185話 その女の人とだけはフラグを立てないでください
デイトパート始まります。
そんな訳で暴力描写、残酷な表現にお気をつけください。
そこは商業都市にある貸し倉庫の一つ。
時刻は昼間だが保管されている物のことを考えて採光のための窓は小さく作られており、中は薄暗い。
多くのコンテナ積み重なれたその隙間で、小さなランタンで最低限の光源を作り、五人の人間が集まっていた。
三人は男。
二人は女。その中でも片方は幼い少女だった。
そしてその二人は両手両足を縄で縛られ、地面に転がされていた。
幼い少女は涙を流して女にすがりつき、女は感情のない冷たい目で男たちを眺めていた。
「遅い。遅いぞ。カルロはいつになったら戻ってくるんだ」
「おい。声が大きいぞ、ケイン」
そう窘められた男――ケインは、はっとした表情になって声量を落とす。
「だが遅い。もう約束の時間から一時間も過ぎているんだぞ」
「……計画は、失敗かもしれないな。逃げたほうがいいんじゃないか」
「そんな。ここまで来て今更。あいつらに一泡吹かせるって決めただろう」
「わかってるさ。ただこいつらを殺して、その死体を送りつけるぐらいで満足するべきじゃないのかって言ってるんだ」
殺すという単語に、縛られた少女が背筋を震わせ一層怯えて女にすがりついた。
女はそんな少女に目もくれず、しかし迷惑そうにするでもなく男たちを観察していた。
男たちの名はケイン、カイト、ブック。年の頃は同じで三十代半ば。どこにでもいそうなくたびれた労働者のような印象だった。
「おい。何だその目は……」
女の視線に気付いたブックが、低い声でそう言って睨みつけた。
「ごめんなさい」
女は気にした様子もなく、淡々と謝罪の言葉を口にした。それがブックをさらに苛立たせた。
「馬鹿にしてるのか。テメェ……」
「おい、よせよブック」
「だって、こいつらが、こいつらが……」
「わかってる。わかってるさ。俺も同じ気持ちだ。でもこいつを殺すのはまだ早いだろ」
「でも、これ以上カルロが遅れるなら……」
「……大丈夫だ。
カルロはこういう時に頼りになる男だろ。信じろ。今度もきっとうまくやってくれる」
ケインの言葉に、一応は納得して二人は黙った。
それからしばらく、無言の時間が流れる。
それに耐え切れずに口を開いたのは、ケインだった。
「なあ、あんた。〈ポートマン商会〉って知ってるか?」
「いえ、知らないわ」
聞かれた女は、正直にそう答えた。
「はは。そうか。そうだよな。あんたみたいなお嬢様が、うちみたいな小さな商会のことを知ってるわけがないよな」
そう言って、ケインは拳を震わせ、コンテナを力いっぱい叩いた。
ガシャンと、大きな音が静かな倉庫内に響き渡り、少女がその音に怯えすくんだ。
「でもな。俺の商会はお前の親父に潰されたんだ!! 糞がっ!! 呑気に良い暮らししやがって!!」
倉庫の中に、ケインの声が響き渡る。
「事務所のあった家に火をつけて、中に、中には俺の家族がいたんだぞ。ご丁寧に殺されてたってさ。火をつける前に。ふざけやがって。十五年。十五年真面目にやってきて。そっちの要求を断ったくらいで、なんでこんな事をっ……」
ケインの慟哭に、部下であった二人の男が沈痛な表情で押し黙った。
そしてそんな男達に、それまで震えていた少女が声を上げた。
「ば――」
その言葉は小さいものだったが、しかし静まり返った倉庫内に子供の高い声はよく響いた。
男たちの視線が集中し、それでも勇気を振り絞って少女は言葉を発した。
「バカじゃないの。そんなの、お祖父様がやったかどうかなんて、わからないじゃない。お祖父様は、そんなひどいことする人じゃ――」
ガシャンと、大きな音が少女の言葉を遮った。
ケインがもう一度コンテナを殴ったのだ。強く殴りすぎて、その手は赤く腫れ上がっていた。
「やったんだよ。お前の爺さんは。ぶち殺すぞ、クソガキがっ!!」
殺意で目を血走らせて、ケインは少女を脅した。
いや、それはけっして脅しではない。
心のどこかでケインは分かっていた。
相手にしているのは商業都市でも最大の勢力を持つ名家、エルシール家。
商業都市の表も裏も牛耳っていると黒い噂をされる家で、騎士やマフィアもその家名を聞けば怯えて大人しくなる。
そんな家で大事にされている末娘と、次期当主の子である孫娘を身代金目的で攫ってきた。いや、狙いは孫娘だけだったが、成り行きで女まで攫う事になった。
捕まれば死刑になるだろう。
