215話 ただひたすらに勝ちを目指す
暴力描写、残酷な表現が続きます。
苦手な方はご注意ください。
助けてと、悲痛な願いがあった。
それを殺した。無残に殺した。
死にたくないと、泣き叫ぶ声があった。
それを殺した。容赦なく殺した。
痛いと、苦しいと滝のような涙を流していた。
それを殺した。嘲笑って殺した。
何度も何度も、数え切れない程多くの人を殺した。
その記憶が、その中にあった。
殺された人たちの思いが、その中にあった。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
言葉にすればひどく陳腐なそれを、フレイムリッパーは作り出して心臓に溜め込んでいた。
理由はわからない。
理由なんてどうでもいい。
バラバラに切り刻まれる記憶が私に流れ込んでくる。
家族がそうされるところを見せ付けられる記憶が流れ込んでくる。
次は自分の番だと嬲り殺しにされた記憶が流れ込んでくる。
その中にはアベルとカインの両親の記憶もあった。
愛する子供たちに逃げてと、助けてと、相反する思いを抱きながら、切り刻まれて苦しみぬいて死んでいった。
死の記憶なんて慣れたものだった。
そのはずだった。
でも違う。
それはまるで違う。
戦って死んだんじゃない。
戦いなんて関係ないところにいる人たちが、戦う力なんてろくに持っていない人たちが、フレイムリッパーに遊ばれ、殺される。
ひと思いに殺してくれと懇願する声すらあった。
さんざん痛めつけられてから殺された。
自分はどうなってもいいから家族だけはと願った誰かがいた。
家族の中で、最後に殺された。
家族はどうなってもいいから自分だけは助けてくれと命乞いをしたものがいた。
両手両足の骨を折られ、家族の手によって殺された。
家族を殺せば見逃してやると囁かれたものがいた。
吐き気を催しながら言われた通りにそうやって、人殺しと嘲笑されて殺されたものがいた。
死にたくないと思っていた。
こんなのは間違っていると思っていた。
悪い夢だと思っていた。
彼らはみんな、絶望しながら、フレイムリッパーを呪いながら、息絶えた。
その憎しみを、私は見た。
私は感じた。
私は経験した。
ガチリと、気持ちが切り替わった。
本当は、心のどこかで迷いがあった。
本気になりきれないでいた。
それが間違いだった。
こいつが私にどんな感情を抱いていたとしても、ジオやデス子と関わりがあったとしても、手を緩めていい理由にはならないのだから。
だから私を助けようと差し伸べてくる手を、遠慮なく切り飛ばす。
繋げられて治癒されないように踏みにじる。
奴は治療に時間を充てる。だから私は装備を整える。
奴が何かを言った。
私はそれに答える。
「……正気ですよ。ええ。紛れもなく正気です。
何て言うか、気分はスッキリとクリアですよ。
今まではあれこれ考えて、雁字搦めになってましたね」
ああ、全くその通りだ。
視野が狭くなっていると気づいていたのに、気持ちを切り替えられなかった私はあまりに未熟だ。
周囲を感じ取れば一年前と同じ妙な結界が張られている。中級のギルドメンバーが未だに到着しないのはそのためだろう。好都合だ。
私の心は死んでいる。
だから、死者の代わりに戦おう。
心臓の封印は解けない。
内側から抵抗されているように、デス子からの魔力供給は受けられない。
やはり何かしらの関係があるのだろう。
どうでもいい事だ。魔力供給が無くともやり様はある。
ヒントはもう手に入れた。殺すことは可能だ。
ドクンと、心臓が一度鳴る。
警告をするように。それでいいのかと問うように。
私は嗤った。
私を止めたいのならば、姿を表せデス子。
まとめて殺してやる。
「どんな理由があれ、どんな状況であれ、お前みたいな糞野郎を後回しにするのは間違いだった。
お前はここで死ね、フレイムリッパー」
さあ、それでは悪党の処刑を始めよう。
せいぜい抵抗してくれ。
