179話 お養父さんと呼ばせてください
「さて、それじゃあ早いけど夕飯の下ごしらえ始めようかね。シェス、あなたも手伝いなさい。お父さんはアベル君と話していて頂戴」
「はーい」
「えっ?」
「私も手伝いましょう」
「あら、いいの? じゃあお願いするわね」
シルクの言葉にシエスタは肯定の返事をし、トレンは呆気にとられた声を上げた。
そして空気を読んだマリアもシエスタたちと共にキッチンへと消えていった。
「ちょ、ま……」
トレンは待ってくださいお願いしますと言いかけ、しかし未来の息子の前で情けないところは見せられないと、その言葉をかろうじて飲み込んだ。
男には時として譲れぬ意地の見せ所があるのだった。
「……ああ、と。アベル君だったね」
「はい。今日は急にご訪問して、ご迷惑をおかけしました」
「いや、迷惑だなんてことは……、その、君は普段何を?」
トレンは差し当たって当たり障りのない事を聞くことにした。そして顔には出ていないが、いきなり仕事を聞いては値踏みしていると思われないかと、内心では怯えていた。
「守護都市にある〈ポピー商会〉で商会代表の秘書を。ただ今は学歴や資格が必要になったので、休みをもらって勉強をさせてもらっています」
「そ、そうか……」
トレンは努めて平静を装って頷いた。自慢ではないが、トレンは守護都市にある商会のことなど何も知らない。というか、守護都市のことをそもそもよく知らない。
聞きかじった噂話などから、荒くれ者たちの楽園で、一般人からするととても物騒なところというイメージが有るぐらいだ。
そんな訳でまともに商売が行われていることすら、今初めて認識したぐらいだった。
そして商会代表の秘書というと、何となくだが立派な気がする。そもそも英雄の息子なのだから立派に違いないのだろう。実際こうして向かい合っていると気後れするのだから、立派に違いない。
「シェスとは、どういう馴れ初めだったのかな」
「……そうですね。彼女が職員寮に入れなかった関係で、住むところを探していたんです。
僕はそこで偶然出会って、アパートを紹介しようと思ったのですが、ちょうど僕の家に離れがあって借家人を探していたので、そこに住んで貰う事になりました。
それからは、朝のジョギングを一緒にやったり、食事を一緒にとったり。
防犯とか経済的なこととか、理由はあったんですが、一緒にすごす機会があって。
その縁から勉強を教えてもらうようになって、親しくなりました」
「そうか……」
トレンは頷いた。そして聞くことが無くなってしまった。
「シェスは、家ではどんな子供だったんですか?」
「え?」
「いえ、僕は子供と呼ばれても仕方のない年齢ですが、シェスの子供時代を僕は知らないので、教えてもらえたらと、そう思って。ダメですか?」
「ああ、いや。そんなことはない。そうだな。そう、あの子は昔から利発な子だったんだが、少し抜けているところもあってな……」
娘のことならいくらでも語って聞かせる話がある。
そして話していれば緊張も紛れるし、なによりニコニコと笑いながら相槌を打つアベルに気をよくして、トレンは堰を切ったように滑らかに話を始めた。
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「仲良くやれてるみたいねぇ」
「そうだけど……、河に落ちた時の話なんてしなくても……」
「蝶を追いかけて河に落ちるなんて、お嬢様でもやらないですよ。ずいぶん可愛らしい子供だったんですね」
クスクスと、からかう様子を隠さずにマリアが笑う。
「小さい頃なんてそんなもんでしょ。もう。ああっ、お父さん!! なんで失敗談ばっかり話すのよ!!」
「だって可愛かったんだもの」
「わかります。うちのお嬢様もそれこそたくさん可愛い失敗をしていましたね」
シルクの言葉に、マリアが大きく頷いた。お馬鹿可愛い子については一家言持っているマリアだった。
「だからって娘の彼氏にする話っ!? ああ、ポエムのことはポエムのことは……ぁぁ、後でアベルにフォロー入れないと」
「ポエムって、残ってるんですか」
ポエムといえば思春期の鉄板アイテムであり、シエスタが十代に書いたそれも例に漏れずそこに含まれている。
そのことをhentaiの嗅覚で察知したマリアが目を光らせる。
「全部捨てたに決まってるじゃない!!」
尊厳の危険を察知したシエスタの言葉に、
「え?」
「え? って何? ねえ、お母さん。私全部捨てたよね。ちゃんと捨てたよね!?」
「えっと、捨ててあったけど、せっかくの思い出だから……」
しかし母親の無慈悲な愛が示された。
「ちょっとーっ!!」
「さすがです、お母様。では、後ほど見せていただけますか」
「ええ、もちろん。アベル君にも見せてあげないと」
「やめて。ちょっと、ほんとにやめて。そんなことしたら本当に許さないから」
食事の支度もそっちのけで、三人も仲良くやっていた。
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「――それであの子は文化祭でね。ああ、大学の頃の話なんだが。ミスコンに出ていたんだが、そこで準ミスに選ばれたんだ」
「ああ、シェスは綺麗ですからね」
