401話 産業都市に行かないと
「失礼、少しお時間を頂けませんでしょうか」
産業都市に向かうため精霊様のお住まいになる皇宮庭園を出たところ、そんな言葉で呼び止められました。
屈強な護衛を後ろに控えさせている身なりの良い壮年の男性で、数える程度だが面識のある相手だ。
政庁都市名家ヴェルクベシエス家の当主様で、名前はボイドスさんだったかな。
私が挨拶を返そうとすると、それより早くケイさんが割って入った。
「確かに、礼を欠いていますね。
私たちは精霊様から命を賜っています。控えなさい」
「ケイさん偉そう」
私がそう言うとケイさんに頭を叩かれた。
「いや、別に精霊様を蔑ろにするわけじゃなくて、挨拶ぐらいは良くないですか?
ちょっとピリピリしすぎですよ。
精霊様からも何を置いても今すぐ行けって言われてるわけじゃあないんですから」
ボイドスさんには兄さんと姉さんの護衛を手配してもらっているし、それだけでなくリーアさんの治療でもお世話になっている。無下には出来ない人なのだ。
「あんたは本当に信心ってものが無いわね。
わかった。手短に済ませなさい」
ケイさんはマージネル家の令嬢では無く、皇剣として接しているのだろう。
はっきりとボイドスさんを下に見て物を言っているし、ボイドスさんもそれで当然だという態度で受け入れている。
「寛大な対応に感謝を。
お時間を掛けぬためにも、前置きは省かせて頂きましょう。
エルシール家の処遇に関してセイジェンド殿の所見を聞かせて頂きたいのです。
もちろん今すぐにという訳ではなく、いずれ時間を作っていただきたいという意味です。
重責を担うお二人の足を止めてしまった事、重ねてお詫び申し上げます」
「ああ、いえ、お気遣いなく」
私がそう言うと、再度ケイさんに頭を叩かれた。先ほどもそうだが、私の頭が地面に埋まらないのからわかるように常識的な手加減がなされている。
頭が地面に埋まったところで私――というか、上級の戦士――の頭は鋼鉄よりも頑丈なので、大したダメージにはなっておらず十分に手加減はされているのだが、一般の人からはそうは見えない。なので常識的ではなくとも普段の暴行にも気遣いは潜んでいたのだ。
「あんたは自分に言われたからってそう遜ってるんでしょうけど、今そんな態度をとるのは精霊様の命令を軽んじる事なんだからね。
あんたも皇翼になったんだから、もうちょっとメンツに気を使いなさいよ」
「ああ、はい、すいません。おいおい覚えていきます」
ケイさんにはそう謝っておく。
視界の端ではボイドスさんは皇翼という単語に僅かな反応を見せていた。
皇翼に任命されたのは精霊様のその場の思い付きとノリの部分が大きそうだから、事前に国家運営に携わる偉い人たちに根回しとかはしていなかったのだろう。
スノウさん辺りならこのタイミングでも全部把握してそうだけど、あんな頭のおかしい変人はそうはいないはずだ。
とはいえ私たちの時間を奪ってはいけないという考えからボイドスさんが問いかけてくる事は無いし、興味を持っていることを表情にも出していない。
「エルシール家に関しては私から言う事はありませんよ。
顔見知りの不幸を見たくないという気持ちはありますが、法の裁きを歪めるようなことはしたくありません。
もちろんどのような裁きが下されても、後から文句も言いません」
後からまた政庁都市に来て偉い人とのお話の時間をとるのも面倒なので、この場で答えを告げておいた。
「……あんたはそれで良いの?」
ケイさんはテロリストへの刑罰をよく知っているからこそ、エルシール家の、より具体的にはエメラさんたちの未来を悲観してそう問いかけてきた。
「ええ、それこそ立場を得たからこそ襟を正さないといけない領分でしょう」
ただまあ私から言えるのはそれくらいだ。
エルシール家がオルロウのような人間を放置していたのにはそれなりの理由もあるのだろう。だがどんな理由があるにせよ多くの人を犠牲にしてきたことが事実であるのならば罰は受けるべきだろうし、減刑を求めるのならそれは私にではなく裁判で訴えるべき事柄だ。
エルシール家はテロリストを支援していたわけではなく、テロリストを支援していたオルロウの管理監督責任を問われている。
明るい未来は待っていないだろうが、国家反逆罪として問答無用で殺されるわけではない。話を聞いてもらえる余地はあるのだ。
