248話 暴れん坊ヒーロー
デイトが死んでから、ジオはしばらく荒野を彷徨っていた。
目的は幾つかあったが、その内の一つはなまった体を鍛え直すことだった。
毎日のセージとの立合いはジオに良い刺激を与えていたが、しかし血を流すこと、命を奪うことから長く遠ざかっていた影響は少なくない。
体にこびり付いた錆を落とすように、ジオは刀を向ける魔物を探し、胸の奥で燃える黒い熱をぶつけた。
そうしてデイトを殺してからの数日間を、魔物を殺して喰らうことにだけ費やし、
「……帰るか」
虚しげにそんな事を呟いて、ジオは荒野を後にした。
ジオが荒野から戻って、最初に足を向けたのは産業都市だった。
ジオがその都市で向かう場所は一つしかない。
亡きアシュレイの師であり盟友でもある、名工カグツチが構える店舗兼工房だ。
「いっしゃいま――っ」
店のドアをくぐると、その店には似つかわしくない可愛らしい声に出迎えられた。
「お、お客様?」
「ジジイはいるか」
何か言いたげな店員――十歳ぐらいの女の子だった――を遮って、ジオはそう言った。
「あ、アポイントメントはありますか?」
「なんだそれは。いるならいい。勝手に入るぞ」
「ちょっと、やめて、うひぃぃぃいいっ」
店員の少女は工房へと向かうジオを押し止めようとして、その体――荒野の土と魔物の返り血で汚れ切っている――に触れ、あまりの汚さに悲鳴を上げた。
「なんじゃなんじゃ。強盗か」
「違う」
「ああ、強盗じゃったか」
「ひぃぃ!!」
カグツチの言葉に、少女が追加の悲鳴を発した。
「冗談じゃ、静かにせい。とりあえずシャワーを浴びて来い、ジオ。そんな姿で彷徨かれちゃかなわん」
「わかった」
ジオは頷き、勝手知ったる様子で店の奥へと入っていった。
「え、じ、ジオって……」
「想像通り、竜殺しの悪たれじゃ。ほれ、ゼシアも手を洗ってこんかい」
「は、はい」
******
シャワーを浴び、服の汚れを落とし、乾燥させ、それなりにまともな格好になったジオを、カグツチは工房に案内した。
店の中には応接室もあるが、二人共堅苦しい形で話をしようとは思わなかった。
カグツチは椅子に、ジオは作業台に体重をあずけ、その手にはゼシアが用意したコーヒを持っていた。
そのゼシアは二人から離れ、工房の出入り口で興味深そうに二人の様子を窺っていた。
「それで、何をしに来たんじゃ」
「デイトを殺した」
「……そうか」
淡々と事実を述べるジオに、カグツチは重々しく頷いた。
「知っていたか」
「死んだ、ということはの。ワシも新聞ぐらいは読む。
あの坊主が荒野で野垂れ死ぬなんて信じられんかったが、そうか、ヌシが、か」
「ああ」
「……言い訳は、せんのか」
そう言われてジオは、首を横に振った。
何がどうしてデイトがああなったのかはわからない。
だがそれがジオのためだったことは間違いがなく、最後に送ったのもジオだ。
ならば、デイトを殺したのはジオだ。
「理由ぐらい語っても良いと思うがのぅ」
「……刀は出来ているか」
報告には来たがその話を続けたくはなくて、ジオはもう一つの要件を切り出した。
「ああ、出来とるぞい。悪かったのぅ。一年では上手く仕上がらんかった」
二年前に発注したジオの竜角刀は、セージのものとは違い竜の怨念が残っており、その加工は名工の手を持ってしても難航を極めた。
一年という納期では間に合わず、完成したのはほんの一ヶ月前のことだった。
カグツチは大切に保管していたそれを取り出し、ジオへと手渡した。
ジオは手渡されたその竜角刀を鞘から抜き、眺める。
