186話 デイトの掟
女は少女を抱き抱え、デイトについて囚われていた倉庫から外に出た。
薄暗い倉庫から明るい日の下に出て、女はその目を細めた。
デイトは改めてその女の黒い髪と黒い瞳の整った顔立ちを見て、口笛を吹いた。
「ずいぶんと美人だったんだな、あんた」
「よく言われるわ」
「くっ。そうかい」
女の返したそっけない言葉が気にいって、デイトは喉の奥を鳴らして笑った。
「……ありがとう」
「あん? なんだよ」
「助けてもらったから」
デイトは女の言葉に眉をひそめて不機嫌さを示した。
「別に助けたわけじゃねぇ。あんたは運が良かった。それだけだ」
「……そう。ありがとう」
あの場にいたのは偶然で、助けることになったのもただの偶然だ。
そう込められた言葉を受け取って、女は再びお礼を言った。デイトは不機嫌そうな眉の形は変えず、口をへの字に曲げた。
女はそれを気に止めず、抱き抱える少女の服についている埃を払った。
長く汚い倉庫の床に転がされていたため、少女の服は埃で薄汚れていたのだ。
女の服はナイフを拾うために埃だけでなく血で汚れていて、それは少なからず少女の服にも移っていたし、漏らした小便もあって埃など問題にならないぐらいに汚れていたが、手触りがかさついて気に入らなかったのだ。
ふと女は気になる事があって、デイトの服を見た。
あの倉庫のどこかで寝ていたというデイトの服は使い込まれていてくたびれていたが、埃がついているという事はなかった。
なんとなく、女は自分が閉じ込められていた倉庫を見た。何か違和感を覚えて目を凝らすと、倉庫の高い位置にある採光のための小さな窓が壊れていた。ちょうど人一人がはいれるぐらいの大きさの穴が空いて、壊れていた。
「……ありがとう」
「なんだよ、しつけぇな。
おら、命拾いたんだ。さっさと家に帰れ」
女は言われて、小首をかしげた。
「なんだよ」
「どうやって、帰ればいいのかしら?」
「……おい」
デイトの冷たい視線に、女は仕方がないじゃないと小さく口を尖らせる。
「来る時は大きな袋に入れられていたし、こんな場所、来たことがないんですもの」
「……そうかい。じゃ、騎士様でも見つけて頼るんだな」
デイトはそう言って手をひらひらと振り、その場から去ろうとする。
だが女がその服の裾を掴んで、それを阻んだ。
「おい、なんだよ」
「この子、重いのよ」
「は?」
「重いのよ」
「それは、あれか? 重いから抱き抱えて騎士を探して歩きたくないってか?」
女はこくりと頷いた。
自慢ではないが、普段はナイフとフォークよりも重いものは持たない生活をしているのだ。女はポーカーフェイスのため傍目には分かりづらいが、今この時点で実はもう腕が限界にきているのだ。プルプルと震えているのだ。
「……つまり、あれか。俺にその小便臭いガキを抱いて一緒に家探しを手伝えってか」
女はこくりと頷いた。
「ふざけんな、バーカ」
デイトは吐き捨て、そしてそれから少しばかりのやり取りをして、少女を抱き抱えて女と一緒に倉庫街から出ることとなった。
「……何をしてるんだろうな、俺は」
「ねえ、新しい服に着替えたいんだけど」
「本気でワガママだなテメエっ!?」
******
少女を担いだデイトは女の歩みに合わせて、のんびりと倉庫街から街の中心へと足を向ける。
「そう言えばこれ、アンタの子か?」
「いいえ。私の子ではないわ」
「そうかい」
デイトが頷き、話はそれで途切れた。
そして二人はそのまましばらく歩いた。
「なんでそんな事を?」
「髪の色が違うからな」
「そう」
女が相槌を打ち、話はそれで途切れた。
そして二人はそのまましばらく歩いた。
「なんで庇ったんだ」
「……何が?」
「……いや。なんでもねぇ」
デイトは気の迷いだと質問を飲み込んだ。
そして二人はそのまましばらく歩いた。
「姪。あと、八歳だから」
「は? なんだそりゃ」
「……」
女の答えをデイトは理解できなかったが、女がそれ以上答えることはなかった。
そして二人はそのまましばらく歩いた。
「……ねぇ」
「なんだよ?」
「まだ歩くのかしら?」
「まだ二キロも歩いてねぇよっ!!」
たった二キロだが、時間にして二十分以上は歩いていた。
自慢ではないが女は普段から家に引きこもっているので運動不足なのだ。
「ちっ。倉庫街はそろそろ終わりだ。確か公園があったから、そこで休憩できる」
