213話 荒野の空を支配する魔物(十四歳)
今話以降、暴力描写、残酷な表現が出てきます。
苦手な方はご注意ください。
テロリストの潜む洞窟から一人の男と魔物が飛び出してきて、私はその男をフレイムリッパーに押し付けるように蹴り飛ばした。
あわよくば隙を作れないかと目論んだそれは、しかし同じことを考えたのであろうフレイムリッパーの蹴りで阻まれる。
私とフレイムリッパーに同時に蹴られたその男は、きりもみしながら吹っ飛んで岩壁に叩きつけられた。
洞窟から出てきた魔物は男に心配そうに駆け寄った。
ちっ。せめて魔物だけでもフレイムリッパーに向かってくれれば、やりやすくなるものを。
「余裕がねえな、セイジェンド」
「親父の名を騙る偽物のクソ野郎が、気安く名前を呼ばないでもらえませんかね」
「はっ。古臭い話を持ち出すな。それよりいいのかよ、ワイバーンに魔族と、大物テロリストを放ってよ」
「放っておくつもりはありませんよ。目の前の連続殺人鬼を始末すれば、すぐにでも捕らえてみせます」
私がそう言うと、フレイムリッパーはこれみよがしに溜息を吐いた。
「おいおい。まだわかってねえのかよ」
「なに」
「テメエじゃ俺には勝てねえよ。手加減されてるのがわからねえのか?」
私は軽く歯を噛み締めた。
わかっている。そんな事はわかっている。
一年前、間接的なやりとりで私はこの男に及ばないことを実感した。
だがこの一年、私は遊んでいたわけではない。この男を殺すために、相応の努力をし、体も魔力も成長した。少なくとも差は縮まっているはずだった。
だが――
「お前、センスねえよ」
――フレイムリッパーは、未だ私の手の届かない領域に、それこそ英雄である親父と同等の所にいた。
「確かに歳の割にはいい動きさ。スピードがあって、魔力ものって、ついでに身の丈に合わないご立派なブレードで切れ味は抜群だ。
で、それを俺に当てる算段はあるのかよ。
さっきからちまちまとせこい攻撃して、真正面からかかってこねぇ。
自分でもわかってんだよな。真正面からじゃ到底かないっこないってよ。だから小手先の技で誤魔化そうとする。
まあ悪くねえよ。弱い奴が頭や技を使うのは当然だ。
だけどよ、勝てるイメージもないのに剣を振るって、そんなもんのまぐれ当たりに縋って。
無様って言うんだぜ、そういうのはよ」
フレイムリッパーの挑発を私は聞き流す。
他人からの悪意も暴言も、私には慣れたものだ。そんなもので集中は乱れない。
私は再度フレイムリッパーに切りかかる。
「やれやれ。聞く耳持たずかよ」
やる気のない動作で、フレイムリッパーは私の竜角刀をその手のダガーで切り払う。
持ち手と共に私の体は流され、それに合わせて跳び、後ろ回し蹴りでフレイムリッパーの顔面を狙う。
奴は驚く様子もなく私の蹴りを背を逸らして避けた。その幅はミリ単位。完璧な見切りだが、だからこそ付け入る隙もある。
私は衝烈波で自身の体を押し、さらに疾空の応用で手に足場を作る。後ろ回し蹴りから強引にドロップキックへの変化。
完璧に見切ったからこそ、このとっさの変化には対応できない。
そのはずだった。
「ぐっ」
痛みにうめき声をあげたのは、フレイムリッパーではなく私。
私の足が届くより早く、フレイムリッパーが私の腹を蹴り上げたのだ。
「面白い動きなんだけどよ。普通の技でも遅いのに、そんな奇天烈な動きで俺を捉えられるかよ。そういうのは油断してる奴が喰らってくれる、それだけの面白技だろ。
魔力があれば無理な動きができる。人の体じゃ本来できない変幻自在の動きがな。
でもよ、人間の体ってのはどこまで行っても人間の体なんだよ。
無理な動きをするより、人間の体の理屈に合わせて動いて、そこに魔力乗せんのが、一番速い。
わかりやすく言えば、お前はまだまだ基礎が出来てない。
道場の型の稽古ってのがあるだろう。あれは案外、馬鹿にしたもんじゃなくてな。
その型はどういう時に使うものか。どういう意味で有るものか。
