292話 いつ出るんですか? 今でしょ
「予選受けさせてください」
ギルドに入って、私はいつものアリスさんにそう言った。
親父がまた馬鹿な事を言い出してから一夜が明けて、月曜の朝という事で兄さんと姉さんとついでにシエスタさんに、なぜか次兄さんの分のお弁当と、みんなの分の朝ご飯を作り、お手伝いに来た子たちにもお弁当を包んで、つまみ食いをしようとした妹を叱って親父をしばいて、みんなにご飯を食べさせて、やってもらった掃除をチェックして、昨日は忙しくて見れなかった帳簿を確認して、修正して、妹の忘れ物がないかを確認して、学校に送り届けて、それから……
とにかく、急いで朝一番にギルドにやって来たのです。
「……え?」
アリスさんが間の抜けた声を上げたので、もう一度繰り返すことにする。
「皇剣武闘祭の予選受けさせてください」
「……ああ、やっぱり出るんだ」
ちくしょう。
わかるよ。わかりますとも。
散々出ないって言い張ってきたもんね。
手の平返ししたらそうなるよね。
「色々あったんですよ」
「そうね。昨日はギルドも大騒ぎになったし」
「……え?」
「あれ? 聞いてない? ジオ様が来て皇剣武闘祭に出させろって、組合長に詰め寄ったんだけど……。
セージ君には伝えるからって、そう言ってたんだけど」
あのバカ親父、口止めなんて似合わないことを……。
いや、今回はそれだけ必死という事か。
まあずっと探してて諦めかけてたアシュレイ殺しの犯人の手がかりだもんな。そりゃあ必死にもなるか。
でも精霊様もたぶん実行犯を知らないんだよな。親父の妙な力が原因だって知ってるだけで。
その犯人を見つける事が出来れば色々と楽なんだけど、難しいな。
「親父が伝言をするというのは、しないという意味なので気を付けてください」
「……うん。そうみたいだね」
大変だねと言った様子でアリスさんがしみじみと頷き、気を取り直して話を戻してくれる。
「ともかくジオ様の方の決勝大会はともかく、予選大会の方はぎりぎりだけどまだ締め切り前だから、急いで手続するね」
「お願いします」
さて皇剣武闘祭は今、一番最初のエントリー予選が終わったばかり。
新人戦と違って出場制限がないため記念参加の人も多く、予選はまだまだ先が長い。
私は上級権限で最終予選のシード権がもらえるので、試合が始まるまでまだ日程に余裕がある。
アシュレイ殺しの犯人探しもいいけど、手がかりもない事だし他の用事を片付けつつ、親父を嵌める準備をいたしますか。
◆◆◆◆◆◆
政庁都市の皇剣武闘祭運営委員会は紛糾をしていた。
「それで、どうしますか。シード権を認めますと二次予選の山を一つ削らなければなりませんが」
「過去の例に倣うなら、素行不良を理由に権利を認めないものだが……どうなんだね」
「相手は父親の方の英雄ではなく、あの天使ですよ。問題としてあげられる点も、あるにはありますが……」
皇剣武闘祭は精霊感謝祭の中でも、絢爛祭に並ぶ花形の催し物だ。
決勝大会はもちろんのこと、予選の方も注目度は高く、しかしその関心の色は少し違う。
決勝大会では守護都市の猛者一色になるのと違い、予選では守護都市中級相当の各都市エース級の競い合いがメインと言えた。
地元のエースたちが他の都市のエースたちに勝てるのか、別格と言われる守護都市の戦士たちにどこまで通用するのか。
郷土の戦士たちの活躍を期待した観戦者たちで、予選は決勝大会とは違う盛り上がりを見せるのだ。
その中級相当の戦士たちが勝ち上がれる最高位の大会は二次予選か、奇跡が起きても最終予選となる。
その最終予選の出場枠を一つ潰すとなると、彼らを応援する地元の有力者からの批判は免れない。
さらに言えば有力者だけでなく、地元の選手を応援したいという市民たちが落とす入場料、飲食店や賭け試合の売り上げなどの興行収入の低下も起こるであろうし、彼らからの悪感情も心配だ。
