた恩義を感じている。
預かった妹を無為に殺してしまっては会わせる顔が無い。
だからこそ声を上げて抗議した。
「勘違いするな。私は要請をしているのではない、命令をしている」
しかし代弁者たる皇剣の口からはっきりとそう言われては、防衛司令としては従うしかない。
「……始めろ」
管制官を通じて担当者へ砲の発射命令が伝達される。
防衛司令はマイクを手に取った。
「防衛戦だ。諸君らはいつも通りの仕事をすればいい。
押し寄せる敵がどれほど強大であっても、どれほどの苦難に見舞われようと、この大門は一度として破られたことはない。
我らは不敗である。これまでも、そしてこれからもだ。
各員の奮起に期待する。
戦闘開始だ」
防衛司令のいつもの口上を皮切りに、いつも通りに砲の発射音と衝撃が防衛司令部にまで響く。
防衛司令はわずかにうつむき唇を噛みながら、セルビアの無事を祈った。
******
砲弾が地面を耕し、衝撃と爆音が響き渡って砲と土砂と血肉の破片が飛び交う。
多くの魔物が無残に死にゆく地獄のような戦場で、セルビアは笑っていた。
私はこれを知っている。
知らないはずの地獄を知っている。
兄が生き延びたこの地獄を知っている。
これを超えれば兄と同じところにたどり着ける。
内から囁く何かの声に酔いしれながら、セルビアは刀を振るう。
未だ総魔力量で中級に過ぎないセルビアにとって、砲は明確な脅威だ。直撃でも一度だけならば耐えられるかもしれないが、それにしたって致命傷を避けられるというだけで重傷は免れない。五体満足では済まないし、戦闘どころかまともに動くこともままならなくなる。
多くの魔物が押し寄せ、砲の脅威に晒されるこの状況でそうなれば死ぬしかない。
死が怖くないわけではない。
頭のどこか冷静な部分では、今すぐにでも逃げるべきだと警鐘を鳴らしている。
だがそれを塗りつぶすほどに強い殺戮への衝動があった。
それを肯定する期待感があった。
だからセルビアはこの地獄で笑い、そして踊る。
砲に晒され、ロマンという強者とセルビアという狂人に行く手を阻まれて、魔物たちはなお止まらない。
それよりも恐ろしいものが迫ってくると追い立てられて、大門を目指してと殺到する。
その魔物の大群はあっという間にロマンとセルビアを飲み込んだ。
だが抜かれてはいない。
砲弾は魔物の先頭集団を的確に捉えた。
運よく砲の影響を逃れた魔物たちは傷つき倒れた仲間を踏み越えて恐慌に強行に進軍こそ続けるものの、どうしたって速度は鈍る。
そしてその鈍った進軍を止めるのはロマンだ。
皇剣ロマン・タイジャ。
二つ名を戦姫とも呼ばれる彼女は砲弾が降り注ぐ戦地を縦横無尽に駆けまわり、手に持つ武具で動ける魔物を死骸へと切り伏せていく。
その手に持つ武具は最初に持っていた剣ではない。
彼女は名のある戦士としては珍しく、専用の武具に拘らない。
セルビアを相手取っていた剣とて基本的な数打ちの安物だ。ロマンが本気で扱えば数合で芯から折れる。
だから彼女が今持っているのは剣ではない。
剣が折れ、槍を突き出された。だからその槍を奪って頭蓋を貫いた。
槍が砕け、斧に襲われた。だからその斧を奪って首を落とした。
斧が割れ、牙に襲われた。だからその頭を掴んで別の魔物に突き立てた。
戦姫ロマンは得物を選ばない。
どのような状況でも十全の力を発揮できる武芸十八般にして徒手最強の皇剣。それがロマンだった。
もっとも、そんな彼女にも弱点はある。
格闘戦を好みすぎる彼女は一体多数で有用な魔法を身に付けていなかった。
他の皇剣ならばできるであろう、精霊エルアリアのバックアップを受けた強力な範囲攻撃での一掃がロマンには出来ない。
「おらぁ‼」
出来る事と言えば拳に溜めた魔力を全力で放つ衝拳弾だが、射程はせいぜい10mで幅も狭く、巻き込んだ数に応じた威力の減衰も大きい。
魔物が大地を埋めるこの戦場に瞬間的な空白を作ることはできでも、進軍そのものへの影響はほとんどゼロだ。
だからこそ砲の支援を要求し、そして戦場を駆けまわっている。
横たわる魔物の死体は進軍の障害となるが、何度も踏みしだかれば均される。
速度が上がり、前へと頭一つ出したそこにロマンは駆けつけ的確に狩っていく。
広い戦場をロマンは機動力で支配していた。
数千という魔物が殺到して、しかしたった二人の防衛線は突破されない。
あまりに多すぎる魔物に対して砲弾は十分ではなく、蹂躙という形にまでは持ってこれていない。
防衛線を抜かれれば、砲の有効射程を超えて接近されれば、大門での泥沼の消耗戦が始まる。
だからロマンは防衛線の維持を優先した。
砲弾が雨あられと振ってくる地獄絵図の戦場。
死体は山と溢れ、なお足りぬと新たな魔物が踏み込んでくる。
ロマンにとってこれは危機足りえない。
やってくる魔物の大半が中級かそれ以下。
ロード種に率いられた上級の魔物が数種混じらない限り、無限の魔力を持つロマンに敗北はあり得ない。
彼女にとってこれは前哨戦でしかないのだ。
だがセルビアにとっては違う。
砲弾は一発とて直撃は受けられない。
迫ってくる魔物の中には同格の強敵も多い。
例え格下だけであったとしても、数で囲まれれば魔力にも体力にも限りのある彼女に生き延びる可能性はない。
そのはずだった。
「殺すつもりでやればよかったか」
