360話 謁見
作中蛇足
マギーは少女漫画体質な鈍感系少女です。
兄アベルが土日は大学に泊るからと言った時、マギーはピンときた。
これは浮気だと。
未来の義姉シエスタからも先日それに気を付けるようにと、本人限定速達郵便物でマギーの元に届いていた。
マギーから見ても出来る女の見本のような彼女がわざわざ注意を促してきたのだから、その兆候があるという事だろう。
ならばと嫌味な完璧兄の弱みを握るため、マギーはこっそりと後をつけることにした。
アベルは土曜日の早朝、まだ日も昇らないような時間に起きだし、マギーが起きてこないようにこそこそと家を出て行った。
ばっちり起きて様子を窺っていたマギーは浮気現場を押さえてやろうと完璧で完全な尾行を実行する。
途中で見失ってしまったが機転を利かして自分たちを護衛している戦士たちを大声で呼び――マギーは何度かナンパやチンピラと揉めたさいに助けて貰っているので、護衛がいる事を知っていた――アベルの居場所を聞き出してパーフェクトミッションを続け、バス停まで辿り着いた。
学園都市で試験運用されていた自動車(動力は魔力)は最近では政庁都市にも配備されるようになってきており、都市間移動の大型馬車は大型バスへと代替わりを始めていた。
そんな大型バスの停留所にアベルは並び、それをマギーは物陰から見張っていた。
そうしていたらアベルが唐突にベンチから立ち上がり、茂みの中で完璧で完全な潜伏をしているマギーに近づいてきた。
「植木が痛むよ、出てきなさい」
「……はい」
マギーは渋々と茂みから出てきた。マギーの読んだ探偵小説では茂みと段ボールがあればどんなところでも隠れられたのに、上手くいかないなと思った。
「付いてくるつもりなの?」
「そりゃあまあ、ね。確かめないと」
浮気調査なのだ。相手の素性を特定しなければ片手落ちだろう。
「……まったく、鈍そうに見えてマギーもしっかりしてるよね」
「ふん、私に隠し事しようなんて甘いのよ」
「ごめんごめん、じゃあマギーもいっしょに行こうか」
アベルはそう言ってベンチに座り、隣に座りなと手で促した。
「バスで行くの?」
「うん? うん。急行なら今日の夜には着くだろうからね。
単純に走っていくのよりも早いんだよ」
マギーは頭を捻った。
急行というのは都市間大型バスの中でも政庁都市と外縁都市を直接結ぶものだ。
馬車ではどうしても途中の町や村で休息を挟む必要があり、乗り継ぎを利用しても二日程度はかかっていた。
馬車よりも早く、そして燃料となる魔石の補給と乗員のトイレ休憩こそ挟むもののほぼ走り続けられるバスの登場は政庁都市でも大きな話題となった。
だからマギーも急行が何を指すのかを理解できたが、しかし何故アベルが急にそんな事を言い出すのか分からなかった。
「……? ああ、マギーだけじゃなく、僕だけでも荷物を持って一日走り通すなんて出来ないしね。セージや父さんなら別なんだろうけどさ。
高かったけど、無駄遣いってわけじゃないよ」
マギーの胡乱な視線を受けて、アベルは言い訳するようにそう言った。
それを受けてマギーはおずおずと質問をする。
「……もしかしてアベル、商業都市に行くの?」
「……え? なんだと思ってたの?」
「……えっと、何でもない。忘れて」
それで会話は途切れ、二人は無言でベンチに座っていた。
「……アベル、行かないって言ってなかった?」
「勉強の方に支障を出さなければセージも心配しないからね。それに行かないって言っておかないと、父さんにプレッシャーがかからないでしょ」
「……ふぅん」
それで会話は途切れ、二人は無言でベンチに座っていた。
「……アベルは心配なんだ」
「まあそれなりに。セージは上手くやるだろうけど、あいつは自分のことを省みない癖があるから、頑張りすぎないかと思ってさ」
「……まあ、そうよね」
それで会話は途切れ、二人は無言でベンチに座っていた。
