244話 禁忌の代償
カナンさんを真似てダミーを作ろうとして、失敗して、しかしカナンさんがアルバートさんを援護するために土人形を作って送ってきた。
そこに私が次兄さんの幻影と魔力隠蔽の魔法を被せて、さらに通信魔法を利用して次兄さんの声を作り、雄叫びと共に殺意の魔力波を発した。
カナンさんとは打ち合わせが出来るはずもない状況だったが、幻影を被せたところでこちらの考えを察して土人形の体格を次兄さんに合わせてくれた。
カナンさんはこのやり方に納得はしていなかったが、このままではアルバートさんが死ぬとわかっているから、協力してくれた。
デイトの目は一対一では私にも勝るが、複数の人間を相手にすればいくらかは精度が落ちる。あの一瞬では偽装に引っかかるのもやむ無しだった。
そして上手くいって、デイトには致命傷を与えられた。
致命傷といっても、デイトは上級上位の戦士だ。
放っておけば背骨といえど治癒魔法と身体活性で完治させるデタラメな生き物だ。
だがそれでも当面は満足に動けないし、無理をして動いたところでジリ貧だろう。
デイトもそれが分かっているから完全に治療に徹している。
「……憐れですね」
こいつが生粋の外道な殺人鬼ならば、こんな結果にはならなかっただろう。
私の踏み込みを膝で迎え撃つことも、体捌きで躱すこともできたはずだ。
次兄さんを殺したと思い込んだ瞬間、こいつは集中が途切れて完全に無防備になった。
私はそうなるとわかっていた。
デイトは私の言葉に口元を悔しげに歪めている。
卑怯な私を嫌悪しているのではない。
私がとった手段に、前回の時と同じような手に心構えをしていなかった己を責めている。
「負けを認めろ。そして貴様の罪を――」
そんなデイトに、アルバートさんがわけのわからないことを言っているが、付き合う気はない。
こいつを殺せるチャンスはこれが最初で最後だろう。
私は彼の問い掛けを無視する形でデイトに歩み寄る。
「――おい、不用意に近づくな」
アルバートさんの忠告は正しい。
間合いに入った瞬間、デイトは神速の踏み込みで私の肉体を両断した。
しかしそれでも、私に限って言えば間違いだ。
◇◇◇◇◇◇
間合いに入った瞬間、デイトは私を両断せんと襲いかかる。
背骨を切られていることを感じさせない圧倒的な速度だった。
たがいかに速くとも、一度体験すれば見切ることは可能だ。それはケイさんとの戦闘でさんざんやった。
こいつの怖さは一撃の速さではなく、ただでさえ速い一撃がこちらの見切りに合わせて変幻自在に襲って来るところだが、さすがに今の状況でそこまではできない。
そもそも背骨が切られているのに動けることがおかしいのだが、それは魔力による肉体の直接操作が理由だ。
戦いの最中で使った闘魔術、身体活性とは別の肉体強化。
私が真似てすっ転んだように、身体活性とは違って感覚的に制御できないぶんコントロールが難しく、肉体にも負担をかける。
しかし使いこなせば身体活性以上の一時的な強化や、今のデイトのように肉体の損傷状態での行動に役立つ。
いずれは私も使いこなせるようになるべきだが、今考えるべきはそれではない。
「……ちっ。ずるいよな、それ」
私の死に戻りを完全に理解している様子で、デイトは言った。
デス子に教えてもらった……、訳ではないだろう。
デイトの観察眼は死神の加護にも匹敵する。
きっとそれだけのこと。
「不本意ではありますが、勝てばよかろうなのだ、ってところですかね」
「ふん。本当に、テメエは気に入らねえ」
デイトのそれは負け惜しみだ。
今の動きで背骨のダメージははっきりしたものになった。短い時間で治療することはもう不可能だ。
「私はあなたの様なロマンチストではないんですよ」
「……テメエを見てて苛つく理由が、今はっきりわかったぜ。
ジオの息子のくせに、インテリぶってんのが鼻につくんだ。
