318話 不死身と言えばこれでしょう
お待たせ、不死身のエンジェルセイジェンドの出番だよ。
ケイとアルの試合は苛烈を極め、闘技台が砕かれただけではなく、場内のいたるところが荒れに荒れてしまった。
その修繕に時間がかかるのは当然のことで、再び長いインターバルが挟まれることになってしまった。
もっともライムとは違ってセージの欠場は心配されておらず、客席の空気も険悪なものとは程遠かった。
「ただいまー。あー、楽しかった」
「お帰り、ケイ。
あ、シャワー浴びてきたんだ」
「うん。汚れたし、汗もかいたからね」
当たり前の顔をしてブレイドホーム家に戻って来たケイは、今回は確信犯である。その場のノリでエキシビジョンマッチを始めたことを祖父母に怒られたくなかったのだ。
もっとも試合ではマージネル家と皇剣ケイの名誉を高めるだけの強さを見せつけたので、その心配は杞憂だった。
ただケイが叱られるかもしれないからと逃げているのはバレているので、そっちの方を帰ってから怒られるのだが、それはまた別の話である。
「ずいぶんとご機嫌ですね、ケイ」
息子をしこたま殴り飛ばされたアリーシアの声は、当然のことながら険悪だった。
「あ、あはははは。盛り上がったから、良かったよね」
「ああ、弱い奴が悪い」
慣れないフォローをしようとするケイに、ラウドは気を遣う必要はないとアリーシアの怒りを切り捨てる。
アリーシアもそれがみっともない感情だとはわかっているので、反論はしなかった。
「それで、セージは? まだ姿見せないの?」
「うん。どうやら大会の運営委員会の方には声をかけているみたいだけどね。こっちには一切連絡なしだよ」
ケイの言葉に、アベルが答えた。
「え? どういう事?」
「わかんない。試合前だから集中したいとか、そういう事かもしれないんだけど……、あいつがそんな理由で顔を見せないとも思えなくてね」
アベルは難しい顔でそう言った。
セージが父に本気で勝とうとしているのは構わない。
だがそれは正面から正々堂々戦った上でのことだ。
セージの理解者であるアベルは、セージが何か姑息な下準備をしているのではないかと疑っていたが、それを口に出すことはなかった。
「そう言えば、周りはそんなに騒いでないね」
メインイベントの主役が出場できないかもしれないとなれば、スタッフたちに戸惑いや不安が滲み出ているだろう。
少なくとも決勝を目前に控えたこの時間に、ブレイドホーム家に問い合わせが来ないはずもない。
それが無いという事はつまるところセージはもう闘技場に来ていて、試合に備えて準備しているのだろう。
「控室は? 行ったの?」
「行ったよ。もぬけの殻。スタッフからは遠回しにこの部屋には来ないだろうって伝えられたよ」
セージの控室にはアベルとセルビア、そしてシエスタの三人で行った。
マギーとカイン、そしてマリアはジオへ最後の激励に行っていて、こちらはちゃんと会えている。
なお控室にセージはいなかったが、セージの母親を自称する女性が十人ぐらい来ていた。アベルたちが彼女たちとは関わる事はなく、またこの場でそんな人たちがいたことも口にするつもりはなかった。
「ふーん……。何か、やるんだろうね」
「その物言いは誤解を招きますね、ケイ。卑怯な工作をするように聞こえます」
含みのあるケイの言葉に、アリーシアが釘を刺した。
しかしケイは肩をすくめて、それに反論する。アベルが口にしなかったことを、あえて口にする。
「アリーシャは思わないの?
そりゃ毒を盛るなんて思わないけどさ、あいつは騎士道精神なんて鼻で笑うような奴だよ。
もちろん悪い意味じゃなくてさ、あいつは勝つことに対して真剣でしょ。
騎士だって、魔物相手なら確実に殺す事を大事にするし、工作って言うか……、準備。
そう、念入りに、準備してると思うのよ」
「それは……。ええ、あの子には戦士の矜持というものが備わっていますからね。勝つ確率を上げるための努力は惜しまないでしょうね」
「良く分からんが、そろそろその何かが始まるんじゃないか」
アリーシアはやや強引にフォローをして、ラウドが口を挟んだ。
見れば闘技台の修繕が終わり、時間つなぎの踊り手たちが闘技場から引っ込んでいく。
それと同時に、実況の大きな声が闘技場内に響き渡る。
「さあ始まります。第54期皇剣武闘祭決勝大会、その決勝戦」
その言葉に合わせて、選手入場口では火薬が破裂し、大きな音と色彩を帯びた煙が立ち込める。
その煙を割って姿を現すのは金髪碧眼の偉丈夫。
国家存亡の危機に追い込んだ大竜を討伐した英雄、ジオレイン・ベルーガー。
腰には大会中、一度も抜かれていない大太刀を下げて、悠然とジオは闘技台に上がっていく。
客席からは溢れんばかりの歓声が彼に贈られた。
ブレイドホーム家の家族たちも――第二貴賓室が閉じられた空間であるため――落ち着いた拍手と期待に満ちた眼差しで父親の登場を祝福した。
それはケイたちも同じで、ラウドなどは少しばかりの期待を抱いて腰元の剣に手を添えていた。
第二貴賓室の名だたる名家も同じようにジオを祝福していたが、しかしエルシール家だけはその空気に反していた。
表向きはにこやかに拍手を送って歓迎している。
礼儀に悖るところは何一つとしてない。
だが他でもなくエルシール家の人間はその空気が作り物だと理解している。
それはダイアンやルヴィアだけではない。
その空気を生み出すきっかけは間違いなくルヴィアにあり、そしてダイアンにあった。