「いや、まったく本当に誰に似たんだか。だが娘は準ミスだったのが気に入らなかったみたいでね。ニコニコ笑っていたから傍からはわからないんだろうが、家族から見ると機嫌が悪いのがまるわかりでね。本当に、鼻っ柱の強い子に育ったもんだよ」
「それは、想像できますね。シェスは怒っても笑顔のままでいることがありますよね」
「そうなんだ。そこはうちの妻とそっくりでな。あれも何か気に入らないことがあるとニコニコ笑いながらネチネチと嫌味を言うんだ。まあなんだ、浮気がバレたときは気をつけるんだぞ」
「ははは……。いえ、僕はシェス以外の女性に興味はないですよ」
盗み聞きされているとも知らずトレンは盛大に地雷を踏み抜き、アベルはその地雷を華麗にスルーした。
顔を赤くしたシエスタが母親とマリアに脇をつつかれている中、大きな音が鳴り響いた。
ドアベルが乱暴に鳴らされ、合わせてドンドンドン、と繰り返される乱暴なノックの音だった。
その音で会話は止まり、二人は何だと訝しげな雰囲気になる。
「どうしたんだ?」
「……随分と慌てていますが、もしかして――」
何かあったのか。それはセージだろうか。セージが本気で慌てているのなら、それはよっぽどのことだろう。
それは例えば、あのフレイムリッパーが襲ってきたとか。
「――っ!!」
アベルは立ち上がって玄関に走った。
「お、おい」
トレンの戸惑った声を後ろに置き去りにして玄関の扉を開け、そして見知らぬ男と相対した。
「邪魔だガキが!!」
その男はアベルを押しのけると、そのまま家の中に入ってきた。
誰かは知らないが良くない客だと咄嗟に判断したアベルは、背を向けたその男の肩を掴んだ。
「なっ、ぐっ!! いってぇな。放せ!!」
「どこの誰かは知りませんが、家主の許可もなく家の中に入るなんて行儀が良くないですよ」
アベルはそう言ってから、男の肩から手を離した。
もし家の中に踏み込んでいくようなら再び止めればいい。
一度掴んだことで男が魔力を持たない一般人であると確認できたので、いざとなっても取り押さえるのは簡単だと判断した。
「お前、こんなことしてタダじゃ置かねぇぞ」
「はあ……。とりあえず、あなたはどこの誰ですか」
「うるせーな!! 肩にアザが出来てるだろうが!! 謝れよ!!」
「……」
アベルは無言で男を睨んだ。力ずくでも追い出すべきだと思うが、この家にとってこの男がどういう人間なのかがわからない。
謝る気はなかったが、しかし強引な手段に取る決断もつかなかった。
「何だその目は……。ぶっ殺すぞガキが……!!」
男は荒らげた声の恫喝に、遅れてやってきたシエスタたちが目を見開く。
「げ」
そして、男を見たシエスタが、心底嫌そうな顔に変わる。
「シエスタ」
男は逆にシエスタの姿を見て声を上げると、彼女に向かって駆け寄ろうとした。
しかし後ろからアベルがその肩を掴み、そして前からはマリアが手を突き出して制した。
「くっ。何だお前ら。邪魔すんな。関係ないだろ」
「何を言っているのかわかりませんね。私は彼女の護衛ですよ。不審者を近づけないのは当然のことでしょう」
「僕は彼女の婚約者だよ。君みたいな人には近づいて欲しくないな」
男の言葉に、マリアとアベルが冷静に返す。男が反応したのは、アベルに対してだった。
「ふざけるな。シエスタは俺の恋人だぞ。なあ、そうだろう。シエスタ」
「……」
アベルはその言葉に呆気にとられるものの、一応確認のためにシエスタに視線で伺いを立てた。
シエスタは泣きそうな顔で大きく何度も首を横に振った。
「違うようですね。さしずめストーカーですか。なんにせよ興奮しているようですし、少し大人しくしてもらいましょうか」
「なにを――げふっ!!」
男のみぞおちに、マリアの拳が深々と突き刺さった。マリアが本気でやればその拳は体を突き抜けている。つまりは手加減をした一撃ではあった。
もっとも一般人である男からすれば、手加減されているなどまるでわからない重い一撃だった。
そしてマリアはその重い一撃に耐えられず膝をついた男の頭を両手で挟み、指と手首のスナップを効かせて左右にシェイクした。
時間としてはほんの二秒ほど。だがそのたった二秒の間に百回以上頭を振られた男は完全に目を回した。
マリアは完全に力を失った男の首根っこを掴んで引きずり、外に放り捨てようと玄関の扉を開けて、帰って来たセージたちと顔を突き合わせた。
「あら、お帰りなさいませ」
「あ、どうも。……その人は?」
「ゴミです」
セージが尋ねると、マリアは即答した。
「あ、そうですか……。ええと、どうするんですか?」
「家の中を汚されては困るので、外に捨てようかと」
「……ああ、吐きそうですもんね」
「はい。よくお分かりですね」
マリアは豊かな胸を張って勝ち誇っている。セージは褒めたほうがいいのかとも思ったが、しかしとりあえずあっけにとられている人たちを落ち着かせたほうがいいだろうなと思って、シオンとトリスに声をかけた。
「……とりあえず危険はないみたいだし、入りましょうか」
「う、うん」
「守護都市って、ほんとに怖いんだな」
セージとしては異論のあるセリフだったが、悲しいことに否定する言葉が見つからなかった。