246話 あれから数日が経った
芸術都市内での戦闘の後始末が終わり、謹慎を言い渡されていたアルバートは当主クラーラに呼び出され、開口一番にこう言った。
「奴らは魔族とつるんでいる可能性がある」
アルは真面目な顔で、そう言った。
化物になったデイトは実は魔族で、魔人ジオレインはそれと懇意にしていたんじゃないかと。
クラーラはアルの頬をビンタした。
「馬鹿も休み休み言いなさい」
「なぜだ。人間があんな化物に変わるなんて聞いたことがない」
「本当に馬鹿ね、アル。
いいわ。あなたにもわかるよう教えてあげるからそこに座りなさい」
クラーラは椅子ではなく床を指さしてそう言った。
アルは椅子に座って、再びビンタされた。
アルは渋々と床に胡座をかいた。
「デイトは至宝の君の護衛であった。その時点で魔族の可能性はないのよ」
「騙されていたのかもしれない」
「無いわ。精霊様は魔族を見抜けるのだから。
それに魔物化したのも、竜の呪いを解いた反動と考えたほうが自然よ」
アルは唸った。その可能性は考えていなかった。そもそも色んな可能性を考えるということが苦手な男だった。
「上級上位、死神デイトはジェイダス家の懐刀よ。おそらくは魔人の呪いを解くことを条件に引き抜かれたんでしょうね。
もしかしたら当主命令で出向していたのかも。ジェイダス家は内紛の前後で有力な戦士が彼以外にも消えていたから。
そんな彼の、そして至宝の君の邪魔を、あなたはしたのよ。
真摯に反省をなさい」
「……すまない。だがホルストのおっさんが殺されると思った。あの手の連中に引き渡せば、そこから先はどうなるかはわからないから」
「それは……その心配は確かにわかるわ。でも正式にホルストへの聞き取り依頼は来たのよ。おかしな命令ではなかったし、聞き取りが終わったあと、彼の身柄は無事に返されたわ。
近くにいたから連れて来なさいと、そう命じられたのよ、きっと」
アルが間違っていたと、クラーラは言った。アルはそれを否定できなかった。
「私たちは至宝の君の命を邪魔した。その責を取るためにあなたの首を差し出せと命じられれば、私は抵抗せずそうするわ。あなたはそれだけの事をしたの」
芸術都市の雑居ビルを数多く倒壊させた戦闘は、魔族のテロを未然に防いだ戦闘として処理された。
至宝の君の機転で住民の人的被害は出なかったものの、それでも壊れたビルや、そこに蓄えられていた私財の補償は決して安いものではない。それは国庫から支払われることが確定している。
そんな都市部での戦闘を強行した罪は間違いなくアルにあった。
そしてさらに上級上位の、至宝の君の護衛を任せられるだけの人材を奪っている。
デイト・ブレイドホームは失踪扱いになっていたため、そのまま今回の事件とは関係のない形で鬼籍に入ってもらい、討伐されたのは都市内に忍び込んでいた魔族とされた。
だが実際にはそうではないし、アル、カナン、セージをあしらう実力者の代わりなど、そうそう見つからないだろう。
「加えて、ブレイドホーム家への心象も最悪だわ。
竜の呪いを解く過程で心臓をえぐり出すデイトは死ぬのだとしても、至宝の君が、精霊様が万全の状況を整えていれば、そうはならなかった可能性があるわ。
可能性があるというだけで、人は責任をこちらに擦り付けてくるものよ。
あなたが余計なことをしたから、彼らは家族を失ったと」
「セイジェンドはデイトを殺そうとしていたが?」
「それでも、よ。人の心なんて合理的ではないのだから」
そうかと、神妙な態度でアルは頷いた。
ブレイドホーム家と仲良くしたいとは思っていなかったが、当主の意向に反する形で喧嘩を売ったのは間違いようのない失点だった。
「それで、どうする?」
「……どう、とは」
「自害しろと言うならする。それとも生きたまま行ったほうが良いのか」
クラーラは頭痛を覚え、こめかみを押さえた。
反省を促すために強いことを言ったが、なぜ簡単に自分が死ぬと言い出すのか。
泣きつかれて命乞いをされても迷惑だが、これはこれで扱いに困る反応だった。
「先方からはなんの通達も来てはいないわ。
戦闘はテロリストとのものと公式発表されたし、あなたはそれに参加した名誉ある騎士よ。それを処刑するわけがないじゃない」