だがそれでもケインは我慢ができなかった。人の家庭を、商会を奪って、そうだと言うのにその家のやつらがのうのうと代わり映えのない豊かな日々を続けている事が。
「そうだ。カイトの言うとおりだ。逃げた先のことなんて考えずに、最初からこうしていれば良かった。
これは、正義の鉄槌だ」
ケインはそう言うと、ナイフを抜いた。
「ひぅっ!!」
怯える少女の前に、もぞもぞと縛られた体で女が前に出た。
「何のつもりだ……」
「私から殺しなさい」
女は感情のない目でケインを見返した。
血も涙もないエルシール家の悪魔が、まるで家族愛のようなものを見せつけてくる。
ケインの頭の中は真っ赤に染まった。
そんなケインを、女は黒い瞳で真っ直ぐに見つめた。
その冷たく澄んだ黒い瞳はまるで鏡のようで、ケインの見たくないものを写しているかのようだった。
「ああ、死ねよ。すぐにガキも同じところに――」
「――うるせえなテメェ!!」
ケインの言葉を遮って、怒りに満ちた声が響き渡った。
どこから聞こえてきたと男たちは周囲を見渡すが、声は倉庫内を反響したためその出処が掴めなかった。
「こっちだ、馬鹿が」
その声と同時に、一人の男が積み上がったコンテナの上から降ってきた。
男の容貌は薄暗くはっきりしない。しかしそのシルエットは長身痩躯で、飢えた獣か、あるいは幽鬼のような危うさを漂わせていた。
「人が寝てるところでギャーギャー騒ぎやがって、ぶち殺すぞ」
男の不機嫌そうな声に男たちは目配せをし合う。
前に出たのはブックだった。
彼はもともとケインとカイトの幼い頃からの友人だったが、皇剣になるという夢を抱いて守護都市に上がっていた。
その夢は叶うことなく、しかし守護都市中級という立派な実力と実績を持って地元に帰り、友人の商会に守護都市で相棒だったカルロとともに用心棒として雇われた。
守護都市中級は八十万人の人口を有する商業都市においても、たった五十数名しかいない選ばれた実力者だ。その二人を有するからこそ、ケインの小さな商会はエルシール家に強気の交渉をすることができた。
こうした荒事の場面では、誰よりも頼りになる男だった。
「戻ったぞ――、どうした?」
ちょうどその時、入口の扉が開いて男たちの待ちわびていた男が、カルロが帰ってきた。
「目撃者だ。殺せ」
「――っ!! わかった」
外縁都市のハンターでは決して敵わない中級相当の戦士から挟み撃ちの形になった痩身の男は、しかし何ら慌てる様子を見せることはなかった。
いいや、慌てるどころか小さな灯りの中で浮かび上がるその男の口元は、歪に笑みすら浮かべていた。
「くはっ。わかりやすくていいな、お前ら」
「狂人か? だが、悪く思うなよ。こっちも必死なんだ」
「ああ、いいぜ。さっきそいつも言ってただろう。正義の鉄槌だって。強い奴は正義だ。だから弱い女子供を好きに出来る。
ああ、正義ってやつは素晴らしいよな」
ギリと、ケインがその皮肉に歯噛みした。
望んで悪事を働いている訳では無い。そうしなければならない事情があった。
親友の悔しさに応えるように、ブックとカルロが同時に襲いかかる。
コンテナに挟まれたその空間はとても狭い。大人ふたりが並べるかどうかといったところだ。自由な立ち回りなどできるはずもない。
長年パートナーを組んでいた二人の息は、こんな突発的な状況でも完全に一致している。
ブックの振り下ろす長剣と、カルロの長剣の刺突。
ハンターではどちらか一方を防ぐこともできず、同格の中級の戦士とて両方に対処することはできないと言い切れる、二人にとっての必殺の一撃。
だが男たちには誤算があった。
ブックとカルロに匹敵する戦士は商業都市で五十人と少ししかいない。二人がかりでも勝てないであろう守護都市上級はたったの二人で、その容貌はよく知られている。
だからこの場に現れた男はそうでないと、そう判断した。ダガーを持っていて、その立ち姿から荒事の経験があると察していながら、確実に殺せると楽観視していた。
それが大きな間違いだと、二人は致命傷を負う事で思い知らされた。
ブックの振り下ろした一撃は脳天にこそ当たらなかったが、鎖骨を断ち、その刀身は心臓にまでくい込んだ。
カルロの体に、くい込んだ。
カルロの刺突は心臓は捉えられなかったが、多くの臓器を有する腹に突き刺さり、背を抜けて貫いた。
ブックの体を、貫いた。
「あ゛……」
「が……」
二人は抱き合うように重なり合い、その手に握った凶器で互いの体に致命傷を与えた。
何がどうなったのかわからない。何でこうなったのかわからない。何かをされたこともわからない。
