251話 マリアさんやっちゃって
色々あって、セージと話して。
マギーは一つの思いを抱いた。
ずっと思い悩み、そんな望みを抱いてはいけないと、頭の片隅に追いやっていた考えだった。
それでも頭の中から完全に消えることはなく、夢に向かって正直に自分の気持ちを言えるアベルを妬み、クリムに憧れた。
私も言おう。
マギーはそう思った。
そう思って決意を固め、しかし自分がこれまでアベルに言ってきたことを思い出して怖気づいて、それでも言わないとと気持ちを強く持とうとした。
夕御飯の時に、家族のみんなに言うんだと、そう強く思った。
そうしたら変態の酔っぱらいがやって来た。
困ったような助かったような、変な気持ちにマギーはなった。
******
「うぇい」
ほぼ無断で家の中まで上がり込んできた酔っぱらいのマリアは妙な声を上げて、ジオにもたれかかった。
「……酒臭いな」
「ぅぇ、うっ、うっ……」
ジオが素直にそう言うと、マリアは涙ぐんだ。
「な、なんだ」
「なんでそういうこと言うの」
「おい、大丈夫か……」
勝手の違うマリアの様子に、ジオが狼狽える。
「マリアさん、落ち着いて。いつものバカ親父だから。デリカシーがないだけですから。ほら、お水飲みましょ」
「バカじゃないもん」
「あ、はい、そうですね。バカじゃないですね。とりあえず、ほら、こっちに来て、座りましょう。ね、落ち着いて。いい子だから」
色々と見通しているセージがマリアをそう言って介抱する。マリアは手を引かれるままに椅子に座った。
「……何をしに来たんだ、お前」
半眼で訝しむジオの言葉に、マリアは泣き出した。
「来ちゃ悪いっての!! シエスタなんて毎日来てるのに。私だっていいじゃない」
「いや、悪いとは――」
「ジオはいつもいつもそう。人のこと邪魔にして」
「あ、マリアさん。落ち着いて。記憶が残ってると後でアレだから。たぶん私にとばっちりが来るから。今はゆっくり休みましょう」
「なによセージまで私を馬鹿にして。私は大人なんだからね。お酒だって飲むもん」
「何の話っ!?」
「セージは子供なんだから大人しくしてればいいのに、私、私が、う、うああああああぁぁぁぁぁあああん!!」
本格的に泣き出したマリアの頭を抱いて、セージは優しく撫でた。お前がやれよとジオを睨みながら。
「わ、私が、悪かったの。ごめん、ごめんね」
「ああ、いや、マリアさんは何も悪くないですよ」
セージは何の事か分からないけど、という言葉を飲み込んで、そう慰める。
「だって、だって、私がいたら、止めれたのに、私が止めないといけなかったのに。いなくなって、どうせ出てくるからって、呪われたのに、アンネ死んだのに、それでもいなかったのに、探さなくて、わた、私が――」
「いや、お前には無理だ」
マリアがデイトの事を言っているのだとわかって、ジオはバッサリと切り捨てた。
「バカ親父っ」
「事実だ。あいつは誰にも止められなかった。止めるチャンスは俺にも、セージにもあった。それでも止められなかった。あいつはどうなっても諦めない。そう言う奴だ」
ジオがそう言うと、マリアは泣き止んでその目を見て、
「……ジオ」
「なんだ?」
「エロエロエロエロエロエロエロエロ」
吐いた。
セージが抱きかかえていたので、しがみつく形でべっとりと吐いた。
ある程度それを予想していたセージは幻視魔法で〈見せられないよ〉と、吐瀉物がほかの家族に見えないよう仕切りを生んだ。
ただ音と匂いは遮断できなかったため、何が起きたかは誰もが理解するところだった。
「ちょっとマリア、どこに吐いてるのよ」
「大丈夫ですよ、限界が近いのは分かっていたので。換気をしたいので、窓と扉を開けてください。あと、バケツも。まだ胃の中に残ってるみたいだから」
「はい、すぐに」
苦笑するセージにシエスタは勢いよく返事をして、小走りで窓や扉を開け始める。
「バケツは僕が」
アベルがそう言って部屋を出て、掃除道具入れに向かう。
「次兄さん、姉さんも。臭いが残るだろうから、ご飯はリビングで食べよう。お皿、移しておいて」
「おう」
「うん」
