291話 出ない出ない詐欺
「皇剣武闘祭に出るぞ」
ジオは言った。
言われた方は頭を抱えた。
「……ええと、なぜ」
「お前の知ったことか」
「…………ええと、じゃあ、なぜ僕にそれを言いに?」
スナイク家当主、スノウ・スナイクはひどく困った様子でそう言った。
「ギルドに出ると言いに行った。
俺は予選をすっ飛ばせるんだろう。
だが婆さんはお前の所に行けと言った」
ジオの言うところの婆さんとはギルドマスターのニルアだ。
スノウは天を仰いだ。
ギルドの方でも止めようとしてくれたんだろうなあ。
でも無理だったんだろうなあ。
そんな事を思った。
スノウの眼前には、スナイク家が誇る猛者たちが一様に倒れ伏している。
守護都市でエース格のはずの上級上位の戦士すらも、綺麗な体で気絶させられている。
目の前のジオには傷の一つどころか衣服の乱れも無く、汗の一つも浮かんでいない。
酷い話だ。
かつてのジオでは、ここまでのことは出来なかった。
竜に呪われる以前よりも確実に強くなっている。
万全のラウドに最大限のバックアップをしても、今のジオは倒せないかもしれない。
「ギルドで聞かされたと思うけど、ジオさんの特権での本戦出場はもう無理だよ。申請期限はもうとっくに過ぎているんだから。
ジオさんのために出場枠を一つ潰せなんて無理は言わないでよね」
「いや、言う。何とかしろ」
スノウは助けてと天を仰いだ。
そして助けてくれそうな相手に縋ることにした。
「…………セージ君に言いつけて良い?」
「あいつは関係ないだろふざけるな絶対にやめろ」
ジオは一息でそう言った。
「いや、だってジオさんの担当はセージ君だし。
だいたい皇剣になりたいわけじゃあないんでしょ?
迷惑だから出ないで貰えるかな」
「知るか。負けるやつが悪い」
「確かに、それは事実だな」
ジオの言い分を肯定したのはスノウではなく、騒動を聞きつけてやって来たラウドだった。
スノウは咄嗟に兄を制止しようとした。
今のジオに、兄は及ばないかもしれない。そう思うからこそ、ここでの戦闘は絶対に避けるべきだと考えた。
しかしそれは杞憂だった。
「スノウ、何とかしろ」
「は?」
スノウは呆気にとられた声を上げた。
兄は短慮な行為に走りがちだが、決して頭が悪いというわけではない。
ジオはおそらく――いや絶対に、周囲に隠すこともなくここを訪れている。
そしてここで戦闘があったことは、一定以上の実力を持つ戦士は必ず気付く。勘の鋭い者なら、その結果も。
その上で、スナイク家がジオに特別な便宜を図る。
その意味が理解できないはずはないと考え、スノウの良く知る兄が珍しく感情を押し殺しているのに気づいた。
「それは――ああ、そういう事か。
わかったよ、ジオさん。
スナイク家に割り振られているシード権をそちらに譲る。
あとで正式な招待状を郵送するから、ちゃんと受け取ってね」
「ああ、わかった」
ジオは簡潔にそう答えた。
用件は済んだ。
だから厄介な客はすぐに帰らせればいい。
そう考えるも、しかしスノウは屈辱に耐える兄を思って、一言添えた。
「これは僕たちにとって、ひどく痛みを伴う決断だ。
この屈辱を強いたことを、理解して欲しい」
「……ああ」
真っすぐに貫くようなスノウの視線から顔をそむけて、ジオは去っていった。
******
その日の午後、急ぎで送られた招待状はセルビアが受け取り、セージの目に留まることになる。
ジオは手紙は一ヶ月以上遅れて届くものじゃないかと思ってスノウを恨んだが、それは余所の都市から送られてくる場合である。
だがそんな理屈を――生まれも育ちも守護都市のはずの――ジオが知るはずもなかった。
そんなジオの内心はさて置いて、緊急の家族会議が開かれることとなった。
******
「それで、何で出るんだよ馬鹿親父」
「……ふん」
セージが問い詰めても、ジオはまともに返すことはなかった。
セージはその目を細めてその態度を睨み据える。
ジオは居住まいを正して目を逸らした。
「いいから答えろ」
「セージ、別に良いでしょう。ジオならば優勝確実ですから、賞金も手に入りますよ」
「マリアさんは理由を知ってそうですね」
セージの冷たい目に捉えられ、マリアは高速で顔を逸らした。
「マリアは関係ない。
……なんだ、別にいいだろう。
何を怒っているんだ、お前は」
「怒ってないよ。いや、面倒くさいことになりそうで怒っているけど、そんな事より誤魔化さずに答えて。
なんで、今このタイミングで皇剣武闘祭に出るなんて言い出したの?」
ジオはため息を吐いた。
「確認したいことがある。それだけだ」
「確認したい事って?」
「大した事じゃない。
しつこいぞ、セージ」
セージとジオが真っ向からにらみ合う。
険悪な空気になるのを嫌がって、休日で家に帰っていたマギーが口を挟む。
「ねえセージ、良いんじゃないの? 昔は何回も優勝したって話だし、お父さんなら危なくないんでしょ」
「いや、真剣で斬りあうんだから危なくないことはないんだけど、そうじゃなくて、僕は理由を話せって言ってるの。
頭ごなしに反対って言ってるわけじゃあないからね」
セージの言い様にそれもそうかとマギーは納得し、
「嘘を吐くなセージ、どんな理由であれ反対するつもりだろう、お前は」
「当たり前だ。トラブルの臭いしかしないのに止めない訳があるか」
そのやり取りで何が何だか分からなくなった。
「ああ、うん、セージ落ち着け。何だってそんなに反対してるんだ?
