398話 不死を謳う徳高き王の翼
「待ちなさい。落ち着きなさい。話を聞きなさい」
アリア様が慌てて――といっても、落ち着いた態度は崩していない――声を上げて、私も気持ちを落ち着ける。
妹に手を出すと匂わせたのは、先ほどのホルストの件で瀬踏みをしたことに対する意趣返しだったのだろう。
私が思いのほか本気で怒った――魔力を漏らしたつもりはないのだが、顔には出てしまったようだ――ことで、やってしまったという後悔を態度に見せていた。
「こほん。
あくまで放置はできないという意味です。あなたの妹に危害を加えるという意味ではありません」
「はい、もちろんわかっています」
嘘ではあるのだが、私も穏便に話を進めたいというアピールをしておく。
「ええ、ええ、そうでしょう。
そのセルビアンネは現在、我が剣ロマンと対峙しています」
……え?
その言い方だと戦闘中みたいに聞こえるんですが、そんなはずはありませんよね。喧嘩なんてしたくないんですよね。
「まず話を聞きなさい。
あなたは落ち着いたジオしか知らないのでしょうが、かつてのジオは語り継がれる逸話に相応しい暴虐の限りを尽くしていました。
相応の強さを得たこと、そして歳を重ねたことで己が衝動との向き合い方を学び、今のジオがあるのです。
今のセルビアンネはかつてのジオと同じです。その身に宿る神の血が暴れているのでしょう。
ケイにも同じような時期がありました。
ロマンには今、その暴走を鎮めるために相手をさせています」
「ええと、それは無事って事でいいんですよね」
「ええ、安心して構いません。
場所は後で教えましょう。ケイと共に様子を見に行きなさい。
……おそらくですが、暴走の理由は魔女の介入だけでなく、あなたも無関係ではありません」
む。
妹はアリスさんと朝帰りしたのがそんなに気に入らなかったのだろうか。気に入らなかったんだろうな。
私だって、もしもいつか恋人を作らないといけない事態に追い込まれたとしても、アリスさんは嫌だからなぁ。
あの人とは今くらいの気安い関係でふざけ合ってたいし。
「……心当たりはあるようですね。
ええ、間違いありません。
あなたが神子としての加護を封じられたことで、ジオたちの持つ神子としての悪影響が再発したように見受けられます」
「え?」
「えっ?」
アリア様との間に気まずい空気が流れる。
「ええ、実は僕もそう思ってたんですよ。さすがアリア様です」
「ええ、そうでしょうね。私もあなたは分かっていると思っていました」
「…………………」
「…………………」
アリア様との間に気まずい沈黙が生まれる。
「こほん」
アリア様は咳払いをして、このやり取りをなかったことにした。
「竜の呪いを受けたジオや皇剣となったケイはともかく、セルビアンネの周囲に災いが起きなかったのは偏にあなたが神子であったからでしょう。
以前より気にはなっていましたが、あなたは周囲に良い影響を与えています。
孤児の保護と教育はもとより、それ以前からスラム街の健全化など、守護都市の治安、環境への影響です。そしてそれらは今や国全体へと広がりつつあります。
あなたと触れ合った人々の変化はあなた自身の性分によるものなのでしょうが、その影響の広がり方はやや不自然に広い。
ジオにも似たように人と環境を変える力がありましたが、あなたはそれを塗り替えてきました。
それと同じように、セルビアンネの神子としての力はあなたの持つ力に相克されていたのでしょうね」
わかるような、わからないような理屈だな。
「もちろんあなたの働きには満足しています。
この国が豊かになる事への恐れはありますが、暴力が支配する時代を良しとするつもりはありません。
そして欲に振り回される人間たちを変える事は私の手に余る難題でした」
「……いえ、それは違います」
私はアリア様の言葉を否定した。
彼女が訝しみはしても不機嫌にはなっていないことを確認して、言葉を続ける。
「確かに私はきっかけになったかもしれません。
でも周りのみんなが変わったのは、変わりたいって心のどこかで思っていたからですよ。
