216話 騎士として、戦士として
目を覚ましたアルドレは、慎重に機を伺っていた。
奇襲が成立するのはただ一度限り。
だから気づかれないように慎重に、そして絶対に外さぬように丁寧に狙いを定めた。
目の前で戦うのはどちらも単独ならばアルドレにもグローリアにも勝る強敵だった。
だがその強敵はいかなる理由か殺し合っている。いや、正確には幼いほうが大人の方を殺そうとしている。
どちらの魔力にも殺気はないが、攻撃的なのは間違いなく幼い方で、大人の方はそれを止めようとあしらっていた。
狙うなら大人の方か。アルドレはわずかに迷って、幼い方を狙うことにした。
大人の方を撃ち抜ければ確実に一人を削れるが、大人の方は幼い方よりも――当然のことではあるが――歴戦の風格があった。確実に奇襲を成功させる自信はなかった。
対して幼い方はアルドレに背を向ける機会が多かった。狙いやすく、そして立ち回りから考えて幼い方に深手を与えられれば、大人の方の動きにも制限を与えられるかと考えたからだ。
そうして狙いすました一発が、幼い少年の背に吸い込まれ、しかし直前で大人の方に切り払われた。
弾丸よりも素早い身のこなし。隠していた実力は予想通りアルドレを大きく超えるものだった。
だがアルドレが驚いたのはそこではなかった。
襲われていた大人は幼い少年のためにダガーを振るい、幼い少年はそれを隙と見て刀を振るった。
そうして傷を付けて、少年は勝ち誇って嘲笑っていた。
卑しい。
それはあまりに卑しいニンゲンの行いだった。
******
「さて。遺言というわけではありませんが、貴方の飼い主について、話したいことがあれば聞きましょうか」
「……」
右手は切り落とされ、魔法で急造した偽物。
腹は割かれ、その傷は内蔵まで達している。
どちらの傷も本気で戦闘をすれば、すぐにでも開きかねない。
それに傷口は魔法でごまかせても、痛みは引いていない。つまりは全力が出せるかどうかも怪しい状況。
そんな追い詰められているデイトに向けて、セージはそう言った。
「どうしました? あなたが憐れみを請えば、私の気も変わるかもしれませんよ? ほら、ご存知のとおり私は他者の臓器再生もできる医療魔法士ですから、ねえ?
傷のついた腹も、おかしな心臓も綺麗さっぱり直してあげられますよ」
「……ああ、そうかい。そりゃ魅力的な提案だな」
デイトには性格ブスから罵詈雑言が送られていたが、そんなものは無視をしてセージと微笑みをぶつけ合った。
二人の心は剣を交えて、奇妙な共鳴を起こしていた。
言葉にしていない心の内を、互いに理解し合っていた。
セージはデイトが何を言おうと殺すつもりだった。
デイトはどれだけ追い込まれようと敗北を認める気はなかった。
それを互いに理解していたから、言葉遊びをしながら微笑みあった。
「さあ、命乞いをしないなら仕掛けても構いませんかね? それとも、もう少し治療の時間を与えましょうか?」
「はんっ。安い挑発だな。さっさと来いよ。それとも間合いに入るのが怖いのか」
くっ、と。セージは喉の奥を鳴らして嗤った。
だが、その感情に変化はない。
絡繰り人形のように、淡々と無機質な魔力をまとってデイトを殺すための動作を始める。
ふんっ、と。デイトは鼻で笑った。
「腹を裂いたぐらいで殺せるなんて、そりゃあ思い上がりってもんだぜ」
カウンターを狙うデイトの懐にセージが飛び込むその直前、再び発砲音が、今度は連続して鳴り響いた。
背中から襲って来る弾丸をセージは悠々と躱し、デイトとの間に割って入ったミケルを飛び越え、頭上からデイトに斬りかかった。
そしてそこにグローリアの咆哮が襲いかかって、回避しきれずに吹き飛ばされる。
セージの着地点に合わせて再度銃弾が撃ち込まれたが、それは竜角刀によって切り払われた。
「セージ!! 何をしてるんだ、君は!!」
「邪魔だどけ」
ミケルが叫んだ疑問を、セージは一刀で切り捨てた。だがその足はミケルではない敵を警戒して止めざるを得なかった。
「仲間殺しとは恐れ入る。ニンゲンはやはり下賎だな」
「雑魚は引っ込んでいろ」
代わって口を挟んだアルドレに、セージはやはり冷ややかな声を浴びせる。
「私を、雑魚だと」
セージはちらりとデイトに流し目を送った。
「まあ、手負いのフレイムリッパーよりも、まず私をというのは理解できますがね。
漁夫の利を狙っておいて、下賤はないでしょう。魔族のお国には鏡というものが存在しないのですか?