父さんが変なことを言い出すのはいつものことだろ」
「そーそー、別にいいじゃん。お前が出るってわけじゃないし、お祭りなんだから楽しめばいいじゃん」
アベルとカインがセージを宥め、ジオが勝ち誇った顔でセージを見下ろした。
セージはちくしょうデス子許さないと、誰にも聞こえないほど小さな声で呪いの言葉を零した。そして意を決してこれまで多くの人間に薦められ、何度も断ってきたことを宣言する。
「いや、皇剣武闘祭には出るよ。
僕が優勝するから、親父は辞退して」
その言葉に全員が驚き、そしてジオは大きく見開いたその目つきを、そこからさらにひどく険しいものへと変貌させた。
「ふざけるなよ、セージ」
その声には明確な怒りが込められており、わずかに漏れ出た魔力もそれを示していた。
そしてジオにとっては僅かな魔力でも、まともな人間からすれば膨大な力の発露であった。
セージとマリアを除く全員が恐怖を覚え、セージが魔力波でジオのそれを抑え込む。
「何やってんだ馬鹿親父」
「む、すまん」
ジオが素直に謝って、周りの人間はほっと息をついた。
「だが何故だ。お前は出ないと言っていただろう」
「色々あって気が変わった」
「色々?」
「色々は色々だよ、いいから辞退しろ馬鹿親父」
ジオは立ち上がり、セージの胸ぐらを掴んで壁に叩きつけた。
「ちょっと、お父さん」
「黙ってろ」
ジオの行いにアベルとカインが目を見開き、マギーが立ち上がって制止の声を上げ、セルビアは立ち上がったうえで椅子を持ち、シエスタは食卓のキッチンナイフを掴んで、マリアが二人を押しとどめた。
「どういうつもりだ」
「どうもこうもない、手を離せ馬鹿親父」
息苦しいというよりは服の布地が伸びるのを嫌がって、セージは足場を作り、そこに立ってジオを正面から睨んだ。
「俺にわからないと思っているのか、お前は俺を止めるつもりだな」
「知るか馬鹿、いいから手を放せ」
「お前は、何を知っている」
ジオの眼がセージを真っすぐ見据える。
セージは何も答えなかった。答えられる言葉が無かった。
ジオは舌打ちをした。
そんなジオの頭を、セルビアが椅子でぶん殴った。
椅子は粉々に砕け散って、ジオとセージが困り顔になった。
「アニキ放せ」
「……むぅ」
「……けっこう良い椅子だったんだけどなぁ」
ジオはセージを放して、セージは怒り心頭のセルビアを優しく抱いてあやした。
「大丈夫だよ、落ち着いて。いつもの事だから。あと出来れば壊れないもので叩いてね」
「わかった」
そしてセージはシエスタに冷たい目を向ける。
「光りものはNGです。気を付けてください」
「……はい。ごめんなさい」
シエスタはセージが本気で怒っているのを感じ取って、身を強張らせた。
「話は終わってないぞ、セージ」
「そうだね。なんでいきなり試合に出るの」
「そっちじゃない、お前の事だ」
セージとジオは目線で火花を散らせる。
アベルはそれを見ていつもの喧嘩かと、ため息を吐いた。
そして同じようなため息を吐いたマリアが、答えを口にする。
「アシュレイ殺しの犯人を教えていただけるのです」
「マリアっ‼」
「あまり大きな声で広める事ではありませんが……彼の事も含め、話をしたい事があると至宝の君を通じて、精霊様から仰せつかりました」
精霊様からのお言葉という事が知られれば、多くの思惑が動くことになるだろう。例え精霊様が大会にて実力を再び披露せよと望んでおられても、対戦相手はどうしたって勝ってはいけないと萎縮するし、観客やスポンサーもジオの勝利を望むだろう。
そんな事態を避けなければならないからこそ、マリアは口外しないようにと言葉を添えた。
実際、この場においてもジオが大会に出て優勝するべきだという空気感は生まれていた。
