245話 最速を以て最強に迫った男
デイトが己の心臓をえぐり出した。
それを見て、誰もが震え上がった。
光景の凄惨さもさる事ながら、抉り出された心臓からは禍々しい魔力が溢れ出てきたからだ。
セージのような特別な眼を持たなくても、誰もがその魔力を忌避するべきものだと肌で感じとった。
それを恐れなかった例外は二人。
ジオは理解できず、それでもデイトを助けようと駆け寄ろうとした。
そしてそれは突如として活性化した竜の呪いに阻まれた。
セージは全てを理解した。
何もかもを理解をして、何もできずに呆然と立ち尽くした。
活性化した竜の呪いはジオから離れてデイトに、その手の心臓に食らいつく。
ジオはそれを止めようとしたが、呪いが剥がれたさいの反動でとっさには動けなかった。
ジオが動けたのは完全に手遅れになってからだった。
一歩の踏み出しと同時に、抜刀。
デイトとの距離は一瞬で消え、黒く輝くその剣筋が、竜の呪いを切り払った。
デイトの体が、力なく前のめりに倒れる。
その体を抱きとめて、ジオはセージを見た。
「あ……」
ずっと棒立ちをしていたセージは我に返って、震える足で一歩踏み出し、すぐにデイトに駆け寄ろうとして、止めた。
「……セージ?」
ジオは訝しみ、すぐにデイトの異変に気づいた。
どこからともなく膨大な魔力がデイトの体に注ぎ込まれていた。
その魔力には、デイトを治そうという感情が見て取れた。
そしてより深くを見れるセージは、その魔力がケイやラウドと繋がるものと同じだと、気づいていた。
神の瞳を持つセージには、デイトを治療する自信がなかった。
神の瞳を持つセージには、もうどうしたって手遅れに見えた。
だから任せようと思った。
それが、間違いだった。
******
魔力には大きく分けてマナとエーテルの二種類がある。
マナは生命が生み出すものや、空中や地面など世界中に存在する一般的な魔力を指す。
エーテルは生命の根幹となる魂を形作るもので、こちらも割合は少ないが世界中に存在する。
エーテルとは純魔力であり、マナとはエーテルに概念が付与したものである。
空を浮遊し続けたエーテルが風のマナとなり、陽の光を浴び続けたエーテルは光のマナとなる。
世界中に存在するマナには何かしらの属性、概念が含まれており、それらを正しく読み取って行使するのが優れた魔法使いとなる。
根本的には同じ魔力であるから火のマナで水を生むことも、水のマナで火を起こすこともできる。
だが効率は悪く、魔法を成すための起動魔力も多く消費される。
セージが高い魔力制御を持つのも、神の瞳によってマナの属性を完全に把握して最適に操れるからである。
そして魂とは性の営みによって世界とつながり、契約を果たすことで生まれ肉の体に定着する。
このときに生まれる魂はごくごく小さいものだ。
その小さな魂とは純魔力であるエーテルの結晶体である。
その小さな魂は肉の体の成長とともに育まれ、固有の概念を持つマナを生成する。
そして肉の体が土に還るとき、育まれた魂は肉体を離れ、マナとエーテルの風によって破砕され、風化し、ただのエーテルとなって世界に還る。
肉体と魂はイコールではないが、しかし確かに繋がっており、デイトのように触媒とされた重要器官であるならばそれはより強い結びつきとなる。
竜の残滓に食らいつかれたデイトの心の臓は、魂は、修復不能な形に欠損した。
それはもう現世神にも治せない致命的な損傷だった。
ただ心臓を再現しても、そこに宿るべき魂が欠損しているのだから、元通りの人間になることはない。
セージは神の瞳を通じて、そのことを直感的に理解していた。
その治せない肉体を、魂を、無理やりに他人の魔力で治せばどうなるか。
その答えをセージたちは目の当たりにする。
******
デイトの体に、心臓らしきものが生まれる。
赤く蠢動するそれは、心臓の形をしていた。
だがそれは人の頭部よりも大きく膨れ上がっており、あまりに異質だった。
それはデイトの左胸で生成され、しかし収まりきらずにその姿を外気に晒していた。
その赤い蠢動はデイトの全身に広がっていく。デイトの全身が膨れ上がり、着込んだ衣服がはじけ飛ぶ。
むき出しになった裸体には赤く太い血管が何本も浮かび上がり、その全身を赤く変色させていく。
肉体の膨張は続く。
ジオはその体を支えきれず、狼狽えながら数歩下がった。
