33話 あくまで申告漏れです
流石は全ての精霊都市の特性を持つ連合国家の首都。
街並みは先進的で背の高い建物も多く、多種多様な業種の企業がそこに詰まっているようだった。
お家に帰る前、私と兄さんと次兄さんの三人は多くの出店が埋め尽くしていた大通りから離れて、商業区にあったでっかい百貨店で買い物をした。
おしゃれに彩られた店内は前世のデパートにこそ劣るものの、今生では文句をつけるところが見つからないほどに立派なものだった。
まあ立派な建物すぎて、警備員さんに入店を拒否られそうになったけど。理由は万引き狙いの少年犯罪者と間違えられたから。
次兄さんには見られないようにギルドカードと預金残高見せて、ついでに持ってる魔力量も示したら不良少年じゃないと分かってもらえたけど、そしたら警備員の人たちは青い顔して本気で謝ってきた。
物騒な守護都市のギルドメンバーってことで、機嫌を損ねてはいけない危険人物に認定されてしまったようだ。
四年に一度のこの時期はお祭りなので、政庁都市には守護都市以外の六つの外縁都市や、あるいは多くの町や村から観光に出稼ぎにと数えきれない人がやって来る。
そうでなくても来訪者の多い大都会なのにだ。
そしたら良くない人もやって来るという事で、警備員さんたちは特別警戒キャンペーン中だったらしい。
それで守護都市育ちっぽい子供――どこがという訳では無く、何となくわかるらしい――が来たし、保護者もいないようなので犯罪グループではないかと思ったらしい。
うん。
まあ守護都市にはストリートチルドレンもいる。
そういった子供たちが集まったヤンキーグループもある。
そして私たちは孤児だけど、一緒にしないでほしい。
警備員さんと少しばかり礼儀についてOHANASHIしていたら、偉い人が出てきたので、誠意という言葉について語り合った。
そしたら人を見ていきなり犯罪者扱いするは、確かに失礼なことだと理解していただけまして、百貨店で使える割引クーポン券をもらえました。
貰ったクーポン券が服飾関係中心だったんだけど、疑われたくなければもっといい服着て来いって意味じゃないよね。
……ともかく、そうして百貨店で珍しい調味料や新鮮な食材を買い揃え、折角なので私たち三人分に姉さんや妹の服も何点か買って、ついでに玩具やら本やらキッチン用品やらも買って帰った。
守護都市だと小奇麗な服は受けが悪いし、女の子にいたっては可愛い格好をしてると身の危険が増すので、あんまりおしゃれに力を入れるのも考え物だったり。
でも聞けば三か月ぐらい政庁都市には滞在するらしいので、ちょっとぐらいはいいだろう。
今度は妹と姉さんが遊びに来るんだし。
そんなこんなで初めての政庁都市訪問は有意義に終わり、お家に帰って来ました。
ちなみに政庁都市との行き来には通行税はかかりません。
これは他の都市との接続と違って守護都市の滞在期間が長期におよび、また他の都市接続の時とは違って守護都市に入ってくる人も多いかららしい。
それ以外にも理由はあるようだがよく知らぬ。
******
お家に帰ると、魔力感知が知らない人を捉える。
私の知り合い以外が来客するのは珍しい。
なんだろうなと思いながら、三人で門をくぐっった。
「ただいまー」「ただいま」「うーっす」
時刻は三時過ぎで、まだ迎えの来てない子もいたので、挨拶ついでに買ってきたお菓子をおすそ分けしていった。
次兄さんは買ってきた荷物とお菓子を持って、残ってる子や妹のところに突撃していった。
次兄さんが持って行った荷物の中身はサッカーのゴール。
組み立て式の簡易なもので、フットサルのゴールと同じくらいの大きさだ。
まあそれでも十分大きいので、持って帰るのに台車を買う羽目になった。
政庁都市に住んでいれば配送サービス(別料金)があったのだが、守護都市住まいなので受けれなかった。
まあこれでようやく庭でやるサッカーもどきが、ちゃんとしたフットサルに近づいた。
そのゴールの組み立てを兄さんが手伝い、残っている子供たちもそれに群がって盛り上がっている。
私はその輪には加わらず、買ってきた大半の荷物である食材や調味料、キッチン用品を庭に置いた台車から何度も往復して台所に持って行った。
誰も手伝ってくれなかったけど、別に不満なんてこれっぽっちもありませんよ?