「ええ。あと服も」
「わかった。わかったよ。くそっ、本当に何をしているんだろうな、俺は」
******
倉庫街を抜けた二人は手近な公園で一息ついた。
ベンチに少女を寝かせ、その傍に女が座る。三人掛けのベンチはそれで埋まり、デイトは背もたれに体重をあずけた。
「ねえ、お水が飲みたいんだけど」
デイトは額に青筋を浮かべ、無言で水飲み場を指さした。
持ってきてはくれないようなので、女は水を諦めた。
「……なんだか騒がしいわね」
「そうだな。ああ、あれは騎士だな。ちょうどいい」
公園で休んでいると遠くから雑多な足音が聞こえてきて、そちらに意識を向けると多くの騎士たちが倉庫街に入っていくのが見えた。
デイトはこれで面倒な子守から解放されると、騎士たちに向かって走った。
「おい、あんたら」
しかし騎士たちは急いでいるようで、デイトの言葉を無視して倉庫街へと走っていく。デイトの額に浮かんでいた青筋が大きくなった。
「おい、話を聞けよ」
デイトは強引に騎士の一人に掴みかかり、騎士が煩わしげに振り払うその手を取って捻りあげ、地面に転がした。
途端に周囲を走っていた騎士たちの目の色が変わり、デイトを取り囲む。
「どういうつもりだ貴様、我々は公務中だぞ!!」
「知らねえよ。迷子があそこに居る。連れて帰れ」
「――っ!! この緊急時に。詰所に行け! 馬鹿者がっ!!」
そう口にした騎士は次の瞬間、デイトに蹴り飛ばされた。
「バカはテメエだ。あれがお前らの探してるガキだろうが」
デイトの暴行に騎士たちは殺気立ち、幾人かはその手の剣を抜きデイトに向けた。ただ幾人かはその言葉に気を引かれ、ベンチの女と少女を見た。
「おい、あれ……」
「もしかして本当に……」
「確認しろ、早く!!」
騎士たちの中でも立場のあるものが声を張り、指示を飛ばした。
「ふん。馬鹿が。さっさとそうしろってんだ。
――おい、いつまで剣を向けてるんだ。ぶち殺すぞ」
「……剣を収めろ」
デイトの言いように腹を立てる騎士もいたが、命令に従い剣を鞘に収めた。その顔には不満が浮かんでおり、命拾いをしたことには気づいていなかった。
「間違いありません。ルヴィア・エルシール様と、エルメリア・エルシール様です!! お二人とも無事です!!」
「そうか。よかった。
キミ、詰所にきたまえ。事情を聞かせてもらおう。名前は?」
「うるせえな。知るか」
デイトはそう言って手を振り、その場から離れようとして、騎士の数人がその行く手を塞いだ。
「おい。邪魔すんなよ」
「……すまないが、君は重要参考人だ。簡単に解放するわけにはいかない」
そう口にした騎士の所に、別の騎士が駆け寄り何事かをその耳に囁いた。
「……お嬢様方が捕らえられていたと思わしき倉庫に、主犯格の四名の死体があった。君がやったのかね」
「さあな。テメエで調べろよ、騎士様」
「人助けとはいえ、それを証明できなければ君は人殺しの重罪人だぞ」
「へぇ……。それで? どうするってんだ」
現れたその時から不遜な態度を取り続け、さらに挑発するような物言いを繰り返すデイトに、周囲の騎士たちが殺気立つ。
数人の騎士は、一度は収めた剣に再び手をかけた。立場のある騎士は今度はそれを止めなかった。令状はなく、直接的なの抵抗はしていなくても、現場の判断でこの重要参考人を力尽くで拘束するのも仕方なしと考えたためだ。
だがそれはこの場にいる全ての騎士の死につながる判断でもあった。
「やめなさい!!」
しかし実際にその結果が表れることはなく、制止する声が割って入った。それはデイトが助けた女の声だった。
「その人に剣を向けては駄目」
「……ルヴィアお嬢様、ここは危険です。お下がりください」
「ええ、でもその人に剣を向けては駄目」
「わかりました。丁重に対応いたします。ですからどうか、お下がりください」
ルヴィアは数人の騎士から半ば力ずくでその場から引き剥がされる。
立場のある騎士はやりにくそうな顔で改めてデイトに向き直った。
「お嬢様の言いつけだ。命の恩人である君のことは丁重に扱わざるを得ない。エルシール家のご当主様からは十分な報酬を頂けるだろう。こちらも仕事なんだ。すまないが協力してくれないだろうか」
「……あいつ、守護都市を知ってるのか」
箱入りのお嬢様にしか見えないのに意外だと、デイトはそう呟いた。