そういうことを考えながら毎日何千何万って繰り返すと、無駄のない動きってもんになる。そしてそれがいざって時に生かされる。頭ん中を通さずに体が動く。
ま、才能のあるやつはそんな事しなくても体が勝手に動くんだがね。
テメエは才能のない人間だろうがよ」
「ご講釈どうも」
長話のおかげで腹の痛みはすっかり引いた。
確かに、私はフレイムリッパーには及ばない。だが勝機がないわけではない。
切り札は二つ。
一つは死の経験を持ち越す死に戻りの異能。あれは発動と同時にデス子の魔力を受け取れる。
フレイムリッパーが必殺を確信した一瞬にその魔力でカウンターを決めれば、致命傷になり得るはずだ。
そしてもう一つは心臓からデス子の魔力を直接取り出す方法。
死に戻りとは違って体内にデス子の魔力を取り込むそれは、私の肉体を痛め、戦闘の継続時間を著しく短いものにする。それだけの代償を支払うだけの力が手に入る。
暴走した皇剣、ケイ・マージネルにも通用した魔力だ。少なくともフレイムリッパーとの間に横たわる保有魔力量の差は大きく埋められるだろう。
だが切り札のどちらも、今は使えない。
フレイムリッパーは親父を恐れてか、私を殺す意図がない。
デス子からの魔力供給も、今は使ったところで効果が薄い。
つまるところ切り札に頼る前にフレイムリッパーの余裕を削ぎ落とさなければ、勝機はない。
「殺る気満々な顔してるところ悪いが、時間切れだぜ」
フレイムリッパーはそう言って顎をしゃくる。その先にいたのはミケルさんだ。
私はフレイムリッパーとの戦闘に夢中になるあまり、彼の到着を見落としていた。
……何か、おかしい。何かを間違えている。そんな気持ち悪さを感じる。
この先は相手の読み筋だと、このまま進めば相手の思い通りに事が運ぶと分かっているのに、別の打ち筋が見つからない。見つけられない。
ああ、そうだ。私は今、視野が狭くなっている。
気持ちを切り替えるために私は軽く頭を振った。
「何をしているんですか、二人共。仲間同士でしょう」
「いや、何。テロリスト退治の前の準備運動ってやつさ。
なあ、セイジェンド」
この期に及んで、フレイムリッパーは茶番を続ける気でいる。
ミケルさんは私たちが殺し合っていたことを既に察している。当然だ。派手に魔力を漏らしていた。気がつかない方がどうかしている。
だがミケルさんの視線と意識は伸びているテロリストと、それを守る上級の魔物に向いている。今は私たちを問い詰めている場合ではないと理解しているようだ。
そしてフレイムリッパーはニヤニヤと笑いながら、そんなミケルさんを見ている。正体をばらせば此奴を殺すと、そう言いたげに。
「……ええ、そんな所です。それではミケルさんは怪我をしないよう下がっていてください」
「そ、それは竜ですよ」
「翼付亜竜、な。竜じゃねえよ。竜になれなかったハンパもの。妙な結界も持ってなけりゃ、理不尽な体もしてない、ただの上級の魔物さ」
「ええ。ちょっと体が大きくて翼のあるトカゲです」
「はっ。口だけは立派だな。まあ本物の竜の角へし折った武勇伝持ちには、少しばかり食いでのない獲物だよなあ」
フレイムリッパーはダガーの峰で肩を叩きながら、気軽な様子でワイバーンに歩み寄る。
対してワイバーンは威嚇の唸り声を上げながら後ずさった。
「……怯えていませんか、あれ」
「……そんな、まさか。上級の魔物ですよ」
「俺にも怯えてるように見えるな。殺る気が削がれる。おら、痛い思いが嫌ならそこに寝そべれよ。一思いに楽にしてやる」
フレイムリッパーがそう言うと、ワイバーンは泣きそうな声で『クゥ~ン』と泣いた。
「……ここを見つけておいてなんですが、ここは見世物小屋だったんですかね。無害に見えますが」
「魔物なんだから無害な訳無いだろう。馬鹿じゃねえのか」
「目の前のものをそのまま受け止められない頭の固い年寄りに馬鹿呼ばわりされるいわれはありませんね」
「よく一息で舌が回ったな」
「うるさい黙れ」