荷物の片づけがひと段落したので、お茶を入れてお茶菓子と一緒に応接室に持っていきました。
そこにいるのは親父と知らない人だ。
姉さんはお迎えの親御さんたちの相手をしているので、接客スキルが特殊な構成になっている馬鹿親父のフォローでもしようかなと思ったのだ。
珍しい来客者は二十代半ばぐらいの女性で、きちっとした仕立てのいいスーツを着ていた。
服装や背筋の伸びた姿勢から受けるイメージは、仕事のできる美人さん。
ただ顔色が悪くおどおどと親父の顔色を窺っている表情なので、ちょっとマイナス補正が入っている。
「こんにちは。すいません、お茶の一つも出さずに」
応接室では親父とスーツの女性が向かい合って座っていたが、予想通りお茶の一つも出していなかったので、そう言った。
「ありがとうございます。はは。お子さんですか? しっかりしてますね」
スーツの女性は愛想笑いを浮かべてそう言ったが、声音にははっきりと疲れた様子がみえた。
そのまま私が親父の隣に腰を下ろすと、困ったような笑顔に変わった。
「父は口下手なので、お役に立てるかと思いますよ」
にっこり笑ってそう言うと、スーツの女性は諦めたようにかすれた笑い声を漏らした。笑顔のバリエーションが豊富な人だ。
親父は迷惑そうに私を見ている。
でしゃばってくるのが気に入らないというよりも、私には聞かれたくないといった様子で、ついでに言うとスーツの女性に対して早く帰れ的な険悪な威圧感を発している。
まああくまで常識的に不機嫌な雰囲気といった程度で、本気で威圧しているわけではないけど。
なにか理由はあるのだろうが、なるべく平和的な話し合いにしたいものだ。
「それで、なにがあったんですか?」
「え、ええ。その、言いにくいのですが、ベルーガー様には未払いの税金をお支払いいただきたく存じておりまして……」
たどたどしく、スーツの女性はそう言った。
……なるほど。
帰ってくれてもいいかな。
******
ちょっと現実から逃げたくなったが、状況を確認するのが優先という事で、スーツの女性――シエスタさんという名前でした――から詳しく話を聞いた。
親父はかつてギルドメンバーだった。
私もそうなのだが、ギルドメンバーは文化的な私と違って粗暴な人間が多く、税金? なにそれおいしいのと、踏み倒そうとする輩も多く、ギルドの報酬から自動で天引きされるシステムを採用している。
ちなみにこの精霊都市連合国家の所得税には扶養者控除などのシステムもあって、役所にちゃんと書類申請すれば還付金がもらえたりもするらしい。
私の場合は書類の上で家族を養っていることにすると、親父が児童を強制的に就労させているという疑いで検挙されるのでやらないが。
ギルドで働いているのは、あくまで私が小遣い欲しさに自発的にやっていることです。
話がずれたが、ギルドからの天引きされる税金の中には、所得税だけでなく住民税も含まれている。
今回シエスタさんが言っているのは引退して支払われることが無くなった親父の住民税八年分と、この家の固定資産税が八年分、また子供を預かることで得た収益税がやはり八年分だった。
ちなみに未成年(十五歳未満)なので兄さんたちの住民税は払わなくてよい。
私はギルドに登録しているので支払っているが、それでもこの家は親父の物なので固定資産税などは払っていない。
しかしなんで税金滞納が八年も放置されていたかといえば、親父が怖かったからだ。
守護都市にも役所はある。
ギルドは銀行業務も兼ねているので税金支払いも出来るが、ギルドとは関係のない一般の人は役所の方に直接、税金を支払っている。
兄さんやかつての私のようなアルバイターは、雇い主である商会のほうに任せっきりで、特に私は日当制だったのでミルク代表が専属の税理士さんと適当にうまいことやってくれていた。
その守護都市の役所の人は、完全に親父を放置していた。
英雄様な親父は、守護都市の役所というか、行政のお偉いさんと深い関係にある四大名家と数多くのトラブルを起こし、そのことごとくを腕力言語で解決していた。