優しい人になりたい、正しい事をしたいって、そう思っていたからです。
ただそれを表に出すきっかけが無かっただけなんです。
これまでずっとそうだったから、みんなそうしてるからって、自分の気持ちに蓋をして流されただけです」
似たようなことは魔法のない前世でもあった。
誰かが誰かに影響を与えるなんて当たり前の事だ。
そこに魔法の力なんて必要ない。
「みんな優しくなりたかったんですよ。そしてそうなろうって頑張ったから街の雰囲気も変わっていったんです。
私の功績はそのきっかけになった事で、街が変わったのはみんなの功績ですよ」
国を変えたなんて評価は私には大きすぎる。
せいぜい私と関わった身近な数人から、頑張ったよねと言われればそれで良い。
そもそも国を変えるなんて、たった一人でできる事ではないのだ。ならその功績は国を変えたみんなが受け取るべきものだろう。
この国の人は何のかんのでみんな精霊様の事が好きなのだから、精霊様に褒められれば喜ぶだろう。
「……誰もが優しくなりたかった、ですか。
国の民が、あるいはせめて政治家たちがあなたほどに慎ましやかな人格者であれば、私も苦労はしないのですが」
これまでとは違ってひどく心労のにじみ出る言葉に、つい言葉をかけてしまう。
「やはり国の運営は大変ですか」
「ええ、そうですね。
この度の一件もそうたやすくは収まらないでしょう。私は少しスノウを頼りにしすぎていたようです」
「ああ、その……、スノウさんについては、私も気づくことが出来ず、ご迷惑を――」
不審に思っていたが、スノウさんがテロリストと繋がっていると考えたくなかったせいで目を逸らしていた。
その結果として事態の発覚が遅れたのだから、私にも落ち度はある。
ただそれを馬鹿正直に言って責められるのも嫌なので、ぼかしながら謝罪してご機嫌伺いをする。
「謝罪は必要ありません。彼の近くにいたのはラウドです。そしてそのラウドの目と耳は私のものでもあります。
ただ一つ疑問なのですが、あなたはスノウがこの国を裏切ったと考えていますか」
アリア様は自身ではなく、この国と言った。
なら答えは簡単だ。
「いいえ、そうは思いません」
「そうですか。私も同じ考えです」
アリア様の視線が、少しばかり遠い所へと移る。
「惜しい人物を亡くしました」
アリア様もスノウさんは死んだと思っているのか。
私は生きてると思うんだけどな。
もしかして私がそう思いたいだけなのか。
いや、気持ちで考えにフィルターがかかってるなんてことはないと思うんだけどな。
「……話を続けましょうか。
あなたは魔女をどう見ましたか」
アリア様に尋ねられ、わずかに迷ったが正直に話すことにする。神子だからと変な期待をされても困るし。
「ご気分を害することを恐れずに語るなら、絶対に勝てない相手と」
アリア様は露骨に眉をひそめたが、しかし私の弱気を咎める事は無かった。
「ですが、勝たねばなりません」
「そうなのでしょうね。その理由を教えて頂く事は出来ますか」
「魔女はこの国を滅ぼそうとしています。それ以上の理由が必要ですか」
アリア様は私を睨みつける。そこには僅かな演技、僅かな怯えが見て取れる。
国を滅ぼされた彼女は、他の誰よりも魔女の理不尽さが身に染みているのだろう。
他の誰よりも彼女自身が、あんなものに勝てるはずがないと分かっているのだろう。
「はい、必要です。
先日襲ってきた魔女は明らかに遊んでいました。いつでも私たちを殺せるのに、それを避けました。
足搔く私たちをもっと見たいという楽しみのためかもしれませんが、私はそうではなく何かしらの目的があるように感じました。
魔女がこの国を滅ぼす理由、そしてその先の目的を知ることが出来れば、争いを避ける事も出来るかもしれません」
「出来ません。魔女はこの国を滅ぼします。そのような愚かな期待は捨てなさい」
アリア様ははっきりとそう言った。これ以上粘るのは危なそうだ。
「はい、アリア様。わかりました」
「ええ、それで良いのです。
……もし魔女を倒せるとしたら、それはどのような状態でしょう。荒唐無稽な、雲をつかむような手段でも構いません。