ワイバーンの感情は恐ればかりが強く、これまで狩ってきた魔物に共通する人間への敵意や憎しみ、飢えが薄い。というか、無い。
あくまで凶器片手に向かってくるフレイムリッパーへの警戒心と恐れとわずかばかりの敵意だけで、遠まわしにそれを止める私には助けを請うような想いすら抱いている。
「共生派の、それも魔族が飼っている魔物だからな。普通じゃねえんだろうよ。
どっちにしろやる事は変わらねえよ」
「……まあ、少なくとも野放しにしていい相手ではありませんか」
上級の魔物がどうやって結界の中に入ってきたのかは不明だが、これがもし街中で暴れれば被害は甚大なものになるだろう。
そしてこれだけ上手く飼い慣らされているという事は、それだけ飼い主に忠実である裏返しとも言える。
実際、主人である魔族(?)を、フレイムリッパーから身を呈して守っている。
命じられれば猟犬のように獲物に、つまりは人間に襲いかかる可能性は十分にあるし、共生派のテロリストが行ったことを私は忘れていない。
彼らに使われるこの魔物を野放しにはしてはいけない。
だが、フレイムリッパーに殺されそうになり、そして私に助けを求めるこの子を見殺しにしてもいいのだろうか。
◆◆◆◆◆◆
ワイバーン。
種としては魔物たちのヒエラルキーでも、竜に次ぐほどの高い位置に分類される魔物である。
グローリアは十四歳と、ワイバーンの中でも若い部類に入る。
その実力は成熟したワイバーンと比べては劣る所があるものの、脆弱な人間とは比べ物にならないほどの力を持っている、はずだった。
だがグローリアの前にいる人間は、明らかにグローリアよりも力強い魔力を放っていた。
それと戦っていた小さな人間も、グローリアと同じぐらいの魔力だった。でも戦っているときはとてもすばしっこくて目で追えなかった。こんなのと戦っても勝てるわけないと思った。
後から出てきた人間だけは、それまで聞いていた通りの弱そうな人間だったが、しかしそれでもまるで安心できない。
グローリアは幼くして親元を離れ、小さな体のおじさんと一緒にここに来た。
悪い奴と戦って、そして死ぬと、そう聞かされていた。
お父さんとお母さんはそれを悲しんでくれたけど、みんなのためにそれが必要だって知っていたから、グローリアはおじさんについて来た。
そして長い間、お父さんとお母さんのところにいた時間よりもずっと長い間、暗い洞窟の中で訓練をした。
たくさんの魔物と戦って、殺した。
たくさんの人間と戦って、殺した。
戦う相手はおじさんか、あるいはおじさんの部下が連れてきた。
時には殺した相手を食べることもあった。
その方が敵に恐怖を与えられるからと言われて。
魔物を食べた。
人間を食べた。
どっちも不味かった。でも我慢して食べた。火で焼けば少しはマシだった。嘘だ。火で焼いても骨がたくさんでなんだか臭くて不味かった。
その訓練が嫌で泣くと、おじさんが付き合って一緒に食べてくれた。でも吐いてた。それを見てグローリアも吐いた。
だって不味いんだもん。仕方ないよ。そう思った。
そんなこんなで、ついに本番の日がやって来た。
今までは訓練だった。訓練で多くの魔物と人間を殺した。
本番では、もっと多くの人間を殺し、そして殺される。
でも怖くない。おじさんが一緒だから。
……嘘だ。
怖い。
すごく怖い。
殺されるのは嫌だ。
助けて欲しい。
誰か助けて。
グローリアはデイトからアルドレを庇いながら、そう願った。
その縋るような視線の先には、つい先程までデイトと戦っていた、セージがいた。
作中補足~~グローリアくん~~
今回の中ボスその2。なのでこの解説はやっぱり読まなくても問題ない。
種族はワイバーンで人語を解する知能の高い魔物。野生のものは縄張り意識も強く、割と好戦的。ただ格上の相手に挑むほどではない。
本来は雑食で生肉も食べるが、グローリアくんは都会育ちなので調理されたものや加工食品の方が好き。犬用(正確には犬っぽい愛玩動物)の缶詰が好物だが、大食らいなのでたまにしか食べさせてもらえない。