221話 花売りのマギー~~IF~~
R15に該当する描写があります。
苦手な方はご注意ください。
「……お仕事?」
「うん。お留守番ヨロシクね、アンナ」
マギーは最後の家族となった妹にそう言った。
マギーは家族を二度失った。
一度目は四歳の時に、血を分けた家族を。
二度目は十三歳の時に、苦楽を共にした家族を。
でも全てではない。
まだ妹がいる。
血の繋がらない、本当の妹ではないけれど、赤ん坊の頃からずっと面倒を見てきた、守るべき家族が居る。
だから生活費を稼ぐために、自分の体を売るために、マギーは今日も家を出た。
四歳の時は、一人で路地にうずくまっていれば誰かが硬貨を恵んでくれた。
そうして命をつないでいて、新しい父に出会った。
でも十三歳のマギーが同じことをしても、恵んでくれる人は少なかった。
早熟な子供の多い守護都市では、十三歳のマギーは庇護するべき子供という見られ方をしないことが多かった。
働けよという、侮蔑の眼差しを向けられることのほうが多かった。
妹と並んでうずくまっていれば少しは恵んでもらえる機会にもありつけたが、マギーへの蔑みの眼差しは強くなっていた。
もっともそれは、置かれている境遇を自分が何とかしたいと思うマギーの心が生んだ、被害妄想だったかもしれない。
しかしマギーはその視線と良心の呵責に苛まれ、耐えられなくなって、体を売ることにした。
そういう仕事があるという事はおぼろげに知っていた。
だが経験はもとより、知識すらマギーには十分に備わっていなかった。
それでも『もっとお金が欲しくないかい』と、声をかけられて、いやらしく笑う男が何を求めているのかは理解できた。
マギーの初めての相手は、路地で物乞いをしていた時に出会った幼女趣味の中年の役人だった。
そうして二年を過ごした。
最初は騎士に襲われ、離ればなれになった父や兄が見つけてくれるまでの我慢だと、そう言い聞かせていた。
だが今はもう、そんな望みは抱いていなかった。
兄がどこにいるかはわからない。父の噂は耳にしたが、捕まって処刑されたという悪い噂しか耳に入ってこなかった。
マギーは要領のいい娘ではなかったが、我慢のできる娘だった。
上手く稼ごうという欲は出さず、同じことを繰り返した。そうして同じ事をしている同年代の少女たちとも知り合いになり、その助言に従ってお医者にもかかるようにしていた。病気の検査や、避妊の薬のためだった。
あまり散財をする方でもなかったから、週に一度か二度、お客をとるだけで生活に苦労はしなかった。
そうして家を焼かれて逃げ出してからの二年間を、妹のアンナと二人で耐え忍んでいた。
この仕事をしていていると、良いお客と悪いお客がいる。
仲間の少女たちは、気持ちよくしてくれてお金の払いがいいのが良いお客で、下手くそでお金を渋るのが悪い客だと言った。
マギーはそれとは違って、優しくしてくれるのが良いお客だった。もちろんお金をたくさんくれて、ついでに早く終わってくれるのはもっと良いお客だ。
そして悪いのは痛くしてくるお客だ。痛がって、泣いているのを見るのが好きなのが、一番嫌なお客だ。
お金を払わず逃げるのより、そっちの方がずっとずっと嫌なお客だ。
だって痛いのも悲しいのも、もう十分すぎるぐらい味わっていた。
その日のお客は、良くも悪くもない、変なお客だった。
その変なお客の相手をするのは初めてではない。
何ヶ月かに一回相手をする顔なじみのお客さんだった。
もっとも相手をするといっても、行為に及ぶことはなく、話し相手をして終わりの、変なお客だった。
最初に相手をした時は、ただ単純にラッキーだと思った。
話をするだけなのに、お金はちゃんと他のお客と同じかそれ以上にくれるから。
でも二回目の時に、変だなと感じた。その時には二回目だということを思い出せず、前にもこんなラッキーな事があったなというぐらいだった。
顔を覚えたのは三回目で、それからも体を求められることはなく、ただ話をするだけの変なお客だった。
