361話 grope in the dark
後半、唐突に暴力描写、残酷な表現が始まります。
苦手な方はご注意ください。
2021.1.29.
ルヴィアのスノウ行動予測を修正。
夢を見ている。
それが夢だと理解している。
夢なのだと実感できている。
真っ白い世界だ。
自分というものが何もない、真っ白な世界。
生まれる前に見たようなその光景の中で、口のない自分は声を上げる。
出て来なよ、デス子。
真っ白な世界に黒い染みが生まれて広がり、人の形をとる。
喪に服しているという黒いドレス姿の、黒い瞳と黒い髪をした死に通じる仮神。
生まれる前に出会った時とは違って、右目に眼帯をしている。
それがセイジェンドの心臓に収められたものという事だろう。
「お久しぶりですね~」
そうなるね。何か言いたいことが?
「はい~。
あなたは勘違いをしています。
あなたの魂は血肉と同じく、確かにセイジェンドのものです。
あなたという人格は確かに前世より受け継がれたものですが、それは魂の上に築かれたものを移植したにすぎません。
あなたの前世の魂は活用され、すでに世界に消化されているのです。
あなたは間違いなく彼女の息子なのですよ~」
それが彼女の慰めになるとでも思っているのかな。
「いいえ~。ですがあなたの気持ちが少しは軽くなるかもと思いまして」
そんな事に配慮するぐらいなら借金を何とかしてほしいけどね。
「ぷぷぷ、それは私にはどうしようもないですね~。
ああ、もうお目覚めの時間です~。
引き続き頑張ってくださいね~」
待てバカ、お前は私を選んで本当に良かったのか。
デイトはお前の――
◇◇◇◇◇◇
――夢を見て、目を覚ます。
夢の内容は朧げでいまいち覚えてないが、何となく気分の悪い夢だった気がする。
まあ、どうでもいいか。
さてあれからルヴィアさんはダイアンさんと話したようだが、目立った変化は無かった。
役に立たないお祖父ちゃんである。
しかしまあ大金を頂いておいて役に立てていない私がどうこう言える立場でもない。
まあなんだ、とりあえず状況を整理しよう。
ルヴィアさんは家を傾けかねないお金を持ち出し親父というか、私にくれている。
その場では気付かなかったんだけど、ありえないほどの大金を払ったことで周囲は親権を金で買ったのだと捉えている。
顔立ちが似ているのでエルシール家の人たちは実子だと信じているし、もちろんブレイドホーム家も私たちが明言しているので理解している。
でも世間様はルヴィアさんが本当に私の母親だと信じていない。
そしてルヴィアさんとエルシール家はスナイク家に喧嘩を売っている。
事前にスナイク家傘下の企業を買収しているし、ギルドを介さずに私を買収している。
私がエルシール家に来たことで時間は稼げているだろうが、早めに謝っておかないとすごく怒られそうで怖い。
守護都市の偉い人たちはヤクザ気質なので、メンツを傷つけられたら気軽に小指とか首とか切り落とそうとするのですよ。
いや、利権とか絡んでるから真剣になるのは当然なんだけど、揉め事の真っただ中にいる身としてはもうちょっと緩くやって欲しいよね。
以上の二つの点から、ルヴィアさんはエルシール家を滅ぼそうとしていると私は予想した。
ダイアンさんも否定はしなかったので、おそらく間違いないだろう。
何故そんな事をするのかはよくわからないが、きっと私のためなのだろう。
エルシール家が私を取り込もうとするから、先手を打って潰しつつ後腐れ無いよう現金化した資産を送ってきた。
ついでに馬鹿親父が馬鹿なので馬鹿にした。そんなところだろうか。
私がエルシール家に来たことは予想外だったようだが、それでも予定通りエルシール家滅亡への道を進めているように見える。
そこまで考えて、ちょっと疑問に思う。
いくら息子のためとはいえ、そこまでするかなぁ。
