219話 だまされるな
数百の魔物に囲まれ、ミケルは窮地に立たされていた。
ミケルたちと同じく山狩りに参加していた守護都市のギルドパーティーが救援に来てくれたことで持ち堪えてはいたが、それでも地力の劣るミケルは魔物たちの標的となった。
まずは弱い相手から殺し、確実に数を減らす。
それはミケルがリーダーから教わった狩りの基本でもあった。もっともこの場においてミケルは狩る側ではなく、狩られる側だ。
守護都市のパーティーもミケルを庇ってはくれているが、いかんせん数が違いすぎる。
一匹一匹は弱くとも、殺しても殺しても無尽蔵と思える程に洞窟から魔物が湧いて出てくる。
さらにワイバーンや魔族といった凶悪な隠し玉がまだいないとも限らない。
熟練の戦士たちといっても魔力にも体力にも当然のことながら限りがある。面識のない未熟なハンターを守り続ける余裕は、彼らにもなかった。
孤立はしていない。
ミケルが未熟といっても、全く役に立たないというわけではない。少なくとも彼が狙われているうちは、彼を狙っている魔物が他を狙わない。
圧倒的多数に囲まれている中にあっては、それだけでも価値のあることだった。
だからミケルの側には誰かがいたし、タイミングが合えば援護もしてもらえた。
だが逆に言えば無理をしてまで助ける価値は、ミケルにはなかった。
ミケルは満身創痍で剣を振るった。
ゴブリンの粗悪な武器で何度も切りつけられ、ハゲオオカミに噛み付かれ、体中には裂傷や打撲が刻まれている。
ミケルも治癒魔法は使えるが、戦闘中に使えるほどには習熟していない。そもそも無詠唱の魔法も使えない。
他のパーティーメンバーが合間に治癒魔法をかけてくれることもあったが、守護都市の実力者たちと違って下級の魔物相手に何度も傷つくミケルを見て、治癒魔法がかけられる頻度は少なくなっていった。
さながら戦場となったこの山には百を容易く超える魔物の屍が散乱し、それでも尽きることなく魔物は洞窟から溢れ、ミケルめがけて襲いかかってくる。
死ぬと、そう言われた。
ついてくれば間違いなくそうなると。
その宣告が正しかったと、忠告に従うべきだったと、魔物たちの殺意と体の痛みに圧されて、ミケルの心に弱気なものが過ぎった。
同時に、その程度かよと嘲笑う男の顔も過ぎった。
「うぅぅぉぉおおおおおおおっっ!!!!」
ミケルは吼えた。
ここで死ぬとしても、ここに来たことは決して間違いではなかったと。
そう己の弱気を吹き飛ばすように吼え、剣を大きく振りかぶった。
何度となく傷を負い、それを身体活性とかけてもらった治癒魔法で誤魔化しながら戦ってきた。
ミケルの体力と魔力はもう底をつきかけていた。
だがそれでも逃げはしない。最後まで戦い抜く。
逃げる背に傷を負って死ぬのではなく、戦って戦ってその果てに死ぬ。
それまでに一匹でも多く魔物を殺す。
一匹でも殺して、その魔物が殺すであろうどこかの誰かを救う。
戦士として、誰が馬鹿にしようとそのために命を振るうと、ミケルは吼えた。
大きく振りかぶり、横薙ぎに振るったミケルの剣は、眼前のゴブリン三匹を両断した。
そしてその後ろから新たに現れたゴブリンの槍が、ミケルの顔面に突き出される。
目の前の数体を倒したところで、大勢に影響はない。
襲って来る魔物の殺意は怒涛の波となって、留まることはない。
渾身の一撃を放ったミケルの体は、動かない。
絶体絶命を悟り、それでも生き延び戦い続けようと、ミケルはなんとか致命傷を避けようと顔を捻って槍を躱そうと試みる。
そうして顔を捻ったミケルは、視界を埋めるほどの大きな足の裏を見つけた。
「ぶふっ!」
ミケルは、デイトに踏みつけられた。
その結果、ゴブリンの槍は空を切り、そのゴブリンはついでとばかりにデイトに首を撥ねられた。
「わかっちゃいたが、柔けえ。
試し切りにしても、もうちょいマシな魔物が出てきて欲しいところなんだがな」
デイトはそう言って踏みつけたミケルから足をどけ、歩みを進める。
すぐさま顔を上げたミケルは、その背中を見た。
デイトが一歩進むほどに、魔物の死体が生まれていく。
デイトが進む先には、未だ無限と思える程の魔物が溢れかえっている。
デイトが進んだ後には、ただ魔物の骸だけがあった。
ミケルは薄ら寒い気持ちに襲われて後ろを見た。
そこにはやはり魔物の死体が溢れかえり、立っているのは守護都市のパーティーだけだった。
彼らの側にはセージが横たわっており、手持ち無沙汰にデイトの進む先を見ていた。
「手伝わ、ないんですか?」
ミケルは痛む体を押して起き上がり、そう口にした。
デイトはセージに腹を切り裂かれている。そして剣を振るう動作にはどうしたって体を捻る動作が含まれる。
