38話 まじんさんじょう
功罪溢れる武勇伝の数々で英雄と呼ばれるジオレイン・ベルーガーは多くの敬愛を集める反面、多くの憎しみや嫌悪も集めていた。
例えばそれは騎士団など。
ジオレインを亡き者にしようと画策した権力者に差し向けられ、結果として多くの者が死んでいった。
遺族や同僚の大半は無謀な命令を下した権力者こそを恨んだが、実際に騎士たちをその手にかけたジオにもまた深い憎悪が向けられた。
例えば市井の中にもいる。
ジオが魔人と呼ばれていた時期に、ベルーガー一派という暴力集団が無法の狼藉を働いていたことがある。
ジオはその一派と何の関係も無かったが、自らの名を騙り強者の威光を振りかざす一派の事も、彼らによって涙を呑む無辜の民にも関心を示さなかった。
市中を守る警邏騎士たちはもしや本当に無法者たちの後ろ盾になっているのではと疑い腰が引け、彼らが鎮圧されるまで多くの被害が生まれてしまった。
その被害者や遺族が、ジオに対して恨みを感じていた。
そして権力者の多数派はジオを毛嫌いしている。
ジオの活躍は守護都市を活気づけたが、同時に多くの騒乱を生んだ。
皇剣武闘祭もそうだ。
それまではどの名家の戦士が優勝するかを、戦いの場では無い所で競い合っていた。
真剣に皇剣という座を目指している若者たちからすれば義憤に駆られるその不文律を、ジオは壊した。
多くの妨害工作に遭いながらも彼の優勝は阻まれることが無く、ただ彼の騎士嫌いを強くさせる結果にしかならなかった。
不正を重ねて優勝する人物というのは確かに体裁が悪いが、名家が抱える戦士には常識があり、また自らが仕える家や都市に対する奉公の気持ちを大なり小なり持っている。
名家に連なる戦士ばかりが優勝するのは権力闘争が最大の理由ではあるが、そうでは無い理由もあった。
例えばジオが素直に皇剣の座について契約の恩寵を受けていれば、八年前の凶悪な竜ももっと少ない被害で斃せていただろう。
そして守護都市の皇剣のように、年老いて力を失った者との代替わりもスムーズに進んだはずだった。
それは被害の大小と言う差異こそあるものの、ジオ以外の若者がなっていても同様だっただろう。
そんなジオを嫌う者たちは、彼の事を英雄とは呼ばずに魔人と呼ぶ。
魔人の語源は、荒野を越えた果てにある魔王が治める帝国の建国伝記に由来する。
幼くして利発で大人顔負けの力を持っていた初代魔王は奴隷階級の亜人種として生まれ育った。
艱難辛苦を乗り越えて建国にこぎつける初代魔王だがその経歴は綺麗なものだけでは無く、悪辣な行いも数多い。
また初代魔王を奴隷として扱っていたのは人間至上主義の王国であり、人間からすれば初代魔王は凶悪な犯罪者であった。
帝国から伝わった建国伝記である以上、初代魔王は偉大な英雄として扱われている。
ただ初代魔王が魔人と呼ばれていた時期は、もっとも残忍かつ狡猾に上位者である人間たちへ報復していた時期であった。
それらを踏まえて、ジオを嫌う者たちは親も知れず盗みを繰り返して生きた卑しい出自の彼を、魔人と呼んだ。
悪童や鬼子とも呼ばれていたジオだが、魔人という通称だけが、敬意の中に嫌悪を潜ませることのできる隠語だった。
もっともこの隠語を悪意的に使うのは一部の人間だけであり、多くの人間はそれが隠語であるとは知らずに使っている。
英雄と呼ばれる以前の破天荒な行動こそ、お堅い騎士や皇剣たちとは違う本物の戦士なのだと思われていたりするからだ。
ジオが表舞台を退いて長い時間が経ったため込められた意味も忘れられて、ただ惰性でその呼び名が使われ続けてきた組織もある。
そんなジオを魔人と呼ぶことが定着した組織こそが、騎士が所属する軍である。
ジオを恐れるものも憎むものも敬うものも憧れる者もいて、クライスが引退後所属し、若者たちの教育を受け持っている組織である。