セージのものを小太刀とするならば、ジオの竜角刀は大太刀と言えるだろう。その刀身はセージの物に比べて倍はあった。
「銘は?」
「オヌシが付けい」
満足そうなジオの様子を見て、同じく満足げに頷いたカグツチがそう言った。
「そう、だな。
デイト……。死……。
いや、殺戮日和だ」
ジオがそう口にした瞬間、刀身の根元に〈DAY of KILL〉の文字が浮かび上がった。
「ふむ。殺戮日和か。良い名じゃ。
……ところで、センジのぼんはどんな名をつけたんじゃ。あやつは二年も経っとるのに報告に来んのじゃが」
「何……? そういえば、俺も知らんな。帰ったら言っておく」
そうせいと、カグツチは頷いた。
そして鞘に竜角刀を納刀して腰に差すジオに、手を出した。
ジオは満足そうな顔でその手をとって、握手した。
「違うわい!!」
「何?」
カグツチは手を振り払って声を荒らげた。
「帝国式ブレードを返さんかい」
何を言い出すのかと、ジオは目を見開いて心底驚いた。
「なんじゃその反応は。そういう約束じゃったろうが」
ジオは真剣な目でカグツチを見据えた。
「な、なんじゃ。だめじゃぞ。それはワシが到達するべき目標なんじゃ。追いつく前に使い潰されてたまるかい」
ジオは腰に差している帝国式ブレードに触れ、頭を振った。
「これは、デイトの命を奪った刀だ」
「っ!!」
「そういう事だ」
用は済んだとばかりに、ジオは工房を後にする。
その途中でここしかないという意気込みで、ゼシアが声をかけた。
「あ、あの、ありがとうございます。英雄様のおかげで、こうして暮らしていけてます」
「……? そうか。ジジイを頼む」
セージやシエスタ、クラーラが推し進めている福祉施策で、守護都市で暮らしていた重篤な障害を持つゼシアの父は、この産業都市でまっとうな職に就くことができた。母親はゼシアが幼い頃に逃げ出したためいない。
その暮らしは楽なものではないが、ゼシアは学校に通うこともでき、空いた時間でアルバイトもさせて貰えていた。
そんな生活ができるようになったのは、クラーラたちの尽力もそうだが、英雄とその息子の天使がこの都市の名家を説得したからだと――他家に恨まれたくないクラーラと、天使の名声を高めたいシエスタの情報工作で――広く知られていた。
ゼシアの言い分をジオは理解できなかった――そもそもそんな施策に自分の名を使われていることを、説明はされているものの理解していない――が、とりあえず頷き、呆けているカグツチの世話を頼んだ。
「はいっ」
ゼシアは元気よく頷き、その声と熱い視線に見送られる形で、ジオは改めて店を後にした。
「……もう少し説明せんかい」
そしてカグツチの小さなつぶやきが、工房の中で静かに響き渡った。
******
一部の例外もあるが、守護都市で墓といえば共同墓地を指す。
土地の限られる守護都市では、墓に割ける土地すらも惜しい。
だがしかし守護都市は多くの戦士や軍人が生む都市でもある。国のために命を落とした者たちを粗末に扱うこともできない。
そんなわけで共同墓地はいくつか種類が分かれており、ダストのような普通の市民が入る墓もあれば、偉大な功績を上げた戦死者だけが入れる特別な墓もある。
今日はその特別な墓に新たな英雄を眠らせるべく、大きな国葬が執り行われていた。
その人物の名はデイト・ブレイドホーム。
精霊様の密命を受け、荒野にて凶悪な魔物を打倒して果てた――事になっている――偉大な戦士の葬儀が、厳かに執り行われていた。
葬儀の参列者は少ない。
英雄の国葬ならばしかるべき周知がなされるが、今回の件は上からの横暴とも言える急な命令で、短い時間でなんとか形だけを整えた葬儀だったからだ。
