225話 騒がれるのは勘弁
マギーはセージに連れられて、小さな喫茶店に入った。そこはハンターズギルドの近くにあるお店だった。
夕暮れはとっくに過ぎて夜が訪れていたが、セージは家には連絡をしたからと言ってマギーを安心させた。
どうやってと、マギーが尋ねても教えてはくれなかった。きっと家を出る前に帰らないかもと連絡したのだろうと、思った。
そう聞いたら、そうだよとセージは答えた。
だったらそう言えば良いのにと、マギーが口を尖らせれば、セージはごめんごめんと笑って謝った。
セージのそういうところが、マギーは嫌いだった。
どこがと、はっきりとは言えないのだけれど、子供扱いをされていると感じるのだ。私のほうがお姉ちゃんなのに。
マギーは喫茶店でセージを責めた。
内容は支離滅裂で、意味は不明。
ギルドの仕事をしているから悪い。
お金を稼ぐから悪い。
お父さんより偉いから悪い。
料理をするから悪い。
家の手伝いもするから悪い。
強いから悪い。
優しいから悪い。
私なんていらないから悪い。
そう、思ってもいないことで責めた。
セージとは関係のないことでも、例えば小さい子に胸を触られたとか、商会のお仕事で馬鹿にされるとかも、セージが悪いと罵った。
セージはごめんねと繰り返して、マギーの話をずっと聞いた。
時折マギー以外の、他のお客さんとか従業員とかにも謝っていて、なんだかそれも腹が立って、たくさん怒った。
それでも、ずっと聞いてくれた。
マギーはたくさん泣いて、たくさん怒った。
セージは最後まで付き合ってくれた。
マギーはごめんと謝った。ひどいことをたくさん言ってごめんと。大好きだと泣きながら言った。
「あ、もうほんと、それくらいで、大丈夫。ホント大丈夫だから。ね。おちつこう。落ち着こう、姉さん」
セージはそう、マギーの背中を優しく撫でた。
*******
一通り泣いてわめいてマギーが落ち着いてから、セージは席を外した。
最初はトイレかとも思ったが、それにしては戻ってくるのが遅かった。
なんとなく落ち着かなくて、マギーはきょろきょろと周りを見渡す。なぜかお店にいた人がマギーを見ていて、目が合うと即座に逸らされた。
言いようのない居心地の悪さを感じて、マギーは自分のテーブルに目を戻した。
テーブルの端に小さな紙人形が置かれていて、ぼんやりとそれを見つめた。
「どうぞ」
そうしていると喫茶店のマスターがやって来て、マギーの前に蒸しタオルとハーブティーを置いた。
ハーブティーのカップソーサーにはクッキーが二つ乗っていた。
「……あ、頼んでないです」
「サービスですよ。顔、拭いてください。折角の可愛い顔が台無しですよ」
「可愛く、ないです……。ありがとうございました」
「どういたしまして」
マギーは蒸しタオルで顔を拭いた。暖かいぬくもりが目元によく染みた。鼻がムズムズするので噛みたかったが、それは我慢した。
代わりにハーブティーを一口啜った。ツンとした香りが鼻に抜けて、不思議と気持ちのいい味だった。
「ごめん、遅くなった」
「あ……」
カランカランと、喫茶店の入口のドアが開き、ベルが鳴ってセージが飛び込んできた。
マギーが目を向けると、なぜかセージの後ろにはたくさん人がいた。人がたくさんいたのに、セージはドアを急いで閉めた。
「姉さん、出よう。すいません、マスター。ご迷惑をおかけします。あの、迷惑料です。受け取って下さい」
「いらない、いらない。エンジェルに使ってもらったなら、十分な宣伝になる。裏口を使うか?」
「ええ、お願いします」
「え? え? なに、なんなの?」
マギーの目の前でセージとマスターがやり取りをするが、それはマギーには理解のできないものだった。
「ごめん、あとで」
「ナタリヤの婆さんは知り合いか?」
「え? ええ。知ったのはつい最近ですが、義理の祖母のような人です」
「じゃあ頼るといい。家の場所を教えよう」
「ええと、お知り合いなんですね」
「ああ。昨日たっぷり自慢話を聞かされたよ。それに今日の活躍も、噂でね。都市を守ってくれてありがとう」
「……私一人の活躍ではありませんよ」
マギーの理解できない話が、二人の間で交わされる。
そしてそれを聞いていた他のお客が、急に色めきだって、セージに声をかけた。