自分は頭も物分りも良い大人なんですってツラがな」
私は肩をすくめた。
回避のためにデイトとの距離を空けたが、それは大きな距離ではない。
あと一歩進めば、再びデイトの間合いに入るし、さらに半歩踏み込めば、もう私の間合いだ。
それで決着はつく。
「止めようよ、セージ」
私がその一歩半を進めるのを、姉さんが止める。
私は振り返らずに必要な指示を出す。
「カイン、目を塞いで」
姉さんに人を殺すところも、人が死ぬところも見せたくはない。
次兄さんはすぐにそうしてくれた。
「過保護だな」
「当然の配慮でしょ」
デイトは皮肉るが、自分からは動かない。デイトは死を覚悟しているものの、しかし負けを受け入れてはいない。
こちらが時間を浪費するなら、ギリギリまで回復に当てるという姿勢だった。
それは無駄な徒労に終わるというのに、デイトの死は逃れられぬものなのに、最後まで足掻くつもりだ。
「放してよカイン。止めてよ、セージを。こんなのおかしいもん」
「落ち着けよ。おかしくないんだ。あいつは人殺しの悪党なんだ」
「関係ない。そんなの関係ないよ。セージは殺したくないのに!!」
……。
「……いい姉貴だな」
「ああ、本当に、もったいないぐらいにね」
そうだ。
私にはもったいないぐらいの家族だから、だから、私がやらないといけない。
こいつを殺す役目は、ジオでもアベルでもカインでもなく、私がやらなければならないのだ。
覚悟を決めて、一歩半を踏み出す。
デイトも同時に動く。
闘魔術による肉体操作ならば、ある程度先読みが効く。
私はデイトの払いの一刀を掻い潜って、すくい上げるような形で顎を狙う。
私の刀は顔面を斜めに切り裂き血しぶきが散るが、浅い。
返す一刀で首を狙うべきか、いや、デイトの方が早い。
私は横に飛んで間合いから逃げる。
「……やれやれだ。ここまで追い込まれるなんてな」
「死ね」
もはや語るべき言葉はない。
親父の到着も近い以上、もう時間は無駄にしない。
そう刀を振るう私の首を、竜角刀が貫いた。
◇◇◇◇◇◇
私の首に、竜角刀が迫る。
デイトの手元から、一直線に飛んできた。
完全に不意を突いてきた一撃を、私は首をひねって躱す。
だが躱しきれずに首筋を切られ、壊れた水道管のように勢いよく血が噴き出した。
次兄さんが息を呑み、姉さんをはじめとした少女たちの悲鳴が上がる。
私はすぐに首を手当する。血は失ったが、傷は即座に完治した。
「……飛翔剣か」
「血翔剣さ」
観戦に徹しているアルバートさんがそう言うと、デイトがそう訂正した。
空を舞って使い手の所に戻ってきた竜角刀の柄には、べったりとデイトの血が塗りつけられていた。
「俺がやろうか、エンジェル」
「邪魔です」
アルバートさんは肩をすくめた。
俺が助けてやったみたいな感情を抱いているが、この人は何をしにここに来ているのか。
不快だが、今はどうでもいい。
「……さて、けったいな技まで使ったんだ。もう少し粘らせてもらうぜ」
私は舌打ちをして、即座にデイトに斬りかかる。
今更ながらに、デイトがジオを待っているのだと気づいた。
目論見何かは知らない。だが会わせる訳には行かない。
こいつの正体を、次兄さん達に知られてはいけない。
全てを知って、殺すと決めるのは私だけでなくてはならない。
そうだというのに、ここまで追い詰めていたのに、私はデイトを殺しきれなかった。
「……」
親父が、ジオレイン・べルーガーが、アリスさんを連れてこの場所にたどり着いてしまった。
◆◆◆◆◆◆
「……」
ようやくかと、デイトはため息を漏らしそうになった。
ろくに体を動かせない中、セージの猛攻を捌くのは百戦錬磨のデイトにとっても綱渡りの苦行だった。
ちょっとした偶然で殺されていてもおかしくはなかったが、なんとかもった。
とはいえ安堵するにはまだ早い。
遅刻魔のバカ兄貴は人の話を聞かないバカでもある。