セージは抱きつかれたまま、マリアの見せられないよ第二波を受けつつ、指示を出す。
「妹はトイレに行って。気持ち悪くなってるでしょ」
「う、うん」
もらいゲロをしそうになっている妹をトイレに促し、セージは魔法でマリアの見せられないものを処理していく。
ジオはマリアの見せられないものが飛び散ってくるのを嫌がって距離をとっていたので、セージはこっちに来いと手招きをした。
「マリアさん」
「ごめ、ごめんね、セージ。わたし、だらしなく、うっ」
「いいんですよ。たまにはお酒の力を借りたって。
ほら、親父に言いたいことがあったんでしょう」
胸元から足の先まで見せられないもので汚れ、悪臭に耐えるセージは邪悪な笑顔でジオを見た。
「話だな。話だよな。話をするんだろう」
「ははは、拳で会話できる親父が今更何を言ってるのかな。
ほら、マリアさん。遠慮なくどうぞ」
「く、くそ、来るなら来い」
マリアはセージから離れて、よろよろとジオにしがみついた。
「ジオ……」
マリアの服装はいつものメイド服ではなく黒いスーツ姿で、苦しいのか胸元を大きくはだけていた。
悪酔いをしている顔色は赤く、そしていつもはない儚さがあった。
とろんとした目でマリアはジオを見上げ、
「大好き」
そう言った。
シエスタはずっこけて窓ガラスを額で割った。
アベルはすっ転んで持ってきたバケツを頭からかぶった。
マギーとカインは大げさに振り向いて持っていたお皿を落として割った。
トイレから戻ってきたセルビアは頬を赤く興奮させ、目を輝かせた。
セージは、人の感情を見通す瞳を持つ少年は、やれやれと肩をすくめた。
そしてジオは――
「そ、そうか」
――それしか言えなかった。
「い、い、今のなし。私何も言ってない。私は何も言ってないから」
氷水を頭からかぶった気分のマリアが慌ててそう言うと、ジオは天を見上げていた。
顔を下ろすと、額が少し赤くなっていた。
マリアには見えなかったが、彼女の後ろにいるセージは次の衝弾の準備を終え、ジオに照準を合わせ睨んでいた。
お前もうこれ逃すと結婚のチャンスとか無いんだからなちゃんとしろよとその目は言っていたが、ジオにはなんだこいつ怖いとしか感じられなかった。
「その、なんだ。そういう事か」
「え、あ、その、そういう事じゃない。全然違う。違うから」
「マリア、勇気を出して」
額から血を流しているシエスタがマリアに寄り添って、そう言った。
アベルは何も言わずそんなシエスタの側に寄って、髪に埋もれている窓ガラスの破片を取り除き、血を拭った。
マリアは身体活性を高めてアルコールを分解し、必死に酔いを覚ます。
床に落ちて散らかった料理や割れたお皿、窓ガラスなどを掃除するのはカインとセージだけで、セージにしても魔法で手伝っていたので、見た目上はカインだけが掃除をしていた。
それ以外はみんな手を止めて、マリアとジオを注目していた。
マリアの体からは変な汗が出てきた。
全身が暑くて、特に顔からは火が吹き出しそうだった。
口の中がからからで水が飲みたい。
ゴクリと、大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
思った以上にそれは大きな音が出て、ひどく気恥しかった。
「あの、ね……」
「ああ」
ジオは相槌を打った。何を言っていいのかわからなかった。
というか、この場の妙な緊張感が嫌で逃げ出したかった。
「ずっと、好きでした」
ジオは何も言えず、その手を伸ばした。
マリアの頬に触れ、嫌がられていないと分かって、その頭を抱いた。
マリアは涙を浮かべながらジオに強く抱きついて、
「エロエロエロエロエロエロエロエロ」
吐いた。
頑張って我慢したけど、無理だった。
抱き合う出来立てカップルに、セージが〈見せられないよ〉と幻視魔法をかけた。
******
粗相を繰り返したマリアはジオの寝室に運ばれ、しばらく横になって休んだ。
セージとジオが改めてお風呂に入って、冷めた料理の温め直しや、ダメになった分ともう一人分の料理も終えた頃に、マリアは起き上がった。