ブックもカルロも、何もわからなかった。
「遅すぎんだよ。ま、楽にしてやる」
それでも、ここで死ぬことだけは理解させられた。
男は、デイト・ブレイドホームは目にも止まらぬ速度でダガーを抜いて、二人の男の首を落とした。
そしてデイトはケインとカイトに向かって歪な笑みを浮かべる。
「さて。俺を殺せといった以上、俺に殺される覚悟は持ってるよな」
カイトは即座に動いた。ナイフを女に突きつけ、人質にしようとした。
人質が通じるかどうかなど考えていない。ただそうでもしないと生き残れないと、本能がそう行動させた。
正確には、そう行動しようとした。
それなのに女を抱えようとした伸ばした左腕が無くなっていた。
女に突きつけようとしていたナイフが、右腕ごと無くなっていた。
ゴトリゴトリと、何かが落ちる音がした。二つのモノが落ちる音がした。
カイトは振り返ってソレを確認し、腕をなくした両肩から血を噴き出して、痛み以上の恐ろしさに気を失って力なく床に倒れた。
「いやぁぁぁあああああああ!!」
少女が泣き叫び、広がり近寄ってくる血だまりから遠ざかろうと必死に身をもがいた。
対して女は、その血だまりの中へと這っていった。
男たちの中で唯一残されたケインはあまりのことに呆気にとられていたが、少女の悲鳴で我に返ることができた。
「な、なんだお前」
「あん? なんだよ、今更。そうだな、正義の味方かな」
嘲笑を浮かべるデイトを、憎しみと怯えの半々でケインが睨む。
「くっ。エルシール家の手のものか」
「……知らねーよ、そんな家」
「だ、だったら何故」
「馬鹿じゃねーの。最初に言ったろ、寝てるところを邪魔したのがムカつく、死ねってよ。お前も俺を殺しに来たんだ、それぐらいの事でがたがた言うなよ。ぶち殺すぞ」
デイトに言い分に、ケインは愕然とした。
「そんな理由で、そんな理由で、三人を……」
「あ? 殺す殺されるにご立派な理由求めんなよ。これだから平和ボケしたバカは嫌いなんだ」
そう言ってデイトはケインに歩み寄る。
「ま、待て。金をやる。こいつらは金になるんだ。一緒に一儲けしないか。あんたとならきっとうまくやれる。だから――」
ケインが言い終わるよりも早く、デイトのダガーが心臓を貫いた。
「――あ」
「ガタガタうるせえよ。ぶち殺すぞ」
念のために、デイトはぐるりとダガーを捻って心臓を丁寧に壊した。
「ぁ――」
そのあまりの痛みに、ケインは悲鳴すら上げられない。
そしてその命が燃え尽きるわずかな時間に、かろうじて聞き取れるほどの小さな声で、
「そうそう、殺される理由が欲しいんだったよな。
テメエの家族を殺して焼いたのは俺だ。よかったな。家族と同じ相手に殺されて」
決して許せぬ言葉を聞いた。
怨嗟の声は上げられない。怒りの声は上げられない。報復をしようにも指先は震えるだけで力が入らない。
だからケインは最後に動かせる視線だけで、デイトにあらん限りの怨嗟と憎悪の想いを叩きつけた。
その生涯に禍いあれと呪って、そして力尽きた。
「……ふん」
デイトは死体となったケインからダガーを抜くと、女と少女に向き直った。
「ひぃぁっ。助けて助けて助けて……」
お祖父様精霊様ごめんなさいいい子にしますなんでもしますだから助けて、と少女は小便を漏らし、泣きながら繰り返した。
そんな少女をかばって、女が立ち上がった。
女はカイトが床に転がしたナイフを拾って、自身を縛っていた縄を断ち切っていた。
女の黒い瞳は、なんの恐怖も浮かべずにデイトを真っ直ぐに見つめていた。
「……別に女子供を殺す趣味はねぇよ」
デイトはそう言って肩をすくめると、女の横を通り抜け、その手のダガーで少女の縄を切った。
「ぁう……。たすけてくれるの?」
「あん? なに言ってるかわかんねーよ、バーカ」
涙目の少女は、デイトの言葉に再度泣き出した。
「なんだよクソっ。なんで泣くんだよ、ふざけんな」
悪態をつくデイトを、女が無感情な目で見つめる。無感情だが、しかしデイトは責められている気分になった。
「なんだよ。俺が悪いのかよ。クソっ。おい、泣くんじゃねえよ。ああもう、うるせーしくせーし面倒くさいなガキが」
小さな溜息をついた女がデイトの横を通り抜け、少女を抱きしめた。
少女は女の胸でしばらく泣き続け、しかし少しずつその泣き声は小さくなり、次第に力を失って眠りについた。
「泣いたり眠ったり、忙しいガキだな」
「ずっと囚われていたから、疲れてたのよ」
「ふん」
デイトはそう鼻を鳴らすと倉庫から出ていく。
女は少女を抱いて、それについて出て行った。