当然、本来の国葬に比べて市民への説明も不足している。
さらに言えばワイバーンと魔族、さらにそれを操っていた黒幕のテロリスト――という事になっている――を倒した英雄と天使に話題を持っていかれて、大衆の関心も低かった。
そんな中でも、葬儀にはデイトを見知った人物も参列していた。
それは彼を知っている古参の戦士だったり、彼――ひいてはジェイダス家が――庇護していた店の者だったり、あるいは血の繋がらぬ家族だったりした。
祖母のナタリヤと父のジャンに連れられ、クリムは葬儀に参加していた。
精霊様に仕える神父が厳かな文言でデイトの功績をならべている。
それを聞くクリムの顔色は悪い。
クリムがデイトに会ったのは三歳という、物心がついたかどうかの頃だ。
当然、その時の記憶はおぼろげで、デイトの顔もきちんと覚えてはいなかった。
ただその当時、芸術都市では名家の悪政で泣かされる人が多くいて、それを解決したのがたまたま遊びに来ていたデイトだった。
デイトはナタリヤ達を守るためにそれを――証拠を集めて単身で名家に殴り込みをかけて大暴れし、後処理をアンネに丸投げ――やっただけだったが、結果的にはナタリヤたち以外にも多くの人が救われ、彼らからも尊敬を集めていた。
幼い時の記憶は朧げながら、しかし憧憬の眼差しを集めながら飄々としたその姿に、クリムは確かに何かを感じていた。
クリムはナタリヤやジャンからデイトという人物のことを聞いて育ち、古い姿絵――狂戦士として人気もあったので、アンネに嫌がらせで作らされていた――を集めて大事にしていた。
だからあの時、気づいてしまった。
化物になり、殺された男が叔父デイト・ブレイドホームだと。
「英雄は死して大地へと還り、いつの日かまたその命を芽吹かせましょう。
高潔なその魂は我ら力なき民を守るため、再び剣を執るのでしょう。
しかし汝、デイト・ブレイドホームよ。
精霊様に従い、国難を退けた英雄よ。
幾千幾万の戦火に身を置き、数多の傷を負った気高き者よ。
今は安らかな眠りにその魂を委ねなさい」
神父の祝詞が、クリムの耳を左から右に流れていく、ナタリヤやジャンは涙ぐんでいるが、クリムの目からそれは流れなかった。
頭が重い。
視界が狭い。
まるで起きているのに眠っているような、夢の中の景色を見ているような、現実感のない妙な気分だった。
神父がだらだらとしゃべるのを聞き流していると、不意に騒ぎ声が聞こえた。
ナタリヤやジャンがそれに――やって来た男に――いち早く反応し、遅れてクリムもそちらを見て、身を強ばらせた。
その男はデイトを殺した男だった。
誰もが仕立ての良い喪服に身を包む中、その男は散歩に出かけたような普段着で歩いてきた。
誰もが悲しげに目を曇らせ俯く中、真っ直ぐに顔を上げ、不快感すら覗かせる眼差しで葬儀場に乗り込んできた。
「あ、あの、受付を……」
「邪魔だ」
「は、はい」
葬儀スタッフがなけなしの勇気でその男を、ジオを押しとどめようとして、早々に諦めた。
代わってその行く手を阻んだのは、クリムだった。
「なんだ?」
「何しに来たの」
「ちょっと、クリム」
ジャンが慌ててクリムを引き戻そうとするが、クリムは梃子でも動かないとまっすぐにジオを睨んだ。
クリムは一般人で、子供だ。
だから遭遇した事件の詳細は知らされずに、殺され溶けて消えたあれは魔族だったと、一方的な説明をされた。
「人殺し。あんたが、あんたのせいで死んだんでしょ」
だが何も教えられなくても、それぐらいはわかった。
「クリムっ」
ジャンが見かねて叱責するも、クリムは微動だにしなかった。
