261話 至宝の美女
ケイは改めて席に着き、その向かいの席にエメラが座る。
黒髪の美女は二人に紅茶を入れると、
「それじゃあごゆっくり」
その場を離れようとして、
「せっかくなんだから叔母様も席について」
エメラに袖を引かれて止められた。
「……お邪魔ではないかしら?」
美女はケイに向けてそう言った。
マリアの教育が行き届いているケイは、妙齢の美しい女性がおばさん呼ばわりされて顔を青くしていたが、声をかけられて正気に戻った。
「かまいません。ええと……」
「ああ、失礼。ルヴィア・エルシール。その子の叔母です」
名乗っていなかったことに気づいた――というか、エメラに頼まれたのでお茶を入れには来たが、親しくする気はなかったので名乗る気がなかった――ルヴィアは、小さく頭を下げた。
そして席から立とうとするケイを、どうぞそのままでと、手を挙げて制した。
そうしてルヴィアも席に着き、テーブルを占拠する花束に目を向ける。
「取ってきたの?」
「はい。ケイ様にお渡ししようと思って」
「あ、ありがとう」
「お部屋に飾らせておきましょうか?」
「お願いします」
ケイの返事を受けて、ルヴィアは控えていたメイドに目配せをする。
「お預かりいたします」
ルヴィアは席を立って花束をメイドに渡す。恭しい態度でそれを受け取ったメイドは、かなりの速歩きで、しかしなるべく上品に見えるよう苦心しながらその場を離れた。
見張り兼給仕役のメイドがいなくなったこともあり、ルヴィアがその代わりを務める。
エメラとケイの膝にナプキンを広げて、お茶菓子の準備を始める。
「すいません、名家のお嬢様に」
自分でやりますという言葉をグッとこらえて、ケイはされるがままになってそう言った。
荒事に長けた守護都市の名家には自分のことは自分でやる風習があるが、他所の名家はそうではない。
ホストが客をもてなすのは当たり前で、それを遠慮することは失礼に当たる……、はずだからだ。
「ふふっ、お上手ね。お嬢様なんて歳ではないわよ」
カートからお茶菓子を皿に取って配膳するルヴィアは、十七歳のお嬢様にそう微笑んで、自らの席に着いた。
「ええと、失礼かもしれませんが、お歳をお聞きしても?」
礼儀には反するが、どうしても好奇心が抑えられなかったケイはそう言った。
目の前のルヴィアはあまりに美しすぎて、年齢が推測できなかった。
完成された美しさという意味では30歳でもおかしくはないと思う。
同時にきめ細やかな肌のハリから20歳に届いていないと言われても納得ができる。
「エメラと同じ歳の子がいてもおかしくない年齢よ」
それはきっと冗談なのだろう。ルヴィアは――なぜか少し寂しげに――微笑んでそう言った。
教えては貰えないと思ったケイは、愛想笑いを返した。
「叔母さまは結婚はしないの?」
そんなルヴィアの地雷を、エメラが遠慮なく踏み抜く。
いつもならば誰かしらがすぐに話題を変えるだろうが、この場にいるのはルヴィアの事情を知らぬケイだけだった。
「しないわ」
「なぜですか?」
端的に突き放すようなルヴィアの返事も、家族から愛されていることに疑いを持たないエメラには通用しない。
「……その気がないのよ。私は一人がいいわ」
「それは、寂しくないですか」
そしてルヴィアの地雷を、今度はケイが踏み抜いた。
ルヴィアは遠い目になった。
「寂しいかも知れないわね」
「だったら、お祖父様にお願いしましょう。叔母様なら直ぐに良い相手を見つけてくれるから」
「それは止めて」
はっきりとしたその拒絶には、ルヴィアにしては珍しく熱が込められていた。
そこでようやく空気の読めない子供ふたりも、ルヴィアがこの話題を嫌がっていることに気がついた。
「け、ケイ様は良い人はいらっしゃらないのですか?」
「えっ、えーと、私はいないなあ。エルメリアちゃんは?」
ケイはそう言ってごまかし笑いを浮かべ、お茶菓子――シュークリームだった――にフォークをぶっ刺してかぶりついた。
「私もです。同い年の男の子って子供っぽくて」
「あはは、そうなんだ」
「マージネル卿」
「え?」
「少し、じっとしていて下さい」
ルヴィアはそう言うとハンカチを取り出し、クリームのついていたケイの口元を拭った。
「あ、ありがとうございます」
子供のように世話をされたこともそうだが、ルヴィアの顔がすぐ近くまで迫ったことで、ケイは顔を真っ赤にした。
「いいのよ、ふふっ」
「な、何か?」
「可愛いのねと、そう思って。
……ごめんなさい。
皇剣の貴女に言うことでは無かったわね」
「いえ、子供っぽくて。すいません。
それにルヴィア様は綺麗で、その、とても素敵だと思います」
テンパってそんなことを口走るケイを、ちょうど戻ってきたメイドがしっかりと聞き届けたが、誰もそのことは気にしなかった。
