253話 お勉強をしよう
「アベルのはケアレスミスよね。満点取れたでしょ?」
「国語のスペルミスと魔法学の選択問題はそうだけど、二百四十三年の都市法整備をした人の名前は完全に忘れてた。受けてよかったよ」
ほぼほぼ満点の婚約者にダメ出しをするシエスタさんと、それを余裕の態度で受け止める兄さん。信頼関係が熱々ですね。
そしてそれを横目に、妹がテストを見せびらかしてくる。
「えへへ、私アニキに勝った」
「うーん、魔法学の点がひどいよね。なにが間違ってたんだろう」
「すいません。セージさんの答えは正直私では採点できない領域にあるので、暫定的に間違いとさせていただきました。きっと現在の定説の方が間違っているんだと思います」
うん。それは過大評価が過ぎると思うの。
まあ魔法は個人の感覚によるところが大きい分野なのだが、私はチート魔力感知があるせいで一般論に頼る必要がない。
そのため魔法の学術書等は読んだ事はあってもろくに参考にせず、自分の感覚でたいていの魔法を習得している。
今回の結果はそこら辺が原因だろう。
つまり私が妹にテストで負けたのはデス子のせいなので、デス子は責任を取ってタンスの角に小指をぶつけて欲しい。
「アニキはね、勉強分かりやすく教えてくれるけど、魔法の実技じゃなくて筆記試験の時だけは忘れなさいって、教頭先生が言ってたの」
「妹、それはテスト前に言って欲しかったよ」
「うへへ~。ごめーん」
にへら~、とだらしなく頬を緩める妹とは裏腹に、どんよりと重い空気を放つ姉さんがいた。
「セージやアベルはともかく……セルビアにも、よりにもよってカインにもっ」
「どういう意味だよ。俺のほうが先にバイト始めてんだから常識ある方だっつうの」
次兄さん、空気読んで。
「バイトとか関係ないじゃん。なによあれ。数字の後にアルファベットとかつけて。あんなの何の意味があるのよ」
……うん? ああ、一次関数とか二次関数の話か。まあ四則演算しか知らない姉さんにはきついよなぁ……って、あれ?
「次兄さん意外に数学の点良かったよね。カンニング?」
「ぶん殴るぞ、セージ。
なんとなくイコールとかで繋がってるし、Xを出せって書いてたから、適当にやってみたんだよ」
おお、さすがのお兄さまの弟だけあって対応力がある。
「そんな事よりなんでお前そんないい点なんだよ。おかしいだろ」
まあ問題を作ったシエスタさんが、姉さんの心をへし折らないように難易度低めに作っていたっていうのもあるけど……
「いや、毎日妹の勉強見てるから、中学――ええと、養成校卒業ぐらいまでならひと通りわかるよ。
次兄さんもせっかくだから勉強したら? 無駄になるようなもんじゃないし」
将来はギルドで働く気満々の次兄さんだが、学歴はあったほうが役に立つだろう。クライスさんみたいに引退後は騎士になるかもだし。
そんな訳で遠まわしに次兄さんにも学校を勧めてみる。
「そうか? 大昔の誰が何したとか、物語の登場人物が何を考えてただとか、なんの役に立つんだよ」
「直接は役に立たないけど、無いよりもあったほうが良いのが知識で、魔力や体と違って目には見えないけど、思考力を鍛えると色んなところに役立つよ」
「ふーん。まあ面倒くさいからパス。俺はお前やセルビアみたいに器用じゃないんだよ」
次兄さんの意思は固いようだ。以前の姉さんのように、無理やり自分の欲求を押さえ込んでいる感じはしない。
「……私、諦める」
「え?」
「こんな点数じゃ、高校なんていけるはずないもん」
あ、いつの間にか姉さんが自分の殻に閉じこもろうとしている。
「そんな事ないわよ、マギーちゃん。むしろ十分望みのある点数よ」
「慰めないで。カインよりも低いのに、こんなのが良い点なわけないじゃない」
「おい、お前ら俺のこと馬鹿にしすぎだからな。特にマギー、お前は俺より馬鹿だってはっきりしたんだからな。そこんところ忘れんな――いてぇっ!!」
取り敢えず突っ込み待ちだったに違いない次兄さんをしばいておく。
「姉さん、受験はいつかわかる?」
「……知らない」
姉さんは首を横に振った。
「来年の三月。まだ半年近くあるよ。
合格ラインは、わかる?」
「受験に受かる点数のこと? 学校も決めてないのに、そんなのわかるわけないよ」
「そうだね。実は定員割れっていう言葉があって、試験を受けるだけで合格するような高校もあるよ」
「セージっ」
楽な抜け道のようなことを勧めるなと、兄さんが険のある声を出す。もちろん私も同意見だ。
「クリムさんは難関の高校に行きたいって言ってたでしょ。お金はかかるけど、それでもみんなが行きたがるような有名で立派な高校に」
姉さんは神妙な顔で頷いた。クリムさんのことを詳しく知っているわけではないけれど、それでもはっきりと夢を抱いて、その熱を前向きな行動につなげていた。
姉さんはそれを思い出しているのだろう。