多くの命を弄んだその罪は、苦しみ足掻いて死ぬことで、少しは洗われるだろうから。
◆◆◆◆◆◆
感情無く、竜角刀が振るわれる。
デイトはそれを大きく避ける。
それまでの完全な見切りはできない。
セージは神眼でもって人の感情を読み、その意志を読み、その先の行動を読む。
実のところデイトもまた、同様の事を行っていた。
攻撃に移る時に、どんな人間であれその体には魔力が奔る。どんなに隠しても僅かに漏れ出るそれは、行動の意思。
それをデイトは読み取っていた。
それは特別な事ではない。上級の戦士でなくても、いいや、そもそも実戦経験のない道場生でも、それは行っている。
ただデイトのそれは、精度が極めて正確だった。
多くの死地を渡り歩き、目指した所にたどり着くには足りない才能を埋めるため、必死になって鍛え上げた誰もが持っている技能。
経験と予測と、そして魔力感知によって成しうる、神眼に勝るとも劣らない行動予測。即ち、心眼。
それが魔力量では特級に至れない、デイトの持つ最高の武器の片割れだった。
だが、今はそれが機能しない。
セージの刀は感情無く振るわれる。
殺意と呼べるものは有るかもしれない。だがそれはデイトの知る殺気とは明らかに異質なものだった。
殺すという意思はある。だが殺したいという感情はない。
そもそも人間らしい感情はない。無機質でモノトーンの魔力が刀にのっている。
それはまるでからくり人形。
スイッチを入れれば仕組まれた通りに踊る人形のように、セージはただ淡々とデイトを殺しに来ていた。
刀に魔力はのっている。
セージの体の魔力はしっかりと活性している。
それは確かに見えている。感じ取れている。
そうだと言うのにデイトにはセージの動きの先がわからなかった。
理由はわかっている。
殺すという意思があり。
殺すという動作がある。
人間の動きは有限で、刀を使って斬るという動作も有限だ。
だから予測が立てられる。
だがセージの動きに意思はない。体はすべてが反射で動いている。
だから先が見えない。
意思が働くことと、体が動くことは全くの同時だから。先を予測した時には、もうその行動はなされているから。
デイトはその状態を知っている。
ゾーン。極限まで集中を高めた状態。
だがそれは諸刃の剣だ。
火事場の馬鹿力なんて言葉があるが、限界まで振り絞った力なんてそうそう制御できるものではない。
そんな敵を、デイトは何度も殺してきた。
追い詰められた魔物や戦士がそこに至っても、単調な動きや力任せの技しか出来なかった。
そしてそんな敵を多く屠ってきたからこそ、ゾーンの力を十全に発揮するために日頃からの訓練が重要だとデイトは考えている。
繰り返し体に染み込んだ動きは、極限の状態でも発揮される。ゾーン状態でも振るわれる技に無駄はなく、その動きには敵を追い詰める戦術が宿る。
ごくごく一部の天才はデイトのその考えを覆すが、剣を交えた感触から、セージはその天才ではないと思っていた。
だが、セージの動きはその目利きを裏切っていた。
踏み込むセージの一撃を、デイトは大きく距離を取って躱す。
デイトの予測は機能せずとも、未だにデイトとセージの魔力量の差は大きい。
さらにゾーンに入って十全にその力を発揮しても、限界を超えて自身の力を引き出したとしても、越えた先の限界は存在する。
デイトの持つ技量に肉薄することは出来ても、凌駕する事は出来ていない。
正面から斬り結べばセージにも勝機はあったかもしれないが、デイトは徹底してそれを避けた。
セージの攻撃魔法は多彩ではあるが、格上のデイトを殺し切れるほどの威力ではない。
危険なのは竜角刀。警戒し、意識して防護層を強めても簡単に切り裂くであろう強力な武器の間合いに入らなければ、デイトが負けることはない。
しかしそれは、近接戦で勝てる自信がないという意味ではない。ただ殺さずに手加減をする余裕がないから、徹底して距離を取ってセージの消耗を待った。
