218話 絶対に許さない
デイトは拳を振り抜いて、セージはその場に昏倒した。
殴った拳は一度切り落とされた右手で、魔法で急造した偽物だった。その拳は渾身の一撃を放った代償として骨が砕け、血が滴っていた。
万全の拳ならば頭蓋を砕いただろうが、現実はそうではない。偽物の拳には、そこまでの威力はのらなかった。
だからセージは気を失うだけで済んでいた。
戦いはデイトの勝ちだが、しかしセージはデイトの必殺を期した一合に臨んで、確かに生き延びた。
「けっ、騙しやがって。使えるんじゃねえか、糞が」
地面に倒れ伏すセージを見下して吐き捨てた言葉には、その内容には似つかわしくない喜色が含まれていた。
それなりに付き合いの長くなってきた契約主――デイトが言うところの性格ブス――は、その事に興味を惹かれた。
『嬉しそうですね』
「テメエには関係ねえよ」
『……そうですか。止めは刺さないのですか』
いくらか気を悪くしたトーンで、性格ブスが分かりきった事をデイトに尋ねた。
「なんだよ、政治犯罪者じゃないのに、殺すってのか? それでいいのかよ。とんでもない目の加護を与えた向こうの神様は、この話もしっかり聞いてるかもだぜ?」
『……私はただ確認をしただけです。さっさと帰りなさい。ただの嫌がらせの哨戒だったのに、予定が狂うにも程がある』
「おい、待て。いま嫌がらせって言ったか」
『……』
デイトからの問い掛けに、返事はなかった。
「ちっ、性格ブスが」
デイトが独りごちると、心臓に小さな痛みが走る。可愛気のない抗議といったところだろうか。
そう考えて、デイトは笑った。
あの女に可愛気なんてものがあるはずもない。そもそもまともに中身があるかどうかもわからない人形なのだから。
デイトは気を取り直して、地面に倒れたセージを見下ろした。
手加減はしていない。殺す気でやった。
そもそもゾーンに入ってしまうと、デイトはどうしても手加減が下手になる。
それでもこの少年は生き延びた。
上をいかれたという悔しさはある。それでもその悔しさを持てることが嬉しかった。
「間違っては、無かったな」
性格ブスからテロリストの動きを探れと命じられて、デイトは活動資金の不足を理由にギルド経由で仕事をすることを選んだ。
性格ブスは色々と文句をつけてきたが、デイトの仕事内容に対して給金が十分に支払われていないのは事実だ。ギルドで同様の仕事をしたのと比べれば、これまで支払われた給金は十分の一にも満たないだろう。
さらにデイトは性格ブスに雇われているといっても、正式な雇用契約は結んでおらず、騎士であれば得られる支給品もない。
しかも素性を隠さねばならず、昔の伝手もほとんど使えなくなった。
そんなデイトが装備を整えるのにも手間と金が掛かる。
セージに砕かれたダガーも一級品の類だが、現役の頃に使っていた名工の作にはやはり劣る。
荒野で味方殺しを繰り返すギルドパーティーを討伐した際に失ってしまったが、もしもそれが残っていれば竜角刀を相手にしても、もう少しまともに打ち合えていただろう。
そんなダガーですら市場価格の三倍の値段で手に入れている。
デイトに金が必要という理由に嘘はない。
もっとも貰った給金は娼館や古い身内に使っているので、仕事や生活費以外の理由も大きいのだが。
デイトの給金は性格ブスの財布から支払われているが、彼女が自由にできる金は限られている。