「勉強は当然しなきゃだけど、まずははっきりとした志望校を見つけよう。そうすればモチベーションも上がってくるしね。
大丈夫。
シエスタさんも言ったけど、時間はまだあるし、遅くなんてないよ」
うんと、姉さんが頷く。いい子だ。
「でもまあとりあえず、道場に行こうか。親父が待ってるからね。妹、姉さんを連れて行って」
「アニキは?」
「ちょっとエースさんのところに」
妹はわかったと言って、姉さんや次兄さん達と道場へ行った。
そしてシエスタさんが私に声をかけてくる。
「私もご一緒してよろしいですか?」
「別に構いませんが、なにかありましたか?」
シエスタさんは監査官なので、マージネル家、ひいては警邏騎士に何か用でもあるのだろうか。街には不良騎士多いし。
しかしあるとしたら私まで警戒されてしまうので同道は避けたかったりしますよ。
ただでさえ次期当主のトムスさんや皇剣のワルンさんにはきつい目で見られることがあるし。
いや、本当に睨まれるわけじゃあないんだけど、相手がにこやかに笑っていても敵意や警戒心を抱いてるのは分かってしまうのですよ。デス子のせいで。
「マージネル家といいますか、マリアですね。正式に引き抜きをしようかな、と。
ケイさんの家庭教師という役割はもう必要性が薄れているとのことでしたから、先方としても高い給金での契約は解消したいでしょうからね」
「……ケイさん、泣きません?」
「別に引き離そうってわけじゃあないですよ。商会ではなく、監査室付きの騎士として雇うつもりですので、マージネル家の出入りにも不自由は起きないはずです」
まあ、そういうことなら大丈夫か。いや、ケイさんはやっぱり捨てられたと勘違いして泣きそうだけど。
まあそうなったらそうなったらで、マリアさんは大喜びしてからかうんだろうなぁ……。
あ、そう言えばマリアさんって今はマージネル家の持っているマンション――その中でも最上等――で生活してるよな。
引き抜きが成功したらそこって引き払わなきゃいけないよね。
「シエスタさん、もしかしてなんですけど、このタイミングで引き抜きをするのって……」
「使ってない客間って、ありましたよね。マリアが怖気付くようなら、私が離れからそっちに移ってもいいですけどね」
いえ、それは妹の教育に良くないので……いや、マリアさんも教育には悪いか。
まあシエスタさんが離れからこっちに来たら夜の防音はしっかりしておこう。あと私も寝ぼけて魔力感知伸ばしたりしないように気を付けよう。
たまにやっちゃうんだよね。
夜中にふと目が覚めて、人の気配を感じてなんとなく魔力感知伸ばして、トイレを覗き見てしまうとか。まあ魔力しか見てないので覗き見は正確ではないけれど。
ともあれ一晩たって冷静になって、頭を抱えているであろうマリアさんの退路を断つというのには大賛成だ。
いい加減くっつけよと思うことは多々あったし、一日以上経ったのにまだ家に来てないし、どうせ悶々として固まっているだろうから迎えに行く意味でも。
「それじゃあ、行きましょうか」
「ええ」
そんなこんなでシエスタさんとお出かけしようとしたら、
「セージ君、いるよね。いるに決まってるよね。どこにも逃げてないよね」
なんか、アリスさんが血相を変えて飛び込んできた。
なんだろう。
「ごめん、緊急の出頭命令。セージ君だけですぐに来てって。その、今すぐに」
「え、あ、はい」
「……セージさん?」
シエスタさんが心配そうに見つめてくる。
ギルド絡みといえば、先日の魔族討伐の件だろう。
あいつの戦果をかすめ取る気も、お偉いさんの高貴な嘘に付き合う気もないので、後日芸術都市で開かれる大規模な表彰式への招待はきっぱりとお断りをした。
そのせいで私の担当であるアリスさんには迷惑が掛かっているのだろう。お前がちゃんと説得しないのが悪いとか、そんな感じで。
まあそれもギルドの偉い人と話をすれば済む話だろう。だめならもう一回スノウさんのところに殴り込めばいいし。
「いえ、大丈夫ですよ。
シエスタさん、悪いんですがやっぱりマージネル家には一人で、いえ、護衛に兄さんと一緒に行ってください」
「わかりました。エース様にはどのような御用があったのでしょうか」
「養成校の授業や、それが終わったあとの補講を姉さんに受けさせてあげられないかなって思ってたんですけど、急ぐ話ではないので。
また日を改めて頼みに行きますよ」
マージネル家は学習塾のような事をしているし、騎士養成校の運営もしている。いつぞやの課外授業ではないが、短期的に姉さんを学校で勉強させられないか相談してみようと思うのだ。
兄さんはメンタルが超人なのであれだが、姉さんは普通の子なので同年代の子供達と机を並べたほうが良い刺激を受けられるだろうから。
「シエスタさんはマリアさんをよろしくお願いします。
僕はギルドの用件を片付けておくので」
私はそう言ってアリスさんと共に気楽な足取りでギルドに向かい、絶望を告げられた。