一度だけ、手を出されないことが気味悪くてマギーの方から誘ったとがあったが、からかわれて誤魔化された。
勃たない人なんだろうと少女たちと噂したが、噂をした少女は数日後、ひどい目にあったと、どこかうっとりした表情でそんな事を言っていた。
そして変なお客の素性や連絡先をマギーにしつこく聞いてきたが、知らないので答えられなかった。
独り占めにしてずるいと責められたが、知らないものは知らないのでどうしようもなかった。
そんな事があってからも変なお客は時折ふらりと現れ、マギーを買って、そして話をして帰った。
今日も同じように、話をしていた。
「それで、妹は元気にやってるのか」
「うん。お金に余裕ができたから、近くの道場に通ってる。才能あるんだって」
「……へえ、そうかい」
「でもだからって、ギルドの仕事なんて危ない事はやめてほしいんだけどね。大きくなったらやるって言って聞かないの。私はもっと女の子らしい仕事して欲しいのに」
「自分がやってるみたいのか?」
「それは――」
マギーは咄嗟に答えられなかった。妹に体を売る仕事はして欲しくなかったが、それを口にすると仲間の少女は嫌がることが多かった。
別におかしな仕事じゃないと、みんな自分に言い聞かせていたから、それを否定するような事を言うと嫌な顔をするのだった。
「悪い、無神経だったな。
……よその都市に知り合いが居る。よけりゃあ紹介してやるが、どうだ?」
「それは……」
「カタギが就くようなまっとうな仕事なんて、守護都市にはないぜ。まっとうに見えたってそりゃ見てくれを取り繕ってるだけで、騙す嵌めるの落とし合いの人間模様ってね。
お前だって人間の本性何ざ、ロクなもんじゃねえって知ってるだろ」
マギーは黙った。変なお客は変な人だが、嫌いになれない相手だった。
だからこの人のことを信じて他所の都市に降りたほうが妹のためにも良いのかもしれないと、そんな考えもちらついてはいた。
でも――
「ごめんなさい」
――マギーは断った。
もう父にも兄にも会えないとわかってはいたが、それでももしかしたらという思いが心のどこかにあって、それが守護都市から離れることを躊躇わせた。
「そうか。ま、気が向いたら声かけろよ。また来るからよ」
「うん。ありがとう。
――その、なんでそんなに良くしてくれるの」
「あん? ああ……、あー……。
まああと十年もすれば胸のデカイ良い女になりそうだからな。先行投資ってやつさ」
変なお客はそう言ってマギーの頭を撫でた。
髪をクシャクシャにする乱暴な撫で方だったが、それが心地よくてマギーは抵抗しなかった。
変なお客の固くて大きな手のひらは、まるで二人目の父のようだったから。
「……さて、それじゃあ飯作るから台所借りるぜ」
変なお客はそう言って宿の厨房に向かっていった。
変なお客は背が高くて筋肉質だけど、体の線は細かった。お金は持っているから、ちゃんとご飯を食べるのを面倒くさがる人なのかなと思って、マギーはせめてものサービスで食事を作って出したことがある。
しかし変なお客はなぜか一口食べたあと、厨房を借りるぞと言ってマギーの作ったものをフライパンでごちゃごちゃやって、一緒に食べるぞと料理を持ってきた。
もともと一人分しか作っていなかったのだが、いつも一人で飯を食っているから付き合えと言われて、その通りにした。
それ以来、変なお客は料理を作ってマギーに振るまい、妹にもお土産になる料理を作ってくれた。
「いつもありがとうね。妹もすごく喜んでくれてるよ」
「……まあ、そうだろうなぁ」
「え?」
「いや、何でもねえ」
そうして一緒にご飯を食べて、その日のおしゃべりを終えて、連れ込み宿を出る。
「……ねえ、前にも聞いたけど、おじさんの名前ってなんなの」
「ああん? またかよ。別にいいだろ、名前なんて。おじさんで伝わるんだからよ」
「それは、そうだけど……」
「お前だって客にいちいち名前なんて教えないだろ」
「え?」
「は?
