235話 恨んでくれて構わない
デイトは人のいない路地まで逃げ込み、追っ手がきていない事を念入りに確認して、一息ついた。
だが気を休める間も無く、胸に違和感を覚える。
性格ブスとの繋がりだった。
「失態ですね、デイト。状況を説明しなさい」
「ふん、見てたんじゃねえのかよ」
「……ええ、ですが最初から全てを見ていたわけではありません。
事の経緯を報告しなさい」
デイトは性格ブスの返事にわずかな動揺の魔力が混じるのを感じ取り、その発言は嘘だと判断した。
繋がりを感じたのもついさっき、ジオの魔力を感じ取ったものの、目の放せない問題にかかっていたか、あるいはジオの結界内では繋がりを戻せなかったから、ほぼ全てのやりとりを見ていなかったのだろう。
「奴と不意に遭遇して、追い詰められた。それだけだ。こうして逃げきれたんだから、問題は起きてねえよ」
「ふん。本当にそれは真実ですか。
この機にアンネやアシュレイの件を告げたのではないのですか」
「あ゛?」
意図せずデイトの口から荒い声が漏れた。
「言いやしねえよ。下らねえ。死んだ奴らのことなんざ」
「……ふん。良いでしょう。信用してあげましょう」
「ちっ、鬱陶しい言い様だな。
それより良いのか、のんきに喋っていて」
デイトの言葉に訝しげな感情を返す性格ブスだったが、その視線の先に現れた少年を見てすぐにその魔力を小さくした。
そして繋がりもかろうじて感じ取れるほどの、小さなものへと変化する。
「‥‥‥どうも」
「よう、元気そうだな」
現れた少年――セージと挨拶を交わす。
周辺には慣れ親しんだ人払いの結界が張られているが、それを作っている魔力は性格ブスではなく、目の前のセージのものだった。
わずかに見ただけの魔法を、自分のものとして再現する。
正しくあのバカの息子だと思って、デイトは頬を緩めた。もっとも目つきの悪いデイトの笑みはどうしても皮肉めいた表情に写ってしまうものだったが。
そんなデイトに向かって、ゆっくりとした足取りでセージは歩み寄った。
あと一歩踏み込めばデイトにとって必殺の間合い。その距離まで、近づいてきた。
セージは刀に手はかけていないが、いつでも抜ける緊張感が隠しきれていない。
目つきは険しいが、いつぞやのような感情の抜け落ちた目ではない。悲しみ、諦め、怒りのようなものが透けて見える目だった。
「何か用か」
デイトの問いかけに、その険しい視線が返ってくる。
その目からは、何を言うべきかわからない、そんな迷いも見て取れた。
「あなたは……、そうですね。あなたは確かに、正しい」
「あん?」
「アベル、ミケル、そして私への言葉を、思い返していました」
セージはそう言って目をつぶった。
それは油断でも、無警戒のアピールでもない。
目の前の少年にとって、戦うに当たって視界の有無は関係がないのだろう。
「あなたは弱さが許せない」
セージは改めて目を開き、しっかりとデイトを見据えてそう言った。
デイトは黙って言葉の続きを待った。
「世の中は優しくなくて理不尽なものだから、強くなれと、そう思っているのでしょう。
それは、確かに正しい」
「だから、なんだ。素直に負けを認めて子分にでもなりにきたのか」
まるで優しい人間だとでも言われて、デイトは不機嫌にそう言った。
「ああ、そう。それだ。あなたは他人を拒絶している。
理解されることも、優しくされることも。
まるでそれが恐ろしい事のように」
「はっ。だから、なんだ。
みんなで仲良くしましょう、群れて助け合いましょう、とでも言うつもりか。
下らねえ言葉遊びでなら勝てるつもりかよ。
それとも、逆立ちしたって敵わないから褒めておだてて懐柔したいってことか?
僕に歩み寄ってよ、って」
セージは酷薄に嗤った。
「まさか。ただこう言いたかっただけですよ。
あなたは、家族じゃない。
これ以上、私たちに関わるな」
デイトは息を飲んだ。
「それは――」
咄嗟に言葉が出なかった。
動揺をしていると自覚しながら、しかしいつものように簡単には立て直せなかった。
「あなたがどこの誰でも構わない。
魔族と戦ったあなたは、国に害する人間ではないのでしょう。
シエスタ・トートもこの国に有用な人物だと、今は認められていると確信をしています。
ならば家族を傷つけられない限り、私はあなたたちに敵対しない。
だからもう関わってくるな。迷惑だ」
セージはそれ以上告げる言葉はないとばかりに背を向けた。
「おい、テメエはそれで良いのかよ。
仇も取らず、敗けたまんまで、武器も取られて」
セージは背を向けたまま肩を竦めた。
「あなたにとって勝利とは敵を打ち負かすことなのでしょうが、私にとっては違います。
竜角刀も、まあ良いですよ。私に二本を使いこなす技量はなかった。
餞別がわりに差し上げますよ、叔父さん」
丁寧な敬語に、デイトは苛立ちを感じる。
それは敵意や憎しみを向けられているのとは別種の苛立ちだった。
セージはそのままデイトの返事を待つこともなく、悠々と歩いて去っていった。
その姿が完全に消えて、粘つくような視線も、人払いの結界も消失する。
関わりたくないと口にした発言は、見せかけだけのポーズではなく、本心からなのだろう。
「……クソがっ、腑抜けたこと言いやがって」
「どうやらかの少年も、ジオレインとの接触を見ていたようですね。
なるほど、なるほど。