あんな体で戦うのは自殺行為だと、助けてあげて欲しいと、そう思ったからだった。
「……冗談だろ。俺たちは死にたくない」
パーティーの面々はデイトからセージを守れと言われていた。
それを破れば殺されるということを、デイトが何者であるかを、守護都市の中堅どころとして長くやっている彼らは理解していた。
「え?」
「知らないのか。俺たちも死んでいたと思っていた。
あの魔力。死神デ――」
パーティーのリーダーの一人がそう言って、しかし言い終わるまえにその言葉は中断された。
唐突にコブリンの首が高速で飛んできて、リーダーはそれを手で受け止めたものの、言葉は遮られたのだ。
そして鋭い眼光がリーダーを射抜く。それは一瞬の事で、デイトはすぐに魔物との戦闘に戻った。
それでもデイトの言わんとする所は、リーダーには確かに伝わっていた。
「……ええと」
「ああ、いや、あの男は心配するな。怪我をしているようだが、それぐらいでどうこうなる男じゃない。
その、そうだ。そんなことよりよく見ておけ。あの男は守護都市で現役最強の一人だぞ」
「――は?」
ミケルは呆気に取られた声を上げた。
いや、しかし考えてみれば当然ではある。
新進気鋭の天使をあしらい、ワイバーンと魔族を獲物とみなす強者が、守護都市で名を挙げていないはずもない。
むしろあの男ぐらいが普通だと言われたら、ミケルは守護都市に上がることを諦める自信がある。
ミケルは改めて尊敬の眼差しでデイトを見つめた。
デイトからすれば下級の魔物は群れていたところで容易くなぎ払える雑魚でしかないが、目的は竜角刀の使い勝手の確認であった。
刀を保護する程度の魔力はまとわせているが、それ以上は込めていない。
怪我をした体の動きも緩慢なもので、悪化させないよう努めている。
セージと戦っていた時は、セージの動きもデイトの動きもまるで目で追えなかったが、今の動きはミケルにも十分に見ることができた。
その動きはお手本のような無駄のないものだった。
まるで催し物の演武のように魔物たちはデイトに寄り集まり、そして近づいた端から切り伏せられていた。
「あの……」
「なんだ?」
「どうして魔物たちはBBにだけ集まっているんですか?」
完全に見物人となったミケルは、同じく見物をしているギルド・パーティーの面々に話しかけた。
「向こうにはロード種がいるからな。それに向けて殺気放って、真っ直ぐに向かってるんだよ。
集まってるのは足止めさせるためだろうが、まあ誘われてるとも言うな。ロード種って言っても、下級の魔物なんて馬鹿だからな。
デ――BBの漏らしてる魔力が下級相当だから、数で押しつぶせるとか思ってるんだろうな」
「……なるほど」
そう言っているうちにデイトは洞窟の入口まで歩みを進めた。まだまだ洞窟から魔物は出てきているが、洞窟の外の魔物はほぼ掃討されていた。どうやらロード種は洞窟の奥に引っ込んだようだった。
ワイバーンや魔族が隠れていたテロリストの拠点だ。小さなものでは決してないだろう。
そこを攻略するのは間違いなく長丁場になるし、難戦となるだろう。
それにたった一人で挑むというのか。
ミケルは心配と期待の入り混じった眼差しでデイトの背を見たが、しかしそれを裏切るようにミケルたちの方に向き直り、大きく跳んで戻ってきた。
「な、何だ」
「別に何もしねえよ。
そろそろ守護都市からの応援部隊が来る頃だろ。俺は腹が痛いから帰る。
あとヨロシク」
「そ、そうか。わかった」
「じゃーな」
デイトはそう言うと、倒れていたセージを担いで歩き出した。
「ま、待て。その子をどうするつもりだ」
「ば、バカっ」
セージがデイトを殺そうとしていたところを見ていたミケルは、咄嗟にそう問い詰めた。
リーダーはそれを諌めたが、それを無視してデイトはミケルを軽く蹴った。
軽く蹴られただけで、ミケルは膝から崩れ落ちた。
「そんななりで意地張ってんじゃねえよ。
家に連れて帰ってやるだけだっつーの。テメエは自分の足で帰れ」
限界まで力を振り絞り戦っていたミケルは簡単には立ち上がれず、デイトを見上げながらその言葉を聞いた。
「じゃあな、生きてたらまた会おうぜ、ミケル」
その言葉を、聞いた。
「はいっ!!」
目を輝かせてデイトを見送るミケルを、守護都市のパーティーメンバーたちは複雑な心境で見ていた。
コイツ死んだら、俺たち殺されるんじゃね、と。
デイトが去ったことでまた魔物たちは洞窟から出てきて、その後も戦いは続いた。
しかしミケルは別パーティーの手厚い助けを得て、追加の守護都市からの救援も来て、なんとか生き延びることが出来た。