いや、やっておかしくないくらいにはルヴィアさんの感情は私への愛情で占められているのだが――なんだか時折シエスタさんが私に向けてくる感情にも似ていて怖いのだが――だとしてもルヴィアさんの性格と能力からして、エルシール家を裏で操って陰ながら支援するとかしそうなんだけどなぁ。
長期的に見ればそっちの方が良いだろうし、私や周囲の反発も抑えられるだろうから。
何か見落としてるのかもしれないが、良く分からない。
私のためなのだとすれば私がエルシール家の人たちと仲良くすれば軌道修正してくるかもと思うのだが、エメラやオルパさんと親しげにしてもあんまり効果は無いようだった。
オルパさんとは下心満載な営業の人との対話みたいになるから正直疲れるし、ルヴィアさんにそれは見抜かれてそうなんだよね。
エメラも懐かれるのは嬉しいんだけど、ぐいぐい来られすぎて一通り事が済めばおさらばする私としてはちょっと引いてしまう部分がある。
うん。
ぶっちゃけ全然うまくいってない。
そもそもセイジェンドは無垢な少年だったからエルシール家に溶け込めたし、それを見ていたからルヴィアさんの実家への隔意も解けたのだ。
打算まみれで邪悪な見た目は少年、中身は中年な私に同じ事は出来ないし、私なりに仲良くするにしてもルヴィアさんとエルシール家の隔たりをなくすには時間が全然足りない。
正直ね、時間を稼いだとは言ってもスノウさんが動いてないはずもないんだよね。
あの人もあの人で何を考えてるかわからないけど、精霊様とか絡まずにただ名家と名家のメンツバトルなら本気で仕掛けてきそうなんだよね。
ぶっちゃけ私には容赦してくれるよねとか呑気に構えてると、甘えるなとばかりにむしろ私の被害が最大になりそうな形で酷い事してきそうなのよ。
というか、私がスノウさんの立場ならたぶんやるのよ。
どう返してくるかなとかワクワクしながらさ。
……困った。
どうしたらいいか全然わかんない。
…………というか、すごく困った。
すごく困ったことになった。
時間は本当になかった。
ラウドさんが来てるよ。
やる気満々で来てるよ。
◆◆◆◆◆◆
時間がない。
だからこそ彼女は人の道を踏み外した。
予定外のトラブルは多いが、しかし順調とも言える。
セージはルヴィアの目的がエルシール家の破滅だと考えている。
セージはルヴィアにエルシール家との確執があると考えているようで、仲を取り持とうと動いているのが見て取れた。
それは微笑ましい光景ではあったが、情に流されるわけにはいかなかった。
事のきっかけは確かに息子のためだった。
常識のない英雄の家ではなく、このエルシール家が息子の新たな家族になればと、そんな淡い期待から始まった。
そして実の息子であると告白してもセージを恐れ、そしてその名声を利用しようと考える家族には確かに愛想が尽きた。
だがそれだけで一族を路頭に迷わせようと思うほどルヴィアは狂っていない。
せいぜい当主の座を奪うか、あるいは裏からこの家を操ろうと思ったぐらいだ。
ルヴィアが狂ってしまったのは当主の権威を得ていく過程で、逃れられないこの国の未来を知ってしまったから。
神子である息子は、きっとその未来に立ち向かうために生まれてきた。
そう信じられるだけの実績を積んでいる。
そして逃れられない未来は、きっともうすぐそこまで迫っている。
過酷すぎる運命に身を投じ性急すぎるほどに生き急ぐ息子の姿から、そんな強い恐れを覚えていた。
セージは母を恨んでいると言った。
そしてそれは半分が本当で、ルヴィアを恨んでいないと言った。
つまるところ、ルヴィアはセージにとって産んだ女であっても母ではないのだ。
父もそれを匂わせるようなことを言っていた。
セージにとっての母とはきっと、過酷な試練を課した現世神。
そう思って、ルヴィアは心の中で呪文を唱える。
kill my heart.