「そうか……。うん? しかし、さっきは……」
「あなたは馬鹿ね。本当に馬鹿ね。ええ、構わないわよ。知っているから。
ともかくあなたは表彰をされるけど、勘違いをしないように。あなたは大きな間違いを犯しながら、名家と国の威信を守るために偽りの褒章を受けるのよ」
びくりと、そこで初めてアルは肩を震わせた。
反応はそれだけではない。顔にははっきりと怒りが現れていた。
「ええ。理解できたかしら。耳の聡い者はまた何かを言うでしょうね。ですがこれを辞退することは許さないわ。
屈辱を受け止めることこそが、あなたへの罰です。
そしてその屈辱を晴らすためにも、来年の優勝を果たしなさい」
アルは目を閉じ、先の戦闘を、デイトとセージを思い出した。
幼い頃から天才と呼ばれた自信は、ケイ・マージネルによってへし折られた。
その悔しさをバネに鍛え上げた力は、デイト・ブレイドホームに虚仮にされた。
それでも胸にあった自分はいずれ最強に至るという夢は、デイトと対等に戦う幼い少年の姿を見て、大きく霞んでしまった。
そして化物と化したデイトと戦った、魔人ジオレイン。
戦いの中でその実力は片鱗すら見せていない。
だがそれでも膨大な魔力を有することぐらいは感じ取れた。
屈辱にまみれた母が、しかしジオに再戦を挑まなかったことが理解できてしまった。
母はジオに敵わないと分かっていたのだ。
アルもまた、成長したセージには敵わないだろうと感じてしまっていた。
だが、だからこそ――
「ああ、誓おう。俺は必ず皇剣となる」
――挑みがいがある。
一年後に奴を倒して、魔人を超えて、俺が最強の皇剣になるのだと、アルは決意を燃やした。
アルの中でセージが皇剣武闘祭に出ることは確定事項だった。
******
スノウ・スナイクの前には、袋叩きに遭ってボロボロになった少年が横たわっていた。
「……」
スノウは困った様子で、ものすごく困った様子でその少年を見下ろしていた。
体中傷だらけで動けなく――保有する魔力を考えれば打撲だけでなく、骨折、内臓破壊などもしているかもしれない――なっている少年は、セイジェンド・ブレイドホーム。
二日続けてテロリスト討伐をなした事になっている、押しも押されぬギルド期待の新星だった。
そんな未来のスターはスナイク邸に押し入って、返り討ちに遭ってスノウの前に転がされていた。
「……その、もう少し穏便にはできなかったのかな」
「すいません、旦那。思った以上に手ごわくて。本当は病院に連れていきたいんですが、その、ここまで痛めつけた以上ジオへの心象を考えると……」
「ああ、君に言ったんじゃないよ。うん。僕のところに連れてきて正解。この子もこれ以上は暴れないから下がってくれ」
スノウはそう言って護衛を下がらせると、床に転がされていたセージを抱え上げ、ソファーに寝かせた。
常人なら致命傷でも、高い魔力量を持つセージなら休ませておけば自力で持ち直す。
「さて、セージ君。君ならもっと穏当に僕のもとを訪れることができたでしょう」
横たわったセージはゆっくりと目を開けて、隣に座ったスノウを上目に睨んだ。
「……どうでもいい、そんな事は。
あなたはフレイムリッパーが処刑人だと、一年前に気づいていたな」
「そうだね。だからケイ君に向かって、トート監査官の立場を説明した」
「フレイムリッパーが、デイトだと、知っていたな」
「いいや。可能性があるとは思っていたけれど、彼が精霊様やサニア――至宝の君に、従うとは思えなかった」
「そう……」
セージはゆっくりと目を瞑った。
「あなたは、何を隠している。デイト・ブレイドホームが精霊に従わない理由、ジェイダス家が滅んだ理由。どちらも知っているはずだ」
「……そうだね。推測に基づくものでしかないけれど、君よりは多くの情報を持っているよ」
「それを教えていただけない理由は?」
「君を信用できない。君は、そしてジオさんは、精霊様を殺し得る人材だ。
君たちが短慮に走らない保証がない」
「それを聞いて、殺すべきだと私が考えるとは思わないんですか」
空気が変わった。
スノウが放つ空気は、殺意と呼ぶものだった。
だがそれはすぐに萎んで消えていく。
しかし本当の意味で消えたのではないだろう。
セージの神の瞳は、スノウの中で湧き上がる多くの感情の中に埋没したその感情を見ていた。