ロマンは戦いの合間にセルビアの様子を見て、そう呟いた。
惜しむように褒めるように、そう言った。
セルビアはまだ生きていた。
*******
セルビアにロマンの様な足は無い。
セルビアにロマンの様な体力はない。
セルビアにロマンの様な火力は無い。
出来る事は限られている。
出来る限りのことをする。
それで殺せる。
それで生き延びられる。
その事をセルビアは感じ取っていた。
砲は精密射撃には向かない。
それでもおおよその照準は付けられる。
防衛司令は砲の観測主にセルビアの事を伝え、可能な限り砲を外すよう要請――命令では無く要請なのは、そのオーダーを完璧に叶えることが不可能だと分かっているからだ――をしていた。
セルビアのところに砲が全く降って来ないわけではない。だが数は少ない。
セルビアはあえて動き回らず、魔物が来るのを待ち構えた。
結果として出来上がるのは比較的砲の脅威から遠ざかった安全な地帯。
そこに陣取るのはロマンとは比べ物にならない小さな魔力を持った、小さな女の子。
魔物が殺到しない理由は無かった。
まず足の速いオオカミ種が殺到し、ついでとばかりにセルビアの首を狙って首を斬られた。
次いで人型のホブゴブリンとオークが迫り、彼らも背中を狙われてはたまらないとセルビアを狙って返り討ちになった。
セルビアは最適な行動で、最小の動きで魔物を切り捨てる。
発する魔力も最小にして、しかして明確な敵意と殺意は放ち続けて魔物を誘引する。
それはともすれば四年前に見たセージとハイオークの戦いの再現だ。
だがセルビアはセージと同じことをしているわけではないし、出来るわけではない。
単純な実力で言えばセルビアは四年前のセージを凌いでいるが、しかし魔力制御や視野の広さ、戦術の組み立てなど劣っている部分は多い。
それでも過去のセージと同等以上の結果を出せているのには、当然理由がある。
セルビアにはどうすれば効率よく魔物を殺せるかが見えている。
どうすれば死ぬ事なくこの場を切り抜けられるかが見えている。
それはライムと戦った時に見えたものと同じものだ。
そしてロマンと戦った時には見えなかったものだ。
実力に差がありすぎるから、殺す術を持てなかったから見えなかったわけではない。
そうであれば殺せないことが見えたはずだ。
私の中には、化け物がいる。
僅かにでも見えた道筋から外れれば簡単に死んでしまう状況で、その緊張感に笑みを浮かべながらセルビアは思う。
ロマンは敵では無かった。そんな事は最初からわかっていた。だって彼女には敵意が無かった。
それなのに殺そうと思った。
それは自分が化け物だからだと、セルビアは思っていた。
でも違う。
殺すのは間違いだと分かっていた。
だから見えなかった。
化け物は私を操ろうとするけれど、私が望まなければ力を発揮できない。
今は魔物を殺すために、化け物の力が使えている。
だから使う。
この力が何なのか、化け物が何なのか、今はそんな事はどうでもいい。
私は戦う。
私は、生きる。
砲弾が避ける小さな安全地帯には、魔物の死体が山と積み上げられていった。
******
管制室では緊迫した時間が流れていた。
ロマンの奮戦もあって魔物の進軍はほぼ完全に抑え込めている。
僅かに抜かれた魔物もかろうじて砲の射程の内側まで駆け抜ける事は出来ても、すでに満身創痍で数も少ない。
防壁に詰めている騎士や戦士で危なげなく対処できる程度だった。
「救援部隊、編成まだか」
防衛司令が問いかけるも色の良い返事は返ってこない。
砲弾が降り注ぐ中、魔物の軍勢に飛び込み孤立しているセルビアを救出する。
そのための人員は虎の子の上級の騎士や戦士でなければ不可能だ。
だが上級と言っても大門防衛に常駐しているのは元上級であり、暴れまわっているロマンの様なことが出来るほどの実力はない。
またミイラ取りがミイラになりかねない困難なこの状況で単独で当たらせるわけにもいかず、バックアップの人員の選出と打ち合わせも必要だった。
偵察鳥は送るたびに撃ち落されて映像情報は入って来ない。それでもセルビアの魔力はまだ確認できている。
だがそれは弱々しいもので、常に多数の魔物に囲まれている。
いつ魔力反応が消えてもおかしくない状況で、それでもセルビアは魔物を切り伏せていることも確認できている。
幼い少女に一刻も早い救援を。
防衛司令部にはその思いが満ちており、それは祈りの様でもあった。
そしてその祈りに応えるように、救援が訪れる。
「強大な魔力反応。上空を飛行。首都方向より高速で迫ってきます」
「反応照会かけろ。撃ち落せ」
前半は管制に、後半は防壁に詰めている騎士に向けて命じる。
首都から救援の伝達も飛行魔法が使われる伝達も無い。故に防衛戦を妨害するテロの危険性を考慮し、防衛司令は撃墜を命じた。
「照会確認。セイジェンド・ブレイドホーム。天使です」
「撃墜命令取り消し。絶対に撃つな」
防衛司令の言葉はわずかに遅く、空を駆ける紅蓮の鳥に無数の魔法が殺到する。
その全てを躱し、紅蓮の鳥は優美な軌跡を空に描いた。
綺麗だと、映像を見た管制官が言った。
綺麗だと、防壁上から魔法を撃った騎士が言った。
空を赤く焼きながら、紅蓮の鳥は飛び交う砲弾を追い抜きながら魔物の群れへと飛び込んでいった。