……おいおい、まったく。こんな仕事してるんだ。本名なんて教えるなよ。適当にそれっぽい偽名使っとけ」
「う、うん。次から、気を付ける」
「そうしろ、そうしろ。それじゃあな」
「うん。またね、おじさん」
そうしてマギーは変なおじさんと別れて、家路に着いた。今日は良い日だと、そう思いながら。
******
そんな良い日があれば、悪い日もある。
その日は最低な一日だった。
その日は知った顔のお客が来た。
知った顔というのは常連という意味ではなく、こんな仕事をする前の知り合いという意味だった。
「お姉ちゃん、やっぱり……」
絶世の美少女のような外見の少年、セイジェンド・ベンパーが、高額紙幣を握り締めて目の前にいた。
マギーはセイジェンドを連れて、普段使用している連れ込み宿で部屋を取った。
初めてのお客を相手にするときは閉め切られる個室は避けるのだが、今回は他の人に見られたくなくて個室を選んだ。
「……それで?」
「え?」
「するんでしょ? 早く脱ぎなさいよ」
「ち、違う」
「何が違うの、そんな大金握り締めてきておいて」
マギーに詰め寄られて、セイジェンドは泣きそうな顔でプルプルと顔を横に振った。
「お姉ちゃんが、マギーが仕事してるって、噂聞いて、お金ないと、ダメだって聞いたから。話、したくて」
「話?」
「お父さん、知ってると、思って」
マギーは胸にナイフを突き立てられたような幻痛を覚えた。
クライス・ベンパー。
少しとぼけた所のある父を支えてくれた優しいおじさん。マギーとアンネを庇って死んだ、セイジェンドの大事なお父さん。
「お母さんに聞いても、教えてくれなくて。ねえ、お姉ちゃんは知ってるんでしょ。教えてよ。二年前に何があったのか」
「――っ!!」
知りたいと、セイジェンドは無垢な瞳でマギーに詰め寄った。それが何よりマギーの心を責め立てた。
この二年間で多くの噂を耳にしていた。
マギーの父は強い力を持った英雄だが、同時にたくさんの犯罪を行った魔人だと。
都市を守る騎士様に酷いことをして、罪のない女の子を殺して、それで家を焼かれたのだと。
それに巻き込まれて、心優しい元ギルドメンバーも殺されてしまったと。
「し、知らない」
「えっ?」
「知らない。いいから、する気がないなら帰って、お金はいいから」
「何で。何で教えてくれないの。お母さんも、お姉ちゃんも」
「うるさいうるさい。帰って。いいから帰って」
「やだよ。帰らない。お父さん死んだんでしょ。何でみんな隠すの。なんでみんな本当のこと教えてくれないの!?」
セイジェンドの泣き声が耳と胸に突き刺さる。それに耐えられなくて、マギーは叫んだ。
「うっさいっ!! 知ってるなら聞かないでよ!! そうよ。死んだの、殺されたの。私たちのせいで」
「っ!!」
息を呑むセイジェンドを、マギーはベッドに押し倒した。十歳の少年はマギーよりもよっぽど小さく、か弱かった。
男の人がマギーを乱暴に扱う気持ちが、この時少しだけ理解できた。
「ほら、さっさと●●●出しなさいよ。あんたのちっちゃな童貞●●●なんてすぐにイカせてあげるから!!」
「やめ、やめて!!」
「あはっ、ここで何するか知らないわけじゃないんでしょ。ほら、お姉ちゃんがあんたを男に――」
バチンと、大きな音にマギーのセリフは遮られた。
セイジェンドがマギーの頬を平手打ちにした音だった。
「――あ」
冷水をかけられたように、マギーの狂気は消え、動揺した目でベッドから逃げ出したセイジェンドを見つめる。
セイジェンドは、泣いていた。
「ご、ごめ――」
「お前なんて、お姉ちゃんじゃない!!」
「――ん」
セイジェンドは脱がされそうになったズボンを履きなして、そう言って部屋から走り去っていった。
マギーはそれを止めることもできず、背中を見送った。
床にはセイジェンドが持ってきた高額紙幣が散らばっていた。
虚ろな目で、マギーは宿を出た。
最低の一日は、しかしそれだけでは終わらなかった。
「やあ、マギーちゃん」
初めての相手が、マギーに声をかけてきた。
「……ごめんなさい、もう帰るんです」
「ああ、それはごめんね。でもマギーちゃんはもう帰れないんだよ?」