「叔母さまは昔、絢爛祭でも優勝したのですよ」
「絢爛祭……、絢爛祭って、あの、精霊様の」
「……昔の話よ」
ルヴィアは面倒臭そうにそう言った。
四年に一度、守護都市の接続に合わせて行われる精霊感謝祭は、守護都市住まいのケイにとっては皇剣武闘祭が思い浮かぶものだ。
だが皇剣武闘祭は感謝祭のメインではあるが、全てではない。他にも護国豊穣を祝う祭り等もあり、絢爛祭もまた感謝祭の中の一つであった。
絢爛祭は平たく言ってしまえば年齢制限なしの美人コンテストであり、国中の美女や美少女が参加する一大イベントであった。
十二年前、当時少女だったルヴィアはエルシール家の代表として絢爛祭に参加し、優勝を果たしていた。
「じゃあ、次の政庁都市の皇剣は……」
「いいえ、私ではないでしょうね。私は……、そのための教育を受けてはいないわ」
絢爛祭は美人コンテストであるが、その副賞として精霊様に仕える栄誉が認められる。
そして皇剣を従える皇剣、政庁都市の皇剣が代替わりをする際は、彼女たちの中から次の至宝の君とも呼ばれる皇剣が選ばれる。
もしかしたら未来の上司になるのかもと予想したケイの言葉を、ルヴィアは言葉を選びながら否定した。
ルヴィアは絢爛祭での優勝の後、精霊様に仕えるための教育を受けるためいざ政庁都市に行くというタイミングで、彼女は恋仲だった男と駆け落ちをした。
もともと辞退する権利はあったし、その事で政庁都市から責められたという話をルヴィアは聞いていない。
だがそれでもエルシール家の看板に泥を被せた彼女が、再びそんな栄誉ある立場に就くことはないだろう。
「辞退をされたのですか。珍しいですね」
そんなルヴィアの内心がわかるはずもなく、ケイはそう相槌を打った。
「もったいないですよね。来年は私が出場するんです。ケイ様も一緒にどうですか」
守護都市に駆け落ちしていたことも含めて何も知らないエメラも、素直に叔母の経歴を惜しんだ。
「私はもう商業都市の皇剣だから出られないよ」
どうせ優勝できないから出ても構わないとは言わなかった。
例えそれが付き合いだとしても美人コンテストなんて出たらマリアに一生からかわれると、ケイはわかっていたのだ。
そしてふと、思いつくことがあった。
「何か?」
「あ、いえ、女装させたら優勝できそうな男のことを思い出して」
「えっ、男の子?」
エメラが驚いて驚いてそう言った。
絢爛祭に出れるのは女性限定なので、女装をさせるなんていうのはもちろん冗談でしかない。それは精霊様を騙そうとする不敬な行為だからだ。
ただそれはそれとして、聞き耳を立てるメイドの心のメモには男の娘も可としっかりと記された。
「うん。すごく口が悪いんだけど、すごく綺麗な顔をしてるんだ」
それぞれ興味の有無は違っても、エメラとルヴィアが同時に相槌を打った。
「天使って、聞いたことない? 英雄ジオの息子の」
「あ、あります。たしか、ええと、変わったお名前の。見に行きました、パレード。
でもケイ様とラウド様しか出ませんでしたよね」
「あ、うん。そう、あの二人は狡いから、ああいうの出なくて良いんだって」
狡いとは言ったものの、ケイとしてはパレードに出たくなかったわけではない。
ただ一緒に出たかった相手が逃げ出したから不満があるのである。
そんなケイに、彼らがそれを許されるのは無責任なフリーランスだからなのだと周りの人間は説明した。そして名家で生まれ育った騎士のケイに、そんな自由はないと。
その際にセージが気絶させられ無理矢理連れていかれたことを教えるものも、いなかった。
「狡くて口が悪い、天使ですか?」
首をかしげながらエメラが言って、ケイは慌てて訂正に入る。
「いや、どっちもそんなに悪い意味じゃなくて、ええと、狡いし卑怯だし口が悪いのは本当なんだけど、それだけじゃなくて、すごいやつなんだ」
「……それはフォロー、ですよね」
ルヴィアが淡々とした口調でそう言った。
「も、もちろん。
今の私がいるのはあいつのおかげだし、次の竜は一緒に倒すって約束したんだ。
その、あいつは私のおと――んんっ、ライバルなんだ」
「ライバル……なんか、格好いいですね」
九歳のエメラが気をつかってそう言って、ケイは機嫌よく頷いた。
「あいつは出ないって言ってたけど、次の皇剣武闘祭に出れば優勝してもおかしくないと思う」
「えっ、そんなに強いんですか」
「うん。出ないって言ってたけど」
もったいないねと、エメラは相手を変えて繰り返した。
「そうかもね。でもセージは変な奴だから、普通の人が欲しがるものに興味がないんだと思う」
「せーじ? 天使のお名前って、セージって言うんですか?」
天使の名前は誰かに教えてもらった気がする。それはおぼろげな記憶ではあったが、セージではなかったようにエメラは思った。
「うん。セージ、セイジェンドだよ」