「あんたがエンジェルなのか」
「エンジェル? 今日、テロリストを退治したって」
「バカみたいにでかい魔物もだ」
「運ばれたのを見たぞ。あんな恐ろしいのを、お前みたいな子供がやったってのか」
とたんに騒がしくなった店内で、セージは口元を引きつらせた。
「うるさいぞ!! 店内で騒ぐな!!」
客を黙らせたのはマスターの一喝だった。
「すまんな。ゴシップ好きの都市なんだ。さ、行こう」
「重ね重ねご迷惑をおかけします。姉さん、ほら立って」
「え、えっ。あ、うん」
マスターが先導し、セージに手を引かれながらマギーは喫茶店のバックヤードに入り、そこを抜けて裏口から外に出た。
出た先は裏路地で、夜の闇を外灯とネオンが怪しく照らしていた。
「……だが、わかるか?」
「ええ。大丈夫。……こんな時間に押し掛けて、迷惑になりませんかね」
「孫がそんなこと気にするな。この時間じゃ守護都市には帰れないだろう」
「通行所が閉まってますからね。でも……」
「まあ、他に手はあるかもしれんだろうが、行くだけ行っとけ。婆さんも一人暮らしで寂しいだろうしな。頼ってやれ」
マスターは何故かマギーをちらりと見た。しかし口に出して何か言うことはなかった。
「すいません。本当にお世話になりました」
「いい、いい。俺も若いうちは婆さんには世話になったんだ。息子のジャンにもな。
ほら早く行け。店の中の口の軽い奴が、外の連中に余計な事を言う前にな」
「はい。ありがとうございました」
セージはそう言って、マギーの手を引っ張って走った。
「何、なんなの」
「ええと、パパラッチは怖いってことかな」
「何の話っ!?」
******
手を引かれるままいくらかを走って、一軒の小さな民家までたどり着いた。
「ここが、ナタリヤさんの家なの?」
「うん、間違いないよ」
それは一般的な民家だったが、守護都市ではアパートが一般的な家屋であり、大きな屋敷で暮らしているマギーにとっては、とても珍しくこじんまりしたものに見えた。
セージはマギーの様子には構わず、玄関のインターホンを押した。
「すいませーん」
「なんだい、新聞ならもうとってるよ――おや?」
夜のまだ早い時間ということもあって、ナタリヤはすぐに出てきた。
「どうしたんだい、こんな時間に。ジオは一緒じゃないみたいだけど。ああ、いや、とりあえず上がりな」
「すいません」
「お、お邪魔します」
二人は家に通され、リビングに案内された。
「それで、どうしたのさ」
「ああ、いえ。実はギルドで仕事を終えて、少しトラブルがあってすぐにはギルドに戻れなくて、預けているカードとお金を降ろそうと戻ったら、その――」
「ああ、野次馬にモミクチャにされたんだね」
「――わかりますか」
ナタリヤはおおように頷いた。
「わかるさね。もうこの都市も長いからね」
「野次馬?」
「うん? 知らないのかい。セージは大捕物したのさ。テロリストの大物と、でっかい魔物をね。
凱旋の見世物でその魔物は山から運ばれたけど、そりゃあ恐ろしいトカゲだったよ。でっかい翼もあってね」
「でも、殺ったのは私じゃないんですけどね」
「そうなのかい。ギルドはそう発表してたけどね。エンジェルがまた大手柄をあげたって」
「それは――そういう事なのか?」
「セージ?」
「ああ、いや、大丈夫。聞き取りとかあったんですけど、怪我が治って無いからって、ギルドからは逃げられたんですけどね。そのあとに一般人から追い回されて、その、逃げれないわけじゃないんですが」
「……ああ、マギーを連れては、無理だもんねぇ」
マギーの胸が、ドクンと鳴った。ところどころ細かいところで理解できない部分もあったが、自分が邪魔になっていると思ったのだ。
「ああ、違うよ。姉さん。誤解しないで。そもそも門が閉められてるから守護都市には帰れないし、ギルドの聞き取りでどのみち今日は泊まりの仕事になるはずだったんだから」
「あ、うん……」
仕事があるといっているセージは、しかしずっと自分と一緒にいた。愚痴を聞いてくれていた。それがわからないほど、マギーは愚かではなかった。
「気にしなくていいさね。今日は泊まっていきな。ジオの方には連絡はいってるのかい?」
