393話 怪物
カインがカグツチの下で下働きをさせられていた頃、セルビアは大門防衛軍にいた。
セルビアとしてはカインと同じようにブレイドホームの原点ともいうべき技を教えてもらいたかったのだが、嬢に教えられる技なんぞないと軍に押し付けられた。
カグツチからは一度家族から離れ、一人ぼっちで戦ってみせいと言われた。
そんな事を言われる意味はまるで分らないが、戦っていいなら戦う。
セルビアからすればいつだって兄のセージを筆頭に、もっと慎重になれとか危なっかしい真似は控えろと言われ続けてきたのだ。
憎たらしくも頼りになるカインやいつも見守ってくれるセージがいないのは不安だが、他ならぬそのセージはいつも一人で戦ってきたのだ。
だからやってやると意気込んで、産業都市の大門防衛軍に参加した。
参加をしたのだが、しかし当然のことながら大門の防衛戦は攻めてくる魔物がいなければ発生しない。
時には周辺の魔物を狩るために騎士隊を派兵することもあるが、現在は隣の商業都市に守護都市が接続中で、周辺の魔物も守護都市から派遣されているベテランがあらかた狩ってしまっている。
なのでセルビアが望んだ戦闘など起ころうはずもなかった。
そもそもセルビアは英雄の娘であり、一年前に産業都市を救った天使――あるいは死神――の妹である。
さらに産業都市でも重要人物に位置づけされるカグツチから、ちょっと面倒を見てくれと言葉足らずに預けられている。
そんな訳で彼女はこの防衛軍の中で、皇剣ケイに勝るとも劣らない接待を受けていた。
朝から年若く――といっても二十歳前後というだけで、セルビアよりは年上である――見目麗しい青年たちに世話をされ、セルビアはとても落ち着かなかった。
軍の騎士たちに交じって日課の朝練を終え、汗を流して朝食をとった。
その間、青年たちはセルビアにつき従い、事あるごとに誉めそやした。
現役の騎士を相手に何度か立ち合いも行ったが、誰もセルビアを本気で相手はしなかった。
相手は上手く隠しているつもりだったが、日夜セージの嘘に付き合い続けているセルビアを騙せるものでは到底なかった。
手加減して勝ちを譲られているのに、流石ですお嬢様と言われ続けて、セルビアの機嫌はとても悪くなっていった。
さらに言えばセルビアは一対一の戦闘で言えば既に中級中位に足を踏み入れている。
大門防衛を任されている騎士の中にはそれ以上の実力者もいたが、それはセルビアの相手をした騎士たちではない。
つまるところセルビアは年齢と立場を理由に、格下から手を抜かれて誉め称えられたのだ。
セルビアの機嫌は本当に本当に悪くなった。
中身がパチモノのセージと違い、本当にピュアな十一歳のセルビアに騎士たちの立場を慮ることは難しい。
何か事情があるのだとは漠然と肌で感じてはいるのだが、それでも馬鹿にされているのではと疑ってしまうのだ。
外見や装いも何度となく褒められた。
セルビアは自分を特別に美人だとも不細工だとも思ってはいないが、それでも騎士たちが根っこの部分で褒めなければいけないという意識を持っている以上、それを敏感に感じ取ってしまう。
いつぞやの皇剣武闘祭の時にも似たような褒め言葉を貰ったことはあったが、その時は祭りの熱に高揚していたし家族も側にいて気が緩んでいたので、そこまで鋭敏に人の言葉を受け止めなかった。
だが今はそれを感じたし、そしてそれを感じてしまえば素直に受け取ることは難しい。
その辺りはケイとの経験の違いでもある。
彼女は名家の令嬢として礼儀作法に問題のある暴れん坊ではあったものの、それでも幼いころから多くのおべっかに晒されていた。
心のこもっていない褒め言葉をただの雑音として聞き流す技能を身に付けていた。
しかしセルビアはそうではない。
褒めるにしろ貶すにしろ感情的に直情的にストレートに表現されることが多かった。
そんな彼女にとって防衛軍の接待はとてもストレスの溜まるものだった。
「お嬢様、食後はどうしましょうか。訓練も良いでしょうが、折角ですから施設内を見て回りませんか」
「……」
相手は他所の所属とは言え正規の軍人である以上、学生であり訓練兵扱いのセルビアよりも階級が上だ。
階級は絶対であり、敬意を払うことが求められる。
セルビアは養成校でそう習っている。
だからこそ我慢をしている。
我慢をしているが、しかしセルビアはあまり我慢強い方ではなかった。
そもそもセージもジオも相手が偉かろうと自分の考えを曲げる事は無い。少なくともセルビアから見たらそうだ。
そしてセージもジオもいつだって好き勝手している。セージが聞けば泣いていじけそうだが、セルビアは本気でそう思っている。
だからもういいかと、そう思った。
「うるさい」
「え?」
「勝手にするから、付いてこないで」
セルビアはそう言って食堂を出る。
青年たちは慌ててその後に付いて行こうとするが、それを察したセルビアから苛立ちが多分に含まれた魔力を当てられ、体を竦ませた。
セルビアは魔力だけで見てもすでに中級下位を超え始めている。その実力は外縁都市で接待役を任せられるような青年たちとははっきりと格の違うものだ。
シンプルに本能的な命の危機を感じ取った青年たちは立ち尽くし、少女の背中を見送ることしかできなかった。
セルビアが食堂を出て向かったのは防衛軍総司令官の執務室だ。
当然の事ではあるが執務室に勝手に入ることはできない。
