255話 過保護なオカン
テストの日以降、マギーは家の手伝いを休んでマージネル家にお邪魔していた。
ローティーンの子供達と机を並べて、勉強をしていた。
マージネル家で面倒を見る子供たちは原則的に騎士養成校に入るが、数年前からストリートチルドレンを引き取り面倒を見ていた。
彼らは学校に通ったことがないため、事前教育をマージネル家で受けている。彼らは基本的には一年か二年で養成校へと移っていくが、中には学校に馴染めずそのまま成人を迎え、ギルドに登録するものやマージネル家の下働きとして就職するものもいる。
そんな少年少女たちと一緒に、マギーは基本的な勉強を受ける。内容的には小学校高学年程度の内容だったが、それまで託児所で預かっている、養成校に入る前の子供達への勉強ぐらいしか経験していないマギーにはなかなかの苦痛だった。
何よりずっと机に齧り付いて教科書と板書をにらめっこすると言う経験もなかった。
そのせいか昼休みがとても楽しみで、お昼を食べたあとはみんなでバレーというものを楽しんだ。
ネットもラインもなく、バレーボールを地面に落とさないようレシーブとトスを繰り返すだけのそれは正確にはバレーではなかったが、マギーはバレーだと教わった。
遊んでいる時間はないという気持ちが最初はあったが、なんでもいいから体を動かしたいという欲求には逆らえなかったし、遊びを通じて仲の良くなった子達の誘いは断れなかった。
そんな楽しい昼休みが終わればまた勉強の時間だ。
だがその前にマギーにお客さんが来た。
その人はエースという人で、よく遊びに来るケイのお爺ちゃんで、家にも何度か来たことがあった。マギーも当然、会ったことがあるし、お菓子をもらったこともあった。
名家の当主というと一般的には怖い人のイメージがあるが、マギーにとってエースは優しいお爺ちゃんだった。
「頑張っとるかね、マギーちゃん」
「はい。良くしてもらってます」
「そうかそうか。よいよい。食後にの、甘いものを用意したから、後でみんなで食べなさい」
エースがそう言うと、お盆に一口サイズのチョコレートを山盛りに載せた女給が現れ、教室が色めき立つ。
「お父様」
ただその歓声は次期当主のトムスが現れたことで一気に沈下する。
「そうたびたび子供らを甘やかされては困ります。この子達は言わば落第生。さっさとこんな授業は卒業してもらわねばならないのです。この境遇を良しとさせてどうするのですか」
「馬鹿もんトムス、食後のデザートぐらいがなんだ。それに未来ある子供を簡単に落第生などと呼ぶでない」
「頻度が問題だと言っているのです。ケイが派遣されてから毎日のように幼子のところに顔を出して」
「寂しくないわバカタレ」
「自覚が有るならなおのこと自重してください。さあ仕事が残っているんです。行きますよ」
「あ、おい、何をするトムス。放せ。放さんか。
ええいっ、マギーちゃん。困ったことがあればすぐにこの爺に言うんじゃぞ。セージにもそう伝えよ、わか――」
エースは最後まで言わせてもらえず、トムスに連れ去られた。
残された女給は、
「さて、それではみなさん。取りに来てください」
慣れたものだと、笑顔で子供たちにチョコレートを配り始めた。
******
おおよそ三時ぐらいまでマージネル家で授業を受けて、その後でマギーは騎士養成校に向かう。
一人ではなく、養成校から帰ってくる子供たちを迎えに行く大人と一緒にだ。
養成校に付けば、まずは事務室に挨拶をして、そこからはもう案内もなく校内を進む。
学校の中は広く知らないエリアも多いが、何度も通えば目的の教室までは迷わない。何度かは迷った。
多目的教室Cと書かれたプレートの部屋に入れば、そこには妹のセルビアが待っていた。
広い教室でただひとり、最前列の端っこに彼女はいた。
「こっち、こっち」
セルビアは嬉しくて仕方ないといった様子で、元気よくマギーを手招きする。
その純粋さを眩しく、しかし同時に嬉しく思いながらマギーはセルビアの隣の席に座った。
騎士養成校初等科の授業はもう終わっている。
ただ来年の皇剣武闘祭新人戦の推薦枠を目指しているセルビアは、それまでに騎士養成校卒業程度の学力を身につけなければならない。
シエスタの作ったテストでは高得点を取ったセルビアだが、さすがにまだそこまでの学力は身につけていない。
だからこうして居残って課外授業を受けていたし、そこにマギーも参加させてもらっていた。
「やあ、早いですね」
教室に入ってきて、マギーたちにそう声をかけたのはグライ教頭だった。
席を立って挨拶をしようとするマギーを、グライ教頭は手を挙げて制した。
「今日の先生は教頭先生?」
「ええ、そうですよ。
マギー君、授業はどうですか? ついていけない部分があるならお教えしますから、遠慮なく言ってくださいね」
「あ、はい。大丈夫です」
「ははは、そう緊張しないで。
そうですね。少し時間もあることですから、お話をしましょうか」
グライ教頭はそう言った。
マギーは特殊な例外だが、この課外授業はセルビアが受けているように、主に新人戦の推薦枠を望んでいる者が受けるものである。
もちろん養成校の先の士官学校、その先の将校過程を見据えて内申点を上げるために受けているものや、単純に士官学校の編入試験に備えて勉強をしに来るものもいる。
士官学校は入学願書を出せば試験の出来がどうあれ9割9分合格するが、一応そんな真面目な子もいる。
そして新人戦を見据えている子供たちは、養成校でも高等科の13歳から15歳となる。彼らの授業は初等科のセルビアより少しだけ長かった。
「マギー君は学校に行きたいということでしたが、養成校はお嫌でしたか?
