192話 正義って、やっぱり心と理性が大事だと思うんだ
死屍累々。
いや、正しくは誰ひとりとして死んではいない。
だがその光景はそう形容し得る凄惨なものだった。
守護都市とは違って十分な土地のある学園都市の名家であるプリドア家の敷地はとても広い。
その広く立派な庭に、多くの私設騎士たちが倒れふしていた。
倒れている人数は三十を超える。この数はこの家を守る私設騎士のおおよそ四割に当たる。
それだけの人数を倒したのは、たった一人の人物だった。
ジオレイン・ベルーガー。
竜殺しの英雄にして、ブレイドホーム家のまるでダメなオヤジである。
「何やってんだこのバカ親父がぁっ!!」
そしてそのマダオは、空から降ってきた息子の飛び蹴りで吹き飛ばされ、器用に空中できりもみ三回転をし、格好よく着地した。
「……ふっ」
「芸が増えてやがる……!!
――じゃない、こんな所で何やってるんだ」
「む……。うむ。
話すと長いが――」
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ジオが道場で子供を鍛えていると、不意にマリアが訪れてきた。
それは珍しいことではない。時折ふらりとやってきては道場の見学をしたり、子供の相手をしたり、ジオに絡んできたりするのがマリアだった。
理由はよくわからないが、マリアは昔から似たようなことをしていたので、気まぐれな暇人なのだろうと思っていた。
「ベルーガー卿、セージ様がプリドア家に行きましたよ」
「どこだそこは?」
「アベルの試験結果を改ざんした、悪い名家です」
「……そうか」
「はい」
ジオは少し考えた。セージが行っているのなら上手くやるだろう。
だがアベルたちが襲われたとき、ジオは何もできなかった。
その場にいれば、フレイムリッパーとやらを切り捨てることも、ミルクのところに行った子供たちを守ることも出来ただろう。
だがどちらの場にもジオはいなかった。伯父貴のときと同じで、大事な時に駆けつけることができなかった。
「セージ様は力勝負になると言ってましたよ」
「そうか」
ジオは頷いた。力勝負なら役に立てるだろう。
「ここは任せる」
「随意に」
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「――マリアにここだと聞いた。
来てみたら鬱陶しいのが絡んできた。
だから殴った」
ジオは手伝いに来たとは言わなかった。いなくても上手くやるだろうとは思っていたからだ。
「全然長くないけど、それはそれとしてすぐに人を殴る癖は直して」
セージはツッコミを入れて、せっかく話がまとまったというのに何て事をしてくれたんだと、こめかみを押さえて少しでも気持ちを落ちつかせた。
「ふん。殴りかかってきた相手を殴り飛ばして何が悪い」
「親父は不法侵入だろ。ちゃんと声かけないと」
セージも似たようなことはしているが、一応とはいえ当主との面会を認められ、相手に先に手を出させている。
そしてやったのは相手の剣を折って戦意を挫き、殺人未遂だと責めただけだ。
対してジオは所有者の許しなく敷地内に入って、暴力沙汰を起こしている。
「かけたぞ。息子に会いに来たと」
「でも帰れって言われたんでしょ。なんで話し合えないんだよ」
「いきなり力ずくだったが……」
「親父相手にそんな馬鹿な真似――あ」
「どうした?」
セージはここに来た時のことを思い出す。
この名家に来た時、門前払いを喰らいそうになった。
最初はギルドカードを提示し、天使の二つ名を持つ英雄の息子として丁寧に偉い人に取次をお願いしていたが、一向に上手くいかなかった。
学園都市との接続期間は残り短く、真っ当に予約を取って話し合う時間はない。
そもそも身内を不当に貶められた自分は被害者なのだから、モンスターペアレントよろしく強気に苦情を言うべきではないかと少しばかり暴走してしまった。
他所の都市だし、ちょっとぐらい名家の不興を買ったところでそこまでひどい事にはならないだろうなんて考えもあった。
そんな甘い考えも名家当主と会う所までは上手くいったし、アールのフォローもあってその後も話をまとめられた。
ただそれはそれとしてセージが難癖をつけて名家当主に面会を迫ったのは事実で、途中には私設の警護騎士と悶着もあった。
そのときセージはあくまで平和的に、お互いに怪我をしないように立ち回った。
自分を追い掛け回す騎士を弱いと、多少言葉を装飾して煽ったりもしたが、あくまで合法的に当主に会えるよう言葉を尽くし、捕まえようとする手からは逃げに徹して怪我をさせないよう気を付けた。
だがセージの目の前の化け物級の親父に同じことができるだろうか。
答えは否である。
セージが押しかけてきたことで気が立っていた警護騎士たちは喧嘩腰にジオを追い返そうとし、返り討ちに遭ってしまったのだった。
もしかしたらという話にはなるが、セージがひと悶着を起こしていなければ、息子に会いに来たという英雄はもう少し丁寧に対応されていたかもしれない。
「――いや、僕は悪くないよね。うん。悪くない」
一人頷くセージを訝しげにジオが見つめ、そこに遅れてローランとアールがやって来た。
「なんだこれは……」
「……近くにスノウの奴がいそうだな」
呆気にとられたローランが声を漏らし、十年以上前は日常的にこの手の事件と相対してきたアールがぼやいた。ちなみにスノウは別件で用事を持っているので、ここにはいない。