だからそれに付け込み、金を稼ぐという建前でギルドを介してテロリスト搜索の仕事をした。そしてその目的はセージとの接触にあった。
より正確に言えば、セージとの接触が性格ブスに禁じられている中、ギルドに痕跡を残し、セージからの接触を待つために仕事をするつもりだった。
だがいかなる偶然か、セージと直接出会うことができた。
そして短い時間ではあったが、教えられることはできる限り教えられた。
十分ではないだろう。だがこの少年なら、勝手に学んで己を鍛えるだろう。そんな確信があった。
「……そう言えば」
最後のやり取り、デイトはあえて質で劣るダガーで打ち合い、折らせることで竜角刀の威力を殺し、その上で右手で厄介な武器を封じて殺すつもりだった。
だが直前で大きな魔力を得たセージを見て、判断を変えた。ダガーだけでは緩衝が足りず、そのまま右手ごと体を二つに切り裂かれると判断したからだ。
デイトの狙いを見切って魔力供給をギリギリまで我慢していたと考えられるが、それにしては何か引っかかるところがあった。
「ああ……」
少し考えて、その正体に気づく。
デイトの狙いを察したにしては、その後の行動の変化に対応がなかったから違和感があったのだ。
狙いを察し、切り札を使うことを直前まで我慢できる技量があるのに、こちらの動きの変化に対応ができないのが妙なのだ。
まるでデイトがそう動くと確信し、それ以外の行動をしないと思い込んでいるような、そんな動きだった。
単調なそれはデイトの狙いを見抜いた技量と矛盾するミスでもある。
まるで自分を殺す技だけは見切れるような、そんな矛盾した見切りの眼。
「――眼?」
セイジェンドは目がいい。
実際の視力という意味ではなく、契約者として与えられたであろう特別な眼という意味で。
まさか、自分を殺す技を見切れるのか。
ゾクリと、デイトの背筋が冷たく泡立った。
セイジェンド・ブレイドホームの経歴は異様といっていい。
資産家の英雄のもとで育ちながら、わずか五歳でギルドに登録。
五歳でハイオーク・ロード討伐。
六歳で共生派テロリストの企みを未然に阻止。
七歳で皇剣と竜に襲われ、これを撃退。
八歳で上級のカイルを殺害。
九歳の今、ワイバーンと魔族を手玉に取り、さらに消耗している状態でデイトの必殺の一撃を凌いで見せた。
改めて思い返せば異常な経歴と成長速度。
きっと、何度死んでも足りないくらいの地獄を見てきたはずだ。
『数え切れぬ程の死を経験して、人の心は耐えられるのかしら』
性格ブスの言葉が頭をよぎる。
セージは、耐えた。デイトですら殺人の快楽に酔わなければ出来ない惨殺の経験を、される側で。
死人のような目をしながら、慣れたものだという目をしながら。
慣れたもの。
死ぬ経験の。
死人のような目。
そして、ゾーンに入った時の無機質な感情。
もしかして殺される技を見切れるんじゃなくて、自分が殺される姿を見れるのか。
そしてそれから逃れるために必死になる。
そう考えれば最後の直線的で迷いの無さ過ぎる動きとも結びつく。
デイトはそこに行き付き、再び何故と疑問を抱いた。
何故そんな生き方をしているのかと。
死ぬのが怖くないはずがない。
痛いのが怖くないはずがない。
生粋の戦士ならば、その恐怖こそを求めて戦いを望むが、ミケルに余計な気を配っていたセージは、そうではないように感じた。
……契約の、代償か?