市民たちは急な予定変更があると、すぐに名家が悪いと臍を曲げてしまい、時には暴動まがいの事すらしてしまうのだ。
四年に一度の国事であり、何より精霊様への感謝をささげるこの祭事の運営を任されている委員会にとって、お目汚しとなるような事態は避けたかった。
「あるのならば、そこを強調すれば、どうかね。
そもそも通例で言えばもっと早くに申請は行われるはずだっただろう」
「いえ、使えないのです。
命令違反や都市の破壊をしていますが、それらは管制室の怠慢による戦士の危険を防ぐためのものや、テロリスト討伐のためのやむを得ないものだと認められています。
これを責めては強い反感を買う事になります」
「……では、過剰な救援行動についてはどうだ。
外縁都市からは苦情が上がっていただろう」
何事もなく円滑な大会運営をしたい委員会としては、突発的に上がってきた上級の戦士のシード権利用に許可を出したくないのだが、そのための口実が難しかった。
「それについてですが、結果として救援要請に対して慎重で正確な判断を下すようになったと分析がなされまして……」
「なんだそれは」
「そちらの件に関して外縁都市側から精霊様への上奏がなされたのですが、守護都市の監査室と征伐軍からの反論で……。
防衛の責を負う者たちの中には、失敗をしないことで出世し、その職責を得たものも多いのですが……。
その、失敗をしないという事が、リスクのある判断を他者に委ねるという手段であることも多く、その事の方が問題だと」
委員会の中にはその言葉が何を指しているのか理解できるものがいた。彼らは大なり小なり防衛戦に関わったことがあり、わずかなりとも現場の考えを知っていた。
「……軽い防衛戦だと侮り都市に被害が出た際に、救援要請を出していたのに守護都市が何もしなかったと、そう抗弁している件ですね」
「はい。常態化しているそれを改善させるため、天使は憎まれ役を買って出ているのだと。
実際、天使が動き出してからは人的物的被害は減っていますし、それらの補填に充てる費用も浮いています。人件費が守護都市に流れすぎているきらいはありますが、防衛費用自体は大きく抑えられています」
そこまで聞かされ、本題――セージのシード権について――からは外れるものの、興味を引かれた者がいた。
「なぜ外縁都市の防衛責任者は苦情を申し立てたのだ。自分の首を絞めるようなものだろう」
「繰り返しになりますが、防衛費用が守護都市に流れますので、現地の経済への悪影響を心配しているというのが建前となっています。
おそらく本音は好き勝手にやられたことへの反発かと思いますが、精霊様からの言もあり、そちらは完全に沈火しています」
「父親の英雄ならば、その金は外縁都市での宴会に使っていただろう。息子の方はどうなのだ。随分と儲けているようだが、貯めこむ趣味でもあるのかね」
浅ましいなと、嫌悪感をにじませた言葉が発せられた。
その発言者を、委員会の人間が一斉に見つめた。
余談だがジオが主催する街を上げた大規模な宴会の幹事をしていたのは、デの付く快楽殺人鬼とその姉である。ジオは金しか出していない。
そしてそれは酒と武器にしかお金を使わなかった――メイン武器はただで手に入れているので、防具や使い捨ての呪錬装具など――ジオが、ろくに蓄えを持っていなかった理由でもある。
「な、なんだ」
「借金の返済です」
「は?」
「英雄ジオレイン殿が慰霊碑を破壊した補償を、天使セイジェンドが支払っています。
その金額は――」
唯一知らなかった人物に、日本円換算で350億円であることが教えられる。
教えられた人物も、事前に知っていた人たちも、沈痛な思いで天使を想った。
「……なあ」
「なんでしょう」
「ふつうに、認めてあげてもよいのではないだろうか」
「……そうですね」
断る口実も見つからないことだし、しみじみとした思いで委員会はまとまった。