「え?」
嫌な予感に突き動かされてマギーはその場から走り去ろうとしたが、しかしそれは屈強な男の人に遮られた。
道を塞がれ、掴まれ、口に布を押し当てられた。
抵抗することも、助けを求めて叫ぶこともできず、マギーは気を失った。
マギーが目を覚ましたのは、知らない部屋の、知らないベッドの上だった。
両手両足はベッドに括りつけられ、口には猿轡がされていた。
助けてと、そう叫ぶ声は意味のないくぐもった音にしかならなかった。
「ごめんね、マギーちゃん。君の事は大好きだったけど、どうしても邪魔だったんだよ。ふふっ。でもおかげでたっぷり楽しめるね」
部屋の中にはマギーが見たこともないようなおかしな道具がたくさんあった。わずかに知っている物もあったが、それは痛くて気持ちの悪いことをする為の道具だった。
そして知らない道具の使い道も、身をもって知ることになった。
今日はマギーにとって最低の、最期の一日だった。
******
「――――い」
どれほどの時間が経ったのか。
意識ははっきりとしない、途中から妙な薬を打たれ、痛みも意識もあやふやな夢の中にいるようだった。
「し――――ろ、マ――」
そんな夢心地の中で、語りかけてくる声があった。
そうしなきゃいけないという思いが湧いてきて、マギーは残った力を振り絞ってまぶたを開いた。
「起きたか。気をしっかりもて。すぐに病院に連れていく」
変なおじさんが、泣きそうな顔で、血まみれになってマギーを見つめていた。
「……ぁぃ」
「何?」
「大、丈夫?」
マギーの声は、しっかりとした形にはならなかった。だって全部の歯が抜かれていたから。
「バカっ、これは返り血だ。クソ野郎はぶっ殺した。あとはてめえのケガを治すだけだ。気をしっかり持てよ」
「いもうと」
「は? いや、いい。しゃべるな。いいな。お前は助かる。絶対に助かる。親父のとこにも連れてってやる。クソ女がなんて言おうが知ったことか」
マギーは変なおじさんの背に担がれ、運ばれる。
マギーは不確かな意識で、その背中に父と同じものを感じていた。それは優しさや頼り甲斐、安心感をくれるものだった。
「いもうとが、いるの」
「知ってるっつの。いいから、喋るな」
「いえに、いるの」
マギーは重ねて言った。頭の中は混濁していて、思考は整理されていない。
ただ伝えなければいけないという思いが、その言葉を繰り返させた。
「っ!! こんな時だってのに、他人のことを。
わかった。大丈夫だ。アンナも俺が助ける」
「ありがとう」
「いいんだよ、礼なんて。お前の親父は生きてるからな。お前が死んだら泣くぞ。だから絶対生きろ。お前は死なねえ。ブレイドホームは不死身の一族なんだからな」
父が生きている。
それは希望をもたらす言葉ではあったが、マギーの心を灯すほどではなかった。
また会いたいという欲よりも、もう楽になりたいという諦めの方がずっとずっと強かった。
だって生きていたって、良い事なんて何もないのだから。
「ねえ」
「あん?」
「なまえは?」
だから最後に、そう聞いた。
マギーの体温は著しく下がっている。
出血量はとっくに生命維持の限界を超えていた。
意識があるのはマギーの魔力量が一般人をはるかに超えているから。
そしてそれは、助かる見込みがあるということではない。
魔力は出血とともに著しく失われ、全身に刻まれた傷を癒す力はなく、治癒魔法に耐える体力もない。
魔力はただ、終わりが訪れる時間をほんの少しだけ先延ばしにしているだけだった。
覆すことのない死の運命を、マギーを背負う男も理解はしていた。
「……デイトだ。デイト・ブレイドホーム。お前の叔父だよ」
その言葉を聞いて、マギーは静かに息を引き取った。
今日は最低の一日だったが、そうでもない最期だった。
だって家族の背中で死ねたから。
優しい背中で、眠れたから。
◇◇◇◇◇◇
ああ、クソっ。
クソクソクソっ!!
そういう事か、デス子。そういう事か。
どこまでも祟ってくれる。クソっ。呪われろ。
ああ、違う。現実逃避をするな。
今は、今は、クソっ、まずはマギーだ。
フレイムリッパーは後だ。