一応、親父にも言い分はあってトラブルの多くは死傷者こそ出しているものの、正当防衛という事で親父は罪に問われていない。
死人まで出ているのにおかしな話だが、クライスさん曰く、圧倒的な才能と実力と実績で当時から多くのギルドメンバーの支持を得ていたことも、罪に問われなかった理由だ、とのこと。
そんな親父は役所の人からすれば、常識の通じない理不尽の塊に映る事だろう。
やり手の官僚のような風貌のシエスタさんが怯えていることからも、それは察せられた。
シエスタさんがやって来た理由は、竜殺しの英雄となった親父の税金不払いを見過ごして、英雄様みたいに権力に逆らう俺たちカッコイー的なのが流行ったら困る、という事らしい。
ギルドメンバーたちが退職した後、警備や護衛の仕事をしながら持っている武力にモノを言わせて税金を支払わなくなることを危惧しているのだと、遠まわしに語られた話の節々から感じられた。
親父が引退したばかりの八年前は、税金未納は普通に見過ごされていた。
その後、守護都市の役所がそのまま見て見ぬふりを続けて四年前、政庁都市の接続の際に監査の人に見つかって、問い詰められて、ジオレインの家を訪問したが追い返された。まともに話もできなかった。危うく殺されるところだったと、担当官が嘘報告をした。
そして今後は皇剣の協力を得ることで話し合いに持ち込み、根気よく説得を続けたいとの回答で、問題は先送りにされた。
そして今年、当然のこととして税金は未払いで、ついでに四年前の嘘報告がバレ、さらにそもそも役所の人間はただの一度としてブレイドホーム家を訪れていないことも発覚して、これはもう守護都市の役人には任せておけないという事で、貧乏くじを引いたシエスタさんがやってきたとのこと。
……さて、どうしよう。
正直に言ってしまえば、八年間溜めこんだ税金は私とブレイドホーム家の貯金を全額出しても足りないんだけど……。
◆◆◆◆◆◆
ひどい貧乏くじを引いた。
シエスタはそう思った。
学園都市近くの小さな村で生まれ育ち、奨学金をもらって学園都市の名門私立の高校に進学、その後は学校の期待に応えて優秀な成績を重ねて国立の難関大学に進学。
その後も勉学に励み上級国家試験に合格し、尊敬する教授の推薦を受けて精霊都市連合の中枢に位置する行政官庁の末席に座ることができた。
何の後ろ盾もない平民の長女としては文句のつけようない大出世であり、大きな失敗や忘れられない後悔も経験したけど、総じて言えば輝かしいエリート街道を歩いてきた。
だがここにきて、後ろ盾が無いことが大きな落とし穴となった。
ジオレイン・ベルーガー。
戦う力に乏しい都市とハンターを背に、最強の代名詞たる皇剣をも殺戮しやって来た恐怖と厄災の象徴――竜を滅ぼし、英雄と呼ばれるようになった男だが、その性根は善性とは程遠いものだった。
身元の知れぬ乱暴な子供時代は悪童と。
力をつけてギルドで力を発揮するようになってからは鬼子と。
そして全盛期には多くの権力者に見初められながらも、決して靡かぬ姿勢から守護都市の魔人と呼ばれた。
最近の噂は聞かないが、魔人と呼ばれていたころの武勇伝――あるいは検挙されることの無かった犯罪歴――は調べれば簡単にわかった。
曰く、勧誘に来た名家の使いを気に入らないと殴り飛ばした。
曰く、報復に来た多くの戦士をたった一人で返り討ちにした。
曰く、1年で100人の女に手を出した。
曰く、恋人に手を出され激怒した名家の嫡男とその親衛隊を叩きつぶした。
曰く、酒場を貸し切って知己と日が昇るまで酒盛りをして市中を騒がした。
曰く、素行の悪さを注意した歴戦の騎士団が一人残らず叩きのめされた。
多くは噂であり真実ではないのだろうが、決して的外れでもないのだろう。
少なくとも女好きで粗暴な人間という事は間違いないと、シエスタは判断した。