「ところで天使セイジェンドはなぜいきなり参加表明をしたのだ?」
「今更ですか? いえ、私も噂程度の理由しか聞き及んではおりませんが、英雄ジオレイン殿の参加が理由だと」
「うん? 父親だろう? ああ、ライバルの露払いを頼んだのか」
ジオに対立する名家の戦士たちを倒させ、安全に優勝をするという事が可能になったから出ることを決めたのかと、そう言った。
その意見に噂を聞いている委員が、首を横に振って否定する。
「その可能性もありますが、天使はこう言っているそうです。英雄殿が精霊様に粗相をしないよう、彼の優勝を食い止めると」
「…………は?」
「ご存じないかもしれませんが先日、英雄殿は申し込み締め切りが終わった後で、決勝大会のシード権を認めろと守護都市のギルド、およびその理事を務めるスナイク家で暴れています」
知らなかった方の委員は呆気にとられ、深く考えることを止めて頷いた。
彼は経験豊かな年配で、つまるところ現役時代のジオの起こす騒動を火消ししてきた過去があった。
「……それは、そうか、そう言う御仁だったな」
「ええ。私は子供の時に笑い話として聞いていましたが、実際にそういった事をされたと聞くと、なんとも言えませんね」
「英雄殿の借金も、天使が返しているんだよなあ」
しみじみと、可哀そうになあと同情する声が上がる。
「ええ。今回の件とは関係ありませんが、天使が5歳でギルドに登録した際にも暴れたとか、日常的に天使に暴力を振るっているなどの噂もあります」
「……ひどいな」
「ですが、それがあって天使は驚異的な成長をしたと、親としてはともかく、軍事教育の手腕は高いと、評価もされています。
実際、天使には見劣りしますが、彼の他の子も新人戦で優れた結果を出していますから」
委員会の出席者たちは顔を見合わせる。彼らは出身こそばらばらだが、みな政庁都市の官僚である。
強さこそが全ての守護都市民族と違って、人権というものに理解があった。
「ひどい話だな」
「案外、天使は大会出場を強要されたのかもしれないな」
「指導の一環として、ですか? その可能性もありますね。やはり許可は取り下げますか」
「いや、もし虐待が事実であったとしても、我々が関与するべき問題ではない。
それに経歴を鑑みる限り、英雄殿が精霊様の剣となるには問題があるように思える。
順当に、英雄殿が天使に勝ちを譲るよう期待したいところだ」
「ははは、さすがに英雄殿ももうお歳です。十歳の子に期待せずとも、アルバート殿が食い止めてくれるでしょう」
それもそうかと、委員会に和やかな笑いが生まれる。
ちょうどその時、会議室に一人の老人が入って来た。
「邪魔をするぞ」
「カナン様」
入ってきたのは皇剣カナン・カルムだった。
会議室にいた全員が椅子から立ち上がり、最敬礼でカナンを迎える。
「ほっほ、そう畏まらずとも好い。ちょっとした確認にやって来ただけじゃよ」
「はっ」
カナンはそう言ったが、皇剣として長くこの国に貢献してきた人物に対し、敬意を示さない人間はその場にはいなかった。
「さて今はセイジェンドの予選出場を認めるかどうかを審議しておる、それで良いかの?」
「はい、認めることで結論が出たところです」
「そうかそうか、お主たちは精霊様の敬虔な信徒。
当然、精霊様が目をかけておる小僧に無体な真似はせんと思うが、認めぬ理由を――うん?
認めると言ったかの?」
委員会の人間は目を見合わせた。
委員長が代表してカナンに答える。
「はい。結論が出たばかりで、関係各所との折衝はこれからとなりますが」
「……そうか。さすがは政庁都市の官僚。誠実な判断じゃ。精霊様もお喜びになるじゃろう。
折衝とやらで問題が発生するようなら、儂の名は好きに使ってええ。邪魔をしたの」
カナンはそう言って会議室を去っていった。その背中は少しだけ寂しそうだった。