******
「あー、今日はいつもと趣向を変えて、模擬試合を行ってもらう」
広い練兵場の一角でクライスはそう言った。
彼の目の前に並んでいるのは今年騎士養成校を卒業し、結界外縁の都市にある士官養成校に入学が決まっているエリートの卵たちだ。
「質問があります。教官」
「おう、言ってみろ」
クライスがそう言うと、発言した青年は少しだけ眉をひそめた。クライスの言葉遣いが気に入らなかったのだ。
自分たちに敬語を使えとまでは思わないが、節々に出る粗野な言葉づかいは育ちの良い青年の気に障るものだった。
この場にいるのは三十名ほどだが、その誰もが騎士養成校を優秀な成績で卒業し、自ら望んで安全な政庁都市では無く危険な外縁都市の士官学校への進学を希望した意欲溢れるエリートたちだった。
クライスがそんな自分たちの指導をするのは、守護都市がこの政庁都市を離れるまでだ。
それ以降はここに集まっている三十人は散り散りに各進学先の外縁都市に向かう。
残り二ヶ月と少しの短い期間は、新人の教導士官であるクライスの正式な仕事が決まるまでのつなぎのようなもので、この粗野な言動はやる気のなさが原因だと、そう思い込んでいた。
「模擬戦の相手は教官でしょうか」
青年の言葉に、訓練生たちの間に我々もそれが聞きたかった同意するような雰囲気が伝わる。
クライスと青年たちの実力差はあまりにも明白で、それは嫌というほど初日に教え込まれた。
もしも模擬戦の相手が教官ならそれは訓練では無くただのイジメだと、青年たちは思った。
「いいや、もしそうなら打ち込み稽古って言ってやるよ。
相手は別だ。
……あー、聞いて驚け。
相手は何と魔人ジオレイン様だ」
その言葉を聞いた青年たちは一瞬ぽかんとして、すぐさまパニックに陥った。
よく訓練された彼らはそれを表情や態度に表わすことは無かったが、思考はめまぐるしく混乱していた。
飛び級や多少の歳を取ってからの入学などもあるため年齢は一律ではないが、青年たちはだいたいが十五歳前後だ。
ジオが表舞台に出ていたのは八年前の事で、彼らからすればジオは教科書に出てくる凄い人という認識だった。
それでも養成校では破天荒で悪辣な逸話を数多く聞かされてきたし、もし将来守護都市に赴任したら絶対に関わってはいけない相手だと教え込まれている。
その魔人ジオが来るとはどういう事だろうか。
考えられるのは守護都市で暮らしていた教官がギルドを通して仕事を依頼したのかもしれないが、それはありえない。
ジオは死に逝く竜の呪いによって、力を失った。
竜の呪いは本来、避けられない死を告げるものだが、人の域を超えたジオはその呪いを力を失うという代償で済ませていた。
特に呪いが根付く右足はまともに動かすことも難しくなってしまった。
そのため彼はギルドの規約に則り、強制的に引退させられた。
ギルドメンバーの中には片腕を失っている者や両目の光を失っている者もいるので、その規約は実質的には有って無いようなルールのはずだった。
だがジオにだけは厳格に徹底的にそのルールが適用され、表舞台から姿を消していた。
それが青年たちの知る真実だった。
もっともジオは日々のリハビリで少しづつ力を取り戻したし、少なくとも日常生活には何の支障もない。
青年たちはそれを知らないが、しかし想像は出来る。
元々が絶対的な死をもたらす竜の呪いを耐えた偉人なのだ。時間をかけてそれを克服している可能性はある。
全盛期程とはいかずとも、自分たち若輩者の相手が出来るくらいには力を取り戻しているのではないかと。
もっとも力を取り戻し特級のギルドカードを持っていても、引退したジオがギルドの仕事を受けることはできない。
彼を畏れた都市上層部は、万が一にも復帰させないように法を整備していた。
