177話 トート家にお客様がやって来た
その日、トート家は浮き足立っていた。
家長はトレン・トート。四十半ばの会社員で、最近水虫に悩んでいる。
その妻はシルク・トート。旦那とは同い年で、少々ミーハーな趣味を持っている。
夫妻には三人の子供がいる。
長男はトリス・トート。三人の中の末っ子で、年齢は十八歳。近くの街の高校ではなく、学園都市の高校に進学しており、村の中でも将来を有望されている青年だった。
次女はシオン・トート。二十三歳の学園都市の大学院生で、普段は薄汚れた白衣で過ごす化粧っ気のない女性だが、今日は珍しく身なりに気を使っていた。
そして長女はシエスタ・トート。二十七歳の国家公務員で遠い都市に働きに出ており、毎月欠かさず少なくない金額を実家に仕送りしている孝行娘だ。
そしてその日、トート家に長らく家を空けていたその長女が帰ってくる事となっていた。
紹介したいという、男を連れて。
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「ねえ、トリス。いつまでそんな顔してるの。シェスに怒られても知んないよ?」
次女のシオンが、不機嫌さを隠そうともしない弟のトリスを注意する。
「だって、今まで姉ちゃんが男連れてくるなんてなかったじゃん」
「まあ、ねぇ。つまりはそういう事でしょ。シェスだってもう二十七だし、結婚したっておかしくないでしょ」
言われたトリスは面白くなさそうに顔を背ける。
長女のシエスタはトリスがまだ小さな頃から学園都市で一人暮らしをしており、長期の休暇ぐらいにしかまともに顔を合わせなかった。
だがそれでも姉がとても優秀なのは学校の先生たちから聞き及んでいたし、トリスやシオンが気兼ねなく勉強できるようにと仕送りをしてくれているのを知っている。
尊敬する大事な姉が、男を連れてくる。
それはトリスにとってとても複雑なことだった。
「そうよねぇ……。ご近所の子達はもうとっくに結婚してるのに、いつまでたっても良い人を連れてこないから心配してたけど、これで安心できるわねぇ」
「しかし、手紙には詳しいことは何も書いてなかったが、シェスはどんな男を連れてくるんだろうな」
母であるシルクの言葉に、父親のトレンが疑問を口にする。初めて娘が結婚を視野に入れた男を紹介するとなれば父親として思うところは当然ある。
だが村では二十歳を過ぎれば結婚相手を見つけているもので、トレンが結婚したのも十九の時だった。
都会は違うと聞き及んではいるし、口にすれば嫌われてしまうと分かっているので黙っているが、娘が――シオンも含んでいる――嫁き遅れているのではないかという不安を抱いていた。
そしてもしそうだとしたら、これまで何の連絡もなくいきなり男を連れてくるという事にも、不安を抱いてしまう。
シエスタは気が焦っていて、変な男を連れてくるんじゃないかと。
「シェスは政庁都市の官僚なんでしょ。職場の男じゃない? もしかしたらお父さんよりも年上かもよ」
そんな父親の不安を見透かしたのか、シオンはからかうようにそう言った。シオンは家族の中で唯一シエスタの男性遍歴を知っていたので、それほど心配はしていなかった。
自分と違って恋愛ごともやってきた姉だから、そうそう変な男に騙されたりはしていないだろうと。
「……それは、さすがに反対だな。年上の義息子なんて欲しくないぞ」
「まあ、そうねぇ……。年上って言うんなら、アールさんぐらいまでよねぇ」
「……アールさんって、お母さんたちより年下でしょ。っていうかそれ、アールさんがいいってだけの話じゃない」
アールというのは、一年前から学園都市に留学してきた守護都市名家出身のアール・マージネルの事だ。
優秀な戦士が集う守護都市、その名家出自の名に恥じない実力の持ち主で、学生の身でありながらこの一年間に起きた都市防衛戦に参加し活躍をした、学園都市の時の人だった。
もちろん有名人だから一方的に知っているだけで、トート家で面識を持つ者はいない(ただし長女除く)。
そしてアールはかつて騎士として前線に立っていたこともあり、その当時に広報の仕事で姿絵(アイドルのプロマイドの様なものとお考えください)なども販売されていた。
シルクは若い頃に熱を上げて収集していた姿絵――アールだけではなく、ラウド等、人気のある戦士を多数集めていた――の本人が近くに引っ越してきて、かなりミーハーな熱を上げていた。
ちなみに余談だが、シルクは当時の高名な戦士の中で、とある魔人の姿絵(本人非公認のため、ギルドの公式販売品ではない)だけが手に入らずに悔しい思いをした過去があったりする。
「……はぁ」
「だからトリスはシャンとしなさいよ。相手に失礼だからね」
「うるせーな……」
「なんですって!!」
