175話 強さに焦がれた子供
彼は守護都市という特異な場所に置いて珍しくない生い立ちであり、一般的な視点で言えば不運な境遇に生まれついていた。
夢を見て守護都市を訪れた夫妻が彼を産み、しかし彼が物心つく前に父親は魔物に殺された。
残された母は、子のために身体を売って生計を立てた。
そんな日々を続けて、いつしか母は身体を壊して客を取れなくなった。
よくある不幸な話だった。
しかしそんな母と子には幸運が訪れた。
母が身を寄せる娼館の用心棒が救いの手を差し伸べた。正しくはそこだけでなく、多くの娼館を見て回っていたそうだが、母も子も詳しいことは知らなかった。
その男は多くの妻を持っていて、母をその中に加え子も実子として扱った。
身体を壊していた母はそう長くなかったが、男に囲われてからは安らかな顔をしていた。
それは自分が死んでも子の事を安心して託せるという、男への信頼からくるものだった。
母は幸福の中で死に、子は男の下で多くの血の繋がらぬ兄弟や母とともにすくすくと成長した。
そこまでは、幸運だった。
新たな父は時折、新しく母や子を連れてきた。
それが新しい家族になることもあれば、ほどなく出て行く事もあった。
どうしてと、子は父に聞いたことがある。ここはこんなに良い所なのに、なぜ出て行くのかと。
縁がなかったんだろうと、父は答えた。
それで良いんだと、少し寂しげで、それでいて清々しい顔の父の顔は、子の胸に長く焼き付いている。
そんな父が、ある子供を連れてきた。
その子供は子よりも少し年上で、とても喧嘩の強い子供だった。
父はその子供の世話をつきっきりで焼いた。
子供たちも妻たちもそれを面白くないと感じていたが、その子供はそうしなければならなかったのだと、今ではわかる。
父が目を離していればきっと、その子供は誰かを殺しただろう。父を取られたと嫉妬する妻や子供たちが嫌がらせをすれば、その子供はきっと躊躇いなく殺しただろう。
それほどに危うい子供だった。
そしてその子供は良い意味でも特別だった。
父が引き取って数年で戦士として一人前になり、国を挙げた誉れある大会に幼くして本戦出場を果たしたのだ。
その頃には子も他の家族も、無骨で無愛想でお馬鹿なその新しい兄のことを好きになっていた。
新しい兄はその本戦でも勝ち進み、ついには決勝まで勝ち進んだ。
そしてその決勝前夜、父が殺された。
夜が更けても帰ってこない父に、家族たちは最初は夜遊びでもしているのだろうと思っていた。だが日付が変わり、朝日が登っても父は帰ってこなかった。
新しい兄は何か感じるものがあったのか、夜通し駆けずり回って父を探していた。
しかしその努力は報われることなく、父は結局見つからなかった。
一昼夜を走り回った兄はまだ探そうとしていたが、家族が総出で止めて、大会に送り出した。
父も期待しているからと、振り返って思えばとても無責任で残酷な事を言って。
でもその時はみんな思っていたのだ。
父は決勝まで進んだ兄を喜ばせようと、また悪戯じみた馬鹿なイベントを企画して、そのために心配させるような事になっているんだと。
兄以外の家族は、そう思っていたのだ。
兄は疲労と心配事が祟って決勝ではあっけなく敗れた。
そして疲れ果て傷付いた兄とともに家に帰れば、騎士に運ばれた父の遺体が出迎えた。
それから紆余曲折あったが、家族は離散することになった。
父が、アシュレイ・ブレイドホームがいなくなったことで、本来他人だった家族をつなぎ止める大きな楔が失われた。
そして守護都市は、戦う力の乏しいものには住みにくい都市だった。
妻たちは自らの子を連れて生まれた都市に帰っていった。アシュレイの残した遺産や、兄が得て、そして渡された大会の賞金を分けて。
実母を失っていた子も、親しかった母たちの何人かに、一緒に来ないかと誘われた。
子はそれを断った。
子は生まれてからずっと守護都市で過ごしてきた。
実母と父の思い出は全てこの都市にあった。
兄は父を殺した犯人を探すことを諦めていなかった。
だから子は、守護都市に残った。
子の意思は本物だったが、しかし多くの家族に守られて育った子は、この都市がどれほど危険かわかっていなかった。
子は金を持ってギルドに向かった。そこで止められるのを押し切って登録を済ませ、ちょっとしたご馳走を買って家路に着いた。
兄には家に残る事を言っていなかった。
全員を追い出すように突き放した兄の姿は寂しそうで、だから驚かせてやろうと思って、兄にも残ることを言わなかった。
