228話 さあ、帰ろう
思いがけず一泊することになった。
急に押しかけてきたのに快く泊めてくれたナタリヤさんには感謝である。いや、まあちょっと怒らせてしまったんだけどね。
クリムさんはなんだか姉さんのいい友達になってくれそうだったので、バレないようにその夢のお手伝いをしようと思いました。
夜中にこっそり抜け出して、二十四時間営業のATM――いや、自動じゃなくて有人なんだけど――があるギルドに行って、職員から聞き取りをさせてというのを丁重に躱して、そこそこの大金を下ろして、適当な紙袋に包んでポストに突っ込んで、なに食わぬ顔でベッドに戻り二度寝しました。
うん。ナタリヤさんがお金を見つけるところまでは予定通りだったけど、普通に私の仕業だとバレました。
なぜだと聞いたら、流れでわかるわと返された。
まあクリムさんや姉さんにはバレてないし、ナタリヤさんも話す気は無いようだからいいんだけどね。
デイトの株が姉さん達の中で爆上がりしているけど、別にいいけどね。
私のお金であいつがよく思われるのは納得いかないところがあるけど……まあ、いいけんだどね。
…………とりあえず、帰ろう。
◆◆◆◆◆◆
「……まったく、どうしたもんかね」
ナタリヤは困った様子で息子夫婦と顔を付き合わせていた。
「貰っておけば良いじゃない。守護都市のエースなんでしょ。すごく稼いでるから、こんな風にポンってくれたんだから」
「おい、そういう事を言うな。甥っ子なんだぞ」
ジャンは嫁のリグレットをそう言って窘めた。
「だって……」
「あの子は、アンネちゃんに似て素直じゃないようだねぇ。
ああ、お金は使わないよ。学費はアタシが貯め込んでる分があるから、そっちをだすさ」
「いいのか、母さん」
高額な学費を払えるだけの蓄えがあるというのは嘘ではない。それはいつかデイトに会った時に、苦しい時代に世話になった分を返せればとコツコツと貯めていたものだった。
「いいさ。クリムには変に引け目に感じさせたくないからね。いずれ時期を見て、お金はセージに返すよ」
ナタリヤはクリムの学費を払うつもりが無かった。
それは貯めていたお金に使うあてがあったのもそうだが、クリムはジャンとリグレットの娘だ。二人が進路に反対しているのにそれを支援するのは間違いだと思っていた。
だがジャンはクリムの熱意に折れたし、何のかんのと反対するようなことを言っていたセージも、こっそりとお金を置いていった。
おそらくはクリムが両親を説得できたから。ならセージが払おうとした分は、ナタリヤが払うべきものだ。
「……ねえ。私たちだって、楽な暮らしじゃないのよ」
「おいっ」
だがしかし、大金というものにはどうしたって人の欲を刺激する魅力がある。
セージという少年にも、守護都市のブレイドホーム家にも思い入れのないリグレットからすれば、都合よく現れたお金持ちの遠い親戚という印象が拭えない。
だからこそ、せっかくの大金を手にするチャンスを失うのが惜しかった。
「わかってるさ。でも、九歳の子に恵んでもらわなきゃいけない程じゃあないだろ。しっかりおし。
いざとなったら助けてくれる親戚が居る。それが分かっただけで十分じゃないか。身の丈に合わない贅沢を覚えちゃ、待ってるのは破滅だよ」
「それは……」
リグレットは言葉に詰まる。
お金に目が眩んでいるという自覚は本人にもある。
しかし一庶民であり、豊かとはいえない生活をしている彼女にしてみれば、姑の言葉は綺麗ごとだった。
だがそれでも、お金のために九歳の子供に施しを求めるのかと言われれば、躊躇われる所がある。
確かに生活は豊かではないが、生きていくのに困るほどではないのだから。
「守護都市の娼婦や戦士なんて、実入りがいいから調子に乗って遊び歩いて、身持ち崩しちゃうのがほとんどさ。
目先の欲に負けてちっちゃい子に金をせびるようなら、あんたはそいつらとおんなじだよ」
「……はい」
俯きながら、自分を納得させようとしている義理の娘に、ナタリヤは満足そうな笑みを向けた。
「いい子だ。
――ま、なんだい。贅沢はクリムにさせてもらいな。
将来はきっと芸術都市を代表するようなスターになるからさ」