もっともそこには抜け道があり、教官が個人的に雇う事までは不可能では無かった。
終身名誉とつく特級のギルドメンバーである英雄を個人的に雇うのは決してたやすい事ではないだろうが。
「よし、じゃあ出て来い。魔人ジオレイン」
クライスが練兵場の出入り口に向かって大きな声で開けぶと、扉が開いた。
別に取って食われるわけでもないのだが、青年たちは一斉に体をこわばらせた。
扉から出てきた人影が、走ってやってくる。
その人影は歴戦というにふさわしい使い込まれた装備に身を包んでいたが、小さかった。
話に聞くような二メートルを超える身の丈にはまるで届いておらず、その半分ぐらいしかない。
誰がどう見ても子供だった。
よく見れば着ているローブには可愛らしい刺繍が内側に施されていた。
「まじんさんじょうっ!!」
子供にしては早い足取りで青年たちの前に来たその子供は、子供特有の少し舌足らずな発音で、胸を張って自信満々にそう言った。
青年たちはみな一様に呆気にとられた。
******
「で、この魔人ジオレイン様がお前たちの模擬戦の相手だ。
有効打一本先取で時間制限は五分。
一対一でお前たちがジオレインと戦うが、三十人全員が負けた場合はペナルティを課す。真面目にやるように」
クライスがそう言うと、発言の許可も求めず誰かがぼそりと呟く。
「……馬鹿にしてる」
青年たちの中には面白がっている者もいるが、大半はそのつぶやきに同意見だった。
おそらくこの魔人ジオレイン様(笑)は教官が無下にできない筋の子供で、訓練に参加させるように頼まれたのだろう。
そして八歳以下と見られるその子供は、確かにジオレインという名前なのだろう、英雄様にあやかって。
「ぼくつよいもん。りゅうだってたおせるんだよ」
えい、やー、と渡された棒切れを振る姿はごっこ遊びをする子供にしか見えない。
「あー、くれぐれもいうが、真面目にやるように。
お前たちがあっさり勝てれば、その場でこの模擬戦は終わりにしてやる。
……そうだな。二十人抜かれるまでにお前たちが勝てば酒ぐらいおごってやるから、気合入れるように」
教官の言葉がどこか投げやりに聞こえる。
そして目線はどこか遠くを見つめ、魔人ジオレイン様(笑)を視界に入れないようにしていた。それで青年たちは教官もこの状況は不本意なのだろうと察した。
実際のところクライスは笑いを抑えるのに必死なだけだったが。
しかしそれはそれとして、青年には言っておかなければならないことがあった。
「教官。政庁都市での飲酒は二十歳からです」
教官と魔人ジオレイン様(笑)が一瞬動きを止めた。
「……そうか。
まあ未来の騎士様が法律違反ってわけにはいかんか。
じゃあまあ焼肉にするか。どっか良い店知ってたら教えてくれ」
教官がそう言った。その影で魔人ジオレイン様(笑)がぽつりと、二十歳まで我慢かー。まあその方がいいよね―と、漏らしていたが、誰も聞き咎める者はいなかった。
「それじゃあ一番手は誰にする。立候補が無いなら俺が勝手に決めるぞ」
教官の言葉に、すぐさま手を上げた男がいた。
同期であるから当然のことだが、青年も良く知る人物で、多くの弟や妹を持つ子供好きで世話焼きな男だった。
彼ならうまく怪我をさせずに勝ってくれるだろうと、青年たちは安心して見送った。
男と魔人ジオレイン様(笑)が向かい合う。
その手には訓練用の木剣が握られている。
子供相手に本気で振るうには危険な凶器だが、男がそんなことをしないのは性格からも今の雰囲気からも無いとわかった。
「よろしくおねがいします」
「はい、おねがいします」
ペコリと可愛らしく頭を下げる魔人ジオレイン様(笑)に、男が緩く微笑みを浮かべて付き合った。