姉弟喧嘩が発生しようかという時に、家の中に訪問客を告げるドアベルが響いた。
家族が全員顔を見合わせる。
最初に動いたのはシオンだった。
玄関に走り、覗き窓から懐かしいその姿を見つける。
「シェス!!」
「あらあら。もう来たの」
シオンが振り返って家族に教え、そして玄関を開けた。
「ただいまー。あ、シオン今日はちゃんとしてるのね。可愛いね」
「なによ……。おかえり、シェス。それで、そっちの……」
すこし顔を赤らめたシオンがそう言ってシエスタの後ろにいる人たちをみて、言葉に詰まった。
一人目は年の離れた弟よりも幼い青年。
二人目はシエスタと同年代らしきメイド服を着た妙齢の女性。
三人目は青年よりもさらに幼い少年で、なぜか腰に大きな刃物を下げていた。
結婚相手を紹介しに帰ってきたのではなかったのだろうか。シオンは本気で疑問に思った。
******
「はるばる遠くからよくいらっしゃいました」
「いえ。はじめまして。アベル・ブレイドホームです」
シオン同様、トレンの頭の中にも多くの疑問符が浮かんでいたが、しかしとりあえずは話を聞いてみようとアベルたちを応接室に案内し、出迎えた。
「あー、お父さん。色々と説明したいんだけど、まず、ごめん」
「え?」
「私、今は政庁都市で生活してない」
「えっ?」
呆気にとられるトレンに、努めて落ち着いてシエスタが説明をする。
「二年前から守護都市に異動になったの」
「え。しゅご……、えっ?」
「守護都市って、なんでそんな危ないところに」
「いや、うん。なんていうか、なりゆきで。
あ、でも室長になったから、出世したのよ」
室長待遇とは言え、守護都市の監査室は実質的に機能していなかった。なのでその異動はまごうことなき左遷だったのだが、そこは正直に言えないシエスタだった。
「二年も前からって、あなたねぇ……」
「いや、教えると心配するだろうから」
「そりゃあするわよ。手紙の返事がろくに返ってこないから、おかしいとは思ってたけど……。まさか、ねぇ……」
母親のシルクがそう溜息とともにこぼした。
余談ではあるが、シエスタは政庁都市にいた時からあまり手紙の返事を出していなかったので、返事が遅くなっても深刻に悩ませる事は無かった。
「ああ、もしかして今回帰ってきたのって、仕事やめるってこと? 私は別にいいよ。もう学費も生活費もなんとかできると思うし」
「え? 違うけど、手紙に書かなかった? 男の人紹介したいって」
「いや、書いてあったけど……」
シオンはそう言ってアベルたちを見る。セージは当然として、アベルも年齢が離れすぎていて恋人としてはおかしいと思って、マリアに視線を移す。どう見ても女性にしか見えないが、もしかして女装なのか。
よくよく見れば目が少しきつめの野生的な美人だが、同時に少し男っぽさがある。あとは肩幅も女性にしてはある方だ。もしかしたらもしかすると、女装趣味の男の人なのだろうか。
シオンは口に出せば命の危機に陥るようなことを考えた。
「マリアは護衛。友達でもあるけどね。守護都市の上級の戦士よ」
「え、うそ」
「本当ですよ。まあ、ギルドの仕事はしていませんから、元上級ですけどね」
信じられないといった様子で口にしたトリスに、マリアがやんわりと補足した。
さらに付け加えると上級の戦士には相応の義務が付きまとい、ケイの教育係との両立が難しいことからギルドメンバーとしての身分を一時凍結させていた。
もっとも完全に引退したわけではないので、マリアが望めばいつでも現役復帰できる。
「それでこっちの子も護衛。まあ護衛ってだけじゃないんだけど。セイジェンド・ブレイドホームさん。新聞で見たことがあるかもしれないけど、英雄ジオレインさんの息子で、天使の二つ名の実力者」
「……その二つ名は紹介しなくていいんですけどね」
ぼそりと小さな声でセージがぼやいたが、聞きとがめたものはいなかった。
「え? えっと、ブレイドホームというと、ええと、アベル君も」
「ええ。僕はコイツの兄で、養父はジオレイン・べルーガーです」
「「「「えええええええぇぇぇぇぇぇぇぇええっっ!?」」」」
トート家の小さな応接室に、シエスタを除く一家の叫び声が響き渡った。
******
「いや、何というか。
……いや、本当になんというべきか。世間というのは狭いもんですなぁ……」
一息ついて、トレンはそんな言葉をこぼした。
「それで、アベル君だったね。君が、その……」
「はい。シェスと、娘さんとの婚約をお許しいただけるよう、お願いに参りました」
アベルは真っ直ぐにトレンを見つめてそういい、トレンは少なからず気圧された。
相手は我が子よりも幼い少年だったが、その気迫は職場の上司よりも圧倒的に強いものだった。トレンは割と気が弱い方なのだ。
「ああ、うん。……私は別に反対する気はないんだがね、その、君は若いだろう」