必要ならば、それはまた顔を出すのだろう。
そしてその時はきっと、彼の持つ刃がセージの心臓に埋まったあとだろう。
今回、あえて見せたのは警告であったと、セージは感じた。
「……ひとつだけ大事なことを教えよう。
精霊様はね、とても愚かなんだ」
「……は?」
「詳しくは聞かないでくれ。精霊様の侮辱はできない。
この国を支えるためには全てを考慮した上で、精霊様に仕えなければならない。精霊様がいなければこの国は滅んでしまうのだから。
それだけは避けなければならない。
わかるね」
「ええ」
精霊は結界を司り、最強の守護者である皇剣を生む。
彼らがいなければこの国は魔物に、竜に蹂躙されるだろう。
「なら君はジオさんを抑えてくれ。それは君にしかできないことだろう」
「ああ、そう、ですね」
セージはひどく億劫な返事をして、起き上がった。
体中にあった傷は、もう治っていた。ただその代わり、とてもお腹が空いていた。
「食事でもしていくかい?」
「いえ、お騒がせしました。いずれ、また」
「ああ。いずれ、ね」
◆◆◆◆◆◆
煙に巻かれた気がする。
スノウさんは相変わらず気が許せない相手だ。
スナイク家を出て、空を仰いだ。
空は忌々しいくらいに綺麗な青空だった。
あの日から数日が経って、守護都市運行予定では、もう芸術都市から離れているはずだった。
しかし魔族の潜伏していた洞窟の調査や、魔族が街中でテロを起こしたことになった事件の後始末もあって、守護都市は未だ芸術都市に接続したままとなっている。
親父はこの数日、家に帰っていない。
あのあと、多くの建物が崩壊した惨状に駆けつけた騎士たちを振り切って去っていき、そのまま家に帰ってこなかった。
親父の行き先は把握しているし、自棄を起こしている様子もないが、まだ帰ってくる様子はない。
気持ちの整理が付けば、迎えに行こうと思う。
彼の家は他でもなく守護都市のブレイドホーム家なのだから。
……デイトの死を私は後悔しない。
彼は罪を償うべきだった。
死は、その一つの形だろう。
私が反省するべき点は別にある。
彼が心臓を取り出したとき、私がそれ以前に覗いた記憶、多くの苦しんで死んだ魔力が溢れ出した。
私はそれを予測できたはずだった。
それに備えなければならなかった。
彼はおそらく、いや、間違いなく親父の呪いを解くために精霊――精霊様と、契約をした。
そうして殺していい人間の感情を集めて回ったのだろう。
……殺していい人間か。
私もこの国に大分馴染んだな。
彼らにとって殺していい人間とは、行政の運行や既得権益に害する――シエスタさんのような――人間なのに。
ともあれ彼の殺人は見て見ぬふりをされ、多くの人を殺した。例外はフレイムリッパーとして指名手配をされた三件だけ。
それだってあの男の性格を考えれば答えは出る。
兄さん達の生家がジェイダス家の内紛を裏で操っていたとか、そんなところだろう。内輪もめだったから、精霊様は庇わなかった。
そして親父にジェイダス家を守れと遠まわしに言いたくて、わざと名前を騙った。
ひどい露悪趣味だ。
あの男は何一つとして弁明せずに、悪党のまま死んだ。
同情はしない。
あいつはそれでいいと胸を張って生きたのだから。
ただ私が親父の呪いを解けていれば。
私があいつを追い詰めていなければ。
私があいつに歩み寄っていれば。
兄さんや次兄さんと、もっと話していれば。
あいつの思惑に気づいて、この眼で呪いと契約を読み取っていれば、もっとうまい形で呪いを解くことができたかもしれない。
ズキリと、胸が痛む。
これは私の罪悪感か、それともデス子の嘆きか。
結局、デイトとデス子の関係もわからなかった。
……いや、仮説はある。
今までの夢の中の彼らは、現実の彼らとあまりに違いすぎる。
ちっぽけな犯罪と安い見栄で死んだ次兄さん。
皇剣になれず不意をつかれただけで死んだケイさん。
デイトの気まぐれで殺された兄さん。
必死になって少女達を守っていたホルストに惨殺された姉さん。
夢の中の人たちはあくまで夢の中の人物で、現実の人間じゃない。
きっとあの夢は危険を知らせる啓示なんかじゃなくて、デス子の……。
「――セージさん?」
不意に、後ろから声をかけられる。