「はい。それは大丈夫です。その、ほとぼりが冷めるまで匿ってもらえれば、僕たちはホテルの方に――」
「子供が遠慮するんじゃないよ。夕飯もまだなんだろう? あり合わせになるけど、直ぐに作るから――」
ナタリヤの言葉を遮る形で、来客を告げるベルがなった。
「――今日はやけに客が多いね」
ナタリヤが腰を上げたが、玄関に出るまでもなくその客はドアを開け、リビングまで入ってきた。
「お婆ちゃん。パパとママがひどいの――って」
「あ」
マギーと入ってきた少女が同時に声を上げた。
少女はマギーが会いたいと思っていた、歌って踊っていた少女だった。だから声を上げた。
少女も驚いて言葉を詰まらせていた。少女はしかし、マギーに気づいたわけではなかった。
「あ――」
「あ?」
少女はセージをロックオンしていた。セージは――マギーの反応を含め――不審に思って、小首をかしげた。
母親譲りの愛くるしい顔立ちで。
「アイドルがいるっ!!」
「は?」
「かわいいっ!! 何この子可愛い。超可愛い。可愛すぎる。鼻血出る。もうすごい可愛い!! なになになんなの、お婆ちゃんこの子どこの子? 私この子欲しい。あーもうすごい可愛い!!」
少女は勢いよくセージに飛びつき、遠慮なく頭や顔をなで、頬ずりをした。
セージは呆気にとられて反応ができなかった。
少女をセージから引き剥がしたのはマギーだった。
「嫌がってるでしょ、やめて」
「えぇー、いいじゃん。
――って、あれ? どっかであったことある?」
「――っ。いいえ。初めまして、です」
マギーは口を尖らせるが、少女は気にした様子もなく目を輝かせていた。
「そうなの? 会ったことある気がするけど、ああ、そうじゃなくて、お婆ちゃんどうしたの、この子達」
「……ああ、うん。なんて言ったらいいかしらね。あんたの従姉妹だよ、クリム」
少女の、クリムの目は再度輝いてセージに手を伸ばそうとしたが、その手はマギーが叩いて落とした。
「ぅぅ、ケチ」
******
「従姉妹かぁ……。お爺ちゃんは子沢山だって言ってたから、いるって知ってたけど。会うのは初めて、だよね。あれ? 会ったことあったっけ?」
「ちっちゃい頃に別の子と会った事はあるさね。この子らは私も最近会ったばかりさね」
マギーたちはクリムも含めた四人で、夕食を囲んだ。よくわからない流れだったが、クリムがこうして押し掛けてくるのはよくある事なのだそうだ。
「へぇ? あ、もしかして守護都市の子? たしか昔の偉い人の子なんだよね」
「あ、ああ……、まあそうさね。あんたもう少し勉強とか、新聞読んだりとか、そういう事しなさいさね」
「ええー? なんで? 別にいいじゃん。戦士だったんでしょ。私そっち興味ないもん。
あ、ごめん。別に貶す意味じゃないよ。ホントにすごい人でも知らないってだけだから」
クリムはそう言ってマギーとセージに謝った。
マギーも本当の意味ではジオの凄さは知らないが、それでも守護都市に住んでいて父に強い敬意が払われているのは肌で感じていた。それと比較すればクリムは父を軽んじているようにも見える。だからいい気分はしなかった。
ただ普段からその英雄を馬鹿にしているセージは、気にした様子もなく笑った。
「構わないですよ。うちの親父なんてたいしたことないですから。ええ、小さな道場やってますけど、自分じゃ帳簿もろくに付けれないくらいですし」
ナタリヤが小さく吹き出したが、それを気にしたものはいなかった。
「へえ、そうなんだ。あ、そう言えば守護都市のすっごい子が、なんがおっきな魔物退治したって噂になってたよ。
すごいよね、街中噂で持ちきりでさ。たしか、天使で、サイジッドって子供が――」
「え、それは――」
「サイジッドですか。すごいですね。あ、僕はセージです」
マギーがセイジェンドの間違いではないかと口を開きかけ、それを妨げてセージが声を上げた。
「あ、うん。さっき聞いたよ。どうしたの? お婆ちゃんも、笑いをこらえて」
「くっ、うん、いや、そうさね。あんたはもうちょっと落ち着きを持ちな」
「なによ、もう」
クリムは頬を膨らませたが、しかし気にした様子もなくおしゃべりを続けた。
マギーはあまり会話には加わらなかったが、それでもなんだか楽しい気分を分けてもらった。