260話 きましたわー?
エルシール家当主ダイアンは執務室で机に広げた新聞を見下ろし、グラスを傾けていた。
中身は氷で割ったウイスキー。
新聞では守護都市の天使が魔族のテロを未然に防ぎ、父である英雄とともに都市に入り込んだ魔物を討伐したことが大きく、そして隅の方には精霊様に仕えた戦士の訃報が小さく書かれていた。
ダイアンは冷たい目で新聞を見下ろし、何を言うでもなくのんびりとグラスを傾け続けた。
そんな静かな時間はノックの音に破られ、部屋に執事が入ってきた。
「失礼、お寛ぎの……」
執事は言いかけて止めた。
ダイアンが酒を嗜んでいるのが真っ先に目に入ったが、同時にもう一つのグラスを見つけたからだ。
ダイアンが飲んでいるものとは別のグラスに、氷を浮かべてウイスキーが注がれていた。
「気にするな。何か問題か?」
詮索するなと言わんばかりに、手を払ってダイアンは執事に用件を促した。
執事は顔色一つ変えず、事務的な態度で話を切り出した。
「はい、いいえ。問題というほどのことではありませんが、報告を」
「聞こう」
「マージネル卿ですが、男性には興味がないようです」
ダイアンは静かに頷いた。
「……そうか」
「はい。これは用意した男たちの実力が原因かもしれませんが」
「容姿や愛想ではなく、武力で男を審査していると?」
強い男が好きだといえば普通の少女のようでもあるが、ケイはこの国でも最強格の猛者だ。
意外と言うほどではなかったが、強い女はか弱い男を愛でそうなものだがなと、ダイアンは思った。
「その可能性がある、という程度ですが。少なくとも現状、色よい反応は返ってきていません」
「わかった。では、方針を変えるか」
「はい、その方がよろしいかと。口説かせるのは数名に絞り、他の者たちは控えさせて変化を見ようと思います」
執事は方針を変えることに許可を求め、ダイアンは鷹揚に頷いた。
「それでいい。贅沢や食事にも興味がないのだったな」
「興味がないというよりは、こちらが提供することに拒否感を示しています」
「警戒されている、か」
当然だなと、ダイアンは頷く。
男に見向きをしないのも含めて、取り込まれる危険性について心構えができているのだろう。
そうでなければ一人で商業都市に来ることはないだろうと。
だが――
「いえ、単純に施しを受けることを良しとしない教育を受けているようです」
「……ふむ。どういうことだ」
――執事の言葉はその考えを否定していた。
「どうにも、マージネル卿は深い考えをお持ちではないようです。警戒をしているのではなく、単純に好きなように振舞った結果が私たちにとって好ましくない形になっているのではないかと」
「……続けろ」
「はい。
彼女を迎えて一月あまりが経ちましたが、彼女はこちらに対する気遣いがずさんです。
当初は武力を持たない我らを軽んじているのかと思われましたが、同僚である現場の騎士たちへの応対が丁寧であることを鑑みる限り、単純に上流階級との付き合いに無知である可能性が高いかと」
「……名家の直系が、一人で来ているのだぞ」
信じられないといった様子でダイアンは零した。
「そうなのですが現状、彼女の行動と発言を分析する限りでは深い考えはないと、そう判断が出来るのです。
マージネル卿は騎士の軍規と皇剣としての規範に従う、一介の騎士であると」
ダイアンは天を仰いだ。
そんな少女をよその名家に預ける守護都市の名家が空恐ろしくなった。
そこには皇剣の権威とケイの戦闘能力があればどうとでもなるという自信もあるのだろうが、身内にするにはあまりに過酷な仕打ちである。
ダイアンであればいくら強かろうと大事な孫娘を一人で旅立たせるなんてことは絶対にしない。
「……彼女は、英雄ジオレインの娘であったな」
「はい。かなり高い確率でそうであると」
「疎まれているのやもしれんな」
新聞に目を落とし、わずかに同情的な色合いを滲ませてダイアンはそう言った。
「……そう、かもしれません。あまり社交的でないのは人付き合いの経験が少ないから、とも考えられますので」
「で、あるならば、男をあてがうよりも歳の近い女友達を用意するほうがいいか」
「手配いたします」
打てば響く気持ちよさでそう答える執事に、ダイアンは重ねて注文をつける。
「性格の良い娘を用意しろ。打算的な者では余計な猜疑心を生む」
「畏まりました。事情を伝えず、話し相手になるよう伝えます」
執事がそう答えたところで、執務室のドアが勢いよく開かれた。
「お祖父様!!」
「エメラ」
「エルメリア様、はしたないですよ」
ノックもなく扉を開け部屋に入ってきたエメラの行動を、執事は注意した。
エメラは悲しそうな顔で俯いた。
「ごめんなさい」
「いいんだよエメラ、ちょうど話も終わったところだった」
ダイアンが席を立ってエメラを抱え上げ、よしよしと慰める。
五十路を超えたダイアンにとって九歳児のエメラを抱えることは腰にくるものがあったが、孫のためならばそんなものは何でもないことなのであった。
嬉しそうな笑顔のエメラとは対照的に、執事の顔は苦いものとなっていたが、ダイアンはそれを視界に入れなかった。
なので執事は耳に訴えかけた。
「ダイアン様、甘やかしてはエルメリア様のためになりません」
「おーおー、バッカスは口うるさいのぅ」
「口うるさい、口うるさい」
「このっ、糞ジジイ……」
「なんだと貴様、エメラが悪い言葉を覚えたらどうするのだっ!!」
「……失敬」