「おい、しっかりしろマーカス」
「……えー、ご心配なく。皆さん手加減されているので、命に別状はありません。三十分もすればみんな目を覚ますと思います」
倒れている騎士――元上級で、急ぎで呼び戻していた腹心の部下――の名を呼び、悲壮感を背負うローランを安心させようとセージは声をかけた。
「手加減……だと」
「ああ、うん。おっしゃりたいことはわかります――ええと、それで何ですが」
「わかっている。そちらの要求は全て飲む。だから帰ってくれ」
「え?」
セージは頭の中に疑問符を浮かべた。
暴力事件を起こした以上、先の約束は反古にされると思っていたのだ。
「明日の朝までには君の望む書類は全て用意させる。ガスター教授へ何をしようとも黙認しよう。だからもう――」
「え、ええ。はい。こちらとしては兄の受けた試験結果が適正なものとなるのならば不満はありません」
セージはローランの魔力に恐怖が色濃く現れていることに戸惑いながら、そう答えた。
そしてジオの背を叩いて、プリドア家から去っていった。
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「……なんなんだ。あれが、あれが守護都市のやり方なのか」
「……否定はできんな。ただあれでも穏便な方だぞ」
目を見開くローランに、アールは溜息をついてみせた。
「詳細な状況は知らんが、家族を傷つけられれば牙をむくのは人も獣も同じだろう。
ガスター教授とやらがどれほどの人物かは知らんが、安請け合いをしてしまったツケだと思うべきだろうな」
「待て……。こんな事が、こんな無法なことが許されるのか、守護都市では。
人の家に押し入って、暴力と権威で無理やり言うことをきかせるような事が」
「何を言っている。それは仮にも名家であるなら否定できないことだろう。
実際、彼らにその力がなければ泣き寝入りをさせただろう。今回は向こうの方が強かった。それだけだ」
アールの口から呆れた声で語られた言葉に、ローランは歯噛みし、しかし大きなため息をついて気持ちを切り替えた。
「ああ、そうだな。その通りだ。
我が家にはあの二人をこの場で取り押さえる武力はなく、都市を上げての大捕物に移すには脛に傷がある。
守護都市に助力を求めようにも英雄の威光を持ち、マージネル家があちら側にいるなら勝算は低く、勝てたとしても利益はない。
ガスター教授を切り捨てるのがもっとも傷の浅い結末だろう」
自分に言い聞かせるように、ローランはセージたちに敗北を認めた理由を口に出して整理する。
「だがこのやり方を守護都市は良しとするのか。守護都市は国内で圧倒的武力を持つ。他の都市への徴発権もだ。だからこそ、その力の使い方には制約が課せられていたはずだ。精霊様の言葉をなんと心得ている」
「名家が同じことをすれば、査問会議は免れないだろうな。だが相手が名家ならば、気軽にその家の子を貶めようとしなかったのではないか?」
「……もともとはガスター教授の独断だ。英雄の息子と知っていれば軽はずみな行為は控えさせた。それにそれは学園都市内の問題で、守護都市の問題とは別問題だろう」
ローランの言葉の裏には、これが許されるなら学園都市の、ひいては政庁都市を除くすべての外縁都市の一般人が守護都市に住む強者たちの言いなりになるかもしれないという危惧が潜んでいた。
「まあ、そうかもしれんな。あるいは、ワルンの心配が形になるのかもしれんが……、いや、杞憂だな。
魔人ジオが身内に手を出されることを許さんというのは聞いたことがあるだろう。天使も同じだ。
いや、魔人の暴走と違って、誰ひとりとして死者は出ていないんだ。納得しておけ。
それにガスター教授にしても、セージならばそこまで無体な要求はしないだろう……、素直に謝ればな」
その言葉にローランは口元を歪めた。
ガスター教授は実績のある有能な医療魔法士であり、研究者だが、少々頭の固いところがあった。そして少しばかり独善的で、他者を侮るところも。
今回の件では、何も分かっていない子供が偉そうな事を言って自分の高尚な研究を理解しようともしなかったと、熱のこもった怒りを撒き散らしていた。
「……」
ローランは信頼できる部下に命令を下した。今回の暴力事件に思うところはあるが、しかしこの家で最強の――守護都市でも通用するはずの、学園都市で五指に入る実力者――が簡単に失神させられている以上、実力行使には出られない。
精霊様と政庁都市に泣きつくには時間がない。
今は耐えねばならないと、そう思ったのだ。
「……はぁ」
そしてそんなローランを見てアールは、名家当主になるための教育を受けており、他家の当主との交流もあればそのプライドにも理解のあるアールは、こっそりとため息をついた。
かつて問題ばかり起こしていたジオに腹を立てる己を、父は今の自分と同じ気持ちで宥めていたのだろうかと、そんな事を思った。
そしてそんな父の心労になり続けていたのだから、ここは働かなければとも。
このあと、アールの取りなしもあって政庁都市にセージたちに関する苦情が届くことはなかったが、外縁都市の名家の間にはちょっとした噂が流れた。
悪いことをすると、天使がお仕置きに来る、とそんな冗談のような噂が。
ちなみに流したのは悪評が広まらないようにと苦心したアールで、それを広めたのは某ギルドの某長耳受付嬢(安)である。