400話 忠義と誇り
セージは壊れている。
その実感はきっと昔から持っていた。
それこそ初めて出会った時から、何かを感じていた。
周りとは違うと囁かれ続けた私と同じように、普通の人とは違う子供だった。
だから私はセージに興味を持った。
セージは幼い子供だけど、いつも私をフォローするように立ちまわっていた。
それに苛立つこともあったけれど、それすらも含めて私はあいつに甘えていた。
今朝だってそうだ。私をからかうようなことを言ってわざと殴られようとした。
もし殴ったとしても、あいつはこれで気が晴れたでしょうなんて顔はしない。
痛いと大げさにおどけて見せるのだ。
セージはきっと、どれだけ誰かを助けたとしても見返りを求める事は無い。
初めて会った時から、ずっとそうだった。
そんな私たちの関係は対等なんかじゃない。
私はセージを殺した。
何度となく殺した。
神様の力でセージは生きているけど、私が殺した事実は変わらない。
きっとセージは殺された記憶を持っている。
その上で、あいつは私を友人として、あるいは家族として接している。
私はそれに甘えている。
命を奪った償いは、命を懸ける事で果たすべきだろう。
騎士は二君に仕えない。
私の剣は精霊エルアリア様に捧げたものだ。
だというのに私の心は揺れている。
今の私は騎士として失格だ。
だから、ケジメを付けなければならない。
******
精霊様からの褒章で期せずしてセージの知るべきでは無かった秘密を知ってしまったが、本当は精霊様との関係を知りたいと思っていたわけではない。
褒章の権利が残っていてはこれから口にする事の保険となってしまう。
それを避けるついでに、セージもきっと疑問に思っているであろうことを聞いただけだった。
「精霊様、そしてセージ、話しておきたいことがあります。
お聞きください」
ケイが意を決してそう言うと、アリアはその意気込みにたじろぎながら、セージは訝しみながら、彼女に意識を向けた。
「もしもご意思に沿わぬ発言であれば自害をお命じ下さい」
ケイはアリアに向けて、そう前置きする。
アリアは鷹揚に威厳を保ちながら静かに頷いた。
それを見届けてから、ケイはセージに向けて想いを口にする。
「お前が精霊様の翼と聞いて、納得した。
お前はいつも高い所からみんなを見下ろしている。地べたを這いずる私たちには見えない多くのものを見ている」
「ええと、何か言い方に悪意がありませんかね」
「お前は多くを見て、そして自由に飛び回る。
ジオがそうであるように、きっとお前も精霊様にも従わないだろう」
そんな事はありませんと慌てて訂正しようとするセージを、ケイは遮る。
「聞け。
お前が精霊様に歯向かう時、一回だけ、一回だけ私はお前の味方をする。
お前が断ろうが嫌がろうが、絶対にする。
覚えておけ」
「なんですかそれ。
あの、私は裏切ったりしないですからね」
セージはケイと、そして神妙な顔でやり取りを聞いているアリアに向けてそう言った。
アリアは二人に向けて、ゆっくりと口を開く。
「あなたはそんな日が来ると、そう感じているのですね」
「はい。セージは間違いなく善人ですが、同時に自由人です。誰かの意志を尊重することは出来ても、それに従う事は出来ません。
こいつの信念は、誰にも曲げる事は出来ないでしょう」
「……そうですか」
何かしら通じ合ってる二人に対し、セージは反論を諦めて事の成り行きを見守ることにした。
アリアはケイに向けて手を伸ばす。
その手からは光が生まれ、まばゆい輝きは部屋の中に広がり視界を埋める。
その光が収まった時、アリアの手には一振りの薙刀が握られていた。
「セイジェンドがその刃を私に向けたとき、その隣に立つあなたは並んで私に剣を向けるのですね」
アリアの薙刀、その切っ先がケイに向けられる。
ケイは身体を固くしながら、短く答える。
「はい」
「言い訳はしないのですね」
「許されるのであれば、片を付けた後にこの首を捧げさせていただきたく」
アリアは薙刀を横に振った。切っ先はケイから外れたが、見ようによってはその刃が振りかぶられたようにも見える。
セージは二人にもわからないように体内魔力を練り上げ、万が一に備えようとした。
だがいつの間にかそばに寄っていたサニアに肩を叩かれ、その目論見は遮られる。
「大丈夫だよ」
サニアがそう囁き、あくまで万が一の備えであった事もあって、セージは高めていた魔力と肩の力を抜いた。
「ケイ、私はあなたの首など欲してはいません。
私が望むのは魔女の首ただ一つ。
手を出しなさい」
ケイがしずしずと伸ばした手に、アリアは薙刀を持つ手を重ねた。
「これはセイジェンドの神の力とジオの竜の力で生まれた魔鋼を、私とエドが鍛え上げたものです。
そしてこの刃は、仮初かもしれませんが魔女の血肉を吸いました。
あなたが持ちなさい。
そしてもしこの刃で私の首を撥ねるのならば、その責は魔女の首を撥ねる事で果たしなさい」
「はい。この命と誇りに代えても、必ず」
片膝をつき、首を垂れて恭しくケイは薙刀を手に取った。
セージはそもそも殺そうとなんてしないからねという言葉を心の中に抑え込み、アリアはそもそも殺さない方向で努力してねという言葉を心の中で抑え込んで、粛々とやり取りを終える。