その冗談にナタリヤも含め、三人が笑った。
三人ともクリムの夢が、本当に叶うとは思っていない。
どんなジャンルであれ、芸術都市でスターになれるのは――本人の実力も当然必要であるが――宣伝や格式ある大会の参加権の確保、あるいはその大会での入賞権の確保などで、強力なバックアップを得られる者だけである。
そしてそんなバックアップができる事務所の裏には、いつも名家がある。
だからクリムの夢は叶わないと思って、叶わない方がいいと思って、三人は笑った。
笑いながら、しかしそれでも純粋な娘の夢が叶えばいいなと、心のどこかで願っていた。
◆◆◆◆◆◆
はい、そんな訳で帰ってきました、守護都市のマイホームのブレイドホームに。
そして私は――
「どういうことか説明してもらおうか、セージ」
「セージくん、とりあえずギルド来て、もう何がなんだかわかんないけどすぐに来て」
――こめかみに青筋を浮かべた代表と、泣きそうな顔で困っているアリスさんに出迎えられた。
あ、あと親父がちょっと難しい顔をしていた。
まあ娘がいきなり外泊なんてしたら色々と心配もするか。
とりあえず親父は姉さんに任せて、私はいつもお世話になっている二人の相手だ。
「あー……、なんとなく想像はつくんですが、どうしたんでしょうか?」
「どうしたじゃない、バカが。あんな場所であんな大物にケンカを売るような真似をして。宿にまで押しかけて。
あいつはクソだが、だからといってあんなやり方があるか。戦争になるかもしれんぞっ!!」
「あのね。こっちも大変なの。セージくんテロリスト見つけて、ワイバーンも倒してくれたけど、その場からいなくなって、それだけならケガの治療とか言い訳できたんだけど、芸術都市のギルドでお金おろしたり、喫茶店でお茶したり、そういうのが見られてて。問題行為だって。
その、功績を挙げているから何をしても良いと思っているんじゃないかって。
それで、査問の対象にしようって話が上がってるの」
おおぅ……。
思った以上の大事だった。
「ど、どうすればいいですかね」
「まずは謝罪だ。先方もいいところを邪魔されて腹を立てている。だが幸い、やつの元締めのクラーラは手打ちにしても良いと考えている。物と金は用意している。すぐに行くぞ」
「ちょっと、だめ、こっちが先。
私もう来てるんだから、ギルドの聞き取り拒否って形になっちゃう。今回は問題が大きいから、一日遅らせただけでも大分まずいんだから」
ど、どうしよう。
とりあえず、私は悪くないよね。
私が暴走した結果だけど、暴走させたデス子が悪いよね。
きっとそうに違いない。
デス子は責任を取ってムダ毛が永久剛毛になればいいと思う。
私はフレイムリッパーの対策をしたいのに。
でもそんなことも言ってられないので、私は少しだけ迷って、答えを告げた。
「それじゃあ、まずはクラーラさんと、その、あまり気は進みませんが、ホルスト氏に謝りに行きます」
「そこは誠心誠意、謝れ馬鹿」
「ちょっと、こっちはどうするのっ!?」
アリスさんが悲鳴を上げるが、ここは折れてもらうしかない。名家とギルド、どちらかを優先しなければならないのであれば、お偉い名家の方を優先する。
クラーラさんはシエスタさんに協力をしてくれているし、この都市の治安改善にも前向きな人だ。そんな人と敵対は出来ないし、それにホルストを野放しにもできない。
直接会って魔力を覚える事ができれば、今後はきっちりマークできる。
いや、前回にそのチャンスはあったんだけどその時はいろいろ混乱していて、姉さんも探さないといけなかったからマーク出来なかったし、魔力もちゃんとは覚えられなかったんだよね。
それはともかくホルストをマークしておけば、いずれは夢の中で姉さんを殺した理由もわかるかも知れないし、そうでなくても性犯罪の証拠を集めて失脚させたい人物だ。
もちろんそれらは、フレイムリッパーの問題を片付けた後の話ではあるが。
「大丈夫です、アリスさん。ギルドは親父の奇行で慣れてます。ちょっとぐらい待たせるのなら許してくれるはずです」
「そんなっ、今回のは芸術都市の組合長からの強い要請なのにっ!!」
えっ?
なんでそんな会ったこともない偉い人が?