もともと高い魔力を持つマリアにとって、お酒はそれほど苦手なものではない。
ただ気の迷いから今日ぐらいは酔っても良いかと思い、お酒による体の異常を受け入れ、その歯止めを効かせなかったのがそもそもの間違いだった。
ベッドから起き上がったマリアは顔を真っ赤にして頭を抱えた。
マリアは酔っている間のことを覚えている女だった。
「あああぁぁぁぁああ……」
マリアの口から呻き声が漏れた。
時間を巻き戻せる魔法が欲しいと、心の底から願った。
「……逃げよう」
マリアはそう決意した。
これまで何度となくジオに冷たく接し、時には悪しざまに罵倒してきたのだ。
ジオはもとより、その家族やケイ、マージネル家、それだけでなく顔見知りにも絶対に会いたくない。
恥ずかしくて死ねる。
守護都市とは関係のない田舎で、修道女として余生を過ごそうと、そう思った。
マリアはベッドから起き上がり、ジオの寝室から音もなく抜け出す。
最後に振り返った部屋は、記憶にあるよりも暖かい色合いだった。
「起きたのね、マリア。ちょうど良かった。ご飯できたから、来て」
「あ、はい」
そして部屋を出ると同時に、様子を見に来たシエスタに捕まって、その言葉に従った。
マリアがリビングに行くと、何やらマギーに注目していたみんながこちらを見た。
マリアは真っ赤な顔を両手で覆ってうずくまった。
「……マリアだよな、あれ」
「た、たぶん。
おい、おばさん。そんな格好しても可愛くないぞ」
マリアはびくりと震えた。そして泣いた。
セージが暴言を吐いたカインに衝弾をお見舞いして、カインは椅子からひっくり返った。
「か、帰る」
「え?」
「私、帰る」
マリアは顔を覆ったまま立ち上がって、カタコトでそう言った。
覆った手の隙間から、ジオをのぞき見ていたのに、隣に立つシエスタとセージだけが気づいていた。
「え、ちょっとまって、マリアさん」
「……大丈夫、頭を冷やしたら、また、明日来るから。修道女にはならないから」
「何の話っ!?」
「……わかった。では、明日な」
ジオに言われ、マリアは顔を隠したまま小さく頷いて走り去った。
「え、せめて送って行ったら」
「そんなことより――」
「おいっ」
「――今はマギーだ。もう一度言え」
「……うん。
私は家を出て、学校に行きたい」
******
ブレイドホーム家からしばらく遠ざかって、マリアは後ろを振り返った。
ジオは追いかけてきてはいなかった。
「ええ、わかってるわよ。んんっ、わかっています。
ベルーガー卿に、ジオにそんな甲斐性なんてありませんよね」
しょんぼりした声でマリアは独り言を言って、冷たい夜風で火照った体を冷ます。
「うへへ」
そして気持ち悪い笑みをこぼし、慌ててそれを取り繕った。
アルコールはあらかた抜けている。
それでも酔っ払ったような気持ちがどんどん胸から溢れてきた。
「明日も来いって、初めて言いましたね」
マリアは明日からのことを夢想する。
付き合うってことでいいんだよね。
二人ともいい歳だから、きっと結婚も視野に入れて。
きっとあの家での毎日は楽しい。
子供たちは賑やかで、我が儘ばかり言って、ジオも子供みたいなことばかり言って。
それに振り回されながら、子供たちにお母さんって呼ばれたりなんかして、その中にはケイもいて。
マリアはその場で小躍りを始めた。
幸いなことに人通りはなく――夜間とは言え大通りにも関わらず人の気配は全くなかった――その醜態を目撃したものは一人しかいなかった。
「随分とご機嫌ですね、マリア・オペレア」
「――はっ」
マリアは浮かれた気持ちを即座に捨てて、臨戦態勢にうつった。
目の前に現れたのは、人形のように整った美貌の女性だった。
「そう警戒をしないでください。私のことは知りませんか?」
「名を呼んでもよろしいので?」
「ふふっ。さすがに学がありますね。
名を呼ぶのは構いませんが、礼を尽くす意味でも、私が名乗りましょう」
勿体つけるように、詠うように、その人形のような女は芝居がかった所作で己の名を告げた。
「私はサニア・A・スナイク。
精霊様に仕える至宝の皇剣です」