税金を払ってくださいと、ごく当たり前のことを言うだけだが、それに対してどんな反応が返ってくるのか想像すると、ただただ恐ろしい。
シエスタは後ろ盾のない庶民の女で、見てくれもそう悪くは無い。むしろ美人に分類される。
勉学を優先したために学生時代の恋人とは長続きしなかったが、それでも女性としての魅力を磨くことをおろそかにはしてこなかった。
権謀術数が渦巻き伏魔殿ともいえる行政官庁では、美しい女性であることは大きな武器だったからだ。
説得して来いと言った上司の言葉の裏を読めば、機嫌を損ねて犯されてもシエスタなら切り捨てやすいと判断したのだろう。
あるいは色香を使ってでも説得して来いと言う意味か。
ベルーガー宅の前まで来たとき、シエスタは恐怖を覚えていても、しかし前向きな気持ちも忘れてはいなかった。
確かに暴力の世界で生きる守護都市の住人は恐ろしい。その象徴のようなジオはもっと恐ろしい。
だがその恐怖に負けて守護都市で長年放置されていた案件を片付ければ、シエスタの評価ははっきりと上がるし、今後の出世に大きなプラスとなるだろう。
それにレイプされるのは恐ろしいが、しかし運よくジオに見初められれば莫大な富が手に入るチャンスになる。
なにしろごく一部の偉大な故人を除けば、皇剣にのみ許された称号である〈特級〉を与えられた英雄なのだ。
退職金だけでも相当に高額だろうし、さらに竜殺しの褒章に加え、彼がとってきたとされる数多くの勲章の恩給を考えれば、左団扇な生活をしているに違いない。
愛人になればその全てとはいかずともいくらかは自由にできるだろうし、例え一晩限りの情婦になろうとも十分な情けをくれるはずだ。
だがそんな諦観に混じった淡い期待は同行人によって砕かれた。
同行人は2名の騎士だった。
守護都市の騎士では無く、政庁都市の騎士だ。
同じ官庁で働いてはいるが、所属が違うため面識は無かった。
その二人との初対面の印象は悪かった。
値踏みするように全身を見られ、仕事が終わった後、付き合ってやってもいいぞといかれた口説き文句を囁かれたからだ。
口にしたのは金を持ってそうな方の騎士だったが、それ以外には何の魅力も感じなかったので遠まわしに辞退すると、気後れしているのだなと、勝手な解釈をされた。
こういう馬鹿な男は痛い目に遭えばいいのになと、その時は思った。
そして実際に、そうなった。
2名の騎士はシエスタの護衛だった。
治安の悪い守護都市での仕事で、危険人物であるジオレイン・ベルーガーとの交渉という事でつけられた。
2名には上下関係があり、シエスタを口説いてきた男の方が偉いようだった。
彼らは護衛であり、ジオとの交渉はあくまでシエスタの仕事だった。
だがジオレインと相対した時、偉そうな男は開口一番こう言った。
「随分と落ちぶれたのだな、老害め。私は政庁を守る最も尊き騎士にしてヴェルクベ――ふげっ!」
訂正、開口したものの、最後まで言えず怪しげな悲鳴を上げた。
シエスタの目には何が起きたのかはわからなかった。ベルーガー宅に訪れ、出てきた少年に伺いを立ててジオを呼んだ。
偉そうな騎士――口にしかけたのはおそらくは政庁都市の名家であるヴェルクベシエスの家名――が老害と呼んだが、シエスタの目には随分と若く映った。
たしか今年で四十のはずだが、シエスタと同年代かと思うほど若く見えた。
魔力量が多いと老化が遅いという都市伝説を聞いたことがあるが、それはもしかしたら真実なのかもしれないと思った。帰ったらジムで魔力を鍛えようとも。
そのジオはシエスタの目にはその整った彫りの深い顔を険しくさせて、騎士たちを睨んでいるようにしか映らなかった。
だが睨まれている騎士たちは威圧的な態度から一転、怯えるように先刻の悲鳴を上げ、視線を彷徨わせ、全身を震わせていた。
シエスタは他人事のようにみっともないと見下げ果てていたが、事実この状況下において彼女は蚊帳の外だった。
ジオは毛嫌いしている騎士が来て、さらに不快な事を言おうとしている気配を感じ取って、自身の魔力を指向性を持たせて解放し、騎士たちを威圧していた。