何でもない声だったけれど、気が逸れていた私は驚いて後ろを振り返った。
「珍しいですね、考え事――どうしたんですかっ!?」
「シエスタさんに、兄さん。
マリアさんはお休みみたいですね」
魔力感知でマリアさんが休みなことも、何をしているかも把握していたが、話題を振る意味でそう声をかけた。
「うん。滅入っているようだからね」
「そんな事より何があったんですか、その格好。ボロボロじゃないですか」
「ああ、ちょっとした喧嘩ですよ。大したことじゃありません」
私がそう言うと、シエスタさんの目が細くなり、魔力に怒りと憎しみが生まれる。
彼女との契約も早めに切らないといけないな。
「喧嘩……相手は、どこの誰ですか」
「目つきが怖いですよ、シエスタさん。本当に大した怪我じゃないので、気にしないでください。
ほら、笑って笑って、フィアンセがドン引きしてますよ」
「ちょ、セージさん。年上の女性をからかっちゃダメですよ」
シエスタさんは一応の矛を収めてくれたが、私から聞き出すのを諦めただけで怒りは収まっていなかった。
そしてそれを察したからだろう、
「……スナイク家かい?」
兄さんが正答を引き当てる。
「よくわかるね」
「ただの勘だよ」
「あのクソ理事長……」
兄さんがシエスタさんの肩を叩いて宥めた。
「落ち着いて、セージは怪我をしたくて喧嘩をしに行ったんでしょ」
「……まあ、ね」
「収穫はあった?」
「いいや。はぐらかされて終わったよ。まあ暴れて少しは落ち着けたけどね」
私がそう肩をすくめると、二人が沈痛そうな顔をした。なんだ?
「セージさん……」
「ねえ、セージ」
「うん?」
「お前がデイトを殺そうとしたのは、僕たちのためだろう」
「いいや、違うよ」
私はきっぱりと否定をした。
強がりを言っているわけでも、兄さん達を庇っているわけでもない。
たとえ後悔をしたとしても、あの男を殺すと決めたのは私自身の意思だ。
「そうか」
「うん。あいつは殺人鬼だからね。殺すべきだと思った。それ以上でも、それ以下でもないよ」
私はそう言ったが、納得はしてもらえなかった。
「……僕が、僕たちが彼を、ああ、いや、違う。そんな顔をさせたいんじゃないんだ。
ただ僕たちはお前に甘えすぎているから。だから――」
「違うよ。私がやりたいからやっているんだ。
誰のためでもない。私が勝手に、私のためにやったことだ。
ただ上手くやれなかった。それだけの事だよ。
よくあることさ。昔っから失敗だらけで、失敗したなりの成果で誤魔化しながらやりくりしてきた。
ああ、だから、親父には悪いことをした。
私があいつの死を悲しむところがあるとすれば、それぐらいなもんさ」
私がそう言うと、兄さんは諦めた様子で天を仰いだ。
「そう、か」
「そうだよ」
「……お前はいつか、家族を裏切る」
不意にかけられた言葉が、胸に突き刺さった。
私は何の反応も返せなかった。
「デイトに、そう言われたんだ。その時は意味がわからなかった。でも、今は違う」
「……」
「なあ、少しは家族を頼ってくれないか。お前が辛いのは、見ていてわかる。だから、弱音ぐらい吐いたっていいじゃないか」
「――ははっ」
身勝手な怒りと憎しみが自分の中から湧き上がってきて、思わず、乾いた笑い声が漏れた。
「セージ?」
びくりと震えた兄さんに、少しだけでも気持ちを落ち着けて笑いかける。
「ああ、ごめん。兄さんを馬鹿にしたわけじゃないんだ。
ただ、何て言うか。
お前鏡見ろよって、そう思っただけで。
兄さんじゃなくて、あのクソ野郎ね。
うん。ああ、あいつが嫌いな理由がまたひとつ増えた」
そうだ。
あんな悪党のクソ野郎は死んで当たり前で、それでいいやと好き勝手に生き抜いた馬鹿だ。そんな奴の死を悲しんだりしない。
「……私はさ、あいつが嫌いじゃなかった。
あいつに勝ちたかった」
結果が全てと言いながら、あいつのように――あいつにだけは――勝ち方にも拘りたかった。
デス子の異能に助けられ、卑怯な手を使って、他人を利用して、それでも凌がれて、あいつは自分の目的を果たした。
「完全に負けた。しかも勝ち逃げだ。
ああ、気分悪い。
そうだ。うん、そうだ。
私は、悔しいんだ」
私は彼の死を悲しまない。
しかしただ一つだけ心残りがあった。
それだけの事だ。