それはルヴィアにとって魔法の言葉だ。
自分がどう思われているかなどどうでもいい。
何も感じはしない。
息子に母と思われないなど何の罰にもなりはしない。
例えどう思われていようと、ルヴィアの気持ちは揺るがない。
セージのためにならなんだってやる。
エルシール家の家族や使用人を生贄にだって捧げる。
その事に何を感じる事も無い。
幼い彼には何より時間が必要なのだ。
いつの日か彼は精霊様と敵対する。
彼の信者たちはその準備をしている。
ならばルヴィアに出来る事はその時を一日でも一秒でも先に伸ばす事だ。
大きな商家であるエルシール家はその手を国中に伸ばしている。
頭がつぶれれば国内には大きな混乱が起きるだろう。
そうなるように今日までの短い時間でできるだけの準備をした。
時間を作ることが、ルヴィアの目的の一つ。
もう一つはセージの予想通りに、セージへ悪評が立たぬように最大限の配慮をして財産を渡すこと。
そして最後にもう一つ、大きな目的があった。
守護都市には全てを知っていて暗躍している男がいる。
その男の目的はもしかしたらセージと同じものなのかもしれない。
だが決して彼はセージの味方ではないだろう。
そして彼の手の内も心の内も、巧妙に隠されている。
至宝の君と深い仲であり、共和国や帝国とも繋がりテロリストを陰ながら支援する、守護都市の戦士たちのまとめ役。
スナイク家当主、スノウ。
ルヴィアの挑発を受けた彼はどのような手を打って来るのか。
ギルドの戦士を乗り込ませてくるのが一番妥当なところだろう。暴力を背景にして交渉を迫るのだ。
強い武力を持つ守護都市の戦士、ひいては彼らをまとめる守護都市名家にはしっかりとした自制が求められる。
そのため実際に暴力を行使すればスナイク家にも制裁は下るだろうが、そうだとしても先に仕掛けたのがエルシール家である以上、ある程度の温情は認められる。
そしてスナイク家としては今後のことを考えればエルシール家から十分な妥協を引き出せなければ、一年前から下降気味だった家格にさらなる泥が塗られる。
故に厳しい制裁も覚悟のうえで、実際の武力行使も辞さずにエルシール家と交渉をするだろう。
そしてルヴィアはそうなるように動くつもりだ。
スナイク家がエルシール家に武威を示せば守護都市の戦士たちは大いに満足し、守護都市外の名家はその暴走を危険視して何かしらの罰則を与えるだろう。
ある程度はこれからのスノウの行動に制約を設けることが出来るはずだった。
あるいは皇剣ラウドを派遣してくることも考えられる。
皇剣の特権を盾に、エルシール家の粗を探す。
大量の資産を現金化した際にいくらか後ろ暗い事もやっている。そしてその証拠は完全に消すことが出来ていない。
ラウド本人だけで乗り込んできたのなら誤魔化しようもあるが、守護都市や政庁都市から官僚と共に乗り込んで来れば簡単に暴き立てられお咎めを受けるだろう。
エルシール家とスナイク家の立ち回り次第ではあるが、被害を最大に拡大させればお家取り潰しもあり得る。
そしてルヴィアはそうなるように動くつもりだ。
皇剣という精霊様の権威を利用して報復を果たせば法的な制裁こそ課せられないが、スナイク家は怯懦であるという風聞は残るし、それが広まるように細工している。
それはスナイク家の今後の活動に間違いなく影響を与えるだろう。
そして最後に、テロリストを派遣してくる可能性もわずかにある。
名家である以上エルシール家も彼らの標的となっているし、エルシール家に恨みを持つ商業都市市民もそれなりにいるため、商業都市で活動するテロリストの地力はそれなりに高い。
スノウの要請を受けて彼らが動く可能性はわずかにある。
スナイク家は一切手を汚さずに済むが、しかしタイミングからテロリストとスナイク家の繋がりを感じるものも出るだろう。あるいは精霊様も気が付くかもしれない。そうなればスナイク家こそが亡びかねない。
さらに皇剣級の力と特別な目を持つセージがエルシール家に常駐している現状、テロリストの戦力でエルシール家を潰せるとも考えづらい。
だからテロリストの派遣は他の二つに比べて圧倒的に可能性が低い。
「……」
ルヴィアはしかし、スノウはその手を打つと読んでいた。