ジオとしては軽い牽制のつもりだ。
ジオの威圧は、本気で害意をのせれば一般人はショック死しかねないほどの威力を持っている。
そして一般人でなくとも未熟であれば死にかねない威力がある。
だからシエスタが気付きもしないほどの精密さで指向性を持たせていた。
一般人なら精神に多大な負荷をかけるが、騎士が相手なら実力の差を理解し、委縮する程度に威圧は抑えられている。
相手が真面目に心身を鍛えている騎士ならば。
「な、なんだその目は。貴様、僕を誰だと思っている。ヴぇる、ヴェルクベイエシュ家のっ、僕は、ヴェルクベシエス家の人間だぞ。そんな態度が許されると思っているのか」
ジオは不快気に眉を上げた。わずかなその動作が男への回答の全てだった。
「貴様っ!!!」
騎士が剣を抜いた。
「何をしてるんですか!」
「うるさいっ! お前みたいな田舎くさい女が口を挟むな!」
慌ててシエスタが口を挟んだが、返されたのはひどい罵声だった。
頭の悪いお坊ちゃんに言われたくないと、とっさに言い返しそうになったのを、鋼の意思で封じ込める。
そうこうしている間に、騎士はジオに斬りかかった。
騎士の剣が、ジオのこめかみを打つ。
シエスタは悲鳴を飲んだ。
生粋の文官である彼女にとって荒事の経験は、せいぜいが小さいころに男の子と喧嘩をしたことくらいだ。
騎士の剣は、確かにジオのこめかみを打った。
だが痛みに苦しむのはジオでは無く騎士の方だった。
「これで、正当防衛だな」
騎士は硬い鋼を打った時よりもひどい反動で痛めた手首を押さえ、うずくまる。
ジオはそんな彼を見下ろしてそう言った。
騎士は小さく呻いたあと、僕を守れと相方の騎士に言った。
相方の騎士は迷わずその場から逃げ出した。
事態の推移について行けず呆気にとられるシエスタだが、粗相を起こした騎士も覚えていろっ、パパに言いつけてやるっと、子供のようなことを言って走り去っていった。
「君は帰らないのか」
そう言われて、シエスタはハッとした。
わずかな間だったが、あまりの出来事に気を失っていたらしい。
愛想笑いを浮かべつつ、高速で頭を働かせる。
今すぐ逃げ出したいとは思う。だがこの状況はいったい何だ。
なぜあの騎士はあんな真似をしたのか。
シエスタには及びもつかない英雄の技で挑発されたのか。
平静を失うような魔法をかけられたのか。
わからない。
わからないが、この状況はまずい。
騎士が剣を抜き、無防備な相手に斬りかかった。
相手に怪我が無いとはいえ、大きな不祥事だ。
あれが名家の血族でなければ縛り首になってもおかしくないぐらいの犯罪だ。
ジオが何かしていたとしても、シエスタには何も知覚出来なかったため、言い訳にもならない。
いや、そもそも呆れたように見つめるジオは、何かをしたのだろうか。
あの傲慢なお坊ちゃま騎士は睨まれただけで激昂するような異常者なのではないか。
捨て台詞も、到底まともではなかった。
頭脳明晰なシエスタは、一つの仮説を立てた。
これはもしかして、あの騎士を降格させるための罠だったのではないか。
政庁都市の名家の一つであり、騎士団を筆頭とした軍部に強い影響力を持つヴェルクベシエス家。
その家の権力を傘に実力もなく騎士になり、横暴を振る舞うあの騎士を失脚させるための罠。
だとすれば相方の騎士がすぐさま逃げに転じたのも納得がいく。
実際に手を出したのを見届けたからこそ、与えられていた役目を果たしたからこそ、逃げ出したのだ。
ちらりと、シエスタはジオの様子を盗み見た。
呆れたように、なんだと見下ろしていた。
ジオが何をしたのか、シエスタにはわからない。
事前に根回しが済んでいて、彼もまたグルなのだろうか。
違うと、シエスタは判断した。
よどみなく正当防衛と口にしたジオは、おそらくこれまでも同じようなやり取りで騎士を撃退していたのだろう。
それを知っていたこの件の黒幕が、それを利用したに違いない。