今にも舌打ちをしそうな形相で執事は謝罪した。
「ところでエルメリア様、本日はどのようなご用向きでしょうか」
「うん、お祖父様。私、ケイ様に会いたい」
ダイアンは唸った。
商業都市の皇剣を決める先の皇剣武闘祭で、エメラはケイのファンになった。
いつか会わせてあげると約束はしたが、それはまだ果たせていない。ケイという人物を見極められていないからだ。
しかしダメだと断れば孫に嫌われるかもしれない。
だからわかっているよなという目で、ダイアンはちらりと執事を見た。
「よろしかったですね、ダイアン様。マージネル卿の話し相手を探していたところでしたから」
執事を見る目は、裏切り者を見る目に変わった。
「本当、お祖父様!?」
「あ、お、う、うむ……」
ダイアンは救いを求めて裏切り者へとバトンを渡す。
しかし返ってくる執事の答えはとても冷たいものだった。
「ダイアン様、エルメリア様がご返事をお待ちですよ」
「くっ……。わ、わかった」
執事の冷たい目と、孫娘のキラキラとした期待の眼差しに挟まれ、ダイアンは屈した。
******
その日、ケイは自分のファンだという少女に会いにいく。
その子は衣食住でお世話になっているエルシール家当主の孫娘だった。
どうやらケイが出場した皇剣武闘祭を見に来ていたらしく、会って話をして欲しいとエルシール家の執事に頼まれたのだ。
その際、同席した当主ダイアンからは無理をしなくてもいいとしつこく念を押されたが、世話になっている身の上でそんな簡単な頼みごとを断るほどケイは擦れていない。
快くその申し出を引き受けた。
引き受けたが、しかし名家で開かれるお茶会の作法ってどうするんだろうと、頭を悩ませてもいた。
ケイは名家の令嬢のはずなのだが、礼儀作法の授業はあまり真面目に受けてこなかったのだ。騎士としての振る舞いならばともかく、令嬢としての振る舞いはほとんど記憶から抜け落ちている。
そんな頼りないあやふやな記憶を必死で思い出しながら、エルシール家のメイドに案内されて、ケイはそのサロンに足を踏み入れた。
ケイが招かれたのはエルシール家が誇るバラ園だった。
色とりどりのバラが咲き誇り、芳しい香りが満ちている。
そんなバラ園の中央に用意されたテーブルセットにケイは案内される。
そこでは黒いドレスの女性がお茶の準備をしていた。
「マージネル卿、どうぞお掛け下さい」
「は、はい」
顔を赤くしたケイは、気圧されるように返事をして席に着いた。
その女性はとても美しかった。
女神のようだと表現しても決して言葉に見劣りすることはないだろう。
夜の闇よりも深く澄んだ黒い髪と黒い瞳。
それとは対照的に映える白磁のような肌。
気だるさを醸し出しながら、それすらも色気へと変える大きな瞳。
艶のある柔らかな唇。
これほど美しい女性を、ケイは今まで見たことがなかった。
そんなケイを案内のメイドが注意深く見ていたが、それには気付かなかった。
「ごめんなさいね」
「えっ?」
ぼんやりと見蕩れていたケイに、女性は謝罪をした。
「こちらから呼んでおいて、お待たせをしてしまって」
そう言われて、ケイは話し相手になって欲しいと言われたエメラ――九歳の少女――の姿が見当たらないことに気がついた。
「いえ、全然。気にしないでください」
「そう、ありがとう。
さっきまではいたのだけれど、すぐに戻ると言ってまだ――ああ、帰ってきたようね」
女性の視線を追えば、花束を抱えた少女が駆け寄ってきていた。
「ケイ様っ!!」
抱きつかんばかりの勢いで、というか実際に勢いよく抱きついてきたエメラを、ケイは慌てて席を立って受け止めた。
「会いたかったです、ずっと。憧れてました」
「あ、う、うん、ありがとう」
「エメラ。マージネル卿が困っているわ。離れなさい」
「はーい」
エメラは女性の言葉に素直に従うと、花束を一旦テーブルに置いて、ドレスの裾の掴んで一礼した。
「はじめまして、ケイ様。エルメリア・エルシールです」
おしゃまで可愛らしい女の子といった様子に、子供好きのケイは頬を綻ばせた。
そんな様子を案内のメイドが注意深く見ていたが、やっぱり気づくことはなかった。
エメラはドレス姿だが、ケイはパンツルックな騎士の礼服だ。
くどいようだがケイも一応は名家の令嬢であるので、カジュアルなものから豪奢なものまで一通りのドレスは持っている。
だが軍人としては赴任することを考え、それらのドレスは持ってきていない。
またエルシール家から貰ったものがあったが、それは貰ったその日にクローゼットにしまいこんで忘れている。
ケイに注意できるものがいれば、そのドレスで行くべきだと進言できただろうが、そんな人間はいなかった。
そんな訳でケイは着込んだ礼服に相応しい(男性的な)騎士の答礼で、エメラに返した。令嬢としての返礼は結局思い出せなかったのだ。
「警邏騎士、皇剣ケイ・マージネル。本日はお招き頂き、感謝致します」
それを見て、エメラが格好いいと顔を赤らめた。
そんな様子を案内のメイドがしつこく注意深く見ていたが、やっぱり全然気づくことはなかったのだった。
ラウド「まあ、半分男だからな」
ケイ 「違うし。自分がホモだからって仲間にしないでよね、おっさん」
マリア「そうです、ホモは黙りなさい」
ラウド「……この糞師弟は」
だがしかしケイがか弱い女性を愛しているというデマはこの後、商業都市に広まることになる。
ケイ 「え?」
広まるのだ。
ケイ 「……えっ?」