「……ところでマギー、さっきは――」
「私だって心配してたからねっ!」
「――あ、うん、ごめん」
それで会話は途切れ、二人は無言でベンチに座っていた。
マギーは上手く誤魔化せたとほっとして、アベルは色々と察したので商業都市に着いたらまずはシエスタに会いに行こうと考えた。
マギーが気まずい思いをしていると、早朝の薄闇をヘッドライトでかき分けながら大きなバスが停留所に姿を現した。
首都と主要都市を結ぶ大型バスという事で、早朝と言えども待っている客はそれなりに多かった。
時間に余裕を持ってきていたアベルたちはベンチに座って待つことが出来たが、立って待っている乗客も多く、彼らはバスの昇降口に並んでいる。
ベンチに座っていた分出遅れたアベルたちだが、急ぐ事も無いと列の最後尾に並んだ。乗客はそれなりに多いが、バスの定員を超えるほどではなく、二人並んで座ることは出来そうだった。
特にトラブルが起きる事も無く列は順調に消化され、アベルとマギーが大型バスに乗り込もうとしたところで二人は後ろから強く引っ張られた。
アベルとマギー、そしてバスの乗務員が驚く中、それを行った男は乗務員に声をかける。
「この二人は乗らない。行ってくれ」
男は騎士の制服――警邏騎士の制服ではなく、軍事に疎くとも身分が高いとわかるものだった――に身を包んでおり、そして歴戦の戦士の空気を纏っていた。
乗務員は面倒ごとの空気を察知して、すぐにバスを発車させた。
いきなりの事に呆気に取られたマギーは走り去るバスに手を伸ばし、その蛮行――マギーは初めてのバス乗車に心待ちにしていたのだ――を咎めようと振り返り、男を怒鳴った。
「ちょっと、あんた誰よ」
怒鳴られた男は悪びれるもなく笑って、すまんすまんとぞんざいに謝った。
そんな態度と顔を見て、マギーは呆気にとられる。その人物は彼女もよく知っている男だったのだ。
クライス・ベンパー。
政庁都市勤めの教導騎士であり、セージが慕うギルドの師であった。
「どういうことか説明して頂けますか」
同じくクライスを知るアベルが、落ち着いた声でそう尋ねた。
「断れない筋からの命令でな。
お前ら、商業都市に行くつもりだったんだろ。悪いがこっちを優先してくれ」
「ちょっと、そんな勝手な」
「マギー落ち着いて。
それはいざとなれば力づくで、ってことですか」
アベルの剣呑さすら含む真剣な問いかけに、マギーが狼狽の声を上げた。
「アベル、そんなに怒らなくてもいいでしょ。バスならお昼にも出るからそれに乗りましょうよ」
「いや、それにもたぶん乗れねえだろうな。少なくともそう思った方が良い」
「……詳しい説明はしてもらえないんですね」
真っ直ぐな眼差しのアベルに、クライスは降参とばかりに肩をすくめて見せた。
「説明も何も、俺も何も知らないようなものだからな。
俺が何も教えられてねえのも、お前らに予想も聞かせないのも、たぶんその方が良いんだろうよ。
だが最初の問いには答えとくぜ。付いて来てくれねえんなら無理やりにでも引っ張っていく。
気は乗らねえけどな」
「何なのそれ、言っておくけどそんな脅し全然怖くないんだからね」
「……いえ、だいたいわかりました。付いて行きます」
マギーは目を見開いてアベルを見た。
「マギー、これはきっと名前を出せない御方のご要望だ。きっと悪い事にはならないからお受けしよう」
兄から真面目な顔でそう言われ、マギーはつまりどういうことなのと聞きたかったが、馬鹿だと思われたくないので神妙な顔で黙って頷いた。
******
「俺はここまでだ」
二人を案内したクライスは、そう言って立ち止まった。
背の低い垣根で囲われ美しい装飾で彩られた門扉で隔てられたその先は、精霊様が住まうと言われる特別区域。
誰に呼ばれているかを理解したマギーは冷や汗を大量に流し、横目で兄の様子を窺う。アベルの面持ちにも緊張が浮かんでいた。
「では、ここからは私が」