デイトの欠けた魂を治そうとする膨大な魔力は、しかし受け止めるべき魂という器の欠損が理由で溢れ出し、そして仮初にでも魔力を止めようと肉の器を肥大させ、生成し続けた。
そして竜が食いきれなかった絶望の想念すら取り込み、その容貌をより醜悪に作り替えた。
その余波を受けて、少女たちが吐いた。
慌てて彼女たちを庇うアリスも、腰が引けていた。
マギーは涙を流しながらそれを見入った。
何が起きているのか理解していなかったが、それでもそれが痛ましくて悲しいことだと感じて、涙を流した。
「……変異。魔族、だったのか?」
アルバートは一人的外れな事を言って、アリス同様に少女たちを守ろうと剣を構えていた。
ジオは何も言えずに立ち尽くしていた。どうしていいか分からなかった。
セージが、意を決してその前へと出た。
ジオは咄嗟にセージの肩をつかもうとして、振り払われた。
竜角刀を手にしたセージが駆け、ジオはその背中を改めて掴み、思いっきり遠くへと投げ飛ばした。
「うぐァァぁぁぁああ」
デイトだったものが、唸り声を上げる。
その顔もまた膨れ上がって、見知った弟の面影は消えている。
モンスターは飢えた目でジオを見る。
魔力という幻想で肉体を大きく作り変えて、それを定着させるために血と肉を欲していた。
モンスターはとてもとても飢えていて、潤沢な魔力と大きな肉を持つジオを見定めた。
「……何が貸し借りなしだ、バカめ」
ジオは刀を鞘に収めて、相対した。
ジオの体を丸呑みにしようと、モンスターは大き口を開けて覆いかぶさってくる。ジオを丸呑みにできるほどの大きな口だった。
ジオはその顎を容赦なく殴り上げた。
顎が砕かれ、モンスターは無様にひっくり返って転がった。
生まれたばかりの獣の赤子のように立ち上がることもままならない姿に、デイトの面影はない。
「お前は……」
砕かれた顎を爬虫類の鱗のような、硬質的な何かで覆って再生させて、モンスターは再びジオに襲いかかる。
モンスターは右腕を振るった。
竜角刀を取り込んだそれは人の腕とは大きく形を変えて、角のようであった。
その鋭利な腕を、ジオは拳で上から叩いて逸らす。
モンスターの右腕は地面にめり込み大きな亀裂を作った。
位置の下がったモンスターの肩を、ジオの上段廻し蹴りが強かに打ち付け、モンスターは無様に転がる。
「お前はっ……」
モンスターは大きく跳んだ。
度し難いほどの飢えを抱くモンスターは、手ごわい相手を相手にするよりもまずは腹ごしらえだと、ジオを飛び越えて後ろの弱そうな方に襲いかかった。
飛びかかってくるその姿に、少女たちが悲鳴を上げた。
突如として人間から変貌したモンスターがどういうものか理解できなくても、その目と大きく開き涎を垂らす口が、飢えているのだとはっきりと伝えていた。
クリムは、止めてよ叔父さんと、零した。
モンスターは止まらなかった。
アルバートとアリスがモンスターの前に立ちふさがるが、しかしそれより早くジオはモンスターに襲いかかっていた。
上から殴られ、モンスターは地面にその体をめり込ませた。
「お前はっ!!」
モンスターは地面から這い出て、傷口をより強固な皮膚に再生させながら、いらだち紛れに腕を振るった。
子供の駄々のような、力任せで技のないそれを、ジオは額で受けた。
モンスターは殴った反動で拳を砕き、腕を壊して、血を噴き出させた。
微動だにせずジオはその返り血を浴び、怒鳴りつけた。
「お前はその程度か、デイト!!」
モンスターは動きを止めた。
「オォォォォオオオオオオオっ!!」
そして力の限り、雄叫びをあげた。
「ぅぉぉぉおおおおおおおおっ!!」
それに呼応するように、ジオも叫んだ。
叫ばずにはいられなかった。
大気が振動して、周囲の建物が崩れ落ちる。
アルはその凶悪な魔力な波動を食い止め、落ちてくる瓦礫をアリスが撃ち砕いて少女たちを守った。
モンスターは壊れた左腕から、新しい腕を生やした。
その腕は少しだけ人間に近かった。
モンスターはその新しい腕で手刀を作り、自らの右腕を切り落とした。
魔力によって形成された偽りの腕は地に落ちると同時に崩れていき、その中から赤く染まった竜角刀が現れた。
モンスターは右腕も再生した。それはより人間に近い形だった。
「……」
「……」
ジオとモンスターが睨み合った。
動き出しは同時だった。