何か思いつくのであれば話なさい」
そう言われて首をかしげる。
「現実的なプランは思いつきませんね。
魔女と同じ神様の力を手に入れるか、あるいは魔女を神様でなくすか、もしくは他の神様に助けを求めるか。
そんな所でしょうか」
「……私もおおむね同意見です」
「アリア様にやり直しをさせて下さった神様のお力をお借りする事は出来ないのですか」
私が尋ねるとアリア様は静かに首を横に振った。
「不可能です。叶えられる願いは一つだけでした。
それにかつては藁にもすがる思いで助けを請いましたが、あれは魔女以上に恐ろしい神です。みだりに関わるべきでは無いでしょう」
アリア様は怯えていることを隠しながらもそう言った。
あの魔女様へはっきりと敵対を宣言する彼女がここまで恐れるような神様がいるとか、本当にもう止めて欲しいと思う。
「あなたの神、死に通じる仮神の助力は得られないのですか?」
「残念ながら、どのように連絡をとればいいのかもわかりません。そして連絡が取れたとしても直接的な助力は難しいかと思います。
そうでなければわざわざ私に加護を与えて送り込みはしないでしょうから」
「そうですか」
アリア様はそう相槌を打った。そこに落胆の様子はなく、確認のために聞いただけで最初から期待はしていなかったようだ。
「であるならば神の力を得るか、魔女と世界の契約を断ち切るか、二つに一つとなるでしょう」
「文字通り、雲をつかむような話ですね」
「あなたにとってはそうでしょう。ですが私は200年以上の時を費やしてきました。
神へと至る道も、契約についても、多くの事を学んできました」
ああ、割と非道な実験もやってますもんね。
いや、非難するつもりはないのだ。
彼女の立場なら、国全体を救う道を探すために誰かしらの犠牲が必要なら、それを行うか行わないか決断する責任がある。
誰も犠牲にしない選択、あるいは必要最小限の犠牲で済ませることが出来れば最善だ。
しかし未来の事なんて誰もわからないし、決断を保留している間に生まれる犠牲だってある。
だから身勝手な一市民としては、アリア様が私の身内に手を出さない限りそれを責めるつもりはない。
「契約に関することは精霊イグに一日の長があります。
謁見の際に教えを乞うといいでしょう。
あなたは彼から私のことを聞いているのでしたね」
大したことは聞いていないが、一つ気にかかる単語は口にしていた。
それはもしかしたら蔑称である可能性もあるため尋ねる気は無かったのだが、問われたからには口にした方が良いだろう。
「ええ、人形姫と。そう呼ばれていました」
「何も間違っていません。精霊イグが大樹であったように、私は土地神となった人形です。
精霊イグには狡猾なところがあります。
彼の導きによって私は土地神となりましたが、それは善意からでは無く帝国に対する手札が欲しかったからでしょう。
気を許さぬよう心掛けなさい」
「はい、わかりました」
よろしいとアリア様は頷いて、話を続ける。
「神へと至る術には思い当たるところがあります。
ですが今ここでそれを教えるわけにはいきません。
精霊イグは誰よりもそれを知りたがっています。あなたに教えれば、彼は何としてでも聞き出そうとあなたを捉え尋問をするでしょう。それが通用しないと有れば、近しい人たちに害をなすやもしれません。
問われれば正直に答えなさい。
アリアに聞けと」
「はい、わかりました」
そう答えはしたものの、頭の中に疑問符が浮かぶ。
本当に神様になる手段なんて見つかっているのだろうかという点だ。
共和国の精霊様が狡猾だというが、アリア様も割と性格は悪い方だと思う。
そんなものが見つかっているのなら、魔女を憎んでいるアリア様は何が何でも神様になっていると思う。
でもデス子という仮神が生まれた以上、アリア様が何かしらの手段を持っている可能性は高い。
今は条件が整っていないだけなのかな。
「あなたは魔人伝に記される、王国に伝わる神剣を知っていますか」
「本の中の知識だけですが――」