「っていうか、シェス、違法じゃない? たしか都市法でそんなのあったでしょ。十八歳以下の子になんとかって、健全育成法、だったっけ?」
「守護都市では合法だから。それにあれは淫らな行為を目的にした交際だから。結婚を視野に入れた健全な交際は合法だから」
目からハイライトの消えたシエスタが、シオンのツッコミに反論をした。シオンは『う、うん……』と納得することしかできなかった。
「……あったんですね。そういう法律」
「守護都市には男女問わずローティーンの娼婦もいますが、他所の都市ではこれが普通の反応でしょうね」
「二人ともちょっと黙ってて」
話を脱線させかけないセージとマリアを、アベルが窘めた。
「……なあ姉ちゃん。そのジオレインって怖いやつなんだろ。無理矢理に言うこと聞かされてるんじゃないのか」
「え?」
「だって、今まで彼氏の一人だって家に連れてきたことないじゃん。それなのにこんなガキいきなり連れてきて。なんかおかしいよ」
「えーと、確かにジオさんは怖いところもあるけど、楽しい人よ。あと、ガキとか悪い言葉使わない」
子供扱いされたトリスは、ふいと、シエスタから顔を背けた。
「とりあえず、私とアベルは今日泊まっていくつもりなんだけど、いいでしょ」
「あ、ああ。まあ、そうだな。そちらのお二人は?」
「うちだと狭くて四人は泊まれないから、ホテル借りた。でも夕食は一緒にお願いね」
トート家の家は田舎の割には手狭な方で、部屋数にもそう余裕があるわけではない。もちろん雑魚寝するスペースは十分にあるが、セージにそんなことをさせる気のないシエスタは村で唯一のホテルをとった。
セージの方も自分はあくまで護衛で、シエスタの家族と仲良くなるのはアベルの役割だと思っていたので、その提案に素直に頷いた。
ただその言葉にシルクが困った様子で口を開いた。
「それはいいけれど、一人しか連れてこないと思ってたから、食材を買い足しに行かないと」
「ああ、それでしたらこちらを使ってもらえますか? 手ぶらでは失礼かと思って、近くの街で少し買ってきました。あと、来る途中にホーンラビットを見つけたので、それも」
「え? ホーンラビット?」
セージは背嚢から食材を取り出し、シルクに手渡す。街のスーパーで買った野菜が数点と、守護都市から持ち込んだお酒(ジオ秘蔵)だった。
「ええ。村はずれの猟師さんに血抜きをして貰っているのがあります。あとでお渡ししますね」
「……ほんとにギルドの人間だな」
トリスが感心したように声を漏らした。
守護都市以外のギルドメンバーは狩人とも呼ばれるように、獣を狩ってその肉を売り、生活費の足しにしている事が多い。
守護都市のギルドでは一般的ではないが、魔物を狩って手土産にするというのは、トリスからするといかにもギルドメンバーらしいと感じられた。
「おじさんの所で? 見に行ってもいい?」
「ええ、構いませんよ。それほど時間はかからないと言っていたので、もう終わっているかもしれません。一緒に行きましょう」
「俺もいいか?」
シオンは小さな狩人とその成果に興味が沸いてそう声をかけ、断る理由もないのでセージは頷いた。トリスも興味が半分、そしてこの場に居たくない気持ちが半分でそう口にした。
「ええ。それじゃあ僕はお二人と一緒に少し出ますね」
セージはそう言って、そして三人で連れ立ってトート家から出ていった。
~~その日の夜・ブレイドホーム家~~
ジオ 「……」←セージがいないので存分に酒盛りをしようと思って地下室を訪れる
ジオ 「……む」←地下室で唸る
カイン「どうした、親父」←様子を見に来た
ジオ 「ジジイの酒がない」←ジジイとは産業都市のカグツチの事です
カイン「は?」←当然だけど分かっていない
ジオ 「ジジイの酒だ。前にもらったやつだ」←勝手に持ってきたとも言います
カイン「……うまいのか?」←たぶん飲んだのを忘れてるんだろうぐらいに思っている
ジオ 「いや、まずい」
カイン「なんだそりゃ」
ジオ 「まずいが、腹が焼けるぐらいきつく、匂いも強烈でな。たまに飲みたくなる」←今日はもうそれを飲む気分だったのにと、モヤモヤしている
カイン「そうか」
ジオ 「……ちっ」←見つからないので諦めてウイスキーを持って地下室から上がる
カイン「……俺も飲んでみていいか?」
ジオ 「……ダメだ」←セージが怖かった
カイン「ちぇっ。ま、仕方ねぇか」←セージが怖かった
ジオ 「ただ、そうだな。今度ジジイに剣を作ってもらうか」
カイン「――は?」←唐突なので、理解できてない
ジオ 「気にするな」←カインの頭を撫でる
その後、ジオとカインとセルビアの夜ふかしはマギーに怒られるまで続いた。
セルビア「土曜なんだからいいじゃない」
マギー 「セージがいないからって、だらしないことしないのっ!!」