パリンと、ティーカップの割れる音が響いた。
石畳の床に、ルヴィアが落としたのだった。
「叔母さま、大丈夫」
「え、ええ、大丈夫よ」
「お三方とも、動かれないでください。片付けます」
メイドがそう言って身を屈め、割れたカップの破片を集め、零れた紅茶を拭う。
「ごめんなさい。その、その天使は、英雄の息子だったわね。ベルーガー様と言ったかしら」
努めて平静を装ってルヴィアは言った。
この場にはエルシール家に忠誠を誓うメイドも、口の軽いエメラもいる。
そのことが彼女にかろうじて自制心を働かせた。
「いえ、ブレイドホーム。セイジェンド・ブレイドホームがフルネームです。あいつの家は少し複雑なので」
ケイの言葉に、そんな自制心が打ち砕かれる。
ルヴィアは言葉を失って、ケイを見た。
ケイを見るエメラと、足元で作業するメイドに、どうか私の顔を見ないでと願いながら、ルヴィアは涙を流した。
ただ一人それを見たケイが呆気に取られたながらルヴィアに声を掛けようとして、
「マージネル卿、非常呼集です。取り急ぎ大門防衛司令室までお願いします」
駆けつけた騎士の言葉に遮られた。
その瞬間、職業軍人のケイは意識を切り替える。
「了解。180秒で向かいます」
ケイは言いながら動きにくい礼服を脱ぎつつ、自室へと跳んだ。
空を駆け、一瞬で後ろ姿すら視界から消したケイを、その場に居たものたちは言葉もなく見送った。
「生きて、た」
ただ一人、蚊の鳴くような声で呟くルヴィアを除いて。
その声が聞こえたわけではないが、エメラがルヴィアのほうを向く。
「ケイ様、大丈夫でしょうか……叔母さま?」
ルヴィアは誰もいないほうを向いていた。
「目に、ゴミが。
少し、休むわ」
声が震えぬよう気を配り、ルヴィアは誰にも顔を見られぬよう苦心しながら自室へと帰っていった。
******
管制室を兼務する司令室では怒号が鳴り響いていた。
「なぜ接近に気付かなかった」
「直前まで魔力反応が隠されていました」
「距離、2000を切りました」
「砲弾は!? 防がれているのか!?」
「半数を整備に回しているせいで、集弾が不十分です。加えて敵の進撃速度が加速度的に高まっています」
「対策がなされているのか。
……おのれ、オーガは捨て駒だったとでも言うのか。厄介な相手だぞ、これは」
そんな中を、ケイは臆することなく防衛総司令のもとへと突き進む。
「皇剣ケイ・マージネル、ただいま馳せ参じました」
「結構。状況は極めて悪い。御身にも尽力いただくやもしれません」
「望むところです。精霊様の剣として、しかとこの大門を守り抜いてみせましょう」
不謹慎な気持ちを抑えながら、努めて冷静にケイは返事をした。
「現状は敵の素性すらわかっていない状況です。
通常の哨戒任務に出ていたハンターの反応ロストによって、ようやく危険が迫っているのに気づけました。
ライブラリに登録のない魔力反応で、探査魔法で視認することもできていません」
「ロストしたハンターの救援は?」
「行いません。死んだものとして扱います。
マージネル卿は物見台で控えていてください。まずは情報を揃えます」
「情報が不十分なまま大門での戦闘は避けるべきでしょう。私は打って出ます」
ケイの言葉に、総司令はたじろぐ。
都市と結界の防衛を考えれば、それは願ってもない提案ではある。
ケイはまごう事なきこの都市の最高戦力である。
偵察を任せて生還するのはもちろん、そのまま敵主力を撃破も見込める切り札中の切り札だ。
状況が不透明でリスク計算すらできないこんな状況でも頼れる、最高のジョーカーだ。
だが軍として正しい選択が、政治的に正しくないことはままある。
皇剣は精霊様の代行者であり、必勝が求められる存在だ。
偵察は重要な軍事行動だがしかし理解のない者たちの中には、兵士が戦わずに帰還する事を相手を恐れて逃げ帰ったのだと捉える事がある。
大衆にそう喧伝して皇剣の名誉を、ひいては彼女を運用する軍と総司令の名誉を貶めようとする輩が居る。
また可能性が低いとは言え、ケイが敗れ死亡することも考えられる。
戦場に絶対はない。
特に今回のように何も分からぬ敵を相手となれば、僅かな可能性も頭にちらつく。
そして皇剣に出撃要請をすれば、報酬の支払いが発生する。国内最高峰の戦力に出てもらう以上、それは決して安くない金額だ。
必要のない戦闘だったと後から判断されれば、無駄な経費を発生させたとして総司令の評価は著しく下がることとなる。
総司令は迷う。
迷って、決断を先送りにすることを決める。
「いえ、今は――」
「では、出ます。何かあればご連絡を」
そしてケイは通信機を叩き、人の話を聞かずに走り出した。
皇剣であるケイに、総司令は命令権を持たない。
だからといって無視することはないんじゃないかなと、総司令はそう思った。