「セージくん、その、現地で仲間と戦闘をしたんでしょ。それも、ただの喧嘩じゃなくて、本気で殺し合ってたって。
その戦った相手はセージ君を連れて姿を隠して、一緒に同行してたもう一人も黙秘して、もう私も何が何だか分からなくて。
いったい何があったの?」
「それは――」
私は咄嗟に答えられなかった。
姉さんは他の子達に外泊の経緯を説明しているが、私の案件は子供たちには聞かせられない内容も含まれているため、姉さん達とは別に応接室で話し合っている。
そして応接室には私とミルク代表、そしてアリスさんの他に、親父がいる。
ずっと黙って話を聞いている親父が。
フレイムリッパーと戦ったと話すのは簡単だ。
だが今の私はフレイムリッパーとデイトを結びつけている。そのせいで親父に何かを勘付かせてしまったら。
そんな不安が私の口を重くさせた。
「ならば俺がギルドに行こう。セージが怪我をしていたのは事実だ。それを説明すれば少しは時間が稼げるだろう」
私が迷っていると、親父が珍しくまともな形で救いの手を差し伸べた。
あの男がまっとうに仕事を受けることの出来たことを考えれば、芸術都市のギルドにあいつがフレイムリッパーであるという証拠はないだろうし、そして指名手配されているあの男はテロリスト討伐で騒ぎになっているところに舞い戻ったりはしないだろう。
親父がギルドに行くのは問題ない。そう思った。
「親父がまともな事を言うなんて」
「……気にするな」
私は意識していつもの軽口を叩いたが、親父は言葉少なく返すだけだった。
「それなら……まあ、でもセージくん、名家の人を優先するのはわかるけど、セージくんはギルドの人間なんだから、その事もちゃんと考えてよ」
「はい、すいません」
「うん。じゃあ私もなるべくフォローするけど、早めにこっちに来てね」
わかりましたと私は答えて、ミルク代表に先導され部屋を出た。
◆◆◆◆◆◆
「セージくん、ちょっと様子がおかしかったですね」
「……そうだな」
ミルクに手を引かれ、急いで出て行ったセージを見送ったアリスの言葉に、ジオは気の無い様子で頷いた。
「ええと、それじゃあジオ様、来てもらえますか」
「ああ」
「……父さん、出かけるの?」
今度はアリスがジオを連れ出そうと応接室を出たところで、別室で話をしていた子供達と顔を合わせた。
「ああ、ギルドに行ってくる」
「そう、帰りはいつ頃になる?」
「さあな。わからんが、遅くなるかもしれん」
要領を得ない返答に、アベルは首をかしげた。
セージでなく父がギルドに行くのなら、守護都市のギルドでお金を下ろすとか、公共料金の支払いをするとか、そんな小さな用事を想像していたからだ。
ミルク代表は前夜から泊まり込みでセージの帰宅を待っていたが、アリスが来たのはセージの帰宅とほぼ同時刻で、アベルたちもその目的を聞いていなかったのだ。
「……うん? ギルドだよね。何かあったの?」
「守護都市じゃなくて、芸術都市のギルドに行くの。セージくんが呼び出しを受けているんだけど、その、少し遅れるから、代わりにジオ様に……」
「えっ? 父さんが? 大丈夫?」
反射で驚くアベルに、ジオは頷いて応えた。
「大丈夫だ」
「そ、そう……」
アベルはギルドでの問題の詳細は聞いていないが、マギーからセージが芸術都市で活躍したということは――マギーも詳細は知らないので大雑把に――聞いていた。
だから怪我の具合を報告しろとか、そんなことを求められている程度なのだろうと勝手に解釈し、それなら父に任せるのもおかしな事じゃないかと、一人で納得した。
「芸術都市に行くの? 俺も行きたい」
そう口にしたのはカインだった。
「だめよ、遊びに行くわけじゃないんだから」
「邪魔はしねえよ。俺もクリムって奴に会ってみたいんだよ」
「……誰それ?」
「従姉妹。芸術都市に住んでて、セージと私が、一緒に泊まったから」
首をかしげたアリスに、たどたどしくマギーが答えた。正確にはクリムと一緒に祖母の家に泊まったのだが、それはあまり重要なことではなかった。
「どっちにしろダメ。私たちはギルドに行くし、用事がいつ終わるかもわからないから」
「ええっ? それは別にどうでもいいよ。こっちは適当に遊んで帰るから、通行税だけ払ってくれたらさ」
「……それは、どうしますか、ジオ様? その、寄り道する時間も惜しいんですが」
カインはそう言っているが、連れて行くとなると、少なくとも途中でそのクリムの家――正確にはナタリヤの家――によって行かねばならないだろう。
時間に追われているアリスとしては、それは出来れば避けたいところだった。
「じゃあ、私も、その、ついて行こうか? 芸術都市に降りてからは別行動なんだよね。私、案内もできるから」
控えめな態度で、遠まわしに私も行きたいと手を挙げたのはマギーだった。
「……む。わかった」
「アベルとセルビアはどうする?」
「あたし学校」
連日で遊びに行くことを後ろめたく思ったマギーが、一緒に来ないかという意味で尋ねると、セルビアからは否定が返ってきた。
「そう、だよね。平日だもんね」
「うん。それに教頭先生がとくべつ授業するから、行くの」
「僕はその送り迎えだね。
……まあ、それとは別に用もあるんだけど」
アベルがそう言った所で、アリスがパンっ、と柏手を打った。
「よし。そうと決まったら直ぐに出ましょう。急ぎましょう」
その言葉を合図に、各々が外出の準備を始めた。