「そのクサナギも、セイジェンドのライオンファングも調整が必要でしょう。その意味でも産業都市に行きなさい」
「はい、直ちに」
「え? 今から?」
皇宮に長く邪魔をするつもりはなかったが、期せずして政庁都市にまで来たのだからマギーたちの様子を見ようと思っていた。
具体的には掃除や片付けの行き届いていないところを終わらせ、作り置きの利く食事を作っておこうと思っていた。
「当たり前でしょ、皇命を何だと思ってるの」
鼻息荒くそう言うケイにアリアが何かを言おうとして諦め、そんな二人を見たサニアが声を上げる。
「そんなに急がなくても、お昼ご飯ぐらい食べていっても良いんじゃない」
「いいですね」
「セージっ‼」
ケイに叱られ、セージは両手を上げて降参した。
「はい、すいません。行きます行きます、すぐに行きます」
「もう、あんたってやつは。
お誘いありがとうございます、サニア様。ですがやはり、先を急がせて頂きます」
セージはアリアの顔色を窺ったが、彼女はすました顔でケイの言葉に頷くだけだった。
サニアは再びセージの肩に手を置き、ありがとうねと声をかけた。そしてもう一言、セージにだけ聞こえるように小さな声で囁いた。
「っ‼」
「どうしたの?」
「いえ、なんでも。それではお暇させて頂こうと思います。またいつかお話しする機会があればいいですね」
アリアは静かに頷いた。
「ええ、またいつか」
◆◆◆◆◆◆
そんなこんなで皇宮を後に致しました。
色々と話を聞けたし、思ったよりも良い人そうだったしで安心できたというか、楽しかったな。
まあもっとも心を許せるかと言えば別問題なんだけどさ。
精霊様は魔女様を殺すために200年以上の時間を費やしてきたと言った。
この国は建国から300年以上の時が流れている。
建国から100年経って魔女を殺すための準備を始めたのではなく、やり直しを始めた地点がその辺りだったという事だろう。
そして200年前と言えば、内乱が起きた時期と重なっている。
その内乱はきっと、1周目では起きていなかった。
精霊様が方針転換を起こした結果起きた内乱なのかもしれない。だがもしかしたら魔女を殺す下準備のために内乱が起きたという体で統治者の首を挿げ替えたのかもしれない。
精霊様の態度を見る限り内乱は本当に起きたし、それは精霊様の本意では無かったと思う。
だが精霊様が行ってきた非道な行いを考えれば、後者であってもおかしくはないのだ。
ただ少し気になることがある。
これはあくまで想像なのだが、一周目の精霊様はそもそも国の統治には関わっていなかったんじゃないだろうか。
そして彼女は現世神に魔女の討伐では無く、やり直しを願っている。
復讐では無く、殺された人たちを救う事を願ったのだ。
もちろん魔女の殺害を願って断られた可能性もある。
ぼかしてはいたが、やり直しを願った相手はおそらく偉大な人だ。
そしてその偉大な人が魔女殺害をしないと明言しているのだから、もうすでに断られた可能性はある。
だが精霊様とサニア様を見ていると、嫌な予感に苛まれるのだ。
精霊様は救えなかった人たちを救うために過去に戻り、魔女様を倒すために富国強兵に乗り出して、貴族から反乱されてしまった。
もしそうだとしたら、精霊様はどのような気持ちだったのか。
反乱者たちは元々精霊様の国民で、魔女様に殺された国民たちのご先祖様だ。そんな救いたかったはずの人達を、自らの手で殺すことになったのだ。
精霊様はその事で塞ぎこんだからこそ、エルシール家での生体人形に子供が生まれるまで気づかなかったんじゃないのか。
私はそこまで考えて身震いした。
あくまでこれは想像に過ぎない。
慣れない統治を続けていくうちに、彼女の心は壊れてしまったのではないだろうか。
だってどうしたって嫌なものを見ることになるし、嫌なことをしなければならなくなる。
それこそ無実の人間を暗殺しても、非道な実験に使っても何も感じなくなるくらいに、嫌な思いを重ねてきたんじゃないだろうか。
精霊様は一周目では生まれていた子供たちがいないことを嘆きながら、そんな地獄に追い込んだ魔女様への憎しみを募らせていったんじゃないだろうか。
「どうしたの、セージ?」
「え? ああ、いえ、何でもないです」
「ふうん?」
ケイさんは納得した様子もなく訝しんでいるが、追及する様子はない。
精霊様の事は考えても結論は出ないだろう。
チート魔力感知が健在ならば精霊様の本心が探れたかもしれないが、今は出来ない。これが魔女様の言うところの愛を探せという試練なのかもしれない。
精霊様が今、本当は何を望んでいるのか。
精霊様が神様になって、本当にこの国は救われるのか。
私に考えろと言っているのだろうか。
「至宝の君、最後に何を言ってたの?」
「え?」
「何か言ってたでしょ」
ああ、それは別に大したことではない。
彼女は私が間違っていないと言っただけだ。
「特には何も」
彼女はこう言ったのだ。
スノウは生きてるよ、と。
私は最初から疑ってなかったし、全然大したことは言われてない。
私は笑顔で皇宮庭園を後にして、ケイさんと一緒に産業都市を目指した。