騎士はデイトが命の恩人だから手荒な真似をしないでと懇願したのだと受け取ったが、デイトは女がそれを口にした理由に気づいていた。
デイト・ブレイドホームは殺人を楽しむ悪党であるが、しかし何の理由もなく殺人を犯す無差別殺人鬼ではない。
そこには義兄のジオと同じようにルールがあった。もっともそのルールはジオよりもよほど簡単に条件が満たされるようなものであったが。
そしてそのルールに基づくならば、最初の抜剣は殺意がなく、またここが守護都市でないことも加えて見逃すに十分だった。
しかし明確に敵意を抱き、改めて抜き身の剣を向けてくるなら話は別となる。
「……何を言っている。とにかくこちらに――」
「ああ、やなこった。俺は帰る。邪魔するならぶっ飛ばす。理解したら道を空けろ」
騎士のこめかみに青筋が浮かぶが、手荒な真似には踏み切らない。
この商業都市に住むものでエルシール家を恐れないものはいない。ゆえにその当主が溺愛する末娘が大事にしろとはっきり口にした相手、それも命の恩人に無礼を働くのは二の足が踏まれるのだった。
対してデイトも力尽くで道を開けるのを躊躇っていた。
ここで騎士を蹴り飛ばし、襲って来るであろうこの場の騎士すべてを気絶させる――あるいは殺す――ことは難しくない。時間にしても五分とかからないだろう。
とは言えそれはデイトの主義に反する所がある。
無抵抗な相手を殴ることに抵抗はないが、現状はデイトにとってとても不本意な状況だ。
クソみたいな女の、馬鹿な依頼に従い、クソ女の下手くそな依頼の出し方のツケを払う羽目になった。
このふざけた状況に、デイトの殺る気は最底辺にあった。
殴られれば殴り返しただろうが、わざわざ自分から殴りかかる気はなく、さりとて面倒な騎士の話に付き合う気もない。
状況は硬直状態に有り、しかしその時間は長くは続かなかった。
「これはどういう状況か」
新しく現れたのは五十代の身なりのいい男で、ギルド上がりらしい実力者を後ろに控えさせていた。
もっとも実力者といってもせいぜいが中級上位で、デイトからすれば騎士よりはマシな程度といった印象だった。
「ダイアン様。その、こちらの方がお嬢様方を助けて下さいました。それで、その、詳細な話を聞かせてもらおうと詰所までご同行を願っていた次第であります」
「……それにしてはものものしい雰囲気だったな。そちらの君、娘たちを助けてくれて感謝する。報酬は望む物を用意しよう。名はなんという」
「……名乗るようなもんじゃねえよ。助けることになったのは偶然だ。せーれーサマの思し召しにでも、感謝するんだな」
デイトの不遜な物言いに、しかしダイアンも護衛たちも気にした様子はなかった。いや、正確に言えば護衛たちは実力があるからこそ、デイトの不遜さを認めざるを得なかった。
そしてダイアンは実力こそ見抜けなかったものの、デイトが侮ってはいけない危険人物だと警戒していた。
「……そうか。精霊様には毎年十分な額を寄付させてもらっているが、このような幸運を導いてくれるならば、より一層の献金をするべきだな」
「好きにしろよ。俺には関係ない」
デイトはそう言ってその場から離れる。騎士がそれを阻もうとするが、ダイアンが手を挙げてそれを制した。
そうして開かれた道から、デイトは悠々と歩いて去っていった。
「宜しいのですか、ダイアン様」
「止められはしない。そうだろう?」
「……はい。血の匂いの染み付く危険な男です。おそらく全員でかかっても敵わないでしょう。
ご当主様は、あの男をご存知で?」
「……いや、知らんな」
護衛の言葉に、ダイアンがそう答えた。そう言ったあと、あの男のことは忘れるべきだと言わんばかりに、話題を変える。
「それで、娘たちはどこか」
「こちらです。お召し物が汚れておりましたので、近くの店を借り着替えをなさっております」
「そうか、案内せよ」
騎士は恭しく礼をすると、ダイアンとその護衛を先導した。
騎士&護衛「人助けをして、恩に着せることもなく去っていく。なんて高潔な戦士だ。彼こそが戦士のあるべき姿だ」←デイトが騎士を蹴り飛ばしたところを見ていない人たち
デイト「へっ。照れるぜ」
セージ「……悪党のくせに」
デイト「あ゛?」
セージ「は?」
ジオ 「……だからお前らは――」
S&D「「――馬鹿(親父)は黙ってヘブシっ!!」」
ジオ 「……ふん」←無言で二人を殴り飛ばした