大昔にこの世界に堕ちてきた人々を救った偉大な人が国を造り、人間たちだけでも国が守れるようにと神の力を宿したその剣と永遠の命をもつ聖女を残して去った。
それが帝国や共和国よりも遠いところにある人間の王国の始まりだ。
その後、力なき人々を救い保護するために生まれた王国は次第にその理念を失い、我欲を満たすために神剣の力を振るうようになった。
王国の奴隷となった亜人たちを解放した初代魔王は一度その神剣で討たれるが、その後に偉大な人の助力を得て王国に打ち勝ち、聖女を下して魔女へと変えたという。
「――本の内容が真実であるなら、偉大な人を見つけ出せればすべてが解決しそうですね」
なにしろ神剣を作れるわけだし、そもそも魔女にも勝っているわけだし。
「そう上手くはいきません。魔女は偉大な人にとっては子も同然。叱ることはあっても殺害には至らないでしょう。
もしもそのようなことを願えば、どのような災いが降りかかるか……」
そう言ったアリア様がその体を震わせる。
リアルに想像が出来ているあたり、魔女様だけでなく偉大な人とも顔見知りなのかもしれない。
もしかして偉大な人がやり直しを願った神様だったりするのかな。
魔女様を降した神様へのたった一つの願いで、やり直しを願ったのか。
「話が逸れましたが、神剣を有する王国は元々帝国とは長く戦争を続けていますが、近年ではその神剣が振るわれた形跡はありません。
これに関しては共和国側から働きかけが行われていますが、望みは薄いでしょう。
精霊イグにあった際はこちらも聞いておきなさい」
「はい」
神の力を持つ剣か。
魔女様と同じ力が使えるなら、使ってない理由は代償が大きすぎるとかそう言う理由なのかな。
あるいは切り札が無いと知られると困るから対外的には使えないことを黙っているけれど、大昔に作られたものだからもう力を失っていてもおかしくない。
これも期待は出来そうにないかな。
「魔女の契約については、おそらく不可能でしょうね。
まず契約の中身を正確に把握する必要もありますが、魔女が世界とどのような約束を交わしたかは魔女自身にしかわかりません。
そして何より、強引に契約を断つには相手よりも強い力が必要になります」
「ああ、それは、無理ですね」
何せ皇剣になって名実ともに最強となった親父を子ども扱いする魔女様なのだ。
単純な腕力頼みの喧嘩でも勝てないし、魔力量だと比べるのもおこがましいほどに差があるだろう。
色々と話してみたが、魔女様を倒す未来なんて想像もできない。
やっぱり諦めたら駄目なんだろうか。
駄目なんだろうな。
この国が滅びるわけだしなぁ。
魔女様の目的が分かれば何とかできるかもしれないし、アリア様は何か知ってそうなんだけどなぁ。
何とかアリア様を説得できないかと頭を捻ってみるが、こちらも良い考えは浮かんでこない。
同じく難しい顔で考え込んでいたアリア様が、不意に明るい笑顔をこちらに向けてきた。
「先行きは暗く、しかし前進はしています」
「と、言いますと?」
アリア様はどや顔で胸を張る。
「あなたが味方であると確信できました。それは何物にも代え難いほどの価値があります」
「ええと、過分な評価、痛み入ります」
でもあんまり期待はしないでくださいね。
私は魔女様に恨みとかないので、何だったらアリア様を無理やり押さえつけてでも一緒に土下座して、魔女様に許してもらおうとか考えてますし。
「胸を張りなさい。
あなたには特別に9人目の皇剣となることを――いえ、あなたは剣ではありませんね」
「え? あの、ちょっと――」
私は止めようとした。だって絶対に面倒ごとに繋がるから。でもそれは遅かった。
「皇翼。号をホウオウ。あなたを我が翼と任じます。
受け入れて頂けますね」
「…………………身に余る光栄、謹んでじた――ゴホン、お受けいたします」
これ、ノーって言ったらだめだったかな。
ダメだったよな。
いやまあいいんだけどね、たぶんそんなに今までと変わらないし、何だったら公の場でケイさんをからかう事も出来るようになるし、馬鹿親父にでかい顔をさせずに済むし。
うん。全然いいんだけど、そうでしょう嬉しいでしょうとご満悦なアリア様への反応にちょっと困る。