それは失礼を。
ああ、もちろん皮肉ですよ。未開の国の方では皮肉ということも理解できないかもしれませんので」
ブチンと、アルドレの血管が切れる音がした。
「殺す」
「大人しく隅で怯えていれば少しは長生きできたのに、憐れですね」
どこまでも傲慢に見下すセージに、アルドレはグローリアに跨って襲いかかった。
セージは小さな舌打ちを隠して、それを迎え撃った。
******
セージとアルドレが戦う中、ミケルはデイトに駆け寄った。
「大丈夫ですか、BB」
「誰に言ってんだ、俺は不死身なんだよ」
デイトはそう言ったが、顔には脂汗が浮かんでいた。腹を斬られた時に妙な魔力を流し込まれたようで、治癒魔法が完全には通っていないのだ。
『呪いの一種ですね。エルフが弓で大型の魔物を狩る際に使う技ですが、なるほど。
では、あれは共和国から流れてきたのかもしれませんね』
先程まで狼狽えていた性格ブスは、魔物と戦うセージを見て、安堵したような声音でデイトにそう言った。
前々からひそかに思っていたことだが、こいつは実は馬鹿なんじゃないだろうか。共和国の間者である可能性よりも、懇意にしているエルフから教わった可能性の方が高いだろうと、デイトはそう思った。
だがセージに好印象を持つことは良いことだ。
だからデイトは口は挟まなかった。思いっきり馬鹿にしてやりたかったが、頑張って我慢したのだ。
「彼は、何がしたいんですか。一体」
訳が分からないと混乱するミケルに言い聞かせる体をとって、デイトは口にする。
「あの挑発は、この場に釘付けにするためだ。あれが周囲の村や町に行けば被害が大きいからな。私怨よりも義を取ったんだよ」
「……私怨?」
「ああ。俺はあいつの義姉を殺した」
ミケルはその言葉に息を呑み、性格ブスは黙り込んで考えているようだった。
「で、でも、それは事情はあるんでしょう」
「まあな。で、お前はどんな事情があれば家族を殺されて納得できる?」
「それは……」
「そう言うこった。余計なことは言いふらすなよ。死にたくなけりゃあな」
デイトの口止めに、ミケルは真剣な目で見つめ返し、そして重々しく頷いた。
「わかった。誰にも言わない」
ミケルの真剣な表情は命を惜しんだものではなかったが、言いふらさないならそれでいい。少なくとも性格ブスがそれを信じれば、口封じに殺されることはないだろう。
別に守ってやろうとは思わないが、死なずに済めばその方が良いと思うくらいにはミケルのことが気に入っていた。
「あいつは俺を殺したいだろうに、私怨よりも、テロリストによる被害を出さないことを優先した。ご立派なことだろう」
「あ、ああ……」
ミケルは一応頷き、性格ブスの納得したような感情も伝わって来る。これで共生派の嫌疑は完全に晴れたと見ていいだろう。
「ああ、まったく。反吐が出るよな」
だから余計な気を回さなくて良くなったデイトは、正直にそう吐き捨てた。
「――え?」
「つまんねえやつだぜ。せっかくの力の無駄遣いだ。ご立派な名目で戦うなんざ、騎士のやる事だろうがよ」
「な、なにを言ってるんだ」
話の飛躍についていけずに困惑するミケルを、デイトは鼻で笑った。
「ああ、そう言えば、テメエも甘いこと言ってたな。命懸けで弱い奴を守るだの、国を守るだの」
「それの何がおかしい。力を持つものの務めだろう」
「おかしいだろう。お偉い学者先生が考えそうな大義名分を信じ込むなんてよ。弱者に都合のいいお綺麗な理屈を信じ込んで命かけるなんて、宮仕えの騎士のやることだろ。
戦士ってのは、自分のために命賭けんだよ。