これは素晴らしい。つまりは契約主の現世神もこの国を重用したいと言うことでしょうね。
ええ、私には分かっていましたよ。
かの帝国、ひいては絶望を告げる魔女を放置しては人の世が滅びてしまうのですから。
ええ、分かっていました。天使はこの国の発展に大きく寄与しているのですから」
サニアの言葉に、デイトは苛立ちを重ねて募らせる。
「ふざけんな馬鹿が」
思わず漏れた本音はサニアとセージの二人に向けたものだった。
そしてそれを聞きとがめたサニアからは当たり前のように報復がなされた。
デイトの心臓へ全身が痺れるほどの強烈な痛みが走る。
「くっ」
「学習しませんね、あなたは。
知性の低い魔物とてもう少し躾がしやすいものだと思いますが。
まあいいでしょう。
さあ仕事の時間です。天使の働きに報いる意味でも、一人確保しなければならない人物がいます。
どうやら芸術都市に降りてきているようですので、捕まえてきなさい」
かくしてデイトは、ロリコンの確保に乗り出すこととなった。
「殺しじゃねえのかよ」
「……彼にはまだ使い道があるのですよ」
細かな話を聞いてついぼやいた言葉にそう返され、嘘だなと、デイトは思った。
◆◆◆◆◆◆
これで良かったのだろうか。
答えは分からない。
おそらくどんな結果につながっても、私は今日のことを後悔するのだろう。そんな予感がある。
だがどうすればいい。
親父は奴に気づいている。シエスタさんを一度は殺し、兄さん達の実の家族を殺した男が弟だと、そしてその上で家族に向けるのと同じ愛情を向けていた。
親父を想えば、奴を殺すのは躊躇われる。
だからと言って馴れ合うことはできない。
親の仇を許してくれなんて、どんな顔をして兄さん達に頼めばいい。
それに奴の後ろには精霊様の影がある。
やつが契約している人物の魔力はケイさんたち皇剣と繋がる魔力とは別のものだったが、それでも立ち位置を考えれば精霊様に近しい人物には間違いないだろう。
奴を殺して精霊様の敵として認定されれば、この国では生きていけない。
私は一市民で、精霊様は独裁国家の絶対的な主だ。
折り合いのつかない部分があったとしても、それは飲み込んで耐えるべきだろう。
あるいは兄さんのように権力を目指して、妥協できる点まで交渉できるようにするか。
どちらにせよ国家転覆に繋がる戦いなど起こしてはならない。
しかしデス子の事もある。
将来的に私は、そういう道を行かなければならないのかもしれない。
だとしてもそれはずっと先の、成人をして家族との関係を断ち切ってからにするべきだろう。
時間が許してくれるかという問題はあるが、今のところ私は次代の英雄として世間的には見られている。このまま愛国心と献身的な働きでアピールをして、その時が来るのを先延ばしにするべきだ。
話を戻す。
問題はデイト・ブレイドホームだ。
これまで何度も戦った事を思えば、奴が犯罪者として指名手配されている事を思えば、有事の際には切り捨てられるポジションにあるとも考えられる。
楽観的な考えではあるが、彼個人を殺しても精霊様に敵視されない可能性はある。
その可能性に賭けたとして、しかし肝心の親父の問題が横たわる。
親父があいつに向ける感情はエースさんやアーレイさん、それにマリアさんにナタリヤさん辺りに向けるものと同種でもあったが、その強さにははっきりと差があった。
子供時代から親父と共に生き、そしてきっと支えてきた人物なのだろう。それを確信させるだけの信頼が向けられていた。
そんな人物を殺してもいいのか。
だが同時に私は、奴が殺した人たちの感情を知っている。
彼等が何かしらの罪を犯したのだとしても、彼等が精霊様の敵だったのだとしても、殺されても仕方がないのだとしても、あんな殺され方をする理由にはならないはずだ。
彼らの無念を感じ取っておいて、実行犯の奴を許していいのか。
そして何より大きな問題がある。
今の私では、そもそも奴に勝てないという問題が。
前回の戦いで見せたものが奴の全てならば、まだ勝ち目はある。
だがそうではない。
前回は体術しか見せなかったが、高い魔力制御技術を持つ奴が、闘魔術を使いこなせないはずもない。
親父との一合でもそれは証明されている。
間違いなく奴は、必殺の技を隠し持っているはずだ。
殺され、死に戻りをしてその技が見れればいいが、恐らく奴は気絶を狙ってくるだろう。
そうなれば前回の戦いと同じだ。
のんきに寝ている間に全てが終わってしまう。
兄さん達が親父の感情に気づくか、あるいは親父がその手で……。
ああ、だからもう会わせたくない。
親父には、その考えが浮かんでいる。
弟に向けてあれだけの強い愛情を抱きながら、子供のためにと、小さくとも確かな殺意と覚悟の感情が燻ぶっている。
奴を親父達に近づけたくない。
だから、ああ口にした。
私はきっと後悔するだろう。
だってこれが時間稼ぎにしかならないとわかっている。
奴には信念がある。
決して揺るがない、私の歪んだ心にも似た、不屈の信念が。
たとえ一時の迷いを抱いても、奴は必ずまた顔を見せる。その確信がある。
だから私もその時までに、半端な迷いを捨て、覚悟を決めなければならない。
「恨んでくれて構わない」
誰に聞かせるつもりもなくそう言って、私は親父の待つギルドへと足を踏み入れた。
そしてアリスさんに、来るのが遅すぎると、叱られた。