門番を務める騎士に呼び止められ、セルビアは簡単な伝言を頼んだ。
「偵察してきます」
それで最低限の義務は果たしたと、セルビアはカグツチから貸して貰った刀を手に大門の外へ向かった。
時刻は昼過ぎ、空は気持ちの良い青空だ。
周辺に魔物はいない。
そう聞かされていても結界の外に出たという事実がセルビアの胸に高揚感と緊張感を与えてくれている。
ほんの数日前の戦いは未だにセルビアの脳裏に焼き付いていている。
何か一つミスがあれば死んでいた。
カインがセルビアの意図に気付いてくれなければ死んでいた。
そして何より敵にミスが無ければ死んでいた。
自分はまだまだ弱い。
そう感じさせられる戦いであり、それでも確かに強くなれたと感じられるギリギリの戦いだった。
振り返ってみればとても心地よく、しかしあの男の命を奪えなかったことが胸にしこりとして残っている。
セルビアにはこれまでずっと焦燥感が付きまとっていた。
早く強くならなければならないと。
早くセージに追いつかなければならないと。
そうでなければ手遅れになると。
今はそれが無い。
あの時、あの戦いの前後から、これまでの悩みが嘘であったかのようにその焦りは綺麗さっぱり消えていた。
ただその代わりに、いくばくかの飢えがセルビアの中に生まれていた。
「……魔物、いないかな」
その飢えが、セルビアの口から小さく漏れる。
殺したい。
誰でもいいから、何でもいいから殺したい。
それはまだ小さな飢えで、今は我慢できる。
でもいつか我慢できなくなる日が来る。
それを本能的に理解していたから、セルビアは荒野を目指す。
殺していい誰かに出会うために。
「はっ、まるで魔物だな」
そんなセルビアに、侮蔑するような声がかけられる。
「……誰?」
セルビアが声の主に振り返り、そう尋ねた。
それは初めて会う女性だったが、どこかで見たことがあるような気がした。
「ロマン。名乗れ、小娘」
それが女性の名前なのだろう。
どこかで聞いたような名前だったが、セルビアは咄嗟には思い出せなかった。
「セルビア。セルビアンネ・ブレイドホーム」
「そうかい。何しにこんなところに出てきた」
「……魔物退治」
セルビアは短く答えた。
目の前の女性は何故こんな所にいるのだろうか。
大門から征伐隊が出ているという話は聞いていない。
そもそも目の前の女性は一人で、仲間がいる様にも見えない。
産業都市所属のハンターの可能性だけはあるが、しかし女性が身にまとう雰囲気は明らかにハンターとは格が違う。
「魔物退治ねぇ……」
魔力を体に隠しているため正確には推し量れないが、セルビアよりも強そうだと思った。
ともすれば守護都市上級でもおかしくないと、そう思って口元が緩みそうになるのを引き締める。
もしもこのロマンが上級の戦士なら、こんなところで単独行動しているのはおかしい。
もしかしたらテロリストかもしれない。
隣の商業都市でもテロリストが暗躍していたのだ。
テロリストだったとしても何もおかしくはない。
だってこの女の隠している魔力を覗こうとすると、胸の奥で言いようのない不快感が沸き上がって来るから。
だからきっと敵だ。
敵に違いない。
敵なら良い。
もしそうなら躊躇いなく、遠慮なく殺せるのだから。
「はっ、魔人の子は魔人か。
遊んでやる。来い、小娘」
セルビアは、刀を抜いた。
******
どうしてこうなったと、産業都市大門防衛司令は頭を抱えた。
防衛司令は一年前に天使セイジェンドに救われた。
正確にはこの大門が、そしてこの国が救われたのだが、その大門を守る最高責任者こそが防衛司令であった。
未曽有の被害が危惧される防衛戦は天使の功績によって被害ゼロで乗り切ることが出来て、防衛司令にも特別ボーナスが支払われた。そのおかげで家のローンは予定を大幅に前倒しして完済することが出来た。
天使は怖いが、恐怖以上に圧倒的に感謝の念を抱いている。
そんな大きな恩のある天使が大切にしている妹に粗相なんてしたくない。
軍人として不義理な真似はしたくないし、付け加えると天使はやっぱり怖いから。
一年前の皇剣武闘祭はちょっとした語り草となっている。
もしも産業都市での大怪我や前日のテロリスト討伐が無ければあの天使は優勝すらしていたかもしれないと語るものがいる。
一部の――それも飛び切り優秀な――戦士は、そんなものが無くても天使は勝っていたと語る。
聞けば政庁都市の方でも天使の意向を無視できず、エルシール家の処遇に苦心していると聞く。ともすれば精霊様ですら扱いに苦慮されているという噂すらも。
テロリストに組したと有ればお家根絶が当然だが、そのエルシール家は天使の生家だということで処遇が決まらないのがその噂の原因で、おそらくそれは間違いがないのだろう。
精霊様ですら無視できない天使を怒らせるのは怖い。
それでなくとも産業都市の最重要人物である名工カグツチを冠するエドワードから、直々に面倒を見てやってくれと頼まれている少女なのだ。
セルビアの扱いは慎重に慎重を期して、この上なく丁重におもてなししなければならないのだ。
そう思い込んだことこそが間違いだったのだが、防衛司令がその事に気が付く事は無い。
「ははっ。どうしたどうした、それがお前の全力か、魔人セルビア」
通信越しに響く皇剣ロマン・タイジャのご機嫌な声と、彼女に痛めつけられるセルビアの映像に、防衛司令は頭を抱える事しかできなかった。