ここにきてふつふつと、シエスタの中で燃え上がってくるものがある。
それは怒りだ。これまで何の後ろ盾が無くとも必死に自身の力で這い上がった来たプライドが、この状況に怒りを覚えていた。
切り捨てやすく女だから美人だからご機嫌取りになるだろうという理由で畑違いの危険な仕事を押し付けられ、その仕事も誰かを嵌めるための罠で、シエスタは完全に蚊帳の外だ。
政庁都市の中枢は伏魔殿だ。
こんなことは日常茶飯事だが、このまま帰るのは気に入らない。
せめてこの張りぼてのお題目だった仕事をきっちりこなして見せようと、シエスタは怒りを熱意に変えた。
ちなみにシエスタの仮説はぶっちゃけ間違っていた。
おバカな騎士――名家の跡取り息子で自分が声をかけて喜ばない女はいない。そもそも自分の事を知らない女がいることもあり得ないと思っている――が来たのは、行政官庁でも若くて仕事が出来て美人なシエスタと一緒に仕事がしたかっただけだ。
畑違いのシエスタが呼ばれたのも騎士の家の権力によるものでしかない。
ジオもただ無礼な奴を睨んだだけで、特殊な技法は使っていない。
ただ騎士は家の威光にすがってろくな訓練を積んでいなかったため、死を予感させるほどのプレッシャーを感じてしまい、良い所を見せたい女性がそばにいるという事もあって、攻撃的な対応になってしまったのだ。
相方の騎士が一目散に逃げたのも、ただ名家の騎士に人望が無かっただけの事である。
そんなことは露知らず、やる気に満ちたシエスタはジオに要件を告げ、応接室に通された。
広いとはいえ一つの部屋で二人きりになったことに性的な意味で危険を感じながらも、丁寧に説明を始めた。
つまらなそうに聞くジオに不安を覚えながらも、シエスタは言葉を尽くす。
その遠まわしな話の意味をジオは半分も理解してなかったが、金を払えと言われてるのはわかったので、帰ってほしいなーと思っていた。
だいたい一時間が経った頃、あまりの手ごたえの無さからシエスタの熱意が消えかけ、あまりの情報量にジオの頭がパンクしかけたとき、セージが現れた。
******
今日は不思議な一日だった。
大人びた子供が現れてからは、とんとん拍子に話が進んだ。
税金の事は知らなかったらしい。
納税義務を知らないなんてとも思ったが、守護都市のギルドで働いていたジオや子供のセージならそういうものかと思い直した。
収益税に関しては正確な値が出せないことから二月ほど待つことになった。
経理の人間を雇っていなかったこともあって、ちゃんとした帳簿が付けられていなかったからだ。
一応の帳簿を見せてもらったら、ひどいものだった。ここ二、三年はともかく、初期のころはあってないような帳簿だった。
一応これは想定していたので、同規模の託児施設と闘魔術の訓練道場の収支を参考にして概算を出してきたのだが、ここは随分と良心的な価格でやっているようで、実際の利益はもっと低いのだと簡単に推測が立った。
そもそも金に困っていないであろうジオからすれば、子供の面倒を見るのは道楽半分、社会福祉半分なのだろう。
聞けば一緒に暮らす子供たちとは血も繋がっていないという。
住民税はすぐに払ってくれるという事で、支払用紙を渡しておいた。明日にはギルドで支払いを済ませてくれるという。
固定資産税は住居以外の利用への減税を調べたいとのことで、少し間を置くことになった。
知り合いの税理士と相談して、今月中には一度申請書を出すとの事。実際の支払いも来月にはしてくれるそうだ。
ホクホク顔で足取りも軽く、シエスタは職場に帰った。
税金支払いの同意書には署名もしてもらえたし、この結果は上々の出来だろう。
機嫌の良いシエスタだが、ふと小さな不安が浮かんだ。
女が一人で渡り合って話をつけたことで、良い所無しで逃げ出した名家の騎士の面目が大きく潰れたことに思い至ったのだ。
でもまあ陰謀屋の黒幕が失脚させるから、私に害はないよね。
そう、この時は思っていた。
シエスタはその後、守護都市に左遷された。