ただそれはそれとして、言っておきたいことはある。
「強いて言うなら、母のケアはしないとなぁって所ですかね」
もっとも私にとっては地位とか名声を聞きつけてすり寄ってきた遠い親戚みたいなエルシール家だが、母からすれば思うところはあれど血を分け共に暮らした家族だ。
これからやって来る苦しい裁きに対して思うところもあるだろう。
うん。おかしなことは言っていない。
ボイドスさんは目をキラリンと輝かせたけど、私は当たり前のことを言っただけだ。息子が心を痛めるであろう母親を心配するなんて当然の事なのだから。
ボイドスさんとヴェルクベシエス家は勝手に忖度して母の意向を聞きに行って、色々と便宜を図るかもかもしれないが、私は全然これっぽっちもそんな事は指示していない。
私は心が汚いクズな大人かもしれないが、体は清らかなままだ。
「……さすがに連座で処刑なんてことにはならないでしょ。もしもお家の取り潰しにでもなるなら、当座の生活支援でもしてあげましょうよ」
ケイさんは裏表なくそう言った。彼女も警邏騎士という仕事柄、私情を挟んでエメラさんたちの減刑を望むつもりはないようだ。
その上で、罰が下された後には力になりたいと考えているようだった。
……ところでこういう時ってヴェルクベシエス家には何を差し入れしたらいいんだろう。
お金には困ってないだろうけど、高級なお菓子だけだと微妙かな。
表向きは精霊様から皇翼に選ばれましたご支援のおかげです、姉さんたちの護衛にも感謝してます、って名目で挨拶に行けばいいよな。
どっちにしろまた後で政庁都市には来ないといけないか。
面倒臭いけど、これも渡世の義理というものだろう。
「っていうか結局、話し込んでるじゃない。
こんなことしてる場合じゃ――」
ケイさんが思い出したとばかりにお叱りの言葉を上げようとして、不意にその声を詰まらせる。
同時に、懐に入れてあったギルドカードに魔力反応が生まれる。これはギルドから発信される緊急伝達の微弱な魔力波にカードが反応し、信号石のように光を発して防衛戦が発生したことを教えるものだ。
もっとも懐にしまってあるので私もケイさんもカードの光は見えていないが。
ともあれ肌で感じる魔力反応から輝いている事ははっきりしている。そして政庁都市でギルドカードが輝くという事は凶悪なテロが起きたか、外縁都市で救援が必要な緊急性の高い防衛戦が発生したという事だ。
スーパー魔力感知が健在なら政庁都市のテロに即応できるのだが、今の私ではそれは難しい。
探査魔法を飛ばせば現状把握も出来るだろうが、それは情報管制室の探査魔法に干渉するリスクが生まれる。
定石通り最寄りのギルドで話を聞くべきだろうか。
そう考えていると、怪しげな電波ならぬ精霊様からの緊急通信を受け取っていたケイさんが、真剣な目で私を見据える。
「産業都市で緊急事態。今すぐ行くわよ」
どうやら政庁都市でのトラブルではなく、産業都市で何かあったらしい。
竜の時と言い一年前と言い、何かとトラブルと縁のある都市である。
******
何をやっても通じない。
何をやっても意味が無い。
遊ばれていることを感じながら、苛立ち交じりに刀を振るう。
ただそれは思い通りにいかない事に対する子供じみた癇癪だ。
魂の奥底から沸き上がる、灼けるような衝動は刀を振るう内に消えていた。
目の前のロマンを殺そうとしたのは抗いがたい衝動があればこそだ。
冷めた頭で考えればロマンがテロリストではありえないと理解できるし、どこかで聞いたその名前がこの国で最も尊き八人の一人である事にも思い当たった。
刀を納め、頭を下げなければならない事にも考えは及んでいる。
だがしかし――
「ぷぷぷ。そんなんで私に届くと思ってるのか。ほらこっちだこっちだ。よちよち歩きがお上手でちゅね~」
――この女の顔面に、一撃だけでも打ち込めなければ気が収まらない。
怒りに任せて刀を振るう11歳の少女をあしらい続けるロマンだが、不意にセルビアから視線を切って荒野の奥へと向けた。
それを好機ととらえた少女は刀の峰で殴り掛かるが、簡単に避けられ首根っこを摑まえられた。
「ちょっと待て、緊急事態だ。
管制、聞こえるか。荒野の奥へ探査かけろ」
前半はセルビアに、後半はイヤーセットを通して管制に話しかける。
