231話 条件未達
アベルはセルビアの登校に付き添った後、家には帰らずとある邸宅を訪れていた。
そこは守護都市でも最も権威の高い家といっても良かった。
名家スナイク邸。
見るからに屈強な荒くれ者が門番をするその敷地出入り口付近で、待ち合わせの相手と合流する。
「待たせたね」
「ううん、そんな事ないよ」
その相手は婚約者のシエスタと、護衛のマリア。
「私は中に入る許可がおりませんでしたから、ここで待っています」
淡々とそう口にしたマリアに見送られ、アベルとシエスタはスナイク家の敷地に踏み入っていった。
二人の背中を、まるで礼儀正しいメイドのように見送ったマリアに、珍しいものを見る目で門番が話しかけた。
「いいのかよ、護衛なんだろ?」
「中で何か起きるとでも?
起きるとしても、それは殴り合いではないでしょう。
そうであれば、それは護衛の領分ではありませんよ」
「薄情だな」
「信頼をしているのです」
「そうかい」
「そうですよ」
「へっ。話は変わるが、最近ジオとはよろしくやってんのか?」
「あ゛? 殴られたいのか?」
「は? なんでそうなんだよ、ふざけんな」
護衛対象のシエスタたちがスナイク邸を出てくるまで、マリアは門番と仲良く拳で雑談した。
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「それで、用件は何かな?」
2人はスノウの執務室に通され、入ってくるなりそう問いかけられた。
飲み物が出されることもなければ、椅子を進められることもない。
長居はしてくれるなと言われているように、アベルは感じた。
「あなたからは一年前にメッセージをいただきました。
名家の当主になったら来い、と。
あれはどう言うことですか」
だから、アベルは単刀直入に用件を切り出した。
腹芸で目の前の人物に勝てるとは思わなかったから、純粋に正直に胸の内の疑問をぶつけた。
「特別に含めたものはない。
そのままの意味だよ。
名家となれば得られる権利に基づき、相応の責任が生じる。
僭越ながら、心構えと知識を伝えようと思ってね」
それはきっと真実なのだろう。
真実なのだろうが、しかし思惑の核心は覆い隠されていた。
「それを今、教えていただくことはできますか?」
「ダメだね。僕は君を信用できない」
ばっさりと、手元の書類に目を通しながらアベルを一瞥することもなく、スノウはそう切り捨てた。
「……そもそもスナイク理事長はどこでアベルの目指すものを知ったのですか?
あの時点では伝えた相手はごくごく少数に限られると思うのですが?」
「それは重要な話かな、トート監査官。
まあ答えてもいいけど、誰からも聞いていないよ。
挙げられてくる報告に目を通せば、想像できる程度のことだったって事だよ」
何でもない事のように口にするスノウにシエスタは鼻白み、化け物と小さな声で零した。
「それはどうも。用はそれだけかな。だったら資格を手に入れてから出直すといい。その時は有意義な時間となるだろうから」
今のこの時間とは違ってと、口にはしていない言葉がはっきり伝わってくる。
だがこれだけで引き下がっては何のためにやって来たのかわからない。
「スナイク理事長は、フレイムリッパーの正体に心当たりがあるんじゃないですか」
「うん? ああ、あるよ」
あっさりと出てきた言葉に、アベルは頭の中が真っ赤になった。
感情のままに怒鳴り付けようとして、しかしその寸前で思いとどまる。そんなことをしても意味がない。ここを追い出されて終わりだ。
アベルは爪先が血で滲むほどに強く拳を握り込んだ。
その拳に、シエスタの手が重なった。柔らかく優しい温もりの伝わるの手だった。
アベルは大きく、熱い息を吐いた。
そして気を取り直して、質問をする。
「何故?」
「何故と言うのは?
心当たりがあって、何故黙っているのかと言う意味かな?
……ふむ、何か思い違いをしているようだから訂正しておくけど、心当たりというのは1人だけじゃあないよ。
二人は十三人と言って、何か思いつくことはあるかな」
変わらず執務を続けながら、スノウは問いを発した。
「フレイムリッパーの疑いのある戦士ですか?」
「外れ。いや、広い意味でいえば当たってもいるけどね。ヒントは去年の話だよ」
アベルとシエスタは顔を見合わせた。何の数字かは2人ともわからなかった。
「君たちはギルドとは直接縁がないから、仕方ないか。
守護都市のギルドから籍を無くした、上級の戦士の数だよ。
完全に引退したものが三名。
他の都市に降りたものが四名。
死亡が確認されたものが一名。
職務中に失踪し、それから三年が経って死亡扱いとなったものが五名」
スノウは淡々と、話を続ける。
「君たちの周りにいるギルドメンバーで鬼籍に入ったものはいないけれど、守護都市の強者ですら毎年少なくない数の死者、行方不明者を出している。
危険で過酷な仕事だからね。
そして僕の言う心当たりは、この行方不明者のことだよ。
失踪して死んだことにして、新しい人生を歩む者もいるからね。テロリストや野盗なんて人生をね。
だから具体的にだれかを特定できているわけじゃあない」
納得してもらえたかなと、スノウはそう言葉を締めくくった。
アベルとシエスタは再び顔を見合わせ、そしてシエスタが口を開いた。
「それが分かっているのなら警邏騎士にその情報を伝えれば――」
「そんな事はとっくにやってるよ。フレイムリッパーの最初の事件の時にね。