十五歳からでも養成校には入れますから、そのあとで一般の高校に行かれても良かったのでは?」
グライ教頭の、思いのほか踏み込んだ質問にマギーは言葉を詰まらせた。
隣ではセルビアがこくこくと首を縦に振っていた。
「その、それは……」
答えはマギーの中ではっきりしていた。ただそれを口に出すのは憚られた。
「失敬。どうにも無遠慮な性格でしてね」
グライ教頭は苦笑して、忘れてくださいといった。
ちょうどそのタイミングで、教室の扉が開き、数名の生徒が入ってきた。
「……ちっ」
その中で先頭にいた人物は、マギーたちを――正確にはセルビアを――見て、舌打ちをした。
「マックス」
それを聞きとがめて、後ろに居た友人が小突いた。
「わかってるよ」
マックスは友人にそう答えて、席に着いた。
マギーたちと一番離れた、しかし最前列の席だった。
マージネル家の授業とは違う難しい授業(マギー主観)を終えれば、セルビアと一緒にお迎えを待って家に帰る。
慣れない勉強でもうくたくたで、でも最近厳しいセージが終わったら一日の復習をしようと言い出すのを想像してげんなりとした気持ちになる。
今やっていることが将来なんの役に立つのか、マギーにはわからない。何の意味があるのかわからない。
でも何も分からず暗闇の中を歩いていたような今までと違って、これをやるべきだと道が示されたような気もしていた。
「……がんばろう」
マギーはとなりのセルビアにも聞こえないくらいに小さく呟いた。
それでも何か言ったのを感じ取ったのか、セルビアが無垢な顔でマギーを見上げてきた。
「何でもないよ。セルビアはお友達とうまくやってる?
学校に嫌な子はいない?」
「……いないよ」
セルビアは顔を背けてそう答え、マギーは苦笑した。
セルビアには学校にたくさんの友達がいた。
ブレイドホーム家に預けられていた子供たちや、マージネル家のデボラ、それ以外にもたくさんの友達がいる。
でも、友達じゃない子もいた。
セルビアがいい子で、勉強も武道も頑張っているから、嫌な目で見る子もいた。
きっと彼らはセルビアが新人戦に出ようとしなければ、嫌な目を辞めるだろう。
そしてセルビアは、そんな弱気なことはしないだろう。
マギーと違って、夢を持っているから。
「ねえ、私がいなくなっても、セルビアにはセージが付いてるからね」
だから頑張ってと、そんな思いをのせてマギーは言った。
セルビアは頷いて、すぐに首を横に振った。
「……うん。いいや、マギーもいなくならないよ。
離れてたって、家族だって、アニキ言ってたもん。だから、いなくなるなんて言ったらめーだよ」
「そう、そうだよね。ごめんね。変なこと言って」
「うん。ずっと一緒だもん」
セルビアは力強くそう言った。
マギーはそんなセルビアの頭を優しく撫でた。
そんな風に他愛のないやり取りをしていると、お迎えが来た。
今日のお迎えはアベルで、セルビアが少しむっとした。
セージじゃないといつもこうだよとアベルが言って、セルビアが照れ隠しにそのお尻を叩いた。
最近、父がよくセージに殴られたり、家にお役人が来たり、シエスタが離れから移ってきたり、その代わりにマリアが離れに引っ越してきたりと、慌ただしく変化は訪れているが、マギーの新しい日常は概ね平和だった。
◆◆◆◆◆◆
金がない。
金が欲しい。
浴びるほどに金が欲しい。
いや、お風呂いっぱいに札束を集めても借金は返せないんだけど。
とりあえず兄さんとシエスタさん、そしてマリアさんには現状を伝えているが、他の子達には莫大な借金は黙ったままだ。
特に姉さんには絶対秘密だ。今知られれば間違いなく、学校なんて行かない、働くと言い出すだろう。それは避けたいのだ。
慰霊碑の破壊も損害賠償請求も新聞報道されたが、関心を持つ人は少なく、周囲はバカ親父がまた暴れたんだぐらいの認識だった。
ああ、私も請求金額を知らされるまではそんな認識だったよ。10億や20億ぐらい(日本円換算)なら問題なく支払えるから気が緩んでいたよ。
くそっ、親父もデス子もとことん祟ってくれる。
まあとにかく周囲は借金をしていることに気づいていない。
二年前に竜殺しで報酬もらってるんだから借金になんてなるわけないと思い込んでいる。
ミルク代表に『災難だったが、金の使い道に困っていたからちょうどいいな』と、からかわれた時は本気でイラっとしてしまった。
だがこの状況は姉さんに限って言えば好都合である。
お役所も返済ペース(100年オーバーで完済予定)を守ればうるさくは言わないとの事だったので、当面はごまかせるだろう。
そして姉さんは鈍感系ヒロインなのできっと大学卒業まで騙されてくれるに違いない。
さて何はともあれ借金の督促を回避するためには返済ペースを守らなければならないし、百歳まで借金が付きまとうなんてのはゴメンなので早期完済を目標にしていく。
今はまだ荒野に出れないので、芸術都市で高額報酬のお仕事に専念だ。
姉さんは悪いけど他の大人たちに見守ってもらおう。
頭を下げて回った限り、みんな気にしてくれると請け負ってくれた。
きっと大丈夫だ。
きっと大丈夫に違いないから、私はお金を稼ぐ。
お金を稼ぐぞ!!
「うんうん唸ってないで早く働きに出なよ」
すいません、お兄様。今出ます。でもその扱いはちょっと冷たくないですか。