180話 ストーカー嫌い
「……昔の恋人さん、ですか」
「……うん。高校の時に、初めて付き合った男の人」
シエスタさんは兄さんの視線を気にしながら、正直に男との関係を語った。
男の名前はエリック・エリクトン。シエスタさんと同い年の二十七歳で、同じ学校に通っていたらしい。
ただ男女の関係は性格が合わなかったこともあり高校生時代に解消されている。
ただ大学時代には時折姿を現して関係の修復を迫ったらしい。基本的には断っていたのだが、暴力に訴えられることもあってなし崩し的に関係を持つ機会もあったとの事。
ただそんな関係が長続きすることはなく、大学を卒業して就職してからは完全に縁をたっていたらしい。
シエスタさんが就職したのが五年前だから、その間ずっと片思いをしていたということだろうか。
エリックさんのその心理は想像もつかないが、困ったことにその感情が私には読み取れてしまう。
シエスタさんに強い劣情を持っており、シエスタさんが自分のそばにいないのはおかしいと、そんな確信を持っているのだ。
ちなみにそのエリックさんは外に放置している。まあ私の魔力感知でロックオンしているので逃げられる事もないだろう。
いや、脳震盪を起こしてグロッキーなので、そもそもまともに立って歩けるかどうかも怪しいけれど。
「それで、どうしましょうか? 言って聞くような相手には見えませんでしたが」
「えっと、放っておいたらダメですか? 私としては、あいつとは関わりたくないんですけど」
「……何をするかわからないですからね。彼は一般人なのでシエスタさんを狙うのならこちらで対処できますが、シエスタさんの家族を狙われると困ります」
「え、いや、それはさすがに無いんじゃないですか?」
「だといいんですが……。どうも彼は追い詰められているようですから。
理性的でないことをする可能性は高いかと」
何しろ私の前世は思いつめたストーカーに殺されて終わっている。いや、本当の意味で殺したのはデス子だが、部下の女を想っていたらしきストーカーがその手を下したのも事実だ。
……部下が婚約し、そのストーカーに殺された。
兄さんが婚約し、ストーカーが現れた。
妙な縁を感じてしまう。さすがに偶然だと思いたいけど、他人の恋路を応援して誰とも知れぬ馬の骨に蹴られて死ぬとか惨めなので、二回目は遠慮したいところです。
いや、どう考えてもエリックさんに殺される可能性はなさそうだけど。
「両手両足の骨を砕いて森の中に捨てますか? あとは魔物や獣が処理をしてくれるでしょう」
「マリアさん、それ普通に殺人です。犯罪行為です」
「……わかっています。冗談ですよ」
やや気まずそうに目をそらしたマリアさんの過激な考えは――不本意ながら――守護都市の荒くれ者の思考ということで理解ができてしまうが、私以外の人間はそうではなく、完全にドン引きしていた。
「……とりあえず、話をしてみよう」
「え? いや、それは止めたほうがいいんじゃないかな」
兄さんが積極的な事を言うが、あんまり恋人の元カレと話なんてするもんじゃないと思う。
どうしたって生々しいこと想像してしまうだろうし、そういうのは二人の関係を思えばいいことじゃないと思うのだ。真実を知ることが全てじゃないとか、そういう感じの理屈で。
「お前は心配しすぎだ。シェスに恋人がいたってことは知っていたよ。
……それに言葉で説得できるなら、その方がいいさ」
「……ごめんなさいね、うちの子がしゃんとしてないから」
「ご、ごめんなさい」
「いいよ。シェスが悪いってわけじゃないと思うから」
しれっとシエスタさんをフォローし、お母さんの心をつかむお兄様、流石です。
******
そんなわけで、みんなで家を出ました。
そして玄関先でゲーゲー吐いているエリックさんがいました。
「さすがに、やりすぎたんじゃ……」
「家主の許可無く家に押し入った犯罪者ですよ。殺されなかっただけでも感謝して欲しいですね」
シルクさんの言葉に返すマリアさんの声は冷たい。
そのせいで家主であるところのトレンさんをはじめ、平和な村の家族からそれは過激すぎないかと、不信感を持たれている。
「あー……。理解してもらうのは難しいことかもしれませんが、積極的な自衛という意味でマリアさんのやった事に間違いはないんです。
彼はポケットにナイフを忍ばせており、凶行に及ぶ危険もありますので」
「ナイフなんて、どこに?」
「右のポケットに」
端的に答えた。尋ねたトレンさんはエリックさんのズボンの右ポケットの膨らみを見つけ、よく見てるなと感心の声を上げた。
ちなみに観察眼によるものではなく、魔力感知というチートで見つけています。
押し入ってきたエリックさんがナイフという凶器を持っていたことで、トレンさんたちはマリアさんの行為に一応の理解の色を見せてくれた。
なおマリアさんはエリックさんがナイフを持っていたことに気がついていなかったので、その理解は誤解でもあるのだが、まあ結果オーライだろう。
ただ理解はしても目の前で苦しんでいる人が居れば同情してしまうし、いたわってあげたいというのが人情というもの。
シルクさんは家の中から水の入ったコップを持ってきた。
そしてエリックさんの背をさすりながら、そのコップを手渡す。
「あ、ありがとうございます……」
「いいのよ。大丈夫?」
「は、はい……」