性格ブスに聞かれぬよう、デイトは心の中でそう言葉にした。
もしそうだとするならば、命の危機を回避できる代わりに、命の危機にさらされる環境を強いられるということだ。
「なんだ。俺と代われよ」
デイトは羨ましいとそう笑って、しゃがんで倒れ伏すセージに左手で触れた。
口にした言葉はもちろん冗談だ。それがどんなものであれ、人間以上を気取る連中との契約なんて碌なものじゃないし、他人の力で戦うのなんて性に合わない。
そして何よりデイトの契約をこんな子供に押し付けるつもりもない。
デイトは無事な左手で触診し、セージの体調を確認する。気を失っていることも、命に別状がないことも間違いはなかった。
続いてセージが腰につけているポーチを物色する。
最初に取り出したのは包帯だ。呪鍊装具の一種で、治癒能力の向上や、殺菌、血止めの効能に、効果は低いが防刃と衝撃耐性も付与されている。平たく言えば高級品だった。
デイトは左手と口を使い、器用にその包帯を右手に巻いた。
デイトは治癒魔法がそれほど得意ではなく、右手は潰れる前に斬り飛ばされて再生している。治癒魔法だけでは十分な治療は見込めず、そもそも時間をかける余裕があるのだから、治癒魔法よりは身体活性で治す方が正しく、それを補助できるこの包帯は有用なものだった。
似たようなものをデイトはジャケットに仕込んでいるが、セージの物のほうが効能は高いし、金銭的に余裕のないのだからこれは仕方のないことだった。
使わなかった包帯はジャケットのポッケにしまった。
デイトはさらにポーチを物色する。
次に見つけたのは使い捨ての呪鍊装具だ。中級下位の魔法が込められたものが五枚ほどあった。
中級下位の魔法は使い捨てのアイテムとしてはかなり高価な部類に入る。
デイトはあまり魔法は得意ではないが、中級下位程度ならば問題なく使える。だがもしかしたら魔法が使えない場面もあるかもしれないし、高い威力を持つこれは購入に資格のいるアイテムであるため、闇市に流せばかなりの額になる。
デイトは金銭的に余裕のない立場だから、これは仕方がないのだ。
デイトはジャケットのポッケにその魔法の御札五枚を入れた。
デイトはさらに続けてポーチを物色した。
もうろくなものは残っていない。小さな箱だけだ。
箱には揺れ軽減と衝撃緩和の呪鍊がなされている。高価な箱だった。闇市に流せそうだった。
デイトは蓋を開けて箱の中身も確認する。サンドイッチが二つとゆで卵、小さなウインナーとブロッコリーだった。デイトはブロッコリーを捨てて蓋を閉めた。
デイトは腹を切られ、腸が傷ついている。だがもうしばらくすれば治るので、そうなったら食べられる。昼食にしては物足りないが、間食としてはちょうどいい量はだと考えた。
箱は闇市でそこそこの値が付くもので、食材を無駄にするのはよくないことだ。
デイトは金に困っているのだから仕方がないのだ。デイトはジャケットのポッケに弁当箱を突っ込んだ。
ポッケは不自然に膨らんだが、気にしないことにした。
『最低の叔父ですね』
「……さてと」
デイトは聞こえなかったことにしてセージの竜角刀を手に取る。
流石にこれほどの名刀を盗む気にはならない。
デイトも世話になったカグツチは、認めていない相手が自身の武器を扱う事をとても嫌う。セージのために拵えたものを他人が使えば顔を真っ赤にして怒るだろう。
それにそもそも竜素材の武器は残った怨念が強すぎてまともに扱えない。
セージが使いこなしているのは契約者だからだろうとデイトは思っていた。
思っていたが、手に持ったら気が変わった。
「……なんだ。腕を上げたな、爺さん」
竜角刀はデイトの魔力をすんなり受け取った。
軽く振るってみる。
握りがやや細く、軽い。だが魔力の込めようで重みは変わってくる。
デイトはポッケから包帯(安い自分の)を取り出し、握りの部分に巻く。ちょうど良くなった。
もう一度振ってみる。風を切る音が気持ちよかった。
デイトはセージを見る。
腰にはもう一本、竜角刀があった。
そして戦闘中、ワイバーンに一度使っただけで、もう一本はほとんど使っていなかった。
その一度だけなので、つまりは使っていないのと同じことだった。
「じゃ、別にいいよな」
頭の中のカグツチが顔を赤くして怒っていたが、あの爺さんはよく酒を飲んで顔を赤くしていたし、よくジオに怒っていたから何時もの事だ。
そもそもセージがデイトのダガーを砕いたのが悪い。
闇市では一級品の武器なんてろくに流れてこないし、見つけても目を見張るほどの額になる。
金がないのが悪いのだ。デイトは決して悪くないのだ。
「さて」
ダガーの剣帯にはサイズが違うため収まらない。
仕方がないので二つあるセージの剣帯を一つ借りて、自分の腰に回す。セージが成長しても使えるようにと、ベルト部分は長く作られており、デイトが細身である事もあって装着できた。
デイトはこうして新しい武器を手に入れた。
用事は済んだので帰ってもいいのだが、しかし新武器を手に入れたとなると試し斬りがしたい。
デイトは今だにちんたら戦闘をしているミケルたちに目を向けた。