始め、と教官の声がかかると、一直線に魔人ジオレイン様(笑)は男に向かって駆けていった。
何の考えも無いその行動に青年たちの半数が微笑ましく見守り、残りの半数が苛立たしげに睨んでいた。
後者からはさっさと終わらせろと、そんな思いが視線から溢れていた。
同期たちの視線を感じながら、男は突っ込んでくる子供に備える。
一本勝負なので、木剣がどこかに当たってしまえば男の負けだが、もしも負けてしまえば後々延々とからかわれ続けることになるだろう。
かと言って本気で相手をするわけにもいかない。
男は子供好きだったので、目の前の子供が疲れるまで相手をしてやって、それから優しく叩いて終わりにしようと思った。
子供の体力ならそう長い事はかからないだろうとも。
駆けてくる子供は、男の目の前で転んだ。
咄嗟に支えようと手を差し伸べた男に、激痛が走った。
こけた子供の手から木剣が飛び、男の股間に直撃したのだった。
「……あー、ジオレインの勝ち。
言ってなかったが、急所への攻撃は禁止だ。
次は反則負けにするから気を付けるように」
その言葉に、魔人ジオレイン様(笑)がすまなさそうに頭を下げた。さすがにそこを狙った訳じゃないと言いたげな態度だった。
「え、ちょっと、教官、自分は――」
「一本勝負といった。油断したお前が悪い。
じゃあ次。
くれぐれも、真面目にやるようにな」
股間を押さえて痛みをこらえる男と教官の会話で仕切りなおしとなり、別の男が魔人ジオレイン様(笑)と立ち合う。
一度はまぐれで仕方ないが、二度目は無いと、新たな男の視線はやや本気になっていた。
やったー、かったーと無邪気に喜ぶ子供を窘めようという程度の本気だったが。
同じように直線的に突っ込んでくる子供に対して、男は手に持った木剣を狙って一撃をふるう。
子供と大人の膂力の差ははっきりと結果に表れ、打たれた剣はくるくると回りながら明後日の方角に飛んでいく。
これで終わりだとドヤ顔を決める男に、子供はしかし勢いを殺さず突っ込んだ。
そして男の鳩尾に拳が埋まる。
大した威力では無かったが、しっかりと拳は鳩尾に埋まっていた。
「勝負あり。一本勝負だって言ってるだろう。ドヤ顔決めてねえで、しっかり勝ちきれよ馬鹿」
「……くっ」
自覚はあったのだろう、男は特に反論することなく引き下がった。
得物を奪えば勝ちというのは競技としての試合であって実戦的では無い。
訓練初日、教官がこの場にいる三十人を同時に相手取った乱取りでは、素手で金属製の模造剣を叩き斬るなんて真似をされた。
それを覚えているからこそ、男は素直に負けを認めた。
「ど汚ねぇなぁ。全勝ちしたら追加報酬なんて言うんじゃなかったか。
……よし、次だ。
くれぐれも真面目にやれよ」
教官の最初の言葉は小さくて聞き取れなかったが、次を促す声は聞こえた。
何人かが立候補する中で、青年はそれらを遮るように前に出た。
「私がやります。いいですか」
「おう。いいぜ。――しっかりな」
教官の言葉に、青年は苦笑した。
他の同期たちは気付いていないようだったが、先ほど木剣を打ち払われた瞬間、子供の踏み込む速度が上がった。
武器を奪われても動じず突っ込む姿は子供らしいがむしゃらさだったが、あの踏み込みの瞬間、かすかに魔力を感じた。
エリートの卵であり騎士養成校を次席で卒業した青年をして、勘違いかと思うほどの僅かな一瞬だったが、確かに感じた。
瞬間的な身体活性は、恒常的なモノよりも技術的には難しい。
二人が敗けるのを見てようやく、ただの子供ではないのだろうと判断した。
もしもこれが実戦ならば致命的な油断で、それを教えたくて教官はこの子を連れてきたのだろうとも。
見れば先ほど負けた男もそれを感じ取っていたのか、誰もがどこか気の抜けた様子で見つめている中で真剣な眼差しをしていた。




