233話 YES、ロリータ NO、タッチ
「なあ、迷ってね?」
カインは前を歩くマギーにそう言った。
二人は芸術都市に降りてすぐにジオたちと別れ――帰りに合流できないことも考えて、通行税を含めた幾らかのお小遣いがマギーに渡された――ナタリヤの家を目指して歩いていた。
ただ二人の、というかナタリヤの家を知っていて道案内を買って出たマギーの足取りは、とても怪しいものだった。
「べ、別に迷ってないし」
答えたマギーの声は、わかりやすく動揺していた。
カインはこっそり溜息をついた。
マギーが道をきちんと覚えていないことは早い段階から察しがついていた。
まあそれでも適当に歩いていれば、覚えのある道や建物を見つけてどうにかするだろうと思っていた。
カインは暇を見ては守護都市を遊び歩いていて、入り組んだ裏路地などで道に迷ったときはそうやって家に帰るから、マギーもできるだろうと思った。
でも――
「ほとんど初めて来たところだもんな」
――マギーには、どうやらそれは出来ないようだった。
「何?」
「なんでもない。前見て歩かないと危ないぞ」
何を言ったかは聞こえなかったが、文句があるなら言えばいいじゃないと、マギーはそんな棘のある思いを顔に出して、しかし実際には言われた通りに視線をカインから外して、周囲の風景へと移した。
セージは全然迷ったりしなかったのに、私は三回目なのにと、マギーは内心で思っていたが、さすがにカインもそこまでは分からなかった。
そんな姉の様子を見ながら、地図を持ってくるか、詳しい住所を聞いてくるかすればよかったなとカインは思ったが、どうでもいいかと思い直した。
家族にはクリムに会ってみたいと言ったが、本音はマギーを連れ出すのが目的だった。
最近ふさぎ込んでいたマギーが、芸術都市で外泊して少し持ち直した。
そしてその時のクリムのことを楽しそうに話していたから、連れ出そうと思って遠回しにそう言い出したのだった。
もっとも今のところ、気晴らしにはなっていないようだったが。
「なあ、ちょっと歩き疲れたから休もうぜ。まだ遠いんだろ。この前にきた広場が近いしさ。出店でなんか食おうぜ」
「あ、う、うん。そうね。カインは仕方ないね。私まだぜんぜん歩けるけど、カインがそう言うなら仕方ないね」
こいつ……と、カインは少し苛ついたが、口には出さなかった。
そしてうちの女どもはなんでこんなに面倒臭いんだろうと思った。もっともその面倒臭さを、嫌だとは思っていなかったが。
******
マギーとカインが広場にたどり着く前、歌って踊れるアイドル志望のクリムが、その広場でショーをしていた。
受験の許可が降りて、気合の入ったクリムは再び路上で芸を磨こうと思ったのだ。
ただし前回が悲惨だったので、今回は友達も連れてきた。
平日ではあったが、クリムの通う中学は高校受験を控えた三年生に選択授業を課していた。
基本的な授業はもちろんあるが、それとは別に自分のこれからの進路を考え、学びたい者を学ばせるためだった。
そして芸術都市の学校であることから、クラブによる路上パフォーマンスも許されていた。
連れてきた友達はクリムの所属するクラブの仲間たちだった。
そのクラブは中学に多数あるダンスクラブの中でも規模が小さく、実績も上げていないものでほとんど部費も無く指導員も付いていない、同好会のような扱いのクラブだった。
大なり小なり芸能活動に興味の強い子供達が揃う芸術都市では、そういったクラブはどこの学校にもたくさんあった。
小さなクラブから、スターへと成り上がる。それは芸術都市に生まれた普通の青少年なら誰もが一度は抱く夢だ。
そんな夢を抱いて集まったのが、クリムと三人の友達たちだった。
「ねえ、クリム。もう疲れたよ。止めようよ」
「アーニー、だらしない。ほら、もう一曲いこ」
クリムが連れてきた友達は、誰からも見てもらえないダンスを続けることに嫌気がさしてそう言った。
前回とは違ってクラブの備品であるミュージックボックスを持ち込んで四人で踊って歌ったのだが、結果は変わらなかったのである。
気落ちする友人を元気付けようとクリムが声をかけたが、ネガティブな声は別の友達からも生まれてきた。
「クリムが一人で踊りなよ、誰も見てないしさ」
「ジルまで? なんでそんなにやる気ないのよ」
もっと踊りたいのにと、熱意が空回りしているクリムはそう不満の声を上げる。
そんなクリムにかけられるのは、対照的に冷たい声だった。
「そりゃわたし達は普通科に行くもん。お金持ちのクリムとは違ってね」
「――っ !! ケイト、それは、でも、応援してくれるって言ってたじゃない」
クリムが叫ぶと、アーニーが後ろめたそうに、しかし我慢もできないと言った様子で気持ちを吐露する。
「そりゃするよ、するけどさ、親を説得できなくて普通科に行くことになっても、みんなで一緒に頑張ろうって約束してたのに、一人だけ抜け駆けしてさ。