だがセージだけは例外だった。
マリアの言う彼が誰を指すのか、それはセージに確かに伝わっていた。
セージの眼の色は、それで完全に変わった。
「なるほど、話を聞きたければ大会で優勝しろと。
さすがは精霊様。高いところにいらっしゃる」
「セージっ」
マリアが不遜な言い様をするセージを窘める。
「失礼。
ですがそういう事なら、私が優勝すれば同じ話をしていただけるんでしょうね。
至宝の君様にお会いする機会があればお願いして頂けますか?」
「セージ、分かっていないようですね。
あなたは名家の主にも同じように己を通してきましたが、至宝の君に、ひいては精霊様に対して同じことが許されるとは思わないことです」
マリアは本気で、場合によっては殴りあう覚悟でセージにそう言った。
その真剣さがわかるからこそ、セージは真正面からマリアと睨みあう事になる。
「分かっていますよ。分かっていますが、私としても話し合うべきだと思うのですよ。精霊様とはね」
「話し合う事を問題にしているのではありません。
相応の敬意を払わなければならない相手だと、そう言っている」
心配を怒りに隠して、マリアはセージを叱った。
その気持ちも、国主精霊を敬わなければならない理由も良く分かるから、セージは折れざるを得なかった。
「そう、ですね。すいません。生意気を言いました」
「ええ、精霊様にだけは、短慮を起こさないでください。お願いです」
「……そんな事はどうでもいいが、俺の話はまだ終わっていないぞ」
そんな事とは何だと、マリアはジオをしばいた。ジオは微動だにしなかった。
「親父の方が精霊様と喧嘩しそうであぶなかっしいからね。私が代わりに聞いてきてあげる。その方が良いでしょ」
確かにと、ジオ以外の人間は納得した。
ジオは納得しなかった。
「お前が正直に話を伝えるというならそれもいいさ。
だがお前はあいつと同じだ。
肝心なことを俺に教えようとしない」
見透かされていると、そうセージは感じ取って、しかし動揺することなく真正面からジオの眼を見据える。
「邪魔をするなセージ、冗談では済まさんぞ」
「そうだね、冗談ではないね」
それ以上に言葉はない。
二人は互いに譲らず、視線をぶつけあう。
長い長い沈黙と緊張が場を支配し、誰かが我慢できず唾を飲み込んだ。
それを機に視線を外したのはセージだった。
「まあ、つまりはそういう事だね」
「そうだな、勝ったやつが勝者だ」
ジオは口元をへの字に曲げてそう言った。
互いに譲る気はない。
ならば戦って決着をつけるほかに道はない。
そしてそれに相応しい皇剣武闘祭という場が、すでに決まっている。
「最強は俺だ、セージ」
「そんな肩書はいらないよ、それよりわかってるんだろうね。
私と戦うという事を、皇剣武闘祭という晴れ舞台で、私に勝つという事を」
「なに?」
訝しむジオに対し、セージは胸を張る。
色々と察したアベルは、スリッパを手に持ってセージの後ろへと移動した。
「親父が辞退するまで私はご飯を作らないし、お酒も禁止だ」
「なんだとっ⁉」
「それだけじゃないぞ。私に勝ったらみんな怒るからな。皇剣武闘祭は真剣勝負じゃなくてお祭りだからな。私が勝った方がみんな喜ぶんだからな。空気読めよ馬鹿野郎」
「……くっ」
アベルはスリッパを振りかぶった。
「それだけじゃないぞ。アシュレイさんだって子供に本気とか出したら絶対怒るからな。良い大人なんだから勝ちを譲れって絶対にい――ったい‼」
小気味よい音を立ててセージの頭をスリッパで叩いたアベルが、ジオに言う。
「正々堂々、全力で頑張って。僕たちはどっちも応援してるから」
「あ、ああ……」
ジオが頷き、家族会議はそれでお開きとなった。