兄が帰ってきたらご馳走とギルドカードを見せてやろうと、子はそう思っていた。そしてそれが叶うことはなかった。
子は当時まだローティーンの幼い少年で、清潔にすることを心がけていたため、浮浪者からすれば可愛らしく映っていた。
また手に持った良い香りのする食事も、浮浪者たちからは魅力的に映った。
泣いて叫ぶ子は、手ひどく蹂躙された。
残っていた金も食事も、その時に全て奪われた。
かろうじてギルドカードと命は残ったけれど、それ以外の全部が奪われた。
子は路地裏で隠れて泣いた。誰かに見つかるのが怖いと思いながら、兄に見つけて欲しいと隠れて泣いた。
兄は見つけてはくれなかった。
そもそも都市に残っていることも知らないのだ。探すはずもなかった。
ずっと隠れて、どれほどの時間が経っただろうか。
子の意識が朦朧とする中、救いの手を差し伸べるものがいた。
子を襲った浮浪者とは違う、同い年くらいの少年たちだった。
子は少年たちに迎えられ、彼らのグループに入った。
最初は盗みをするのにも怯えていたが、すぐにコツを掴んだ。
父に鍛えられ、兄に憧れた子は幼いながら闘魔術を使いこなしており、すぐに少年たちの中心メンバーとなった。
そして子はグループの中で守護都市の流儀を学び、自分を汚した浮浪者を見つけ出して殺した。
初めての殺人は吐き気がするぐらい気持ちのいいものだった。
子はそのまま成長を続け、成人すると改めてギルドで働くようになった。
仲間の少年たちは止めた方が良い、盗みの方が安全だといったが、子には憧れる相手がいた。
汚された日以来、一度も会っていない。それでも変わらず兄に、そして亡き父に憧れを抱いていた。
盗みや殺しに手を染めたが、ギルドメンバーとして立派になればまた会いに行ってもいいはずだと、ギルドの仕事を始めた。
そして意外なことに、子には才能があったようだ。
ギルドの仕事は順調に進み、なれない人間もいるという中級へとすぐに成り上がった。
そして子が中級に上がると、それまでの生活は一変した。
寂れた廃屋を根城にしていた彼らはアパートを借り、盗んだものではないまともな食事をとり、綺麗な衣服を着ることができるようになった。
だが綺麗な服を着ても学のない少年たちを働かせる店はなく、まともに稼げるのは子一人だけだった。
グループの少年たちは最初こそ仕方がないと子の稼ぎに頼っていた。だがすぐに自分たちもと盗みを再開するようになった。だがその日暮しをしてきた少年たちの稼ぎなど、一人前の戦士と比べればたかがしれているものだった。
子は気にしていなかったが、少年たちは小さくない罪悪感を抱えていた。
そして、少年たちはギルドに登録した。
子は止めたが、グループのリーダーはお前だけに苦労させられないと、頑なに譲らなかった。
子は折れ、なるべく安全な仕事をとってきて、みんなで受けた。
そして、子を残して全滅した。
来るはずのないロード種の率いる軍勢に襲われた。
後から聞けば、管制が何かおかしなヘマをやったとの事だった。
子は懸命に戦ったが、少年たちは次々に死んでいった。
誰も助けられなかった。自分が生き残ることで精一杯だった。
助けが来なければ子も生き残ることもできなかった。
助けに来たのは、偶然近くにいた遠征帰りの上級ギルドメンバー。
名は、ジオレイン・ベルーガー。
子は、彼に助けられた。
子だけが、義理の兄である彼に助けられた。
都市に戻った子を、ギルドに登録できず残っていた仲間たちは責めなかった。むしろ傷ついた子を慰めた。
子はギルドから渡された大量の慰労金を渡すと、その場から去った。
かつての兄の気持ちがわかったのだ。責めて欲しい時に慰められるその惨めさ、居た堪れなさ。
子が彼らの元へ戻ることは、二度となかった。
強くなりたいと、子は思った。
父は強かったから母と子を救えた。
その強さが足りないから父は殺された。
強さがないから子は汚された。
強さがないから少年たちを守れなかった。
強いから、兄は子を助けることができた。
だから強くなりたいと、そう思った。
兄ほどの才能は子にはない。
だがそれでも強くなりたいと思った。
どんな手を使ってでもそうなりたいと、そう思った。
子は、後にフレイムリッパーとも呼ばれるデイト・ブレイドホームは、この時そう強く思った。
そしてその思いは決して擦り切れることなくデイトを鍛え上げ、そして大人になった彼は得体の知れぬ女と契約を結び、その心臓を差し出した。
誰よりも尊い力を持つ兄の、ジオレイン・べルーガーの強さを穢す、竜の呪いを解くそのために。