クライスから案内役を代わったのは開かれた門扉の向こうの幼い少女だった。
幼いと言ってもマギーよりは年下という程度で、セージやセルビアほどではない。
皇宮で側仕えを許されているだけあって少女はとても美しく、その姿を見たマギーとアベルは思わず息を飲んだ。
少女がそれほど美しかったから、だけでない。
姫カットで整えられた少女の髪は艶のある漆黒で、その瞳も夜の闇よりなお暗い混じりけの無い黒色。
美しい少女はそんな特徴だけでなく、顔の細部までもがセージによく似ていた。
強いて違いを言うなら、少女は中性的なセージよりも女性的で体のラインにかすかな凹凸があるという点だろう。
もしも彼女がセージの実姉であると言われれば素直に信じるぐらいには、その容姿はよく似ていた。
「俺はここで待っている。構いませんか」
二人の驚きが分かるクライスは前半を二人に、そして後半は少女に向けて伺いを立てた。
「どうぞよしなに」
少女はどうでも良さそうにそう言い、正気に返った二人に向けて告げる。
「至宝の君がお待ちです、こちらへ」
そう言って少女は皇宮庭園へと歩みを進め、緊張した足取りで二人がその後を歩む。
三人を見送ったクライスは腰を下ろし、特別区域を定める垣根に背中を預けて大きく息を吐いた。
「さすがに緊張されたご様子ですね」
クライスに声をかけるのは特別区域の警備を任されている近衛騎士だ。
「当然だろ。なんで俺みたいなごろつき上がりに勅命が出るんだよ。粗相があったらと思うと生きた心地がしねえよ。
ああいや大変光栄でした身に余りました精霊様万歳至宝の君万歳口の悪さは卑しい身分だとお許しくださいこんちくしょう」
「ははは。ところで天使のご家族は何を驚かれていたのですか」
「ああ、そりゃあお前――」
クライスはその理由を口にしようとして、肝心の言葉を失う。
何かをど忘れした気がしたが、何を忘れたのかは思い出せない。
しかしすぐにどうでもいい事だと切り替えて、近衛騎士に答えを返した。
「――あんな美女を目にすれば誰だって驚くだろ」
どんな美女だったか脳裏に思い浮かべる事も出来ずにクライスはそう言い、近衛騎士は確かにと笑った。
クライスはその事に違和感を覚える事も無く、そのままアベルたちの帰りを待った。
だが太陽が頂点まで登り、そして再び地に落ちてもアベルたちが特別区域から出てくることは無かった。
******
丁寧に整えられた庭園を黒髪の少女が歩み、マギーたちはその後ろに付いて行く。
何故呼ばれたのか、どこまで進むのか、何もわからない不安と緊張からマギーは我慢できずに声をかけた。
「ちょっと、ねえ」
「マギー」
アベルが慌てて止めるが間に合うはずもなく、呼びかけられた黒髪の少女は振り返ってマギーを見る。
少女の美しい目に捕らえられて、マギーの緊張は一気に加速した。
「何でしょう?」
「えっと、その……あなた、お名前は?」
問われた少女は呆気にとられ、アベルは止めていいかどうかもわからずに事の成り行きを見守る。
自分が馬鹿なことを聞いた気がして、マギーは慌てて言葉を重ねる。
「その、だって、初めましてでしょ。お名前を教えてくれても良いじゃない。
私はマギー。マーガレット・ブレイドホームでマギー。
あなたは?」
「……そう、ですね。
確かに名を告げられ、返さないのは無礼でしょうね。
良いでしょう。
私のことはクロと呼びなさい」
クロと名乗った少女は得意げに胸を張ってそう言った。
「クロ?」
「ええ。全ての色が交わる混沌の色。
全てを内包する始まりと終わりの色。
私を示すには良い名でしょう」
ふふふと得意げにほほ笑むクロを見て、マギーは彼女のことが理解できた。
高校でもクロのような少女はいた。
高校だけでもなく実家でも預かっている子がそういう遊びをする。
クロはきっと自分で考えた設定でごっこ遊びをしているのだ。