その話しぶりと簡単に捕らえられたことから――半ば理解していた事だが――いつでもセルビアを無力化できたことを悟り、彼女は親猫に首根っこをくわえられた子猫のようにおとなしくなった。
「そう不貞腐れるな、邪気が抜けてからはそう悪い太刀筋でもなかった。
それでどうする、ここに残るか? それとも逃げるか?」
そう言われてセルビアの不機嫌極まりない表情に疑問が混ざり、ロマンを見上げる。
彼女は顎で荒野の奥を示した。
魔力感知は荒野の魔力障害に阻まれて何も捉えられない。
それでも何があるのかと目を凝らすが見えるのは砂煙の舞う殺風景な荒野で、異常は何も見当たらない。
ただそちらを見ていると、何故だか肌がひりついて来る。
「悪くないが、まだまだ幼すぎるんだろうな」
「……降ろして」
セルビアがそう言うとロマンは放り投げた。
投げられたセルビアは空中で姿勢を整えて足から着地し、ロマンの示した方角へ意識を集中させる。
肌のひりつきは治まることなく、むしろわずかながら強まる。
何かが来る。
何か良くないものが来る。
それが何かはわからないが、それでも何かを感じる。
「来るぞ。最強が来る。災厄が来る。
幾千万の魔物を狂わせて魔物の王が来る」
楽しそうに謡うようにロマンは口にする。
彼女の耳には管制からの悲鳴じみた後退要請が叫ばれている。
セルビアはようやく何が来るのかを理解した。
「竜」
「そうだ、竜が来る」
ロマンはそう言った。
「いいや、竜じゃあない」
ロマンはそう言った。
「竜が如き災厄が来る。
世界よ亡べと呪い吐きながらやって来る。
竜を超えた戦士が来る」
ロマンは楽しそうに謡う。
「ああ、何という僥倖か。
ああ、小娘。死にたくないならさっさと失せろ。
私はお前に構うつもりはない」
爛々と瞳に闘志を燃やしてロマンは言う。
セルビアは生唾を飲んで、しかし身じろぐ事も無く荒野の先を見つめ続ける。
しばしの時を経て、魔物の群れが彼女の視界に映った。
魔物たちは狂ったような形相で向かってくるが、それはロード種に率いられた狂奔とは少しだけ違って見えた。
命を貪ろうとする飢餓ではなく、抗いがたい恐怖に追い立てられているような、死に物狂いの形相だった。
ただそんな事はセルビアには関係ない。
迫って来るのは魔物の群れ。
国を脅かす外敵。
殺さなければいけない敵。
殺していい生贄。
鎮まっていたセルビアの熱が、再び疼く。
******
汗で汚れた獣がいた。
泥に塗れた獣がいた。
血を被った獣がいた。
おぞましい死と絶望をまき散らす獣がいた。
「ぅぁぁぁあああああああああああああ゛‼」
獣は咆える。
己は弱いと咆える。
己は弱くなったと咆える。
平和な日常の中で、人間の様な家族を得て、己が人の命を貪る化け物だという事を忘れた。
憧れ慕った男のように生きられると思い上がってしまった。
そんな日常は、守らねばならない息子の命で贖っていたというのに。
獣は夢を見た。
己が死ぬ夢を見た。
守りたかった家族のほとんどを失って、最後に残った娘も弟に託すしかなかった。
夢の中の己は家族を殺した女を恨んだが、己にはそれが筋違いだと分かる。
己は人を殺すしか能のない化け物だ。
天の使いに助けられなければ、家族を不幸に追い込んでしまう。
全ては己のせいなのだ。
獣は夢を見た。
息子が死ぬ夢を見た。
何度となく殺される夢を見た。
みすぼらしいオオカミに何度も食い殺された。
肥えた豚に何度も殺された。
狂った娘に何度も殺された。
馬鹿な弟に何度も殺された。
送り出しても死ぬ事は無いと、己の勘を信じていた。
その度に息子は殺されていた。
息子は言う。
心は死んでいると。
望むままに人々を救う息子は、現世の神に生贄として選ばれた。
息子は自身の命と心を捧げ続ける。
誰に救われる事も無く、世界のために殺され続けるのだ。
獣は咆える。
慟哭を上げる。
己に心などいらぬ。
己に家族などいらぬ。
力が欲しい。
魔女を殺せる力が欲しい。
神を殺せる力が欲しい。
己に出来るのは憎むこと。
己に出来るのは殺すこと。
息子を殺す魔女を殺す。
息子を生贄とする世界を憎む。
目につく魔物を殺しながら、獣は咆える。
逃れられぬ天災の如く、絶対者たる竜が如く、死をまき散らす。
獣の脳裏に女の声が走り、獣はうるさいと咆えた。