エリックさんは渡された水で口をゆすぎ、一口、二口と水を飲んで、少しだけ落ち着いた様子を見せた。
そんなやり取りの中、吐瀉物の匂いが気になるので私は土魔法を使って埋め立て処理をする。私はフォロー力のある八歳児なのだ。
そしてエリックさんは弱っているとは言え、ナイフを持ったストーカーな危険人物。
私はシルクさんとエリックさんとの間に割って入っておいた。
「シエスタさんの昔の恋人の方ですね」
「……なんだよ、ガキが。俺は彼氏だ」
「いや、違うから」
シエスタさんがきっぱりと否定をする。
「なんだよ。何を言い出すんだよ。お前ふざけんなよ」
「ふざけてるのはあなたでしょう。何年も前に終わったこと蒸し返しに来ないで。私はもう婚約もしてるの」
「……僕がその婚約者です。シェスの事は諦めて、恋人には別の人を探してください。迷惑です」
シエスタさんをかばって、兄さんが一歩前に出る。
「ふざっ、ふざけんなよ。こんなガキで騙そうったってそうは行くかよ。俺はお前がいなきゃダメなんだよ。なんでもするから、帰ってきてくれよ」
マリアさんが痛めつけたせいか、エリックさんのメンタルも大分弱っているようだ。
絞り出すような泣きそうな声にシルクさんとシオンさんが可哀想と、同情的になっている。
兄さん頑張れ。
平和な村の中での修羅場が珍しいのか、トート家のご近所さんも何だ何だと寄ってきているぞ。
「あなたにとってシェスが必要でも、それを許すつもりはありません。シェスは僕のものです。誰よりも僕が必要としている。この人は僕のためのものだ」
ノロケきたーっ!!
村の人から歓声が上がる。
そしてエリックさんの精神には大ダメージ。合わせて何故かトリスさんとマリアさんの精神にもダメージが入ってる。
「お、おま、お前なんかガキじゃねえか。お前なんかがシエスタに相応しいわけあるか。
俺は学園都市で、名門ランブリア大学の、名教授ガスター先生の補助講師をやってるんだぞ」
それって凄いんだろうか。威張っているから凄いのかもしれないが、大卒のシエスタさんと大学院生のシルクさんは『なんでそんなことを自慢してるの』と、だいぶん微妙な顔をしている。
「……僕は守護都市の、そしてこの国の英雄ジオレイン・べルーガーの息子ですよ。そして将来、守護都市名家の当主になる男です」
あ、兄さん話を盛った。ちょっとこちらを気にしてる。
うん。突っ込まないよ。突っ込まないから安心してポーカーフェイス続けて。たぶん兄さんならできるだろうから、嘘ってわけじゃないし。
そしてわかりやすい自慢に、エリックさんと、そしてやっぱりトリスさんが打ちのめされている。
あとシルクさんが目を輝かせて、トレンさんがうちの子をそんなところに嫁がせて大丈夫かと心配している。
「お、俺はお前の知らないシエスタを知ってるんだ。お前と違って、同じ学校で、同じクラスで、同じ制服を着て、一緒に過ごしてたんだぞ。
学校帰りに一緒に飯食って。休みの日には何度もデートして。試験前は一緒に勉強もして――」
「――でも、あなたはその思い出を大事にしなかった」
あ、兄さん話をぶった切った。ちょっと嫉妬心が燃えてる。
「だから今、あなたのそばにシェスはいない。
思い出なら僕にもありますよ。出来のいい弟に悩まされて、長男だからと意地を張って頑張ってきた。
シェスはそんな僕のそばにいてくれた。僕が頑張るのを手伝ってくれた。頑張らなきゃいけないんじゃなくて、頑張りたいんだって気持ちにさせてくれた。それに気づかせてくれた。
それは僕の大事な思い出で、その思い出を、シェスの事を、僕は大事にしていきたい。
だからあなたは、諦めてください」
「ふざ、ふざけんなよ……。くそ、くそ、俺は、俺はシエスタの初めての男なんだぞ!!」
その言葉に、シエスタさんが顔を青くする。兄さんはそんなシエスタさんに振り返ると、抱き寄せてキスをした。
ベロチューだった。シエスタさんは公衆の面前ということで最初は抵抗したが、すぐにその力を失って、兄さんのベロチューに応えた。
そしてそのまま二人は一分近くベロチューをした。
「今は、僕のだ」
熱烈なキスを終えた兄さんが、ゆっくりと小さな子供に言い聞かせるようにそう言った。村の人と女性陣が興奮した様子で歓声を上げる。
そしてこのイケメンっぷりにはエリックさんをはじめ、トレンさんとトリスさんも敗北感に打ちのめされていた。
流石です、お兄様。
でもちょっとやりすぎだったので、私は隣にいたシルクさんを押しのけて、エリックさんから距離を取らせた。
「え?」
「くそがぁっ!!」
シルクさんの呆気にとられた声と、エリックさんの叫び声が重なる。そして遅れて息を呑む声や悲鳴が響き渡った。
私がエリックさんに羽交い締めにされ、首筋にナイフを突きつけられたからだ。
ちなみに避けることも反撃することも簡単だったけど、今回の私は流石です、お兄様と褒めたたえるのが仕事なのでスルーしました。
いや、べつに羽交い締めにされた今の状況からでもどうとでも出来るっていうのも理由なんだけどね。
ぶっちゃけ何の魔力も通っていないナイフじゃあ薄皮一枚だって傷つきませんよ。
ただそんなことはわからないシルクさんたちは素直に悲鳴を上げて心配しています。うんうん。ちょっと見習って欲しいよね。
マリアさんとか兄さんとか、何の心配もしてくれないし。
シエスタさんは大丈夫だってわかっててもちゃんと怒ってくれているのに……って、あれ?