こっちの用件が済む前に首を撥ねられてはたまったもんじゃない。
「デ――」
「ようジオレイン、久しぶりだな」
「――さっき会った」
バカのくせに細かいな。
「テメエ、俺に負けたのは呪いのせいだとか思ってねえよな」
ジオを無視して、デイトは叫ぶ。
心臓の方から『本当にいいのか』と、しつこい念押しが繰り返される。
それどころか『逃げるための力を授けてもいい』なんて世迷言まで口にしている。
テメエは何のために俺に虐殺を命じてたんだよ。
「思い上がんなよ、馬鹿が。呪いなんざなくても、テメエは俺には勝てないんだよ」
呪いを解くのにあと一年かかるなんてのが嘘だなんて、とっくに気づいていた。
デイトの心臓はもう許容量限界まで絶望を集めきっている。
これでダメなら性格ブスが無能で、そんな女と契約したデイトが馬鹿だったということだ。
いや、とデイトは甥っ子たちを見る。
呪いが解けたとしても、俺は馬鹿だなと、そう思った。
だが後悔はない。
馬鹿なロマンに命を賭けているからこそ、デイトはデイトでいられるのだから。
「さあ、これで貸し借りなしだ――」
デイトは竜角刀を逆手に握り、その切っ先で己の左胸を切り開く。
ギャラリーが息を飲み、セージとジオが止めに入ろうと動き出すが、それより早くデイトは己の心臓を取り出した。
「――けんか、しようぜ」
******
「……馬鹿な男」
サニアは、あるいはその中にいる人物は、寂しげな声でそう零した。
気に入った人間こそ彼女の寵愛を拒み、その手を振り切って死に急ぐ。
「ふん……」
だがそれも彼女にとっては慣れたものだ。
人間など短命で脆弱で、いくらでも代わりが生まれてくる生き物なのだから。
サニアはデイトから取り出された心臓の檻を開き、中の感情をあふれさせた。
いかに質の低い人間の魔力といえど、極限まで数を集め濃縮したそれには×××××の身体に巣食う竜の残滓も反応を示し、食いついた。
ここまでは予定通りだった。
「――は?」
サニアは遠くの光景に、呆気にとられた声をあげた。
ジオの体から離れ、デイトの心臓にむしゃぶりつく竜の呪い。
それを、ジオが斬った。
「……ふっ、全ては私の手のひらの上。
ええ。あなたにはそれが出来るでしょう。二年前にも、見ていましたからね。
知っていましたよ」
サニアは気を取り直して状況を確認する。
デイトは上級の戦士である。
単純に心臓が切り裂かれただけならば、自力で蘇生もできただろう。
しかし彼の心臓はもう常人のそれとは違う。
封じ込められていた数多の負の想念は、デイトの魂にも食い込んでいた。
そして竜の残滓に食い破られ、デイトは己の魔力を制御することも出来なかった。
つまるところ、不死身を騙ったデイトはこのまま死ぬということだ。
サニアの脳裏によぎるのはこの十一年間のことだ。
デイトは優秀な猟犬だったが、しかし従順な飼い犬ではなかった。
事あるごとに楯突き、何度仕置をしても態度が変わることはない。
そんな人間はサニアにとって、サニアに憑依する者にとって、とても珍しい人間だった。
デイトが死ねば余計なことを知るその口は塞がるが、彼がサニアの護衛であることをアルバートが知っている。
ならば口を封じる価値はそれほどない。
そもそも神子の天使は死者の過去を知るようでもある。ならば生かしたほうが得策かも知れない。
そしてその天使が、デイトに歩み寄ろうとするのが見える。
現場は見れなかったが、天使は壊れた心臓を治したという。
現世神ではなく、その契約者に出来たというなら、私にもできるだろう。
「感謝をしなさい、デイト・ブレイドホーム」
デイトの心臓は竜の残滓に食い散らかされたが、かろうじてその肉体には魔力が残っている。
つまるところ完全には死んでいない。
だから助けてやろう。
サニアは、国主精霊エルアリアは、遠く離れた政庁都市からデイトへ魔力を送る。
そしてデイトは化け物へと生まれ変わった。