だからこそ――
「ルヴィア様、皇剣ラウド様がお見えです。
直ぐにいらして下さい」
――その一報に、覚悟を決める。
スノウ・スナイクは直近の被害が最も少ない手を打った。彼が先のことを考えていないわけが無い。何かしらの考えがあって、あえてその手を選んだのだろう。
ともあれ不審な行動も多く考えの読めないスノウを放置するのは危険だ。
ルヴィアはエルシール家の総力を利用して、可能な限りスノウの手の内と考えを暴く。
セージには頭の良い参謀が仕えている。
後のことはきっと上手くやってくれると祈って。
******
兄の部屋で、兄のベッドで、兄の匂いに包まれながら、兄の刀を抱いて考える。
私はアニキが好きだ。
でもアニキはそうじゃないように思ってしまう。
それは私のわがままだ。
アニキは私を大事にしてくれている。
アニキは私の気持ちを分かってくれている。
いつだって私の事を想ってくれている。
全部分かっているんだ。
冷たくされても叱られても、アニキは私のために言ってくれているって。
でも私はわがままだから、それでも我慢が出来なかった。
アニキはなんだってできる。
そんなアニキはいつだって頼られている。
アニキはいつも困っている誰かを助けている。
私を放っておくのは、放っておけない誰かがいるからだ。
助けを求めている誰かがいるからだ。
私はそれを知っている。
でも私はわがままだから、それが嫌だった。
私はひどい人間だ。
いつでもアニキの側にいたい。
この抑えきれない衝動は、学校の友達が憧れているような恋愛感情とはきっと違う。
私はアニキの側にいることが当たり前なんだ。
アニキの側にいると落ち着いていられる。
嫌な気持ちを持たずに良い子でいられる。
私の側にはアニキがいなきゃダメなんだ。
でも、アニキはそうは思っていない。
大人になればわかるからと、子ども扱いして遠ざけようとする。
一緒にいなくても大丈夫になれって言う。
残酷なことを言う。
それが私のためだと分かっていても、私は黒い気持ちが沸き上がるのが抑えられなかった。
アニキを振り回す誰かがいなくなってしまえばいいと思ってしまう。
アニキの側に自分以外の人間はいらないと思ってしまう。
アニキはそんな事を望んでいないのに、そう思ってしまう。
そんな黒い気持ちは全部消し去って、きれいな気持ちだけでアニキの側にいたいのに。
ああいや違う、アニキの側にいる時だけは黒い気持ちが忘れられる。満たされる。
私のためのモノがアニキの中にある。
だから、私はアニキの側にいなきゃダメなんだ。
そこまで考えたところで、部屋の扉が開いた。
扉を開けたのは別の兄だった。
同じようにアニキの背中を目指して私の前を走っている、目障りな兄だ。
そんな兄が面倒臭そうな目で私を見て、言う。
「いつまで不貞腐れてんだよ、行こうぜ」
どこにとは言わない。
何をしにとも言わない。
それでも会いに行こうと言っているのが分かる。
こんなことを言ってくるから、この兄は目障りなのだ。
「言われなくてもそのつもりだったもん」
私は刀を抱えて兄の隣に立ち、そう言った。
「ああ、そうかよ」
小馬鹿にしたようにそう言い前を歩く兄を、私は蹴っ飛ばした。
ありがとうと、心の内で頭を下げて。
******
暗い洞窟の奥で全裸に剥かれた男が横たわっている。
無事なところを探すのが難しいほどに体中に傷を負い、内臓に裂傷を負い汚されていた。
倒れた男の側には、剣を手にした屈強な戦士が立っている。
執拗に男を痛めつけ憂さを晴らしたその戦士は恍惚とした笑みで男を見下ろしている。
「良いざまだな、スノウ。俺の怖さが分かったかよ」
倒れている男、スノウ・スナイクは答えない。
息も絶え絶えな彼は反応することも出来なかった。
戦士はそれを鼻で笑うと、剣を手に取った。
「さあ、お楽しみの時間だ」
剣は躊躇なく振り下ろされ、スノウの体は切り裂かれる。
スノウは命を振り絞るように絶叫と鮮血を吐き出し、戦士は高笑いを響かせる。
「お前にも教えてやる」
戦士は目の前のスノウではなく、別の誰かを脳裏に思い描き歪んだ笑みを浮かべる。
「俺の、このライム・スーザーの恐ろしさを教えてやるぞ、セイジェンド」
 