シエスタさん、なんだか怒りすぎてませんか?
私、別になんの危険もないんですが。
「シエスタぁ。こっち来いよ。このガキがどうなってもいいのかよ」
……わぁ。エリックさん、最低だ。
「あの、八歳の子供を人質にして、恥ずかしくないんですか?」
「うるさい黙ってろ!!」
エリックさん目が血走ってます。やばい感じです。
ここで私は兄さんとアイコンタクト。
いや、別にどうとでもできるけど、今回兄さんがなるべく平和的に解決したそうにしてたから、私もそれに倣おうかと思っていたのだ。
そもそも恋人の問題だし、兄さんに全部任せようかなーと。
兄さんはこっちの意図を理解したようで、両手を挙げて降参のポーズを取った。つまり、私に任せるってことでいいらしい。
ちなみに護衛仲間のマリアさんは、兄さんのノロケが始まったあたりから完全にやる気をなくしています。
ごめんね。今度親父とデートできるように取り計らうからね。
さて、それじゃあお許しも出たことだし、さっさと殴って警邏騎士に引き渡して終わりにしよう。
ストーカー規制法があるかどうかは知らないけど、住居不法侵入と殺人未遂の現行犯は確実だし。目撃者もたくさんいるし。
というかね。
私だから良いようなものの――いや、私だから良いわけでもないんだけど――八歳の子供にナイフを突きつけるなんて危険すぎる。エリックさんに私を殺す意思はないけど、脳震盪から回復しきっていないんだから手元が狂ったり、あるいは激情からつい殺ってしまう可能性は十分にあるのだから。
そんな訳で悪党を一発ぶん殴って終わりにしようと思ったら、シエスタさんが一歩前に出てきた。
私は彼女のその魔力に、寒気を感じた。
「そうだ。こっちに来い」
エリックさんがシエスタさんが寄って来たことと、兄さんが降参のポーズを取ったことに気をよくしてそう言った。
シエスタさんの憎悪に燃える目つきに気づかず、そう言った。
「そ、そうそう。俺だって別にこんな事がしたかったわけじゃないんだ。お前が素直になれば――」
私の魔力が吸われる。ああ、これ魔力供給だ。私じゃなくて、シエスタさんが自分の意志で私から魔力を吸っている。
そしてその魔力はシエスタさんの右手に集まり、おおきく振りかぶって、
「――何をぶしぇっ!!」
エリックさんを平手打ちにしました。
エリックさんはくるくると回転し、もんどりうって倒れた。
うん。魔力で強化されたとは言え、元は素人のシエスタさんの平手打ちなので、死んではいない。
うん。ピクピクとやばい感じに痙攣してるけど、死んではいない。
「お前みたいなゴミが、汚い手でこの子に触るな!!」
倒れふしたエリックさんに、唾でも吐きかけそうな勢いの啖呵を切るシエスタさん。
……やっぱり、どうにかして契約切る方法見つけないとな。
~~その日の夜~~
アベル「――どうしたんですか、シルクさん」
アベル「――え? これは、服ですか?」
アベル「――ええと、女性ものですね」
アベル「――これがどうかしたんですか?」
アベル「――えっ? シェスの、高校の時の制服?」
アベル「――はっ!! ありがとうございます!!」
↓家の外で不寝番中↓
マリア「……ずいぶんと盛り上がっていますねいやらしい」←深い意味はないが、壁に耳をつけている