モンスターの拳は空を切り、ジオの拳はモンスターの腹を弾き飛ばす。
血しぶきと同時に消し飛んだ腹を、モンスターは治す。
よりスリムに。
人間に近い形に。
モンスターとなる前に鍛えた技巧を十全に発揮できる形に。
ジオはモンスターの余分な肉体を消し飛ばし、その度にモンスターは人型に近づいていった。
だがそれは生前のデイトの姿ではない。
強引な修復を繰り返す体は、赤から黒へと変わった。
純粋な黒ではない。血が乾いて固まったような、不吉な黒に全身を染めていた。
だがその肉体が生前の人型へと近づくたびに、その技ははっきりと冴えていった。
その拳は、ジオを捉えることもあった。
魂と肉体を作り変えられたデイトに、生前の自我はない。記憶や自我は魂に根付くものではなく、魂の上に築かれていくものだ。土台が崩れればそこに乗ったものはこぼれ落ちる。
だがそれでも全てを失ったわけではなく、脊髄にまで叩き込まれた技術は生きていた。
飢えと怨念に支配されながら、デイトはジオとの殴り合いの中でそれを取り戻す。
損壊と再生を繰り返し、不出来ながらまともな人型を取り戻したデイトは、技量のみで言えばジオすら凌駕していた。
だがデイトの拳がジオを捉えたとして、傷をつけることはできなかった。
魂を欠損したデイトは保有できる魔力を大幅に失っていた。
ランクで言えば中級中位程度。
特級のジオを傷つけるには、あまりに力不足だった。
そして再生を繰り返したその肉体はほとんど実体を失っており、欠けた魂では新たに魔力が生成されることもない。
今のデイトは、残された魔力で仮初の肉体を作る怨霊に過ぎなかった。
彼の死は既に訪れている。
喧嘩の終わりは近かった。
「……」
ジオはデイトを殴りながら、殴られながら、何も言えず涙を流した。
デイトもまた、涙を流した。
記憶も自我も壊れて、しかしそれでもデイトの目からは涙が溢れた。
デイトの拳が、真正面からジオの顔面を捉えた。
それを受けて、ジオは立ち尽くした。
先ほどのように額で受けたのではない。避けることも防ぐこともできず、綺麗な形で殴られた。
いつもの喧嘩なら、これでジオの負けだった。
言葉を交わして約束したわけではない。
それでもバカみたいに高い魔力と体力を持つ二人は、行き着くところまで行き着かないように、気持ちのいい一撃を入れたほうの勝ちだと暗黙の裡に決めていた。
二人の喧嘩はいつだってそれで終わった。
例外は十一年前と、そして今回の二回だけ。
ジオは震える手を腰に伸ばすのを躊躇って、立ち尽くした。
「――ぅ」
デイトが何かを言った。
それは意味のある言葉ではなかった。
発声器官は歪みきっていた。
それでもデイトは何かを伝えようとしていた。
「む……、こ、に、……か」
むすこにやらせるのか。
ジオにはそう聞こえた。
投げ飛ばしたセージが、魔力を隠して、しかしとてつもない速度で迫っていた。
ジオは右手で己の刀を抜いた。
「……全力だ。全力で行く」
デイトの顔が歪んだ。
それは醜悪なモンスターの顔だったが、ジオには笑ったように見えた。人相の悪かったデイトが、もっと悪い顔になって笑ったようだった。
ジオは聖域を生む。
デイトと、そしてセージだけがその体を押さえつけられた。
セージは心臓の封印を解いて、魔力供給を受けてそれに対抗した。デス子はセージの意思に逆らわなかった。
弾丸のように真っ直ぐに迫って来るセージを背中に感じながら、圧に負けずに二本の足で踏ん張るデイトに、ジオは刀を振るった。
袈裟に一刀。
特別な魔力は込めない。
闘魔術は使わない。
純粋な剣技と強化でその一刀は振るわれた。
目にも止まらぬ一瞬で、デイトは両断された。
ぐしゃりと、デイトはその体を崩した。
魔力という偽りの力で生成された肉体は、溶けるように消えていく。
「じゃあな……」
その体に、ジオはそう零した。
「さいきょうは、おまえだ……」
デイトは、最期にそう言った。
勝者を称えるように、そう言って溶けて消えた。
「……お前は不死身なんだろうが」
ジオは消え去った骸に、地面に残った血の跡にそう言った。
そしてジオは天に向かって力の限り吠えた。
多くの建物が壊れ、砕かれ、砂塵に還っていった。
アルバートとアリス、そしてセージたちが必死に少女達を守って小さく固まる中、ジオの雄叫びは芸術都市に長く長く響き渡った。