それが悪いなんて言わないけど、クリムは一人で盛り上がってさ、私たちの気持ちなんて全然考えてないじゃん」
「それは、それは……、ごめん。でも私だってチャンス逃したくないんだもん。それはわかってよ」
クリムの悲しそうな声に、三人も押し黙った。
楽しい踊りやダンスを披露する雰囲気の消え去った四人に、声をかける男がいた。
「君たちはお金に困っているのかな」
その人物は身なりの良い男だった。
体にフィットした艶のあるスーツを着こなし、ネクタイピンは上品にダイヤの輝きが、手首には高級品の腕時計がさりげなくも確かに存在感を放っていた。
丁寧にセットされた頭のてっぺんから足元の革靴まで、庶民の生まれな女子中学生たちにも一目でわかるお金持ちな壮年にそう声をかけられて、クリム達はわかりやすく狼狽えた。
「え、あ、な、なに……」
「ああ、驚かせてしまってすまない。私は、そう、ホーネストという者でね。わかりやすく言えばお役人といったところかな」
「え、あの、私たちはクラブの活動で、学校からはちゃんと許可は取ってます。サボりじゃ、ないです」
そう口にしたのはクラブの部長を務めているアーニーだった。
「ははは。私はお役人であって騎士じゃあないよ。補導のために声をかけたわけじゃあない。
ただ私は、それなりの地位につかせてもらっていてね。
君たちのようないたいけな少女が、経済的な理由で不遇な環境に追いやられているというのが少々許せないんだよ」
クリムたちは何が言いたいのだろうと顔を見合わせた。
「君たちがよければ、詳しい話を聞かせてもらえないかな。ああ、ここではなんだから、落ち着ける場所で」
「え? なに、ナンパなの?」
「ははは。そうだね。私はこう見えてお金持ちでね。
君たちのような魅力的なレディに食事を奢らせてもらう栄誉が欲しいのさ。
そしてできることなら君たちの抱える問題の解決に、力を貸させて欲しいんだ」
ジルの言葉に、ホーネストと名乗った男は余裕を崩さず紳士的な態度で言葉を重ねた。
守護都市に比べれば圧倒的に治安がいいといっても、年頃の少女が見知らぬ男について行く危険は変わらないし、クリム達にも当然のことながら教え込まれている。
ただそうは言っても、彼女たちは夢見る年頃の少女であった。
芸術都市の冴えない少女が、素敵なパトロンに出会って、そのバックアップで才能を開花させてスターへと成り上がる。
そんな演劇で使い古されたシンデレラストーリーが自分にも起きるんじゃないかと期待するくらいには、足元の浮ついた少女たちだった。
「それは――」
「できれば話だけでなく、君たちの芸も見せてもらいたいな。なに、こう見えておじさんは顔も広いからね。
芸術都市と言わず、政庁都市への推薦もあげられるかもしれないよ」
その言葉に少女たちは期待半分、怖いもの見たさ半分で目を輝かせた。
「ま、まあ少しくらいなら……」
「止めとけよ」
男に肯定的な返事を返そうとしたケイトを、割って入る形で止める声があった。
それは友人達のものではなく、若い少年の声だった。
「だ、だれよ、あんた」
「カインだ。はじめまして」
「あ、う、うん」
まっすぐな返事が返されて、ケイトは少したじろいた。
そしてクリムはカインの後ろに、見覚えのある顔を見つけた。
「マギー、どうしたの?」
「その、ごめん。なんか、怪しい人だと思ったから、つい」
「怪しいというのは、私のことかな」
声音にわずかな苛立ちを交えて、ホーネストと名乗った男はそう言った。
彼は昨日から面倒なことが重なり、(少しばかり歳を取りすぎたものの)可愛い主人には軽蔑をされ、その時の興奮を冷ますための話がうまく進みそうだったところを邪魔され、たいそう機嫌が悪かった。
ただそれでも愛くるしい少女達の手前、紳士な態度は決して崩そうとはしなかった。
「ああ、怪しいね。いかにも金持ちって身なりで名家の関係者ですって匂わせてるやつなんざ、詐欺師の類いだろ。名乗るならはっきりテメエの看板を名乗れよ」
カインは定食屋でアルバイトをしている関係で、無銭飲食を取り押さえる経験があった。
国内でも治安の悪い守護都市において、無銭飲食を働くものは意外なことに少ない。
素行の悪いギルドの戦士達には金払いが悪いのは恥だという考えが――とあるマダオの素行が原因で――あり、金に困っている浮浪者達は身なりが汚くてそもそも飲食店には入れない。
だがそれでも全く起きないわけではなく、カインが働いている時にも何度かはあった。
そしてその中でも変わったパターンで、普通に隙を見て逃げ出すのでは無く、浮浪者が綺麗なスーツを着込んで堂々と食い逃げをすることがあった。
自分は名家の関係者で、偶然手持ちがないから請求書を送ってくれと口にし、それっぽい名前を名乗るのだ。
そしてその通りにすると、名家からは架空請求をするなとお叱りを受ける羽目になる。
一度はそれにまんまと引っかかった。
二度目にカインが取り押さえたケースでは、犯人がマージネル家の関係者を名乗ったので、たまたま昼食を取りに来ていたケイに代金を請求して、正体がバレた。