対してセージはデイトとの間合いを詰めるために、多くの技を仕掛けてくる。
逃げ道を塞ぐような軌道で迫る孤月斬。
背後を潰す爆炎の壁。
偽装を施しながら、足場をぬかるみや穴に変化させる。
セージは正面からデイトに斬りかかりながら、複数の魔法や闘魔術を並行して起動して襲いかかった。
一つ一つは大したことはない。だがそれぞれの技が一貫して一つの目的を持っていた。
視野が広いなと、デイトは感心した。
限界を超えて力を引き出すゾーンには多くの弱点があるが、視野狭窄もその一つだ。
目の前の敵に集中しすぎるあまり、周囲が見えなくなってしまうという弱点。
それを克服するためにはゾーン状態を何度も経験し、また意識的に多くの情報を読み取るようにしなければならない。
デイトがそれを身に付けたのは、さて何時だっただろうか。
天才たちに比べ才能で劣り、そして皇剣となり魔力供給という精霊の加護に頼る事のなかったデイトは、ゾーンを使いこなすことで最強の男たちにその実力を及ばせた。
天才たちに比べて持ちうる才能に劣っていたデイトは、だから自身が持ちうるものを極限まで使いこなす道を選んだ。
そんなデイトだからこそ、分かる。
目の前の少年は、きっと自分に勝るとも劣らない地獄の中で、心を鍛えてきたと。
そして同時に思う。
こいつは自分とは違うと。
ゾーンを使いこなす中で、デイトは一つの真理を得ていた。
その真理が、目の前の少年を否定している。
こいつは決して相容れないと。
紛れもない俺の敵だと。
デイトの中には僅かなりに葛藤が生まれていた。
この少年と本気で戦ってみたいと思ったから。
より正確に言えば、本気の自分からどうやって生き延びるか見てみたいと、そう思ったから。
いいや、それは建前だ。
セージは無抵抗な敵ではない。殺しに来ている敵だ。心躍る敵だ。
だから、殺したい。その血が見たい。命が失われていくところを見届けたい。
デイトは浮かんでくる殺人衝動を必死に追い払いながら戦っていた。
このまま牽制技とフットワークでセージをあしらう事は不可能なことではない。
基本的な魔力量と体力ははっきりとデイトが優っている。ならばこのまま持久戦を続ければ、時間はかかるが安全にセージを無力化できるだろう。
性格ブスは再三に渡ってデイトに早くセージを倒せ、殺しても構わない、テロリストも殺せ、ついでにこの場を目撃しているミケルも殺せと喚いているが、そんなことは知ったことではない。
むしろ性格ブスがセージの豹変に怯え、焦っているのが小気味よいぐらいだ。
こうして本性を見れば、セージが天才に匹敵しうると理解できた。
きっと竜やケイを相手に生き延びたのも、神子の力に頼り切った結果ではなかったのだろうと。
バカの教えと技を受け継ぐ甥っ子が、自分と同種の業を持っている。それはデイトの熱を加速させるものだった。
全力で戦ってみたいとデイトの血は沸き上がり、それに流されぬように苦心していた。
だがそんな熱を帯びた思考に、突如として冷水がかかる。
今の今まで小物と放置していたテロリスト。
上級相当の魔族とワイバーン。
その片割れの魔族が、息を殺し、魔力を抑え、デイトとセージを狙っていた。
魔力を必要としない短銃という特殊な武器で、二人を狙っていた。
パンっと、乾いた銃声が響く。
その音が耳に入るよりも早く、デイトは動いていた。
即座に半端な迷いを捨ててゾーンに入り、最速でその弾丸に斬りかかる。
音速すら超えたデイトの一撃は確かにその弾丸を捉え、それがセージの心臓を撃ち抜くより早く、二つに切り裂いた。
そして、デイトの腹も二つに切り裂かれた。
セージの竜角刀によって、二つに切り裂かれた。
こぼれ落ちる腸を魔力で押しとどめながら、デイトはセージから距離をとった。
セージの顔が歪んで嗤うのを、驚くこともなく見つめた。
「――はっ。上手いじゃないか」
そしてデイトもまたそう嗤って、セージを賞賛した。