他人が馬鹿だって笑って指さすようなことに、自分のために、プライドと命を賭けんだよ」
デイトはそう言って、その場でゆっくりと屈伸を始めた。腹には当然痛みが走る。右手をゆっくりと握りこむ動作と、開く動作を繰り返す。当然こちらも痛みは走る。
だがそれで自分の体は把握した。
手はそうでもないが、腹のダメージは深刻だ。時間とともに呪いの効果も薄れては来ているが、完治にはまだ時間がかかる。おそらくは一時間程度か。
しかし完治していなくとも体は動かせる。
デイトは戦っているセージたちの方へと足を向けた。
「お、おい。どこに行くつもりだ」
「あん? タイマンならともかく、二対一じゃあ分が悪そうだからな」
ミケルはそれで察した。あるいは勘違いした。
デイトはセージを助けに魔族とワイバーンと戦うのだと。
実のところデイトはセージとの戦闘で血が滾っているので、殺してもいいのと戦いたいだけなのだが、ミケルはそう思った。
二人の間にどんな因縁があるのかはわからない。天使と呼ばれる少年に、もしかしたら正義はあるのかもしれない。
でもそうだとしても、満身創痍の体を引きずって、自分を殺そうとするセージを助けようとするデイトの姿に、どうしても言わずにはいられなかった。
「馬鹿じゃないのか、あんたは」
そう言って、ミケルはハッとする。
その馬鹿なことに、デイトは命を賭けるのだと。
ミケルは俯きがちになっていた顔を上げた。
足手纏いにしかならないミケルは、せめて顔を上げて尊敬しうる戦士を見送ろうとして、
「誰が馬鹿だテメエ」
その戦士に、蹴り飛ばされた。
割と容赦なく蹴り飛ばされたミケルは吹き飛んで、地面を転がり、痛みと驚きに耐えながら即座に起き上がった。
「何をするんだ、BB」
「はっ。なに他人事みてえな顔してんだ」
デイトはそう言って、テロリストの拠点入口を指さした。
ミケルが見やると、洞窟となっているそこからは、多くの魔物が溢れ出ていた。
「テメエはあっちだ。サボれるとか思ってんじゃねえよ」
「え、あ、ああ……」
出てくる魔物はゴブリンやハゲオオカミなどの繁殖力の高い下級の魔物が中心だ。一体ならばミケルに負ける要素はない。
だが次々と洞窟から出てくる魔物は数え切れない程で、魔力反応からして強力な、つまりはロード種などもいると思われた。
そしてその奥には、さらにそのロード種と同等以上の魔物も控えていた。
「なんだよ、助けて欲しいのか?」
嘲笑うような言葉に、ミケルの挫けそうになった心がとっさに反発を覚える。
そうだ。この国のために命を懸けると言った言葉に嘘はない。
一流の戦士の前で己の言葉とその覚悟を示すのだと、ミケルは己を奮い立たせた。
「必要ない。あれぐらいは僕が抑える。君はあの魔族に専念してくれ」
「はっ。いいね。吼えるじゃねえか。それじゃあ任せたぜ」
デイトはそう言って背中を見せ、振り返ろうとはしなかった。
ミケルはそれを誇らしく感じた。
魔物の大群を前に、ミケルは一人立つ。
ずっとパーティーで戦ってきたミケルに、この大群を押しとどめる術はない。
だがそれでも後ろには一人も通さないと意気込んだ。あの男の戦いの邪魔はさせないと、闘志を燃やした。
「たった一人の防衛線。ふっ。物語のヒーローみたいじゃないか。
ああ、心が踊る。
さあ魔物ども。このミケル・ウィンテスの命、簡単に取れると思うなよ」
ミケルが多くの魔物にたった一人で立ち向かうその背で、
「おい。人払いの結界解けよ。他の連中ももう近くに来てるんだろ」
小さく呟いたその声は、その場にいた誰の耳にも届くことはなかった。
ただそれを了承する感情だけが、声の主に返った。