いや、顔は覚えていたので来店した時からバレていたのだが、うまいこと報復してやろうとした結果、そうなった。
ケイのことを知らなかったその食い逃げ犯は、必死になって当主や次期当主の側近のようなことを匂わせて 、カインからマージネル家の騎士だと紹介されたケイに向かってお前のような小物が私のことを知らないのは仕方ないなと、余裕を醸し出す演技に必死になっていた。
自尊心を傷つけられたケイも自分のことを教えようと遠回しに皇剣について口にしたものだから、食い逃げ犯は皇剣ケイを育てたのは私だとまで言い出して、カインはとうとう我慢できずに笑い出した。
そうして食い逃げ犯はプッツンしたケイの魔力に当てられて気絶して、その魔力に慌てて駆けつけた警邏騎士に連行されていった。
話が逸れたが、カインはその時の食い逃げ犯に似た感覚を、ホルスト――もとい、ホーネストと名乗った男から感じていた。
「君のような守護都市の不良にそんなことを言われるとはね。だが挑発には乗らないよ。主人に迷惑がかかってしまうからね」
ホルストとは名乗っていない男はそう言った。
男はこの時点でカインとマギーがジオの子で、セージの兄弟であることに気がついていた。
そしてこのとき思ったのは正体がバレていないうちにさっさと逃げたいだった。
年増になってしまった可愛い主人にはバレないよう芸術都市で火遊びをしようと思ったのに、それを邪魔された苛立ちは確かにある。
だが主人が危惧したように、男もセージを警戒し、恐れていた。リスクと性欲を天秤にかければ、今の状況はリスクの方が重たかった。
ホーネスト(仮)は頭の回りが良く、保身に長けた人物なのだ。
「ちっ……。スカしやがって、喧嘩売ってんのか、おっさん」
カインはそう言ったが、側から見れば喧嘩を売っているのは間違い無くカインだった。
ただカインからすれば直感的に怪しい男だと決めつけていたので、姉が世話になった従姉妹を守ろうとするのは当然のことだった。
しかしそうは言っても、身なりが良く落ち着いた態度の大人の男性と、それに一方的に因縁をつけるガラの悪い少年。
両者ともを知らない人間がどちらを信用するかは、はっきりしていた。
「ちょっと、なんだか知らないけど、言いがかりはやめてよね」
アーニーがそう言った相手はカインだった。
「はぁ⁉︎」
カインは意外そうな顔をしたが、その気持ちを理解してくれる人間はマギーただ一人だった。
「ホーネストさん、行きませんか」
アーニーがそう言ってホーネスト(偽名)の腕をとった。
アーニーに限った話ではないが、この場の少女達は程よい運動で身体が絞られており、また年齢的に成熟していないためそもそもの肉付きも薄い。
ホルスト(本名)の腕に当たるのは脂肪たっぷりのたわわな肉の感触では無く、つるぺたーんで固めの感触だった。
だがホルスト(ロリコン)にとってはそれこそが最高の感触だった。
天秤にかけられたリスクは重かったが、しかしロリコンにとってはそれよりも大切にしなければならないものがあった。
少女達のこの細く、軽く、そしてつるぺたーんな時間はあまりにも早く過ぎ去ってしまうのだから。
「そうだね。落ち着ける場所に移動しようか」
ロリコンは保身に長けた男であったが、同時に己の息子(※比喩表現)を大事にする漢だった。
「あん? 話は終わってないぞ、おっさん」
「関係ないのに口挟んでこないでよね。これ以上何かしてくるなら騎士様に突き出すからね 」
ホーネスト(偽名)を庇うようにジルがそう言って、ケイトがそのロリコンの空いている方の腕をとった。
「さ、行こう。クリムもほら」
「え、あ、いや、私は……」
クリムは目に見えて躊躇った。
それは男を怪しむカインに、マギーが同調しているよう感じられたからだった。
クリム達は少なからずロリコンへの不信感や警戒心を持っていた。
だが友達はカインが信じられないからロリコンを信じた。
クリムはしかし、カインを信じるマギーがいたから迷った。
困ったときは家族を信じて頼れと、大好きな祖母から教わっていたから。
そんなクリムの迷いを、友達は別の形に受け取った。
「クリムはお金持ちだから、必要ないんじゃない」
ロリコンへの警戒心は、四人の少女全員が持っていた。
それでも――場の空気に流されている側面もあるが――夢があるから、悪い男に騙されるかもしれないというリスクをとった。
もしもロリコンが本当に名家の人間なら、支援をしてもらえるなら、三人も国立の芸能校を目指せるから。夢の続きを追いかけるから。
だがそのリスクをクリムは犯す必要がない。だって三人と違って、クリムは家族がその夢を応援をしてくれているから。
だから友達たちはクリムの迷いを裏切りと受け取った。
「ちが――」
「行こう、あの人たちはほっといてさ」
クリムが口にしようとする弁明を切り捨て、少女たちはロリコンとともに消えていった。