ジオは何も言わずに歩み寄り、そしてクリムの横を通り抜けた。
その背中に、クリムは叫ぶ。
「何か言いなさいよ!!」
「お前の言うとおりだ。俺に言い分はない」
ジオは僅かに振り向いてそう言うと、さらに進んで神父のそばまで来て、
「退いていろ」
「は、はいぃぃ……」
神父は小便を漏らしそうな様子でその場から走って逃げた。
抵抗すれば殺されると、そんな生存本能が働いていた。
ジオは葬儀場の最奥、多くの英雄たちが埋葬される大きな慰霊碑の前まで来ると、腰に差した二振りの刀を抜いた。
「え、ちょっと、ジオ……」
ナタリヤは最悪の想像をした。したが、まさか流石にそんなことはしないだろうと思った。
しかし、ジオはそれをした。
袈裟に一刀。
逆袈裟に一刀。
刀は走り、家屋よりも大きな慰霊碑が、綺麗に四つに切り裂かれた。
「デイトはここに眠っていない」
轟音を立てて崩れる慰霊碑を前に、ジオは言った。
そして竜角刀〈殺戮日和〉を納刀し、帝国式ブレードのみをその手に持った。
「それでもここにやつの魂が眠るのなら」
ジオは聖域を生んだ。
魔法とは願いを叶える力で、魔力とはその原動力だ。
想像を現実に起こす魔法は元来、世界に認められた運命の代行者〈現世神〉にのみ許された奇跡であった。
だがそれらは人々の手によって解析され、普及し、世界を騙す嘘として劣化していった。
だが魔法の本質は世界の直接的な書き換えにほかならない。
竜は現世神ほどではないにしても世界から権能を委ねられた存在だ。
彼らの聖域とは、彼らの願望を叶える小世界でもある。
その中では本来、あらゆる命が彼らに歯向かうことは許されず、その命は彼らが望むだけで容易く失われる。
願望を叶える小世界の構築、それこそが竜の聖域であった。
ジオはその聖域を生む。
ジオは世界に認められているわけではない。
だからその聖域は不完全だ。
だがそれでも人間が使う魔法よりも、よっぽど強固な世界の書き換えが可能であった。
その人外の力が、帝国式ブレードに集約される。
「地獄に刀ぐらいは、持って逝け」
ジオは崩れた慰霊碑の跡に、ブレードを突き立てた。
願ったことはただ一つ。
この刀はデイトのもの、ただそれだけ。
世界はそれを肯定した。
この時より帝国式ブレード――模造神刀〈悪食の魔神〉――は、デイト・ブレイドホームを待ち、空を飛ぶ守護都市の偽りの大地に封じられる。
この刀を抜けるはジオ本人か、彼が認めたデイト、あるいは構築された奇跡を紐解ける目の持ち主だけだろう。それ以外の人間には触れることすらかなわない。
竜殺しの英雄がその魔力の大半をつぎ込んで成したその封印は、千年を超えてここに残る。
そんな大層な封印が、多くの英霊が眠る共同墓地に誕生した。
そしてこの災害は、いくら何でも庇いきれないという偉い人たちの悲鳴とともに、ブレイドホーム家へ賠償請求がなされる事となった。
作中補足~~慰霊碑破壊について~~
セージは共同墓地はダストが眠っているところしか場所を正確に把握していなかったので、ジオが大きなものを壊してナタリヤたちを驚かせたぐらいにしか把握していません。
破壊された慰霊碑は物凄く大きくて立派な石を切り出し、職人が取り出して死者の名を掘ったものになり、とても高額です。
また慰霊碑埋葬された英雄の遺族に対する精神的な苦痛への補償も発生しました。
そして封印された刀が邪魔で工事が出来ず、慰霊碑周辺も含めたデザインの再設計も発生しました。
以上の理由から、ブレイドホーム家には日本円換算で東京ドームの建設費(推定350億円)ぐらいが請求されました。