他者の心の機微を捉えることに長けたエルシール家の者たちは、海千山千の名家の面々すら欺く二人の態度、その奥の感情を読み取って、それに倣っていた。
当主であるダイアンに倣うのは、当然のこと。
しかしエルシール家の面々が本当に当主ダイアンの放つ空気に従っていたのか、それともその娘のルヴィアに当てられて従わざるをえなかったのか。
彼らにもそれはわからなかった。
ルヴィアはその美しい眼差しでジオを見下ろす。
彼女の心はもうすでに半ば以上、定まっている。
それでも最後の良心と常識が彼女を押しとどめている。
一度は捨てた子供に、何をしていいはずもない。
ここまで育ててくれた恩人に対して、何をしていいはずもない。
そんな権利はないと、己を諫めている。
だがそれでも、だがそれでもセージが苦しんでいるのであれば、良いように使われているのであれば。
例え悪魔と罵られたとしても、心の底から恨まれて、殺されたとしても、ルヴィアは己に出来る全ての事をするつもりだった。
セージをジオの下から引き離して、当たり前の幸せを教えるつもりだった。
それはきっと間違っていると思いながら、私に間違っていると教えて欲しいと思いながら、ルヴィアは最後の決断をするために、ジオを見る。
誰もが見とれる、その美しい眼差しで。
ジオは試合開始位置に当たる闘技台の中ほどまで進んだところで、立ち止まる。
それに一拍遅れて、反対側の入場口でも同じように火薬が破裂し、色のついた煙がその入り口を覆い隠した。
観客が固唾を飲んで見つめる中、煙を突き破って一条の矢が飛び出した。
それは正しくは矢ではなかった。
矢のように速く空を翔る剣だった。
剣は一本だけではない。
二本、三本、四本と数を増やしていき、総じて十六本の剣が闘技場の狭い空を優雅に舞う。
連なった剣は燃え上がり、炎を纏って翼とした。
炎が生むのは翼だけではない。
鋭いくちばしを持つ頭部に、細身の体、一対の翼、長くしなやかな尾。
燃え盛る炎で描かれる火の鳥は、観客の目を集めて空を舞う。
「きれい」
観客の誰かが、そう言った。
火の鳥はその紅蓮の翼を大きく羽ばたかせ、火の粉を落としながら、闘技上の空を旋回する。
観衆は興奮と感嘆で息を飲んだ。
火の鳥は紅蓮の翼を羽ばたかせて、闘技場中央の天井まで舞い上がる。
火の鳥を中心に、光り輝く大きな魔方陣が描かれる。
それは特に意味のない魔方陣だったが、とりあえず格好いいとそれを見た観客――意味がないと見抜ける実力者も含む。というか、むしろ彼らこそがテンションを上げていた―――は大いに沸き立ち歓声を上げる。
次は何が起きるのだろうと期待を受けて、火の鳥は闘技台へと急降下した。
ジオの目の前に大きな火柱が上がった。
火の粉と熱風を浴びながら、ジオは笑った。
火の鳥が生んだ炎の中に、十六本の剣を従える美しい黒髪黒眼の少年はいた。
十歳にしてすでに最強の一角と認められた天使、セイジェンド・ブレイドホーム。
英雄そっくりの、しかし二回り以上小さな刀を二つ腰に下げて、幻と消えていく炎の中に彼はいた。
幻想的に現れたセージにもまた、惜しみない歓声が送られる。
ブレイドホーム家のブースでは周囲の目も迷惑も忘れてセルビアが興奮し、アベルとマギーがそれを苦労して宥めていた。
「あれカッコいい。アタシもやる。ねえアタ――私もっ」
「わかった。わかったから落ち着け。帰ったらセージが教えてくれるから、とりあえず落ち着け」
「セルビア声が大きいよ。恥ずかしいから静かにして」
それをしり目に、カインは決勝の時に登場の仕方をもっと考えればよかったなと後悔し、四年後には絶対に格好いい登場をしようと心に決めていた。
「ねえセージは飛翔剣に乗ってなかったよね。どっから出てきたんだろう。二人には見えた?」
「……私にも見えませんでしたね。天井に隠れていて、落下に合わせて火の鳥に入ったのでしょうか」
「ああ、おそらくはそれだな。その辺りで剣の動きに変化があった。
天井には作業用に人が入れるスペースも、出入りできる穴もあったはずだ」
派手な演出には心が惹かれたが、それ以上にセージの手の内を読み解く方に興味を引かれたケイが尋ねて、その答えをアリーシアとラウドが導き出した。
ブレイドホーム家同様に、セージの登場でエルシール家のブースでも変化があった。
それは猜疑心だ。
ダイアンが護衛に確認したところ、使われた魔力は間違いなくセージのものだったと答えが返ってきた。
この決勝戦は精霊様の一番の目である、至宝の君も第一貴賓室で見ている。
セージにだけ行われたある意味で過剰ともいえる演出をスタッフが行ったのなら、不正な贔屓と判断されかねない。
だからセージが自身でこの演出を行ったことは間違いが無い。
試合前のこのタイミングで、少なくないであろう魔力を使用した演出が行われる。
それはセージに不利につながる事だ。
セージがそれを望んでやったのだろうか。
ルヴィアはセージの顔を見て、そうではないと判断した。
その判断は波及し、エルシール家の判断となった。
ただそれはそれとして、ルヴィアはセージ格好いいと思った。
そんな観客たちの反応を気にすることもなく、闘技台で二人は向かい合う。
「派手な奴だ」
ジオは言った。
「ふっ」
セージは気取った態度で、そう返した。
人目を気にして、そう返した。
人目が無ければ罵詈雑言を返すところだった。
そんなこんなで決勝の舞台は整った。