セージは特に周りが付いて行けない唐突なごっこ遊びを始める15歳になっている人を、こう呼んでいた。
厨二病と。
厨二病の子はごっこ遊びを邪魔されたり馬鹿にするとすごく怒るので注意しよう。
マギーはそう思った。
「クロちゃんはすごいんだね」
マギーはそう言うと、クロは気を良くして鷹揚に頷いた。
「それほどでもありません。
しかし、そうですね。
少し時間があります。質問に答えなさい。
民が行政を主導する民主主義について、あなたたちはどう思いますか」
クロは歩みを再開しながらそんな事を言った。
唐突な質問にアベルとマギーは顔を見合わせ、大学行ってるんだからとマギーに小突かれたアベルが答える。
「一つの理想的な政治体系だとは思います」
民主主義はかつて精霊様がこの国に導入しようとした制度だ。政治学と歴史学でそれを学んでいたアベルは当たり障りが無いよう、まずそう答えた。
その上で相手を不快にさせぬよう丁寧な言葉づかいで否定をする。
「多くの意見や思想が行政に反映されれば、それだけ多様性を認められる優しい国になれると思います。
ですが現状、この国もこの国の民もそれほどに成熟をしていません。
平和で安全な国であれば過ちを犯しながら成長することもできるのでしょうが、この国は常に魔物という脅威にさらされています。
たった一度の過ちが国を滅ぼしかねない以上、大衆に大きな権力を持たせるべきではないと考えます」
「なるほど、どこかで聞いたような答えですね」
クロはアベルの答えに興味を失ってそう言うと、後ろを歩くマギーに視線を送る。
「あなたはどうですか?」
「え? 私、私は、ええと……」
マギーも高校で政治や歴史について学んでいる。
学んでいるが成績はあまりよろしくなく、民主主義についてはそもそも履修範囲外だ。
なので何を聞かれているのかもわからないが、完璧超人のアベルの物言いにはカチンとくる部分もあったので、それを答える事にした。
「大衆が馬鹿に違いないとか、勝手に決めるなって思いました。
そりゃあ精霊様に比べれば馬鹿だから今より良くなるとは言えないですけど、それでもみんなが力を合わせれば何とかなるんじゃないんでしょうか」
マギーの答えに、クロは静かに品よく笑い声をあげた。
「そうですね。権威あるものこそ民の可能性を信じるべきなのでしょうね」
そんな会話をしているうちに庭園を抜け、皇居にたどり着く。
「中へ」
クロが促し、アベルとマギーが中へと入る。
庭園では作業をしている人も見かけたが、皇居の中に人影は見当たらなかった。
「そのまままっすぐ進みなさい。至宝の君はそこにいらっしゃいます」
「クロちゃんは?」
「私には別の仕事があるの。さようならマギー」
別れを告げるクロに、マギーは小さく手を振って応える。
「うん、またね」
クロはかすかに笑ってマギーたちと別れた。
「……寂しそうな笑顔だったね」
「……うん」
アベルが言い、マギーが答える。
二人はクロの笑顔に同じ印象を持っていた。
そして次の瞬間にはクロという少女に案内されたことも忘れ、言われたとおりに前へと進んだ。
大きな扉を開くと、二人はその人物を目にする。
彼女の目の前に立ちセージの勲章を預かったアベルはもとより、それを映像で見たマギーもまたその美しい女性を見紛う事は無い。
政庁都市の皇剣、至宝の君サニア・A・スナイクがそこにいた。
箒と塵取りを持って、彼女は掃除をしていた。
「あーちゃん、帰ってきたの?
……あれ?」
呆気にとられるマギーとアベルの前をクロがダッシュで横切り、サニアの手から箒と塵取りを奪ってその背中を押した。
「お客さんが来るから座っていてと言ったでしょう」
「だってあーちゃん、いつまでも来ないから手持無沙汰だったから」
「あーちゃんと呼ぶな」
クロはサニアを部屋の中の一際大きな椅子に座らせて、ダッシュで部屋から出ていった。
作中蛇足
マギーは変な人におもしろい女認定を貰いがちです。