その辺りのことで話がしたいのならエースのところへどうぞ。彼も名家の当主だから、心構えのアドバイスもついでに聞くといい」
スノウはそうやる気のない調子でそう言葉を遮った。
「僕も忙しいんだ。そろそろ帰ってもらっていいかな」
スノウはそこでようやく顔を上げ、ニッコリと笑顔を作ってそう言った。
それを合図に部屋の外から戦士たちが入ってきて二人のそばに立った。
自分の足で出ていかなければ、無理やり連れ出すという意思はありありと伝わってきた。
シエスタは悔しげにアベルに目配せをした、ここは一旦帰ろうと。
だがアベルは真っ直ぐにスノウを見据えていた。
「最初の事件とは、いつの事ですか?」
「うん? 忘れたのかい? 君の実家が襲われた事件だよ」
「つまり、記録に残っている三件以外は、フレイムリッパーの仕業ではなかったんですね」
アベルがそう口にした途端、スノウの雰囲気がはっきりと変わった。
何がどう変わったか、はっきりとは分からなかった。
だがそれまでより一回り大きく、スノウの存在を力強く感じた。
それはアベルを圧倒するような大きさだった。
「どうして、そう思うのかな」
にこやかな表情にスノウに、アベルは得体の知れない圧迫感を覚える。
背中からは冷や汗が吹き出していた。
「ジェイダス家を襲った事件は、たくさんあった。でも公式に記録されているフレイムリッパーの関与は三件だけ。
フレイムリッパーがジェイダス家を滅ぼすために暗躍していたなら、関与している数はもっと多いはずだ。
でも、そうじゃない。そうじゃないんでしょう」
「……なるほど、勘で言っているのか。
ああ、その感覚は大事にするといいよ。人間の行動なんて合理性と感情の混ぜ物だからね。理詰めだけで考えたって正解にはたどり着かない」
スノウは諭すようにそう言って、戦士たちに顎で指示した。
二人の戦士たちはそれぞれアベルとシエスタの腕をひねって部屋の外へと案内した。
「あ、痛い。ちょっと、痛い。ちゃんと自分で歩くからやめて」
「ああ、一応答えておくけど、僕はフレイムリッパーの起こした事件は公式記録でしか知らないから、彼の事件を三件だけだと捉えていただけだよ。僕のその思い込みが君に伝わってしまったのなら、謝罪をしておくよ。
勘違いさせて申し訳ないね」
「くっ、スナイク理事長。あなたは、あなたはもっと上手くやれる人でしょう」
アベルは悔し紛れにそう言った。
それは期待が言わせた言葉だった。
スノウが自分よりも強い立場を、そして高い能力を持つから発してしまった言葉だった。
優しい国であってほしい。そのために出来る事をする。
アベルにその想いがあるからこそ、それが出来るであろう男に期待をしてしまった言葉だった。
しかしスノウはアベルの言葉の意味がわからず、知ろうとも思わないでスノウは肩をすくめた。
「お客様のお帰りだ。どうぞ丁重にね」
「あなたが真面目にやれば、この都市は、この国は、もっと優しいものになるはずだ!!」
アベルにとってそれは負け犬の遠吠えのようなものだった。
何故ならそれは自分がやらなければならない事なのだから。
それでも我慢できずにその言葉をぶつけた。
乱暴に連れ出されたアベルは、発した言葉の結果を見届けることは出来なかった。
スノウは勢いよく立ち上がって、
「ーーっ‼︎」
呆然と二人が連れ出された扉を見つめた。
「は」
糸の切れた人形のように腰を下ろし、再びその体重を椅子に預けた。
口からは意味を持たない音を漏らし、
「はははははははははははははははははははは――っ、ぐっ、ごほっ、ごほっ‼︎」
その意味のない音は盛大な笑いに変わり、そして笑いすぎて思いっきりむせた。
何度か咳き込んだスノウは目元に浮かんだ涙と、書類に飛んでしまった唾を拭った。
「あーあ、良い歳をしてやっちゃったな。ああ、でも、良い気分だ」
スノウはそう言って晴れやかな笑みを浮かべながら背もたれに体重を預けて、昔を思い出した。
『ねえ、もっと優しい国になれば良いのにね』
父に見捨てられたと思って腐っていたときに、そう語る女性がいた。
『俺が変えるさ、優しい国に』
そう答えた、若かった己を思い出した。
いいや、思い出したというのは正確ではない。
その女性との思い出は今も色あせることなく胸の奥で輝く、スノウの大事な宝物なのだから。
「……ああ、そうだね。この国が、優しい国だったらいいのにね」
スノウはそうして、感情の消えた顔で呟く。
「アールの代わりは見つかった。
クラーラもカナンが消えれば問題はない。
ああ、そうだ。
僕はまだ、絶望なんてしていない」
そうして思いを馳せるのは一人の神子だった。
連合国の発展に寄与している点を鑑みると、帝国から送り込まれたとは考えづらい。
可能性が高いのはアーレイたちにも知らされていない共和国からの援助だが、強力な神子をなんの支援もつけずに送り込んでくるとは、やはり考えづらい。
つまりはセージの後ろにどんな化物が居るかは想像の域を出ない。
その化け物と手を組むことができたなら、そんな甘い希望がスノウの頭をよぎって、頭を振ってかき消した。
世の中はいつだって優しくなくて、思い通りにはいかないのだから。
「アンネ、君は命懸けで希望を残したつもりなんだろうけど、僕からすればそれは逃げだったよ」
スノウは一瞬だけ寂しげな目をして、積み重なった書類に意識を戻した。
この国の将来のことは大事だが、目先の仕事や金策も同じぐらいに大事だったから。